酩酊と烙印

「船を降りたのに、まだなんだか船に揺られている気がするです……」

「ゆらゆらのふらふらですぅ──」

「ああ、それは『おか酔い』だな。時間が経てば治ると思うぞ」


 かく言う俺も酔いの症状は出ていたわけだが……


「馬車の部品は明日か明後日には取付け終わるそうですぜ。まぁ旦那方はこの町で暫くゆっくりしてくだせぇ。その頃には酔いも覚めてるでしょうし」


 フェルコスの港はトーラシア首都に比べるとさすがに小規模だったが、それでも一通りの施設が整っている港町だ。

 旅の準備も滞りなく進められそうだ。


「何から何まですまなかったな船長。恩に着る」

「そんな滅相もございやせん! 旦那のお陰で、安全に遠出する目途が立ったんですぜ? これくらいなんて事ありませんや!」


 ミランダの計らいで、新たな馬と馬車は既に手配済みだ。

 馬車のサスペンションについてはミランダに乞われ、旅の途中で素材や構造についてのメモを早い段階で渡してある。

 船に馬車を積めない事は事前に聞いていたからだ。


「それにしてもヒース様は貴重な技術を簡単に提供し過ぎではないかと……」

「まぁこうして以前と同様の馬車も確保出来たわけだし、技術を教えたと言ってもシアやセレナの母国なのだから、それはそれで良かったんじゃないか?」

わたくしとしては出来ればトレバー繁栄のいしずえにしたい所だったのですが……」

「新しい技術テクノロジーってのは様々な別の技術や知識を土台にして生まれていくものなんだ。世の中には誰にも伝えられずに消えて行ったものも沢山ある。だからこの世界を豊かにするには、知識の共有を渋ってはいけないって思うんだ」


 腕を組みながら小さく唸るシア。

 だがそれも長くは続かず、彼女は少し呆れたように溜息を付いた。


「言われてみれば、ヒース様はいつだってそうでしたわね。トレバーにも何の見返りも無しに井戸の掘削技術を提供してくれましたし、お料理のレシピだってそう。そういった貴重な知識を領地で独占出来ないのが少し残念ですが、そこがまたヒース様のお人柄でもありますし──大物のあかしだと考えれば仕方が無いかも知れませんわね」

「俺はそんなに大した人物ではないぞ?」

「人物の評価というものは本人がするものではございません。周りの人々によってされるものですわ」

「別に俺がしたいからやっていただけなんだけどなぁ……まぁそれでみんなの暮らしが少しでも良くなっているなら、それはそれで嬉しいけれど」



 自分の持つ知識がこの世界にマッチしていたのは本当に幸運だった。

 単にキャンプ好きな学生では無く、自然物を利用して何とか生き抜く事をモットーにしていたのも大きいだろう。


 もちろんいざと言う時の為にスマートフォンや充電池は携帯していたが、それはあくまで不測の事態への備えである。

 ランプは光量は無いけれどオイルランタンを好んで使っていたし、食事もなるべく薪や炭を使って作るようにしていた。


 そしてそういった活動を通して自然物を利用したあらゆる技術に興味を持ち、それらの知識がこの世界での生活に直結している。



(そう。この世界の人々に今必要なのは、決して高度な技術などでは無い)



 高度な科学技術は非常に便利で、人の暮らしを大幅に豊かにしてくれる。

 しかしそれらはあらゆる分野の知識的・技術的バックボーンがあってこそ初めて活用する事が出来るものだ。


 この世界にスマートフォンを持ってきたところで、通信インフラもサーバも巨大ストレージも何も無いこの世界では全く役に立たない。



 そもそも発電設備が無い以上、端末の充電すら出来ないではないか。



(いやしかし……魔法協会のあのシステムは……)



 数千年もの間稼働し続けるシステム。

 いったいその本体はどこにあって、何を動力源として動いているのだろうか?


 不思議に思った事は何度もあったが、現在の情報だけでは何もわからない。




(ただ、間違いなく言える事がいくつか──)




 それは魔法システムが何者かによって作られたものだという事。

 そしてその巨大システムが、今ではロストテクノロジー化しているという事実だ。





    ◆  ◇  ◇





 グルージオとその一行は、明日には出航するそうだ。

 そこで出発の前、折角なので酒場で一杯やりませんかと誘われた。


(船乗りである彼ならば、俺の知らない情報も知っているに違いない)


 俺は二つ返事でその誘いを受けた。


 そして港町のとある酒場。

 場所が場所だけに、仲間たちは宿に残して来ている。


「船乗り仲間からの情報なんですがね、どうやらフェンブルとフェルコスの国境で何者かに襲われた村がいくつかあるらしいんでさぁ」

「襲われた? それはメルドラン軍によるものか?」

「それがちょっと良く分からないんですわ。噂ではメルドラン軍に襲撃を受けた町は間違いなく壊滅させられるらしいんすけどね、その国境付近の村では特に破壊行為などは一切無いようでして」

「そうか……で、その村の場所というのは?」

「いやぁ、それが国境付近の村としか聞いておりませんで……」


 フェンブルとフェルコスの国境付近といえば、正に俺達の目的地に当たる。

 出来るだけ情報が欲しい。


「その話だったらあたしが詳しいよ? 聞きたい?」


 俺達の話が聞こえていたのか、少し離れたテーブルの女性から話しかけられた。

 冒険者風の若い女性だ。


「お兄さん、めっちゃいい剣持ってるわね? あなたも冒険者?」

「まぁそんな所だな。その村の件だが、教えてくれるなら是非お願いしたい」

「そうだねぇ……それじゃ一杯おごってくれたら教えたげる」

「それくらいなら全然構わない。是非おごらせてくれ」

「そうこなくっちゃ! 話の分かる男は好きよ」


 彼女はそう言うと、ジョッキを片手に俺達のテーブルへやってきた。

 既に少しだけ酔っているようだ。


「ニルダよ。よろしくね」

「俺はヒース。それでこちらは船長のグルージオだ」


 彼女は何のためらいもなく俺の隣に座る。


「なかなかの別嬪べっぴんさんじゃねぇか! どうだ? この後俺と付き合う気はねぇか?」

「あら。あたしはこのお兄さんとお話がしたいのぉ。ごめんなさいねぇ」

「そりゃそうだな、ヒースさん相手じゃ敵わんか!」


 グルージオは軽くあしらわれた事を特に気にする様子もなく、豪快に笑いながら次のエールを頼んでいた。


「あたしはね、その村の出身なの。田舎の村だから大した仕事も無くてねぇ」

「確かに田舎だとギルドも無いしな。換金も出来ないだろう」

「そうなのよぉ。一生あんな土地にいるのが嫌で出て来たんだけどね。冒険者も大変でさぁ」


 彼女は俺のほうを向き、テーブルに肘を付いて話始めた。

 今気付いたのだが、少し椅子が近い気がする。


(身の上話を聞くのもいいが、出来れば先に情報を聞かなければ……)


 以前、大学のコンパに参加した時、勧められた酒を断れずに酔い潰れてしまった事がある。

 その時初めて感じたのが、俺はどうやら頼み事に弱いという事実だった。


「まぁ気持ちはわかるな。それで、その村はどんな襲われ方をしたのだ?」

「ああごめんなさい、その話だったわね。えっとね。なんでも命は奪われないけれど、精気を吸い取る魔物が出たとかで」

「精気を吸う魔物だと?」

「話ではそうなってるけど、多分それ魔物じゃないと思うな」


(魔物ではない、精気を吸う存在と言えば……)


「もしかするとその襲って来た魔物というのは、獣人ではないか?」

「さすがお兄さん! よくわかったわね。フェルコス周辺には獣人の集落なんて無いからそんな勘違いをしてるんだと思うけど、詳しい話を聞くとどうやら獣人らしいのよね。人語も解するようだし」


 そう言えば獣人の話を詳しく聞いた事が無い。

 仲間達も知識としてはあったが、実際に間近で見たのは俺とセレナくらいだ。


「本当なら私が退治に向かうべきなんだけど、啖呵たんか切って出て来ちゃった手前もあるし。それに私の実力じゃ、きっと役に立てないからさ……」


 彼女にも彼女なりの理由があるのだろう。

 俺はその事には触れず、グルージオに話を振った。


「船長は獣人について何か知っているか?」

「ある程度は知ってますぜ。船乗りの中には色々な奴がいますからねぇ……獣人を取引するような輩もおりますんで」

「やはりそういう連中はどこでもいるのだな……」

「ああ言っておきますが、あっしは人身売買には一切手を染めてませんぜ? トーラシアを拠点にしている船がそんな事をしたら、フェルディナンド公から入港禁止処分を食らいますんでね!」


(確かにあの公爵ならやりそうだ)


 男同士だけで話しているのが不満なのか、再度話に加わるニルダ。


「獣人族は人里離れた場所に住んでる事が多いんだけど、基本的には一部の行商人くらいとしかやり取りしないそうよ」

「随分警戒心が強いんだな」

「彼ら一人ひとりは非常に強力な戦士だけど、何しろ人は数が多いからねぇ」

「なるほど」

「お兄さん。もう一杯頼んでもいい?」


 気付くと更に距離が近くなっている。

 しかし情報の為にはそうそう無下むげにも出来ない。


「え? ああ、構わないぞ」

「ありがとうお兄さん! いい男とお酒が飲めて、今日は本当にツイてるわぁ」


 そう言って彼女は、自分の分と俺の分を頼んだ。

 見れば確かに、俺のジョッキもほぼ空だった。


(まだまだ飲めそうだし、たまにはいいか)


 だがそれほど警戒心の強い獣人達が、わざわざ故郷から離れた土地で人を襲う事などあるのだろうか?


「その獣人達は何か首輪のようなものをめられていたという話は聞いてないか?」

「うーん、そこまでの話はわかんねぇべ……ないわ。ところでお兄さんって、やっぱりグリアンの人なのぉ?」

「そうだな……血を引いているのは確からしいな」

「わぁ! 初めて会っただ……わ! それにしてもこの黒髪……素敵……」


 結局その後、何度か全く関係無い話を挟みながらも、どうにか村の位置を聞く事が出来た。

 詳しい話は現地で聞くほか無いだろう。



 村の話が一段落すると、話は自然とグルージオやニルダによる冒険譚に。

 二人ともなかなか面白いエピソードを持っていたためか酒が進み、結局その酒宴は夜半過ぎまで続く事になった。





    ◇  ◆  ◇





「むむぅ……頭が……」


 昨晩何杯飲んだのか。

 全く思い出す事が出来ない。



 その結果が、この二日酔いである。



 しかも酒宴の後半は、ほぼ何も覚えていない。

 気付いた時には、既に宿屋のベッドの上だった。


「ヒースさま。早く起きていただかないと、ベァナ姉さまが……」


 ニーヴの声が頭に響く。

 気を使って小声で話かけてくれてはいるのだが……


(これは……相当飲んだな)


「すまん、二日酔いが酷くてな」

「二日酔い? ──あ、飲み過ぎって事ですね」

「ああ。頭を少し動かしただけで……ガンガンする」

「それは大変お気の毒なのですが……お姉さま方がご立腹のご様子でして」


(勝手に飲み過ぎて出発を後らせているのだから、怒るのは無理もないが……)


「しかし……頭が痛くてどうにも動けぬのだ……」

「あのあの、魔法も唱えられないほどでしょうか?」


(なぜこの状況で魔法の話になるのだろう?)


「ちょっと……きついかな」

「わかりました。それじゃちょっと失礼いたしますね」



 ニーヴはそう言うと俺に右手を向け、おもむろに詠唱を始めた。





── ᛚᚨ ᛗᛏᚱᚨ ᛞᛖ ᛗᚨᛚᛒ ᚱᛖᛞᚴ ᛟᛗᚾᛋ ──





(ん? この呪文は!?)




 何の魔法なのか分かった時には、既に効果が表れていた。



「お加減はいかがですか?」

「ニーヴ、これは解毒剤アンチドートの魔法……」

「はい。ベァナさんに教わりました」

「アルコールの分解によって発生するアセトアルデヒドは、確かに体にとって毒素以外の何者でもない。なぜ今まで気付かなかったんだろう……」

「汗とあるで人?」


 そこまで話をした所でセレナがやってきた。

 冷静な彼女には珍しく、かなり不機嫌そうだ。


「お目覚めのようだな色男殿。気分はどうだ?」


 使う言葉も随分辛辣だ。


「ニーヴのお陰で頭痛はすっかり引いたが……少し寝坊しただけなのに、なぜそんなにも不機嫌なのだ?」

「寝坊? 貴殿は何か勘違いをしているようだな。そんな事で皆が激怒するわけが無かろう」


(寝坊では無いとすると……)


「あのヒース様、これを……」


 伏し目がちにニーヴが差し出したのは、トーラシアで買った手鏡だった。


「俺の顔、そんなに変だったか?」

「いえ、お顔では無く……右の首筋を……」


 確認する場所を伝えるだけなのに、恥ずかしそうなニーヴ。

 どういう事か確認すべく、自分の右首筋を鏡で確認すると……


「なっ!? こんなもの誰が……」


 そこにあったのは……

 明らかに誰かの口によって吸われた、数か所の跡。



 通称『キスマーク』であった。



「誰がって、グルージオ殿と一緒に貴殿を送って来た女冒険者しかおらぬであろう? もっとも我らの存在を知った途端、そそくさと帰られたようだが」

「女冒険者? ああ確かニルダとか言う……だが俺には全く記憶が……」

「ではそれはグルージオ殿によるものだと言うのか!? だとしたら私は……」

「いやいやいや、それは無いぞ! 絶対に!!」


(考えただけでも恐ろしい!)


 俺が覚えているのは二人の冒険譚を聞きながらエールを浴びるように飲み……



「あっ……」



 思い出した。


 大量の酒で朦朧もうろうとする中、グルージオとニルダの話がいかがわしい方向に脱線し始めたため、危機感を覚えた俺は話を元に戻そうとしたのだ。


 それで村を襲う獣人の話題を振った時、ニルダが……


「その女が獣人役になり、精気を吸い取るまねごとをしたというのか?」

「いや本当にすまぬ。俺も酒のせいで判断力が欠如していたようで……」


 セレナは小さく溜息を吐く。

 不機嫌さは消え、代わりに呆れた表情を浮かべていた。


「グルージオ殿とずっと一緒に居たのは間違いないだろうし、酒場であればそれほど目立つ行為は出来ぬだろう。しかし私にはそんな説明でも問題無いが──ベァナとシア相手ではそうはいかぬぞ?」

「ああわかってる。彼女達にはすぐにでも説明と謝罪を……」

「いや、それはかえって逆効果かも知れぬ。やめておいた方が良い」

「それは一体、どういう……」


 セレナは俺の首筋に一瞬だけ目をやり、その理由を教えてくれた。



「貴殿は覚えていないとは思うがな……それを見た時の彼女達の反応と来たら……」



 世の中には知らない方が良い事もあるのだと、俺は改めて思うのだった。




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