ヒースの正体

 通された部屋は謁見の間とは違い、とても落ち着いた雰囲気の応接間だった。


「どうぞヒース殿、そちらにお掛けくだされ」

「失礼いたします」


 盟主のフェルディナンド公は既にソファーに腰掛けており、まるで自分の部屋のようにくつろいでいた。

 ワインか何かのグラスを手にしている。


「飲み物を適当に用意したので、好きなのを勝手に飲んでくれ」

「お心遣い、痛み入ります」

「うーむ、堅苦しいのは無しでお願い出来ないかなヒース殿?」


 表情を見ると、別に怒っているというわけではなさそうだ。

 何やら本当に面倒臭いのが嫌だと言うような顔をしている。


「わかりました。それではミランダさんとお話する感じで宜しいですか?」

「そうそう、それならOKだ。そうしてくれ!」


 彼はソファーに腰を深く沈めると、おもむろに話始めた。


「ヒース殿についての報告を一番初めに聞いたのは、まぁ想像通りだと思うが──シュヘイム・ヴィッケルト男爵からだ」

「そうでしょうね。一番最初に良くしていただいた貴族様ですから」

「彼は壮健だったか? 何しろ文書だけでは詳細がわからぬゆえな」

「はい、至って元気でした。ゴブリン襲撃の際は私とは別の場所で戦っていたようですが、何事も無かったように二体のホブゴブリンを倒していたそうです」

「奴はあれでも元師団長だ。それくらいの働きをして当然だな。だがわしの聞いた話によると、フェンブルの山村で百体近くのホブゴブリンを殲滅させた猛者もいるという話を聞いているのだが──」


(それはおそらく巣分けの話……どこまで伝わっている?)


 アラーニはダンケルドに近い村だが、所属はフェンブル大公国である。

 おそらくメルドランの情報をやり取りする中で伝わったものであろう。

 ベァナの祖父でもある村長は、きっと律儀に報告しているはずだからだ。


「アラーニ村は、よそ者である私を温かく迎え入れてくれました。ところが村の近くで『巣分け』が起きたらしく、私は村を救うために必死になって様々な対策を講じたのです」

「そして作り出したのが『クロスボウ』という武器というわけか」


 フェルディナンドの表情に変化はない。

 だが、その眼光から鋭さが消える事も無かった。


「ああ。シュヘイムの名誉の為に言っておくが、この情報をよこしたのは奴では無いぞ。ダンケルドでもトレバーでも、あの変わった弓の目撃者は沢山いるからな。というか元直属上司の儂にまで情報を伏せるとは、あいつは相変わらず融通の効かない頑固野郎だな!」


(やはりヴィッケルトは約束を違える男では無かった)


 そのこと自体は素直に嬉しい。


 だが結局、彼の努力を不意にしてしまっているのは俺自身だ。

 こうして俺自身が注目を浴びてしまっている以上、関わった人々がどう繕ってくれたとしても、俺がこの世界に持ち込んだ技術や知識が拡散していくのは免れない。


「やはり一国の主ともなると、あらゆる情報網をお持ちなのですね。フェルディナンド公がお持ちの情報は全て正しいと思います。もう私には何も隠す事など……」

「ところが、全くわからんのだよ」



 彼は手にしたグラスを静かに置く。



「貴殿については今までの経緯いきさつもあって、興味本位で報告させていた。もちろんそれほど重要な位置付けではなく、あくまで儂の趣味のようなものだった。貴殿のような破天荒な若者、そうそうおらぬものでな」


 本人を目の前にして楽しそうに話す盟主フェルディナンド。

 だがその眼光が再び鋭く突き刺さる。


「貴殿はダンケルドでとある農場を救ったそうだが、そこにシンテザ一派が関わっていたというのは真か?」

「はい。農場主が奴らの企みによって、精神的な拘束を受けていました」

「そしてトレバーに出現した単眼の巨人キュクロプス。あれを召喚したのもシンテザ一派のしわざであるな?」

「はい。ジェイドという魔術師が召喚したという話を聞いております」

「貴殿が訪れる土地には、なぜか必ずシンテザ一派の影が見え隠れする。偶然とは言え、おかしいとは思わぬか?」

「それは……」


 アラーニの山中で意識を持つ前、俺が何者かに追われていたのは確かだ。

 そしてシンテザの一味であったマラスによれば、俺は『王妃』と呼ばれているシンテザ信者から追われる身であったらしい。


 俺が信者では無い事は、冒険者カードの記載からして間違いない。

 俺には精神魔法を使った痕跡が無いからだ。


 しかし全く関係が無いと言い切れるかどうかは──

 記憶の無い俺に、その確信は持てない。


「実はヒース殿がこの首都に到着する少し前に、とある報告が入ってな」

「報告、ですか」

「ああ。フェンブル北部は既にメルドランに制圧されているのだが、そこで戦った兵士からの証言でな──メルドラン軍は魔物を使役しえきして町を攻めているらしい」

「魔物を使役というと、やはり……」

「ああ。メルドランは間違いなくシンテザ教と手を組んでいる」


(メルドランのような大国が、なぜ魔神シンテザ等を手を組む?)


 メルドランへの疑問は、そのまま俺自身に向けられる。


「そして貴殿だ。貴殿はメルドラン出身なのであろう?」

「はい。私は旅商人の護衛をしつつ、各町に役立つ技術を……」

「では何領の出身だ? その領を治める者の名は?」



 俺には一切答えられない質問だった。

 なぜなら今の俺は、あのアラーニ村の山奥で産声を上げたようなもの。



 この世界の事どころか、自分自身の事すら知らないのだ。



「わ……私は……」



 その時、ミランダの助言を思い出した。




『とにかく全て正直に話してくれ』




(そうだ……一国の主に対し、嘘を貫き通す事など不可能)




 決して隠し通そうと思っていたわけでは無い。


 事実を話す事で俺自身が──

 そして俺を信頼してくれる仲間達が──


 窮地におちいってしまう事を何より恐れていた。




 だから話をする相手は、信用出来る相手と決めていたのだ。




「フェルディナンド公。貴方を信用し、全てお話します。この事は出来るだけ、他言無用でお願いいたします」




 トーラシアの盟主への回答は、それで正解だったようだ。




「ヒース殿。その言葉をずっと待っていたのだよ」





    ◆  ◇  ◇





 俺が自分の身の上について、事細かに話すのはこれで三人目なのだが……



(人によって、本当に反応が全く違うんだな)



 ベァナに伝えた時には、彼女は俺の身の上を本気で案じてくれた。

 魔導士ティネは好奇心丸出しで、根掘り葉掘り聞かれる事に。



 だが目の前のトーラシア君主、フェルディナンド公と言えば……



「うぅむ……」



 頬杖を付きながら、ずっと唸っている。



(そりゃこんな荒唐無稽こうとうむけいな話、普通は信じないよな──)



「無理にご意見をお伺いするつもりは無いのですが……」

「いや、そうでは無い──そうでは無いのだ」


 返答に困っているだけだと思っていたが、そうでは無いらしい。


「と申しますと?」

「貴殿の話が真実だとすると──不思議な事に全て辻褄が合ってしまう。だがそんな突拍子も無い話──」

「やはりそんな話は信じられないと」

「確かにそうなのかも知れぬ……儂は何を聞いても驚かないつもりだったのだが、さすがに別の世界から意識だけがこの世界に来たなどと言う話はなぁ……」


 初めに話をした二人が特殊だっただけで、おそらくこれが普通の反応なのだろう。


「だがヒース殿が嘘を言っているわけでないと言う事も、なんとなくわかる」

「その理由を聞かせていただいても宜しいですか?」

「うむ」

「その理由とは?」

「儂の勘だ」



(結局、理由なんて無かったのか!)



「ただ、貴殿の話とこれまで起こった事に、全く齟齬そごが無いのは間違いない」

「それは何よりです」

「もうこうなったら仕方がないな! 儂も知っている情報を洗いざらいお伝えしよう。折角貴殿が儂を信用してくれたのだからなっ!」


 傍目から見ると、半分自暴自棄になっているようにも見える。


「貴殿は自分が何者なのかわからないと申しておったな」

「はい」

「おそらくこれは九割方正しいと思われる情報なのだが……心して聞いてくれ」



 フェルディナンド公は自らの両手を組み、こちらを見据えながら語った。




「貴殿はフレイザー家当主、ヒース・フレイザー辺境伯で間違い無いだろう」




(は? 俺が辺境伯? しかも当主って!?)




「それは……何かのご冗談でしょうか……」

「冗談では無い。儂も最初はまさかと思っておったのだが──れっきとした証拠がある」

「証拠、ですか?」

「ああ。貴殿が帯同しているその剣だ。それはメルドラン第一騎士団謹製の曲刀サーベルでな、騎士団長との試合の勝者にしか下賜かしされない品なのだ」



 俺は己の剣の鞘を改めて眺めた。

 前から思ってはいたが、明らかに手の込んだ作りをしている。



「確かに私が意識を持った時から、この剣は私の手元にありました」

「盗品である可能性も無いわけではないが、それはミランダが否定していた」

「ミランダさんが?」

「彼女はヒース殿が盗みを働くような人物では絶対に無いと言い切っていた」



(ミランダさん。信用してくれて本当にありがとう)



「それとな──貴殿との戦いで納得したそうだ。その剣の持ち主であれば、私が負けても仕方がないと」

「手合わせに負けたのは私です」

「その時貴殿が使っていたのは、師団に置いてあった訓練剣だったと聞いている。そしてミランダはこうも言っていた」


 フェルディナンドの真っ直ぐな視線を感じる。


「『私の全力の剣技が、全て見切られていた』と。ミランダを打ち負かせるような剣士はトーラシアにも二人と居ないのだぞ? そんな彼女の攻撃を全て見切るような人物など、そうそう居てたまるものか」


 確かにあの時は必死に戦っていたし、それまでの訓練の成果もあって元の『ヒース』の技術をかなり引き出せるようにはなっていた。


「ですがこの剣を所持しているからと言って、私がその人物であるとは……」

「第一騎士団長との戦いに勝ち『剣術師範』の称号を得た剣士の名など、調べればすぐにわかる」


(剣術師範という称号があるのか)


「そして調べた結果、過去十年の間に剣術師範の称号を得たのは四名。その中にヒース・フレイザー辺境伯の名が確かにあった」

「以前行商人に聞いた事があるのですが、ヒースという名前は北方では一般的と……」

「確かに一般的な名だな。だがグリアン人の血を引く剣術師範となれば話は別だ。当てはまる人物と言うと、フレイザー辺境伯ただ一人しかいないのだよ」

「そのフレイザー伯は、グリアン人だったのですか?」

「移民何世かはわからぬが、グリアンの血を引いているのは間違いないらしい。そしてその彼が剣術師範の称号を得たのは五年前」


(問題はその年齢だ)


「フレイザー伯はその時、十八歳だったらしい」


 俺は自分の年齢すら知らない。


「フェルディナンド公。先程お話した通り、私は自分について何もわからないのです。失礼ながらお聞きしますが、私はいくつに見えますでしょうか?」

「貴殿は何歳くらいだと思う?」

「元の国の感覚では、そうですね──三十路みそじに入った辺りかと」

「ははっ! 貴殿の祖国というのは、よっぽど見た目の若い者たちの集まりなのだな! もしかすると若さを保つ技術でも進んでいたのか?」


(そうか……医療や衣食住の環境は、この世界よりも断然整っていた。このような厳しい環境で育てば、多少老けて見えるのも当然かもしれない)


「まぁ儂の見立てでは二十代中盤と言ったところだが……フレイザー伯と全く同じ、二十三歳でも十分通用すると思うぞ?」

「という事はやはり」

「まぁそういう事だ。ただ儂もメルドランの領主一人一人に精通しているわけでは無い。実の所、貴殿の事を調べるつもりで情報を集めさせたのだが……そのフレイザー伯には謎が多い……というよりも、何も情報が無いのだ」

「情報、というのは?」

「儂は正直無くしてしまいたいとすら感じているのだが、結局貴族なんてものは世襲制だ。本人がなろうと思って血のにじむような努力をしても、結局は騎士や準男爵止まりが関の山だ。そして男爵や子爵ともなれば、必ずその家にはある程度の歴史がある。貴族の子息達が初めに勉強するのが、その家の歴史だったりするくらいだからな」


(一度築かれた既得権益ってのは、ちょっとやそっとでは崩れないという事か)


「ところがそのフレイザー家というのは後継者がおらず、どうやら数百年前に一度途絶えた家系らしい」

「子孫はいないはず、と」

「そうだ。しかしそれがなぜか、ほんの二十年前に突如再興されている。そしてそのあたりの事情を調べても、全く何も出て来ないのだ」

「それは確かに怪しいですね」

「ヒース殿もそう思うだろう? というかまあ、おそらく貴殿の事なのだがな!」


 フェルディナンドはどうやらそれがツボだったらしく、部屋中に響くような声で大笑いした。


「いや失敬失敬。ヒース殿、儂が貴殿を試すような質問をしたのは、そういう事情なのだ。おそらく貴殿が何者かはほぼ特定出来たはずなのだが──調べれば調べる程、その謎が深まるばかりでの」


(そしてその正体がメルドランの貴族であるのだから……)


「私がメルドランの手の者であるかも知れない、と?」

「実を言うと、一時はその線を疑っていた──だがそのフレイザー家は、どうやら王族から命を狙われていた事実が分かっている」

「王族にですか」

「ああ──貴殿、先程の話では何者かに追われていたと言っていたな?」

「はい」


 ここまで情報を教えてくれたのだ。

 俺も知っている事を全て話すべきだろう。


「ダンケルドで捕らえたシンテザ教徒からの情報なのですが……どうやら私は『王妃』と呼ばれている者に追われていたらしいのです」

「王妃だと!? それは真か?」

「はい。確かにその魔術師はそう言っておりました」


 再び考えに耽るフェルディナンド。


「そうか……どうやらそれで大分話が見えて来たな」

「と、申しますと?」

「貴殿の聞いた王妃というのはおそらくだが、レスター王の第二王妃、ダニエラで相違あるまい」

「第二王妃、ですか?」

「ああ。現在メルドラン国王を僭称せんしょうしているアイザック第四王子の母であり──」




 それは一国の主が、その者を敵対者と認めた言葉だった。




「そして今、メルドラン王国を牛耳っている張本人だ」




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