貴族と平民

「先日来た時はわからなかったですが、こんな立派な闘技場があったんですね」

「はい。本部直轄地という事もあり、様々なイベントが行われるのです。三年前の武道大会も、ここで行われたのですよ」

「そうなのですか! それにしてもすごい人ですね!」

「現在は第一旅団と第三旅団の半数が駐屯していますからね。任務中の兵士以外はほとんど見学に来ているのではないでしょうか?」


 エグモントがベァナに施設の解説をする。

 お互い随分会話がスムーズに見えるが……



(いつの間に仲良くなった!?)



 確かにベァナは愛想が良い方だとは思う。

 しかし、決して自分から声を掛けるような性格では無い。

 エグモントについても軟派な男には見えないし、正直接点が分からない。


 焼きもちというわけでは無く、単純に想像が出来なかった。


(まあ彼もシアと話すのは気まずいだろうし、これもきっとベァナの気遣いかも知れないな)


「おお来たな? エグモントご苦労だった。お前はカールと同じ陣にいてくれ。対戦相手が近くにいたら、お互い気を遣うだろうからな」

かしこまりました」


 師団長に一礼するエグモンド。

 振り向いた瞬間、彼と目が合う。


(ん? なんだ?)


 先日俺を対戦相手に指名した際は、友好的な態度だったはずだが──


(今の視線から感じるのは明らかに──敵意)


 もしかしたら対戦当日という事で、気合が入っているのかも知れない。

 そういう事もあるだろうと、その場はそう納得をした。


「手合わせの順番だが、一戦目はセレナ殿とうちのカール、二戦目はヒース殿とエグモントで進めようと思う。お二人ともそれで大丈夫か?」

「セレナに問題無ければ」

「私は問題ござらん」

「相分かった。それでは早速始めよう」


 ミランダは立ち上がると数歩前に進み、良く透る声で兵士達に告げた。


「それでは諸君! 既に聞き及んでいるとは思うが、この度はトレバー防衛の英雄であるヒース殿とセレナ殿にお越し頂き、当師団を代表する二名と親善試合をして頂ける事となった!」


 大歓声で埋め尽くされる闘技場。


(師団の半数が駐留しているという話だが……確かにすごい人数だな)


 それくらい多くの兵士で埋め尽くされていた。

 さすがトーラシア北部の要衝ようしょうである。


「それでは第一旅団第四連隊所属、第三大隊長カール・クラインステット! 所定の位置にっ!」


 反対側にある閲覧席の奥から、一人の男が舞台にやって来た。

 エグモントの話によると、あまり評判が良くないという話だったが……


 意外にも、観客席からの歓声は多い。


『頼むぞカールっ!』

『貴族の意地、見せてやれーっ!』


(もしかすると、カールのような考えの貴族は結構多いのかもな)


 彼は所定の位置に着くなり、歓声に応えるように腰の剣を頭上に掲げた。

 そして高らかにこう宣言する。



「五分だっ! 平民の女なんぞ、五分で片を付けてやるっ!!」



 宣言後、剣は彼の前方に振り降ろされる。

 その剣先は真っ直ぐにセレナを指し示していた。


 そして当のセレナだが──

 彼女は表情一つ変えず、舞台上の男を見据えていた。


(さすがだな、セレナ)


「それでは剣士セレナ殿。壇上にっ!」


 ミランダがセレナを壇上に促す。

 彼女も不機嫌になると思ったのだが、普段と何ら変わる所は無かった。

 どうやらいつもの事らしい。


 セレナは無言でうなずき、舞台へと登っていった。

 すると──



『待ってましたぁ~っ!!』

『すっごい美人じゃねぇ?』

『セレナちゃーーんっ!』

『三分だ! 三分で片づけてくれっ!』

『セレナ殿~っ! 俺とも手合わせを~っ!!』

『結婚してくれぇ!!』



 男所帯な為、ある程度は予想していたが──

 カールの時の、数倍の大歓声だ。



 そのセレナが一瞬、こちらを振り向く。

 彼女は未だかつて見せた事の無い程の、渋い表情をしていた。



(暴言には耐えられるのに、これには耐えられないか!)



 その様子を見たミランダは楽しそうに笑っていた。





    ◆  ◇  ◇





「それでは両者構えっ──始めっ!」



 試合が始まった途端、周囲の野次が収まる。


(さすがはミランダ隊長。指導が行き届いておるのだな)


 セレナはすぐに目の前の兵士に注意を向けた。

 カールはこの統制の取れた軍の中でも、腕を認められた剣士の一人である。


(一瞬の油断が命取りになるやもしれぬ)


「セレナと言ったか? 刃の無い訓練用の剣とは言え、直撃を食らったらただじゃ済まねぇ。今のうちに降参すれば、きれいな顔のまま試合終了だぜ?」

「お主こそ長期休暇を取る羽目にならぬよう、気を付けるが良かろう」


 カールの顔が怒りで歪んだ。


「んだとてめぇ? 平民風情がいい気になりやがって!?」


(剣の腕を鍛えてはいても、自らの精神までは鍛えておらぬと見える)


 セレナは師匠から常々、戦いで最も大事なのは冷静さだと教わっていた。

 どんな状況でも、敵の一挙一動をしっかり見極める事こそが重要だと。


 真剣勝負にいて、下らない中傷に気を割く余裕などありはしないのだ。


「んじゃそうならないように、目障りな平民女はさっさと片付ける事にするよっ!」


 カールが一歩踏み込み、左から剣を薙ぐ。


(素早い)


 その剣戟けんげきを、セレナの剣が右へと払う。

 彼女はバランスを崩そうと思いっきり打ち払ったつもりだったが、カールは振り払われた剣を難なく元に戻した。


(思ったよりも重いな)


 初めて扱う得物だけあり、少々勝手に戸惑うセレナ。


「ははっ! やっぱ女の力じゃそんなもんだよな! それじゃウチの新兵となんもかわんねーぞ?」


 そう言うや否や、カールは剣を連続で振るい始めた。

 相手の力量を知らずに畳み込んで来るような人物というのは、大抵お粗末な剣技しかもっていないものだが──


 これがしかし、彼の剣筋はかなり正確だった。

 カールは地道な練習で型をしっかりと覚えた上、日々の鍛錬を怠らない。

 その場の思い付きでは、このような正確な連撃を繰り出す事など出来ないのだ。


(ある程度腕の効く相手だからこそ、今は見極めの時だ)


「おいおいどうしたよ? 防戦一方かぁ? ずっと攻撃を耐えていたって、誰も助けに来てはくれねーぞ!?」


 ミランダが言っていた通り、カールの腕は間違いなく一流だった。

 今は防戦に集中しているセレナだが、気を抜けば一気に隙を突かれる。


 暫く剣をかわした後、カールは一旦攻撃の手を緩め、再び構えに戻る。


「それだけの腕があるのに、なぜ血筋や性別にこだわる?」

「あぁ? そりゃ逆だろ? 俺が男で血筋が良いから、力や才能を全部持って生まれて来たんだよ!」

「だが才能だけでは、そこまでの技術は身に付かない。それは貴殿自身が努力を積み重ねて来たからではないのか?」


 彼女の言葉に対し、カールはそれまで見せなかった真顔で返答する。


「ああそうだよ。俺はあいつと違って、努力をずっと怠らなかったさ。結局あの女は金と権力に負けやがったんだ……」


(どうやら彼にも何か事情があるらしいが……)


 だが過去の逸話くらい、誰にだってあるもの。

 そう思い、セレナはそれ以上深く詮索せんさくする事はしなかった。


「何かしら理由があるのはわかった。だが平民の女だからと言って、誰も彼も同じに見てもらっては困る」

「はっ!? どうせ貴様もそのうち権力者の男にひざまずき、従順な愛妾あいしょうとしての生活で満足するのだろうよ!」

「お主はどこまでも狭量きょうりょうで頭の固い御仁ごじんだな。丁度良い。お主の技量はおおよそ把握出来た。これから反撃させていただくとしよう」

「んだとてめぇ!?」


 セレナが今まで取っていたのは、東大陸全域でみられる一般的な剣術だ。

 だが彼女が師匠から伝授された剣術は、遥か西方に浮かぶ大陸の技。


 セレナはおもむろに、自らの剣を鞘に収める。


「なんだお前、なぜ剣を鞘に戻す? ははっ! もしかして降参かっ!?」


 その瞬間彼女は敵に向かい、大きく踏み込んで剣を放った。

 剣先は、彼の右腕をかすめた。


(今のはグリアンの技──フフッ、これは楽しくなりそうだ)


 観客席のミランダが笑みをこぼす。

 だがそんな師団長の思いに反し、セレナは技の出来に納得出来ずにいた。


(ううむ……やはりいつもの刀で無いと難しいか……)


「なっ、なんだよそれは!?」


 カールが動揺を見せたのを機に、剣戟を叩きこみ始めるセレナ。

 さすがの彼も直撃こそ免れるが、今度は逆に防戦一方となった。


「くっ……この流れるような動きっ……」

「私の扱う剣術はお主らのものとは少々違ってな。力による戦いではなく連続した動きの中から、相手のほんの少しの間隙かんげきを突く」


 セレナが普段使用している曲刀は、斬りに特化した刀剣である。

 相手の体に触れただけでも、前後運動によって『斬り』を加えられる。

 つまり『突き』であっても、触れる場所によっては『斬り』の攻撃になる。


 だが今回使っている西大陸で一般的に使用される剣は、基本的に力を載せて叩き切るための武器である。

 突く事も出来るが、その為には相手の体をまともに捉えなければならない。

 つまり斬りでも突きでも、己の力を剣に全て載せてぶつける必要がある。


(だが……力任せの戦いでは、女の私には分が悪い)


 今回はあくまで模擬戦だ。

 別に相手を叩き切らずとも、戦闘不能な状態にすれば良い。


 刃の無い訓練用の剣ではあったが、当たればそのダメージは相当だ。

 既にカールは両腕の何か所かに攻撃を受けていた。


(それにしても……私には扱いづらい剣だな……)


「くそっ、くそっ、くそーっ!!」


 反撃出来ない状況に痺れを切らし、自制心を失うカール。

 彼は力任せに叩き切ろうと、目の前の相手に向かって大きく振りかぶった。



(だからな──そういう心の乱れが、最も命取りなのだ)



 セレナの素早い一突きが、カールの喉元で止まった。



「両者そこまでっ! セレナ殿の勝利!」



 審判役を兼任するミランダの声が響く。

 そしてその声に続き、闘技場に響き渡る大歓声。



「この俺が女に……平民の女に完敗だと……」



 その場に崩れ落ちるカール。

 彼は目の前の女性剣士を見上げ質問をする。


「すまん教えてくれ平民の女! この俺に何が足りないと言うのだ!?」


 その言い草にほとほと呆れるセレナ。


「色々と足りないとは思うのだが……まずはその態度から改めたらいかがか?」

「態度……?」


 シュヘイムやシア、そしてミランダのように、相手の出自に関わらず比較的平等に接する貴族はそれほど一般的では無い。

 むしろザウロー家のケビンのような人物が一般的だ。

 だから生粋の貴族であるカールもまた、これまでの自らの言動に対し何ら疑問に思う事が無かったのかも知れない。

 セレナはそう感じていた。


「とりあえずお主にはミランダ師団長という、最も良いお手本がすぐ近くにいるではないか。師団長の一挙一動を良く観察していれば、そのうち」

「なるほど……そう言えば師団長は女だったな。すっかり忘れていた」


 その場で首をねてやりたいという衝動を、強靭きょうじんな精神力で思い留めるセレナ。

 彼女は拳を固く握りしめ、舞台を後にした。


(全く……師団長はなぜこんな失礼なやからを部下に置いておられるのか……)


 閲覧席に戻りながら考えにふけるるセレナ。

 そしてセレナはこの度の手合わせを元に、とある結論へと至る。



(……そうか、なるほどっ! そういう事だったのか!)



 セレナはカールが普段から横柄であり、司令官の前でも常に同様な態度を見せているのだろうと考えた。



(自らの身をえて耐え難い屈辱の中に置き、感情を制御する訓練を──)



 そんな彼女を、閲覧席で出迎えるミランダ。


「すまんな。あまりセレナ殿の鍛錬の役立つような相手では無かったようで」

「いえいえ、とんでもございません! 師団長の精神鍛錬へのお取り組み、誠に感服いたしました! 私も参考にさせていただきます!」



 ミランダが首を傾げる。

 セレナが何の事を言っているのか全く理解出来なかった。



 しかし、とにかくセレナの役に立ったのであれば幸いと納得するミランダ。

 すぐに次の対戦へと気持ちを切り替える彼女であった。



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