シアとベァナ

「交流試合の翌日に出発するので、旅の準備は今日済ませないといけませんね」

「お買い物です~!」

「かいぐいです~!」


 プリムさん。それは旅の準備とは関係無いからね!

 まぁこんな機会なかなか無いし、多少なら良いのだが。


「二人とも、晩御飯が食べられなくならないように、ほどほどにね」

「りょぉ~かいですっ!」

「はいはいです~!」


 そしてやはり、普段よりもテンション高目らしい。


「しかしベァナ殿すまぬ。私はこの戦い、どうしても負けるわけにはいかぬ故」

「いいんですよセレナさん! ヒースさんを仇敵きゅうてきに見立てて、練習頑張ってくださいね!」


(仇敵って……まだ会った事すらないだろうに)


 酷い言われようだが、こうなってしまったのも全て対戦相手のカールのせいだ。


 トーラシアは東大陸の中では比較的実力主義な国家だと聞いている。

 それでも貴族なんて地位が残っている以上、選民思想を完全に排除するのは難しいのだろう。


「では暫しヒース殿をお借りする」

「ちゃんとお返しくださいね」

「ご心配なさらなくとも夕刻までには戻る。シア殿とは違う故な!」

「んまっ! でも確かにそうですわね。私なら朝まで……」


 セレナもなかなか言うようになったが──

 さすがにシアの返しはそれ以上の破壊力だ。



 だが。



(どんな言葉を返せばいいのか、全くわからんっ!)



 女性同士の会話に違和感なく入っていく。

 そんな高等技術を学ぶ機会なんて、今まで一切無かったのだ。



(まぁ──ソロキャンプしかしてなかったしな)



「シアさんには町の案内とか妹達のお相手をしていただきますので、そのような時間はございませんっ! さぁシアさん、買い物に行きますよっ!」

「シア姉さま、行きましょう!」

「ねえさまといっしょです~!」

「くっ……仕方がありませんわね……」


 ベァナの一言で窮地を脱した。


(いつもいつもありがとう、ベァナっ!)


「ベァナ、旅の準備宜しく頼むっ!」

「はいっ! この貸しはまた今度お返しくださいねっ」

「!?」



 ベァナのたくましさも相当なものだった。



 結局シアとベァナが一緒に買い物に行くことに。

 一抹いちまつの不安が残る。


「ニーヴとプリムもいるし、まぁ大丈夫だろうよ」

「そうだろうか?」

「あの二人、あれでいて結構互いを気遣っているのだぞ? 娘二人を交互に面倒見たりとかな」

「そうだったのか」

「ああ。今回もおそらくベァナ殿の買い出しの邪魔にならぬよう、シア殿が二人の面倒を見るのではないかな」


 確かにトレバーを出発する時、シアとベァナの関係は心配の種であった。

 だが旅を続けて既に二週間近く経つが、たまに冗談の言い合いを耳にするくらいなもので、深刻な対立は一度も無い。

 むしろ仲間達への負担が減ったようにも感じている。


(みんな俺の知らない所で、色々と気を使ってくれていたんだな)


「それなら良かった。では俺達は自らの役目に注力するとするか」

「ああ。すまんが宜しく頼む」



 当初、師団長から練習場を好きに使って良いという申し出があったのだが、それは丁重にお断りする事にした。

 師団長のミランダは信用に値する人物だが、駐屯する兵士は数千人。

 どんな人物がいるのかわからない。

 出来れば手の内を見せたくは無かった。


「町の外ならば、誰にも見られずに鍛錬に打ち込めそうだな」

「あっ、ああ。誰も居ないところでするのだな!?」

「セレナもそのほうが良いだろう?」

「お、応よっ! どんな事でも受け止めようぞっ!」



 どこか様子のおかしい所もあったのだが……

 どうやらそれは杞憂だったようだ。




 鍛錬が始まった途端、普段通りの容赦無いセレナの姿がそこにあった。





    ◆  ◇  ◇





 シアはこれまで二度、アルフォードを訪れた事がある。

 監察隊の駐屯地があるこの町は、連邦主催のイベントが多く行われるからだ。

 エグモントとの初顔合わせもその際の事だった。


「ここが中央広場ね。日時計もありますし、お昼には一旦ここに集合いたしましょう。ベァナさん。お店の大体の位置はもうおわかりですわよね?」

「そうですね。店の種類ごとに道が分かれていて、とても覚えやすいです」

「アルフォードは計画的に作られた町らしいですからね。トレバーにもこういった商店街というのでしょうか? 是非取り入れられたら良いですわね……」


 シアは現領主の娘であり、公式の後継候補でもある。

 特にヒースとの婚約後は、領地経営について真剣に考える事が多くなっていた。


「シア姉さまはこの町についてお詳しいのですか?」

「前回ここに来たのは三年前ですが、特に変わった場所はない様子。だから大抵の施設の場所はわかるわね」

「「おおおー」」


 見るもの全てが新しいものばかりの二人にとって、それを既に知っているシアは尊敬に値する存在だ。


「そう言えば確か演劇場があったはず──今日は休日ですから開催しているでしょうね。どこだったかしら」

「えんげき?」

「演劇というのはね、昔話なんかを人が演じて表現する催しものね」

「えんじる、ですか?」

「まぁ簡単に言うと──気合の入ったごっこ遊びみたいな感じ?」

「おもしろそうですー!」

「演劇なんて数回しか見た事無いです。見てみたいなぁ……」


 この世界には娯楽が少ない。

 その中でも、誰でも楽しめる数少ない催しの一つがこの演劇だ。


 ただ一般大衆向けではあるが、それでもある程度裕福な家の者でなければ見る事は出来ない。


 なぜなら貧しき人々は払うべき観覧料どころか、そもそも休日がない。


「三人で行ってきてください。私はその間買い物していますので」

「ベァナねぇさまはいかないのですか?」

「うーん。今日準備しておかないと出発まで間に合わないし……」


 ニーヴとプリムが問題行動を起こす事はさすがに無いにしても、好奇心の塊である二人を連れていると何かと時間がかかる事が多い。

 そして二人は今回、町内見物をとても楽しみにしていた。

 彼女達に見たいもの、行きたい場所が沢山ある事くらいは、ベァナにも手に取るようにわかる。


「でしたら私達で場所と公演時間を調べておきますわ。その間に買い出しを済ませていただければと。演劇は確か一日に数回はやっているはずです。それでお昼の後に荷物を置きにいって、それで時間を合わせて一緒に行けばよいですよね」

「シアさん……よろしいのですか?」

「わたくしの金銭感覚では余計な散財をしてしまいますし──この子達の相手は私に任せて、ベァナさんには旅の準備をしていただければと」

「わかりました。それでは二人を宜しくお願いいたしますっ!」

「任されましたわ。それじゃあ者共ものども、調査に出発よっ!」

「「おぉーっ!」」


 なぜか小走りで駆け出すシアと妹達。


(やっぱりシアさん、優しい所があるわね)


 既に認める存在ではあったのだが、普段はどうしても意地の張り合いになってしまう事が多い。

 彼女達の求めるものが、互いに被っているゆえか。


(でもヒースさんの一番は──譲れませんからねっ!)


 そんな思いを胸に秘めつつ、ベァナは旅の準備を一手に引き受けるのだった。





    ◇  ◆  ◇





「お店が近くにまとまってるって、本当に便利です……」


 普段通りの買い出しを想像していたベァナにとって、ここの商店街の便利さは感動的なものだった。


(シアさんが言っていたのはこういう事なのね。やはり領主の娘ともなると、着眼点も鋭くなるのかな……私も負けていられないっ!)


 ダンケルドでの買い物は、その時間の大半が移動時間だった。

 食品店は北通りか西通り、日曜雑貨は南か東、被服などは東というように、様々な店がバラバラに配置されているのだ。


 それでもベァナにとって、ダンケルドは便利な町であった。

 何しろアラーニ村には、商店街ですら無かったのだから。


(これならお昼までまだ時間ありますよね? 少しだけお店見物してこようっと)


 故郷のアラーニ村は、まるでおしゃれ気のない村だった。

 それでも小さい頃に都会に住んでいた事と本来の美しさもあって、他の村人からはとても洗練された少女という印象を持たれていた。

 親友のエレノアともどんな服がかわいいとか、どんなアクセサリーが似合うかといった話を常にしていたし、見た目に無頓着な女の子では決して無かったのだ。


 しかしシアが身近にいるようになってから、彼女は自分の容姿や服装に不安を覚えるように。


(領主の娘であんな美人だとか、もう無敵じゃないですか……)


 年頃の娘であるベァナが、洋服や宝飾品に興味を示すのは当然の流れだった。

 彼女は買い物の合間に、女性向け服飾店に足を運ぶ。


 だが店の中までは入らない。

 色々な服を遠目で見ながらどの服が良いとか、自分に似合うか似合わないかを、想像力だけで判断する。

 いわゆるウィンドウショッピングである。


(貴族の奥方になれば、好きな服とか自由に着れるのかな?)


 その答えを知る者がすぐ近くにいるというのに、ベァナとシアがそんな世間話をした事など、今まで一度も無い。


 彼女は目の前に飾られた、翡翠があしらわれた銀製のペンダントを眺める。

 そしてそれを身に着け、ヒースの横を歩く自分を想像していた。


(このペンダントかわいいですね。私に似合うかな?)


 色々な思いを巡らせているベァナに、一人の男性が声を掛ける。


「あれ? 貴方は確かヒース殿の……」


 振り返ると、そこには見覚えのある兵士の姿が。


「ええと、エグモント様でしたっけ?」

「はい。北部方面軍第一旅団長兼、師団副長のエグモント・テッシオでございます。失礼ながらあなた様は確か……」

「ベァナと申します。普通の村娘ですので、私に丁寧な言葉遣いなど不要です、副長様」

「そんな滅相もございません! 師団長のご友人とあらば、私にとっては上司も同然。それにキュクロプスを打ち倒したお方に不遜な態度など……」

「うふふ、エグモント様は真面目でいらっしゃるんですね」


 実際エグモントは勤勉実直で、兵士達からの評価も高い。


「ベァナ殿。お買い物の途中とお見受けいたしますが、シアラさんの事でお話を伺いたいのです。ほんの少しで良いのでお時間頂けないでしょうか!」


 普通の兵士からの願いであれば、ベァナは丁重にお断りしたに違いない。

 彼女は本来非常に警戒心が強く、特に不遜ふそんな男性を苦手としている。


 しかし彼は物腰も柔らかく、師団長室での態度も落ち着いていた。

 好意を持ったわけでは無いが、気になったのはその要件だ。



(シアさんとの婚約話ですか。それは私も興味がありますね……)



 それに彼の上司は個人的に仲の良いミランダである。

 彼女からの信頼が厚い人物だというのは、昨日の一件確認済みだ。


「えっと、この後そのシアさんとの待ち合わせがありますので、ほんの少しの時間でしたら……」

「本当ですかっ!? ありがとうございます! すぐそこにオープンテラスの飲食店がありますので、そこでお飲み物でもっ。もちろん代金はわたくしに持たせてくださいっ!」


(ヒースさんもある意味不器用ですけど……この方も見た目によらず、随分不器用な方ですね)




 ベァナは心の中で微笑みながら、向かいのカフェに移動するのだった。





    ◇  ◇  ◆





「はい。私個人としては本気で結婚するつもりだったのです。皆さんはシアラさんを愛称でお呼びになっておられるのでしたね、なんて羨ましい」

「そこまでお話が進んでいらしたのに、なぜ立ち消えに?」

「私の父が、隣接領の領主を恐れたのです」

「トレバーの隣と言えば……ザウロー男爵家ですか?」

「はいそうです。私の父はザウロー家からの圧力に屈し、ウェーバー家との婚姻話から手を引きました」

「なるほどそうでしたか。確かにシアさん、そんな事をおっしゃってましたね」


 それはベァナが支部長室に乗り込んでいった直後の話だった。

 シアは付き合いのあった領主達が示し合わせたように離れていった状況を、苦しい胸の内と共に語ったのだ。


「でも申し訳無いのですが、そんな事をされれば誰だって嫌になると思いますよ」

「そうですよね。それはわかっているのですが、今でも忘れられないのです。彼女と初めて出会った、あの日の事……」

「あの日?」

「はい。それはここアルフォードの演劇場での事。劇がクライマックスを迎える頃、シアラさんは私の手を取り、私にこう言ってくれたのです」



(なぜかその先の展開が分かってしまった気がします……)



「『やっと見つけました、私の旦那様』と」



(やはり私の勘は正しかったあっ!!)



 ベァナが当初、シアを嫌っていた理由は正にこれだった。


 シアとヒースの初対面時の話は、協会職員だったハンナから聞いている。

 シアはその時も全く同じセリフをヒースにかけていたのだ。




『やっと見つけた、わたしの旦那様』と




(でもシアさんと言えば、ザウロー家のケビンの事はひどく毛嫌いしていたはず)


 シアは好き嫌いがはっきりしている女性だ。

 誰でも彼でも好意を向ける事は無い。


(という事は……このエグモントさんの事も、決して嫌いでは無かったはず)


 ベァナとシアは性格こそ違うものの、好きな男性のタイプは良く似ている。

 目の前のエグモントが好みだというわけではないが、粗暴さや傲慢ごうまんさは一切無く、初対面の人にも丁寧に接するという点ではヒースとの共通点がある。


「エグモントさんは、今でもシアさんの事がお好きなのですか?」

「もちろんです! 彼女とは何度かお会いした事がありますが、どんな人とも分け隔てなく接する事が出来る、とても素晴らしい女性です」



(昨日の師団長室での発言を、是非聞かせてあげたかったですね!)



 その点についてはベァナも似たようなものだったわけだが……

 シアが何の理由も無く他人を見下したりしない人物だという事は、ベァナも良く理解していた。


「しかしシアさんは聞いての通り、既にヒースさんと婚約された間柄です。その上でエグモントさんは、これからどうしたいのですか?」

「ヒース殿とは昨日お会いしたばかりで、正直私もどんな人物かはわかりません。もちろんマティウス様がお認めになった婚約相手ですから、おそらく素晴らしい人物なのでしょう。ですが──」


 エグモントは拳を握りしめる。


「トレバーが非常に厳しい状況にあった事は、私も良く存じ上げています。きっとシアラさんは領地領民の為、自分の気持ちを無にしてこの度の婚約をお受けしたのだと思うのですっ! 彼女は領民の事を第一にお考えになる方ですから!」


(ああ。この方はそう捉えるタイプの方なのですね。うーん……どうしましょう)


 シアがヒースに対して本気である事はベァナも理解している。

 だが話を聞く限りでは、エグモントも本気なようだ。


「ベァナさん、ご存じでしたら教えてください。ヒース殿は彼女の事をどう思われているのでしょうか?」

「シアさんの気持ちは聞かなくてよろしいのですか?」

「シアラさんは家や領地の為なら、自分の気持ちを二の次にする献身的なお方です。お聞きしたとしても、本心を漏らすような事は絶対にしないでしょう」

「確かにそういう面はあるかも知れませんね……」


 シアはミランダが来るまで、自分の苦しみを胸に秘めたままでいた。



(誰にも悟られないよう、裏工作してたわけですけどねっ!)



「それで……ヒース殿はなんと?」



 ヒースの本心については、ベァナですら知り得ない。

 セレナの話によれば、ヒースはベァナと結ばれるまでは、他の女性と結婚する事は無いはずだという。


(それはそれで嬉しいのですが……ヒースさん本人から聞いた話では無いですし)


 不確定な話を彼にするのは不誠実だと考えたベァナは、実際にヒースが語った内容だけを伝える事にした。


「そうですね……ヒースさんは『結婚のタイミングは自分で決めさせてくれ』とおっしゃってましたね」

「それは、どういう……」

「どうやら『自分の気持ちの問題だ』という事でしたけれども……」

「自分の気持ち──つまり婚約者として付き合いはするが、今すぐ結婚するつもり等は無いと」



 温和だったエグモントの表情に、みるみる怒りの色が顕れる。



(えっ? えっ? 私何かまずい事言いました!?)



「貴族同士の取り決めで結婚時期を遅らせる事は良くあります。互いの家や領地の利益を考えた上で、最善のタイミングで行うからです」


 怒りの表情を見せながらも、口調は至って穏やかだ。


「しかしヒース殿は貴族家の方では無いとお伺いしております。男性の跡継ぎのいないウェーバー家にとって、後継者問題は喫緊きっきんの課題。だというのに『自分の気持ちの問題』が片付くまで結婚しませんですと!? そんなの身勝手過ぎやしませんかっ!?」


 怯えるベァナに気付き、すぐに冷静になるエグモント。


「しっ、失礼しました。ベァナさんに対して言うべき内容ではありませんね。お話し頂きありがとうございます。お陰で自分が何を為すべきかがわかりました」



(私には全く何もわからないのですけどっ!)



「あの……失礼ですが、何をなさるおつもりで……」

「はい。お仲間のベァナ殿に申し上げるのも恐縮なのですが、ひとまず明日の試合でヒース殿を徹底的に打ち負かします」

「はぁ……」

「その上でシアラさんを説得するつもりです。私なら今すぐにでも実家を捨て、あなたの元へ駆けつけます、と」



(私、とんでもない事をしてしまったかな?)



 その後もいくつか言葉を交わすが、エグモントの意思は揺るがない。

 約束の時間が迫るベァナはエグモントにエールを送り、その場を後にした。



(はぁ……でもシアさんなら軽くあしらうでしょうし、まぁ大丈夫ですよね)



 多少罪悪感を感じながらも、結局は元婚約者同士の問題だと思う事にするベァナ。

 そして彼女は仲間との待ち合わせ場所へ急ぐのだった。



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