求道者

 ミランダはセレナとカールの戦いを見て、ヒースとエグモントとの戦いも一瞬で決着が付くのだろうと踏んでいたのだが──



 彼女の予想は大きく外れた。

 目の前では、全く映えのない応酬がずっと続けられていたのだ。



(この戦いぶりはどういう事だ? どう贔屓ひいき目に見てもセレナ殿より強い剣士とは到底思えぬ)



 状況はエグモントが終始優勢だった。


 もちろん目の前のヒースの剣技は、一般兵士と比較すればそこそこの腕だ。

 だがそれは、おそらくカールと戦ったとしても、辛勝をもぎ取れる程度のものだろう。


(私は彼を……ヒース殿を買い被り過ぎていたのだろうか?)


 自分の見立てが見当違いだった事に、心底落胆するミランダ。


(いや……ヒース殿も自身で言っていたではないか。単眼の巨人キュクロプスとの戦いでも、剣は一切使っていなかったと)


 それでも彼女は、ヒースがただの剣士では無いと評価していた。


(そもそも普段帯同しているあの剣……おそらくあれはメルドラン第一騎士団認定の剣士にしか下賜されない一品のはず。誰もが手に出来るような代物では──なっ、なんだとっ!?)



 二人の戦いに対し興味を失いかけていたミランダは、その一部始終を見逃してしまっていた。




 気付くとエグモントの首筋近くに、ヒースの剣先が添えられていたのだ。




(最後の一瞬しか見えなかったが、今までとは明らかに違う……)



「師団長、ご審判を」



 近くに控えていた兵士が、小声で審判を仰ぐ。



「ああ、すまぬ──勝負そこまでっ! 勝者、ヒース殿っ!」



 観客席にもどよめきが広がる。

 試合の流れからして、誰もがエグモントの勝利を疑わなかったからだ。



「セレナ殿、彼が最後に見せていたアレが──『本気』だと見て良いのか?」

「はい。彼は必要に迫られなければ『本気』を出しません。ですがもし彼が『本気』を出した場合、誠に情けないのですが──私もエグモント殿同様、一瞬で敗北します」



 セレナの言葉を聞き、ミランダは胸の鼓動の高まりを感じた。



「本気を出せば一瞬か──そうかそうか! だったら皆に退屈な思いをさせぬよう、ヒース殿に最初から『本気』を出して貰えるよう、全力で立ち回らねばなっ!」






    ◆  ◇  ◇





 師団長ミランダとセレナの一戦の前。


「セレナ殿、これをお使いなされよ」


 ミランダが一本の曲刀をセレナに差し出す。


「これは……?」

「サーベルタイプの訓練刀だ。うちの隊では殆ど使わないのだが、この闘技場はイベントで使う事もあるので、一通りの武器は用意してある」

「ありがとうございます。しかしなぜこれを?」

「カールとの戦いの後半で使われた技、あれは『居合術』であろう?」

「さすが師団長殿、良くご存じで」

「私も話でしか聞いた事が無かったのだが、お陰様で良いものを見せてもらった。だがあの剣では少々勝手が悪いだろうと思ってな、用意させておいたのだ。余計な世話だったか?」

「いえ。師団長のおっしゃる通りです。有り難く拝借いたします」

「礼には及ばんよ。何しろセレナ殿の『本気』も是非見てみたいからな!」


 闘技場中央に向かう二名の女性剣士。

 観客席からはミランダ、セレナ両名への歓声が響いてくる。


 号令役は師団副長であるエグモントだ。


「それでは──両者、試合始めっ!」


 先に動いたのはミランダだった。


 彼女は既にセレナの戦いぶりを目の当たりにしている。

 逆にセレナはミランダの戦う姿を見たことが無い。


(くっ、相当な手練れなのはわかっていたが……速さも力も段違い)


 反撃の隙を与えられず、防戦を強いられるセレナ。

 しかし彼女の戦いでの強みは、状況を見据える冷静さにある。


 ミランダの剣戟をなし続ける中、針の糸を通すような一瞬を待つ。


 そして攻撃を受ける中、ミランダの剣筋に一瞬の乱れを感じ取る。

 相手の攻撃が少し力み過ぎたのだろうか。


(よしっ、ここだ)


 ほんの一瞬の隙をかい潜り、ミランダの右脇腹を狙う。


 事前に確認した勝利条件には、相手の体へのクリーンヒットも含まれている。

 それは実戦で同じ事が起きた場合、致命傷を負う可能性が高いからだ。


「ぬおぉぉおおっ!」


 だがミランダはオーバーテイク気味の剣を、その物理運動を無視するような強引さで元に戻す。



 結果、セレナの攻撃はミランダが振り戻した剣によって弾かれた。



(これを防ぐかっ!?)



 一歩後退し、体制を整えるミランダ。


「さすがセレナ殿、ちょっとでも気を抜いたら痛い所を突かれてしまう」


 セレナの鋭い攻撃に、今度はミランダが様子を見始める。

 当のセレナは正眼の構えを取り、大きく深呼吸をした。


「参ります」


 一声掛けた途端、猛烈な勢いで曲刀を振るい始めるセレナ。


 その剣筋は流麗で、ミランダのような強引さは一切見られない。

 腕と剣が一体になり、まるで一つの生き物のように舞う。


 セレナが使う剣術は剣の勢いを殺さずに、次の振りへと繋げていくものだ。

 そしてそれは結果的に連続した攻撃を可能にする。


 実際彼女から繰り出される流れるような剣筋には、一切の無駄がない。


「こりゃあっ、うちの、連中じゃっ、かわし切れんだろう、なっ」


 ミランダから軽口が出るが、その表情に一切余裕は無い。

 セレナの剣戟を自らの剣で受け流すので精一杯だ。


 しかしトーラシア最高峰の剣の使い手であるミランダが、防戦一方の現状にいつまでも甘んじているはずもない。


(絶対にどこかで仕掛けてくる──)


 そう確信し、攻撃の精密さを維持し続けるセレナ。

 普通の剣士ならとっくに息が上がるような動きだが、全く疲れを見せないセレナ。


 彼女は剣を力任せに振るっているわけではなく、剣自身の動きに最低限の力を加え、その運動方向を変えているだけに過ぎない。

 その姿はまるで、「剣」という危険な生物を使役する猛獣使いのようだ。


 自らが操る「剣」を、相手に襲わせ続けるセレナ。



 だが、転機はにわかにやってきた。



 セレナの隙を突くのが難しいと判断したミランダは、セレナの剣筋に、同じ方向に強引に剣をいだ。


 ミランダの剣がセレナの剣に激突する。



「あっ!?」



 今まで完全に支配下に置いていたセレナの剣が、思わぬ向きに暴走する。

 ミランダの強打により、コントロールを失ったのだ。



 次の瞬間、セレナの胸元にはミランダの剣があった。



「勝者、ミランダ師団長!」



 エグモントの勝者宣言が闘技場に響き渡った。

 観客席から放たれる、兵士たちの歓声。



 二人はそのまま舞台を後にし、閲覧席に戻って行った。



「参りました。さすがは師団長です」

「セレナ殿のあの連撃も見事だった」

「いえ。結局それも完全に見切られてしまいました」

「セレナ殿の攻撃には無駄な動きがほとんど無かった。ゆえに隙が無い分、剣筋の予測もしやすい。そこで私は敢えて隙を狙うのを辞め、セレナ殿の攻撃に合わせる事にしたのだ」

「私の攻撃に、合わせる?」

「ああ。セレナ殿の繰り出した剣術の本懐は、最低限の力による剣の制御にあったようだったからな。だから制御自体を破綻させる攻撃を選んだ」

「それで……私の剣を……」

「そういう事だ。ただもしその事までセレナ殿が予測していたならば──ちょっと勝てたかどうか、自信は無いなっ!」


 快活に笑うミランダ。


(いや……この人はおそらく、そうだったとしても対処してきたのだろう)


 座席に戻ったミランダは、次の対戦相手であるヒースに声を掛ける。


「だがやはり私の思った通り、うちの連中よりも断然、手合わせの甲斐ある戦いだった。そういうわけでヒース殿、ちょっとだけ休ませてもらっても構わぬか?」

「そうですね……なんでしたら先程のお二人の戦いぶりに恐れをなして、私が棄権するというのでも……」

「それは全面却下だ。なにより、私が貴殿と戦いたいのだからなっ!」



 彼女はその後、戦いの前まで一切言葉を発しなかった。

 それは傍目には休憩しているようにも見えたが、実の所、今の彼女に疲労は無い。


 彼女は次の戦いに向け、心の準備をしていたのだ。


 つい先程対戦したセレナとの戦いを、一瞬で終わらせてしまうという相手。

 そして実際にセレナと戦ったミランダだからこそ理解出来た事があった。



(セレナ殿は決して、一瞬で屈服させられるような剣士ではない!)



 ミランダは次の対戦相手のに対抗するべく、自らの精神状態を高めていくのだった。





    ◇  ◆  ◇





 舞台上には既に、本日のメインイベントとも言える二名の剣士が立っていた。

 観客席は異様な程の盛り上がりを見せており、その歓声の半数は彼らの上司であるミランダへの期待や声援といったものであった。


 しかし──


「大人気なようだな、ヒース殿」

「その内容をわかっていておっしゃってるのですか……」

「ははっ! 強者の定めだ。観念せい」


 観客席からの歓声──

 いやの半数はヒースへのものであった。


 先程のエドモントとの戦いでもそうだったが、ヒースへの暴言や呪詛じゅそが雨あられのように降り注いでいく。



「ひっこめこのスケこまし野郎ーっ!」

「秒で負けろゲス剣士っ~」

「目を覚ましてベァナちゃん! 君は騙されているっ!!」

「婚約っ! 破棄っ!」

「ニーヴちゃんとプリムちゃんよこせーっ!」



(最後の一言だけは聞き捨てならんっ! 誰が言ったのか特定し……)



「それではこれより試合を開始いたします。両者、位置にっ!」



 エドモントの声が辺りに響く。


 彼はここの副長である。

 観客席からの怒声を止める方法が、試合開始しか無い事を良く理解している。


 そして実際、観客席からの声はぴたりと止んだ。



 沈黙の中、互いに視線を交わすミランダとヒース。



「試合開始っ!」



 ミランダが先に動く。

 それは、おそらくヒースが様子見するだろうと踏んでの事だ。


 この試合のように相手の実力が分からない試合では、互いが様子を覗う事で膠着こうちゃく状態におちいる事がある。


 そうなった場合、結局はどちらかが動かない限り試合は先に進まない。

 ミランダはそんな経験を何度もして来ている為、敢えて自分から動く事にした。


 もちろん動きはするが、それはまだ本気のものではない。

 あくまで相手の行動を引き出すための呼び水である。


 それはヒース自身にも理解出来たのだが──


(単なる様子見でこの動きかっ!? これは厳しいっ!)


 剣こそ訓練用だが、ミランダは実戦と同じ動きを見せていた。

 彼女は自分の中で何段階かのギアのようなものを持っていて、対峙する敵に合わせてそれを使い分ける。


「ヒース殿の本気を早く見てみたくてね。私も最初から本気モードの一歩手前で行かせてもらうよ!」


 師団内でも、今の彼女の動きになんとか付いていけるのはカールとエグモントの二人だけだ。

 それくらい、ミランダは自分の本気を見せた事が無い。


 彼女がこのような手合わせで本気を出したのは、過去に数度のみ。



(フェンブルでの御前試合……あれは衝撃だったな)



 国内の有力者との手合わせは何度かあったミランダだが、事前情報が何も無い中での試合はこれで二度目だった。

 そして事前情報が無い故の緊張感。


(今のセレナ殿と変わらぬ年頃の少女であったのに、おそらくトーラシアの剣豪達と比べても全く遜色ない腕前。そしてそれまで見た事の無いような剣術……)


 ミランダは過去の対戦時に感じた興奮を、今再び感じていた。

 そして、それにはある理由があったのだ。




(彼女が帯同していたその剣がな──貴殿と同じ品だったのだよ、ヒース殿!)




 ミランダの攻撃が更に激しさを増していく。

 それはヒースに対する、ある種のプレッシャーだった。



(早く見せてくれ……あの時の痺れるような感覚を……また私に起こさせてくれ!)



 ミランダがそんな気持ちを持ちながら戦っている中、既にヒースの中ではある変化が起きていた。



 それまでのヒースは彼女からの攻撃をかろうじて受け流している状況だった。

 傍目はためから見ても、その姿に全く余裕は感じられない。

 直前に行われていたミランダとセレナの戦いでは、お互い攻守交えた良い試合だという印象を残し決着が着いたのだが──



(このまま負けてしまっては、名ばかりの雑魚剣士だと思われてしまう!)



 彼がそのような不安を感じたのは、彼自身の名声に傷が付く事に対してではない。

 あくまで自分と関係のある人々への悪影響を懸念しての事であった。


 それは彼が元々持っていた気質なのかも知れない。

 個人差はあるが、日本人は他者との「和」や「協調」を重視する傾向があると言われている。


 現在のヒースの人格を形成する『岡野紘也こうや』は、そういった意味では典型的な日本人であると言えた。


(俺の評判などどうでもいい。問題はウェーバー家の評判に直結しているという事)


 彼もまた、周りの人々に迷惑をかける事を恐れていたのだ。


 経緯はどうあれトレバーを救った英雄的な人物として見られている彼が、まともな試合も出来ずに惨敗してしまう。

 そしてその証人として観客席から見守る、千人を軽く超える師団員達。



(もうこれはなりふり構ってなどいられないな……)



 彼は自らの意識を、目の前の相手の動きを追う事に集中し始めた。

 そして自分の意思で戦うのではなく、五感に応じて体の反応を引き出すという手法に切り替えていく。


(これもセレナとの鍛錬のお陰だ)


 こちらの世界に転移してから暫くの間、元々のヒースが持つポテンシャルを引き出すには、自然に湧き出るイメージを待つしか無かった。

 それはいわば完全に「受け身」の状態である。


 しかしヒースはセレナとの普段の手合わせの中で、そういったポテンシャルを半ば強制的に引き出す訓練を何度も行ってきた。


 訓練の中で偶然発動した条件反射的な「動き」をその身で体感する事により、自らの「動き」として記憶していく。

 こうして今まで偶発的でしかなかった本来の自分の「動き」をフィードバックする事で、彼は自らが持つ様々な技術をより意識的に出せるようになっていったのだ。



 ミランダはヒースの動きに変化がある事を察し始めていた。



(もしや……これが彼の本気!?)



 ミランダの攻撃に対するヒースのレスポンスは、確実に正確さを増している。



(これは……私も本気で行くしかあるまいな)




 こうして二名の剣士の戦いは、更なる境地へと突入していくのだった。




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