領主と責務

「あーっはっはっは! あの感動的な話が、こんな笑い話になるとはなっ!」


 師団長のミランダが、自分の膝を叩いて笑っている。


「笑いごとではないですわ」


 不機嫌な表情のシア。


 それもそのはずだ。

 何しろ自分の主張のほとんどが覆されたのだから。


「でもシア殿、ヒース殿が君の父上の復権の為に尽力してくれていたのは事実なのだ。ヒース殿を責めるのは少し可哀そうだと思いますぞ」

「責めてなんかおりません。ヒース様がどんな思いで何をしていたとしても、わたくしのヒース様への気持ちは一切変わりませんから」

「そうかそうか。それは笑って申し訳無かった」


 真顔に戻るミランダ。

 最終的にはベァナとセレナの話が決定打となり、真相が明らかにされた。


 そもそも親書を出していたのはシアだけではない。

 連盟本部へはニーヴに代筆してもらったものや、アーネストやシュヘイムといった知り合いからも送られているのだ。

 それらの話を繋げて行けば、その実像はいずれ浮かび上がって来る。


「とにかく結局のところ、一番の問題は監察の役目を負っていた我々が全く機能しなかったのが最大の原因だ。だから誰がどういう思いで何を行ったか等に関係なく、マティウス殿の復権については私が必ず約束しよう」

「という事は、ひとまず領地の後継者の話については一旦白紙、という事ですね?」

「それがヒース殿。白紙にはならぬのだ」

「白紙にはならない?」


 どういう事だ?


「ちょっとその前に確認したい事があるのだが、シア殿。宜しいか?」

「なんでしょうか?」

「もし女性のあなたがトレバーの領主を引き継げたとしたら、貴方はそれでもヒース殿との婚姻を望んでいたか?」

「わたくし自分でも自覚があるくらいの現実主義者なもので、『もし』とか『仮に』という考えはなるべくしないようにしているのです」

「それでは、今までそういった事は考えた事が無いと?」

「そうですね。考えるまでもありません。だって私が望んでいたのは、ヒース様と婚姻関係を結ぶ事ではありませんから」


 それはそこにいる全員にとって意外な答えだったのだろう。


 うぬぼれていたわけでは無かったが、少しだけ悲しい気持ちになった。

 今までシアに好意的だったセレナも、眉をひそめている。

 ベァナに至っては怒りを露わにしていたが、それでもすんでの所でこらえているようだ。


「そうか。つまりヒース殿と一緒になるつもりは無かったと」


 この返答であれば、そう思うのが普通であろう。

 だがシアの返答は、更に斜め上を行くものだった。



「いいえ全くの逆です。私の望みは、どんな形であれヒース様と共にある事」



 その言葉は場の雰囲気を一変させた。


「わたくしは先祖代々引き継がれてきたこの領地、そして領民をとても愛しています。しかし女のわたくしでは領主になることは出来ません。もし今後もトレバーに関わっていこうとするならば、領主に相応しい人物を夫に迎え、その妻として領主を支えることしか出来ないのです」


 静かな部屋が一層静まる。


「しかしトレバーがこんな状況になってからは領主に相応しい人物どころか、領主になりたいと思う人物の候補者すらいなくなりました。それも当然ですよね。あのヘイデンが関わる領地に、誰が好き好んで領主候補に名乗りを上げるでしょう? だからわたくしはヒース様ご一行がこの地を訪れた時、領地のごたごたなど一切関係なく、ただただ嬉しかったのです。利害関係をものともせず、ただ純粋に町に尽くしてくれる人々がまだ存在していたという、そんな事実に」


 近隣の貴族たちはヘイデンの影響下にある土地には関わろうとしなかった。

 地位も人望もあるあのシュヘイムですら、『領主の指示に従わない』という形での消極的な反抗しか出来なかったのだ。

 それくらいザウロー家の力は、ヘイデン一代だけで強固なものになっていた。


「領民でないにも関わらず、ただ困っているという理由だけで町を助けてくれるヒース様達の姿を間近で見て、私は単純にこう思うようになっていきました。『この人達の仲間になりたい。自分も皆さんと同じ景色を見てみたい』、と」

「だが──領主の一人娘である貴方が、領地を放り出す事など出来ない」

「はい。であるならば……とても厚かましいお願いになってはしまいますが、ヒース様の方から私に寄り添って頂くしかない。そしてそんなわたくしの思いが、少しでもヒース様に届いたのかな? と、日々はかない希望を持ちながらこの数か月間過ごして来たのです」


 更に言葉を続けるシア。


「わたくしがヒースさまとの婚約を望んだのはそういう事です。わたくしが自分の立場を放り出すことなく、ヒース様と共にいられるたった一つの方法が結婚という形だったというだけの話。もしも領主に相応しい、領民を大事にしてくれるどなたかが引き継いでくれるのなら……わたくしは自分の地位など喜んで捨てて、皆さんの旅路について行った事でしょう! それはかつてのおばあさまのように。生まれ育った故郷から、どんなに遠く離れても」


 その場の全員が押し黙ってしまった。

 まさかそんな事を考えていたとは、俺達一同の誰も思わなかったからだ。


 セレナは己の見立てが外れた事に対し自責の念を持ったらしい。

 右手で頭を抱えている。


 そして先程まで鋭い目つきで睨んでいたベァナだったが──

 彼女はどういうわけか、顔を手で覆っていた。



「シア。なんでこんな俺なんかに対してそこまで思えるようになったのか、聞いてもいいか?」

「ヒース様。人を好きになるのに、理由なんて必要ですか? 少なくとも今の私にはもう、理由なんてどうでもいいんです。好きな人と一緒にいたい。本当にそれだけ。ただ……ただそれだ……け……なので……」



 シアが涙する姿を初めて目の当たりにした。



 俺はシアをとても強い人間だと認識していたのだが、実際はそうではなかった。

 領主の娘であるという重責が、彼女をそうさせていただけだったのだ。




(彼女の本当の気持ちが分からなかったなんて、俺は本当に最低だ)




「シア殿。貴方の覚悟と気持ち、とくと聞かせて貰った」


 ミランダの声が響く。


「実は今回マティアス殿に復帰してもらう方向で話が進んではいるのだが、それには条件があるのだ」

「条件、と申しますと?」


 まだまともな受け答えが出来そうにないシアに代わり、ロルフが対応した。


「それが……ヒース殿とシア殿の婚約だ」



「「え?」」





    ◆  ◇  ◇





 ベァナとセレナが、同時に疑問の声を上げる。

 そして俺に湧き出した疑問も、おそらく二人と全く同じものだ。


「どう考えればそのような条件になるのか、説明を戴きたいのですが」

「詰まるところ、結局は後継の問題なのだ。実は今回のトレバー件で、後継者に関する規定が変更される事になった」

「規定と言いますと、子息または親族の男性のみが後継候補になれる件ですか?」

「そうだ。元々男性のみとしたのは、政略結婚等の激しい後継者争いを緩和する為に作られたものだったのだが、今回はそれが裏目に出てしまった。制限の方向性が間違っていたのではないかという話になってな。住民の合意さえあれば、男女関係なく後を継げるという方向で調整されているのだ」


 このような中世的な社会構造からすると、随分画期的な考え方だ。

 トーラシアの君主が世襲では無い事からしても、随分先進的な考えの人物が中枢に多くいるという事なのだろう。


「しかしそういう事でしたら……今後はシアさんが領主になれるという事ですよね? それならば私が婿に入らずとも、ウェーバー家による統治はこのまま継続可能という事になりませんか?」


 シアはまだ目を腫らしていたが、背筋を伸ばして話を聞いていた。

 普段の彼女は感情表現がとても豊かな女性ではあるが、それはあくまで私的な話をする時のみである。

 領地を預かる家の者として、公式の場ではきちんと場をわきまえる人物だ。

 だからこそ、先程のシアの独白は意外だった。


 俺の発言に対しては、むしろミランダのほうが難しい表情をしている。


「それがな、今回の件でトーラシア連邦政府はヒース殿の功績を高く評価した。そんなヒース殿がウェーバー家に入る事は、トーラシアにとって非常にプラスになるだろうと判断したのだ」

「誠に言いづらいのですが、私はトレバーに常駐するような生活を望んでいません。私には目的があり、それが叶うまでは定住するつもりが無いからです」

「そう。マティアス殿も私も、正にその事を危惧していた。ヒース殿の行動の自由を奪う事になりかねないからな。だからヒース殿に対してはウェーバー家の婿に入るという条件ではなく、あくまで一配偶者の立場でいてくれれば良い、という条件まで譲歩した」

「ええと……結局どういう事です?」


 結局のところ結婚する事には変わりないとは思うのだが……


「ものすごく簡単な話をしてしまうとだな……シア殿とヒース殿の間に跡継ぎが出来れば、それで十分という事だ」

「まぁっ!」


 いつの間にか元通りの対応を見せるシア。

 先程までとは打って変わって、喜びに満ちあふれている。


「もちろん共に領地を治めて頂けるなら僥倖ぎょうこうなのですが、ヒース様は何かをお探しのご様子。調査に出たいと思われる事も多いでしょうし、それも含めて覚悟をしていますわ。子供は私が責任を持って育てますので、たまに顔を見せに来てくださいね──ああそうだ。わたくし一人っ子で寂しい思いを沢山いたしましたので子供は多い方が──出来れば十人くらいは欲しいですわ。ですので、そちら方面でも頑張っていただければと──」

「まだそうと決まったわけではありませんからっ!」


 思わずツッコミを入れるベァナ。


「ベァナ殿の言う通り、まだこれからの話ではある。すぐに決められる話でもないし、それにあくまで婚約をして欲しいというだけの条件なのだ。急な話だし、実は気が合わなかったという事もあるだろう。だからどちらかから破棄されても仕方ない話だと考えているし、当然ペナルティのようなものは一切存在しない」

「でもそれって普通に考えると子供を産ませるだけ産ませて、本人は何もしないって可能性だってあるわけじゃないですか? なぜそんなウェーバー家に不利な条件を?」

「ヒース殿。それは決して不利な条件ではないし、絶対にあり得ないのだ」

「絶対にありえないって──いくらなんでも私の事を買い被り過ぎでは──」

「貴殿は自分の行った事の価値を全く理解されていないようだな──いいですかヒース殿、あなたはもう既にウェーバー家では成し得なかった、偉大な業績をいくつも残してしまったのですよ」

「業績……ああ、そういう事なのか」


 ミランダが言わんとしている事は、つまりこういう事だ。



 ウェーバー家の存続が、俺の行動無くしてはあり得なかったという事実。



「敵対的な領主から町を守り、そして代々成し得なかった飲料水の安定供給を実現。果ては亜神に匹敵するような強大な魔物を打ち倒して町を救った。このような数々の偉業を残した人物が、トレバーの統治に一切関わらない? 残念ながら、そんな事がまかり通るような社会ではない」

「民衆が──納得しないと?」

「ああそうだ。そしてこれはトレバーだけでなく、トーラシア全土の統治にも影響を与える程の大きな問題なのだ──結局国というのは、人民の気持ち次第で強固にも不安定にもなってしまうものだからな」



 トーラシアは連邦制を敷いていて、その基本単位は領だ。

 連邦の盟主は君主に相当する権限を持つが、それも各領主から選出される。



 つまり領主の実績や名声が、統治には非常に重要なのだ。



 当初の予定ではマティウスの指示という名目で井戸を掘り、その功績を元にしてウェーバー家の領主復権を目指していた。



 もちろん井戸の功績それで問題無かった。



 だが事態は思わぬ方向へと展開してしまう。

 兵士を連れて押し寄せたヘイデンに、キュクロプスの召喚。

 これらの問題を、現地にいなかったマティウスに解決出来るはずがない。


 それらの解決に当たった人物と言ったら──



(まぁどう考えても、俺以外にいないな……)



 このままでは逆に『ウェーバー家は何も出来なかった無能な貴族』という烙印らくいんを押されてしまう可能性だってある。



「ヒース殿が権力などに固執しない人物なのは、こうして話をしていて良く分かった。だからその……なんだ? そんなに難しく考えなくていい。ウェーバー家の系譜に貴殿、つまり町の救世主の名前が残る。たったこれだけで、周囲を納得させる事が出来るのだ」


(まるで種馬のような扱いにも感じるが──)


「種だけくれ、みたいな話だと思っているのだろう? マティウス殿は決してそんな事を望んでいるわけではないぞ? 彼はシア殿から送られてくる親書を毎回隅から隅まで読み、娘の気持ちを理解した上で、お任せするなら貴殿を置いて他に居ないとお考えになられたのだ」

「私はそんな出来た人間ではありません……」

「まぁとにかくだ。数日後にマティウス殿が町に戻ってくる。実際会って話をしてみてくれないか」

「マティウスさん……そうですね。一度お話したほうが良いでしょう」

「私から伝えられる話は以上だ。そろそろ部下達の元に帰らなければならぬのでな、申し訳無いがこの辺で失礼させていただくとするよ」


 ミランダが立ち上がり、颯爽と部屋から出ていく。


 若いのに、威厳と気品の両方を兼ね備える人物だった。


 ミランダが退室した途端、気が緩んだティネが他人事のようにつぶやく。


「いやはやヒース君。キミ、私が思ってた以上に巻き込まれ体質ですなぁ」

「自覚はあるのです。だから改めて言われると、更にへこみます」



 場の様子を見て、セレナが適切に仕切り始めた。



「おそらくすぐに答えの出る問題でも無かろう。今日はこの辺で解散して、明日以降に持ち越さないか? ニーヴとプリムも待たせているし」

「ええ、そうですわね。今日は皆さんお疲れだと思いますし、ここは一旦仕切り直しという事で」






 確かに今日は本当に長い一日だった。


 緊張がほぐれた途端、どっと疲れが湧き出る。





 協会のエントランスで話をしていた二人の娘達と合流する。

 中庭の井戸で軽く汚れを拭った後、部屋に戻ってそのまま眠りに着くのだった。





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