昼のひととき

 協会は昼には業務を一時中断するらしい。


 受付の前には小さな衝立ついたてが立てられていた。

 まるで役所か企業の受付のようだ。


 ベァナはというと……


 まだ文書に目を通していた。

 難しい表情をしている。


「ごめんベァナ。遅くなってしまった」

「いえ大丈夫です。思ったより量があったので、まだ全部読みおわってないんです。内容も結構複雑ですし……」

「面倒な仕事を押し付けてしまったようで本当に申し訳ない」

「全然そんな事無いですよ?」

「それでな、お詫びと言ってはなんだが……これを」


 俺はそう言って、大きな草の葉の包みを渡した。


「これは?」

「ビスケットだ。アーネストの店で買って来た」


 いわゆる小麦の焼き菓子だ。

 彼女の顔がぱっと明るくなる。


「わぁ! 私これずっと気になっていたんです! ありがとうございます!」

 喜んでくれたようで何よりだ。


「昼ご飯なんだけど……俺はこの町の事は良く分からないので、ベァナに案内して欲しいんだが」

「私も前に滞在していた時はそんなに外食もしなかったで良く分からないのですよね……あっそうだ! メアちゃん誘って行きませんか? 多分町の事は詳しいと思いますし」

「それはいいな。是非誘いにいこう」


 資料の調査はいつでも出来るので一旦中断し、昼を取る事にした。






    ◆  ◇  ◇






「ご飯ですか? まだですが」

「それじゃ昼食を一緒にどうかな? 俺たちはどこがおいしい店なのか全くわからないんだ。食事代は俺が出すから」

「えっ、本当にいいのですか!?」

「メアちゃん一人だとなかなか外食に行けないでしょう?」


 確かにこの見た目だと子供に間違えられてしまうかも知れない。

 エルフって長命だったはずだよな。

 いったい何才なのだろうか。


「そうですね……それではお言葉に甘えてご一緒させていただきます!」



 メアラが案内してくれたのは、西区にあるパスタの店だった。

 ダンケルドは東西南北に大通りが通っていて、その通りを中心にした区に分けられている。馬車用の門のある北区と西区は様々な商店が多めだ。


「んじゃこれ、三人分の代金です」


 俺はそう言って店員に小銀貨一枚と銅貨二枚を渡した。


「ヒースさん、モンスター素材の換金をして来たんですね」

「ん? あぁ。まぁそんな所かな」

「ボクの分まで出してもらってすみません」

「俺たちから誘ったのだから、これくらいはおごらせてくれ」


 それに一人前で銅貨二枚って……

 俺の算出したレートによると二百円程度。

 コンビニで買うカップ麺並みの値段だ。



「おお。これはなかなかいける」


 パスタは保存も効くし調理が楽な食材だ。

 俺も以前、よくキャンプに持って行っていた。

 原料はみな同じはずなのに、形状で食感ががらっと変わるのも良い。


 俺が食べているのは幅広な麺を使ったボロネーゼのようなパスタ料理だ。

 昔似たようなパスタを食べたことがあったので、懐かしくなって頼んだのだが、どうやら正解だったようだ。


「たまにティネさんに連れてきてもらうのですが、安くておいしいんです」

「村だとあまりパスタ料理食べられないのよねー」

「アラーニだと標高のせいか夏でも涼しいので、作っているのは大麦やライ麦だからね。小麦と比べるとグルテンが少ないから麺には向かないんだ」

「グルテン?」


 ベァナが知らない言葉に興味を示す。

 糖質とかタンパク質の説明をすると終わらなくなるので、なるべく簡単に……


「こねた時に生地に弾力が付く成分だね」

「ヒースさん。今の話、後でもっと詳しく教えてくださいね! メアちゃん、おいしいお店連れて来てくれてありがと」


 ちょっと誤魔化したのがバレたようだ。

 ただメアラもいるので今は自重してくれたのだろう。


「メアラさん、先日はいきなり押しかけてすまなかった」

「いいえぇ。ボクのほうこそ事情も知らず失礼いたしました。あとボクに敬称は付けないでください。メアラで大丈夫です」

「それだと俺の事もヒースと呼んでもらわないと釣り合わない気もするのだが、エルフだから実は年齢もそれなりなのだろう?」

「これ言うとみんなびっくりするのであまり言いたくないのですが……ティネさんと同い年の28才なんです」


 エルフは長命なので、成長も遅めなのか。


「俺は自分の年齢が良く分からないのだが、ベァナが言うには20代中盤あたりらしいので、多分俺の方が年下だ」

「いえ何というかこの見た目で敬語とか使われると……町とかだと他の人たちの目もあって色々と大変なのです。それにエルフは見た目もそうですが精神的にも成長が遅いので、人間で言うと多分ベァナちゃんよりも下だと思います。なので実年齢じゃなく見た目通りのままで話してくれると嬉しいです」


 精神面こそ、ベァナより大人な気がするが。


 ただ、人目ひとめの事までは考え至らなかった。

 確かに子供に敬語なんて、相手が貴族でもない限り普通はしない。


 貴族。そう言えばメアラは姓を名乗っていたな……


「わかった。それじゃ俺の事は……様付けは俺も困るので、ヒースさんとでも呼んでくれるか」

「はい。わかりましたヒースさん」

「私なんか最初からメアちゃんって呼んでますけどねー!」


 確かにそう呼び合っていても全く違和感は無い。


「そう言えばメアラ、君は姓があったよね? 実は貴族とかなのではないのか?」


 最初に自己紹介された時に、彼は『メアラ・ヘィル』と名乗っていた。

 この世界では爵位を持たないものに苗字は無い。

 ベァナの父は騎士ナイト爵だったので姓があったようだが、騎士爵の場合は名乗れるのは一代限りだそうだ。


「エルフは必ず名前の後ろに部族の名前が付くのです。ボクが居た森は東の森だったので、東の意味である『ヘィル』の名を先祖代々名乗っています」

「先祖代々か……何年くらい続いているんだ?」

「エルフの森ではそういうの全く伝えられていないのですが……師匠が言うには最低でも一万年以上前だって」

「一万年!?」


 姓名を名乗る仕組みが一万年以上前から存在している。

 それなのに今のような文明水準というのは……


 地球での人類は四大文明が興ってからわずかか四千年程度で、月に降り立つまでの発展を遂げた。


 しかしこの世界のエルフは姓を名乗るようになった歴史が最低でも一万年という事だから、実際にはもっと古くから森での生活を行っていたはずだ。

 種の違いが歴史に現れたという事なのだろう。

 人の好奇心は留まる事を知らない。


 たわいない話をしながら食事をしていたが、折角メアラもいるのでティネの動向について訊ねた。


「メアラ、ちょっと聞きたい事があるのだがちょっといいか?」

「はい、なんでしょう」


 メアラは自分に話を振られるとは思っていなかったらしく、パスタを口に運ぼうとしている途中で手を止めた。


「ああすまん。それほど大層な話じゃない。ティネさんの件なんだ。食べながらでいいので聞いてくれ」


 メアラはわかりました、と言って食事を続ける。

 最初会った時に比べると大分慣れてくれたようだ。


「昨日俺の記憶の話をしたと思うんだけど、他にも色々と特殊な状況があって、その相談をするつもりでダンケルドに来たんだ。ティネさんは色々と物知りだとお聞きしたんでね」


 俺の特殊な状況はベァナ以外には話をしていない。

 ここは人目もあるので、詳しい話は敢えて避けた。


「どれくらいしたら戻るとか、そういう事は聞いてないかい?」

「そうですね……町を出る直前、数か月くらいかかるかもと言っていましたね」

「数か月か……というかそもそも渇水の調査ってどういうものなのだ?」

「どうやらトレバーの近くを流れる川の水位が急に下がってしまって、生活用水が流れなくなってしまったらしいんです。それで師匠は川の上流を見てくると」

「源流を調査に行くんだな。それはまた随分大変な作業だ……」


 川は山岳部で降った雨水が小さな水の流れになり、それらが集まる事で更に大きな川へと成長していく。

 その源流とされる場所の境界は分水嶺ぶんすいれいと呼ばれ、そこで分割された降雨域はとてつもなく広い。


 また山岳地帯という地形からしても、調査を進めるのは困難を極めるだろう。

 となると、急いで向かったとしても無事に会えるかどうかはわからない。


「ベァナ。アーネストさんの件もあるので、俺は暫くの間、このダンケルドに滞在しようと思うんだ。それでも構わないか?」

「もちろんです! わたしも任されているお仕事がまだ終わっていませんし!」


 ベァナは事情をわかってくれている。


「ありがとう。あとメアラにも少しお願いがあるんだ」

「ボクで出来る事ならなんでも協力しますよ!」

「実はちょっと魔法全般の事でいくつか知りたいことがあるんだ。一応ベァナとベァナの母上のブリジットさんにもいくらか教えてはもらったのだが……村では色々と忙しかったのもあって、理論的な部分をもう少し知りたい」

「私は期間も短かったので、ほぼ実技ばかりだったし、お母さまは……座学はかなり苦手だと自分でも言ってました」


 俺も本人からそう聞いてはいたが、実際の所どうなんだろうか。

 教え方は十分わかり易かったし、攻撃魔法を二系統使えるだけでも魔法使いとしてはかなり優秀な部類なはずだ。

 多分感覚的に色々出来てしまう人なのだろう。


「なるほど。そういう事でしたらいつでも工房に来てください!」

「ありがとう。タダだと申し訳無いので、必ず手土産持っていくようにするよ」


 手土産と聞いて、ベァナが何かを思い出したように提案をする。


「そう言えばヒースさん! アーネストさんのお店で買ったアレが」


 そうだった。

 折角なので食後のデザートとしていただくのも良いかも知れない。

 なんの事かわからず小首をひねるメアラに、その存在を伝える。


「実はアーネストさんのお店で焼き菓子を買ってきていてな」

「本当ですか!?」

「ああ。というわけでこれからお茶をしに、工房に行ってもいいか?」

「そういう事でしたら! お茶はボクが入れますね!」


 その後も話の流れで少しだけ世間話をしていたが、店に居座るのも悪いのでキリの良い所で店を出た。




「いやー本当にごちそうさまでした! 留守番するようになってから、全然外食なんかしてなかったのでとっても嬉しかったです!」


 ティネは調査に出る前にしっかり生活費を置いていってくれたそうだ。

 またそれでも足りない場合はお店の売り上げを使ってもいいと言われているので、特に生活に困っているわけでは無いらしい。


 ただティネが本当に数か月で帰って来るかは信用出来ない。

 なのでなるべく節制をしているという事のようだ。


「お店の売り上げって、何が売れるんだ?」

「えっと防犯グッズと……恋のお守りですかね」


 雑貨屋か!? 防犯グッズはまだしも、お守りって。


「まぁ防犯グッズなら需要はありそうだよな」

「いえ。良く売れるのは恋のお守りのほうです。そのおかげで生活がすっごい助かってます!」

「本当なのか!?」

「はい。師匠によると、必ず異性が寄ってくるような魔法陣を組み込んでいるらしく」


 それはもうお守りレベルの効能ではなく、もはや呪いでは!?



 メアラからそんな愉快な話を聞いている中……





 不愉快な怒号が飛んできた。





「道の真ん中を堂々と歩いてんじゃねぇよ! 奴隷風情ふぜいが!」





 この先の西門に続く道の途中、身なりの良い数人の若者が何かを取り囲んでいる。

 その中心には……



 背に籠を背負った、うずくまる二人の少女の姿があった。



「ヒースさん、あの娘たち……」

「ああ。ベァナとメアラはそこに居てくれ。ちょっと行ってくる」




 薄い水色の髪と薄い桃色の髪の、二人の少女。





 俺は早歩きでその集団に近づいた。




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