絶望と希望

 集団に近寄こうとした丁度その時。


 道の反対側から近づく影があった。

 腰に剣をぶら下げ、髪を後ろで束ねている。

 少し和風テイストを感じるその装いは、一見武士のようにも見えた。


 体や顔の線の細さからすると……女性か?

 彼女はその集団に近づき、声を掛けていた。


「なぁ君たち……その娘たちが何かしたのか?」


 その集団は金持ちの子息達だった。

 とっくに成人している年齢だろう。


 彼らは一斉に女性剣士の方を振り向く。

 辺りを見ると、いくつかの農具が散らばっていた。


「なんだよ男女おとこおんな! おめーには関係無いだろぅ?」

「まぁ君たちのような腑抜けからすれば、私のほうがよっぽど男らしいだろうな」


 口の利き方も知らないガキ共だったか。


 それにしても彼女は、暴言にも全く動じず、堂々としている。

 たいしたものだ。



 その時、二人から小さな嗚咽おえつが聞こえてきた。



 俺はこの二人がどんな娘達なのかを知っている。

 決して人を傷つけるような事はしない娘だという事を。




 俺は怒りに我を忘れそうになるのを必死に抑えていたのだが……




 気付くと女性剣士の横に並んで立っていた。

 彼女は驚きもせず、そのまま状態を崩さない。




 俺は……




 無意識のうちに腰に手を廻していたようだ。

 手が剣のつかに触れる。


 それに気付いた剣士が、小声で声を掛けてくる。


「お主……気持ちはわかるが、ここでそれはまずい」



 その声でふと我に返る。


「すまん感謝する。無意識だった」


 腰の手を元に戻す。



 勿論本気で切ろうとしていたわけではない。

 敵とみなした相手への一種の定常処理ルーティンだ。



 しかし俺の怒りは到底、元には戻らない。



「お前達……この娘たちに何をした……」

「なっなんだよ!? こいつらの背中のカゴが俺たちにぶつかったんだよ!」

「そうか……当然お前らが謝ったんだよな?」

「こいつらがぶつかって来……」

「お前ら俺を馬鹿にしているのか? 背中に背負しょっている籠が、どうやったら人にぶつかると言うのだ? 彼女達が後ろ向きに歩いていたとでも言うのか?」



 ここの道幅は広いし、人通りもそれほど多くない。

 真ん中を堂々と歩いて云々うんぬんと言っていたが……


 そもそもここはもう、路肩ではないか。


 彼らは目を伏せて黙っていた。




「謝れ」

「なんで奴隷なんかに俺たちが……」



「物事の良し悪しに、身分など関係無いだろう!」



 その時の俺がどんな表情だったのか、自分では知る由も無い。

 しかし彼らの態度を見れば、殺気が顔ににじみ出ていたのは間違い無いだろう。



 街中を歩く人々も、何事かと足を止めるようになってきた。



「なんなんだこのおっさん……おい、危ない奴だぞこいつ!」



 注目を浴びた事と目の前のおっさんに嫌気が差したのか、貴族のボンボン達は走ってどっかに行ってしまった。




 彼らの捨て台詞から考えると、これがこの世界の日常なのだろう。

 つまりこの世界で危ないのは、むしろ俺のほうなのだ。




 女性剣士が再び俺に声を掛けて来た。


「この娘たちは貴殿の奴隷か?」


 今まで全く気付かなかったが……とても若い。


「いえ違います。ただちょっと縁がありまして」

「そうか。最近こんな感じで貴族のお坊ちゃん達が立場の弱い人達に嫌がらせをする事が多くてな。立場だけで人の価値なんか変わるわけじゃないのに」


 彼女はそう言って、二人の娘達の頭を優しく撫でた。

 口調はぶっきらぼうだが、優しい剣士のようだ。


「この娘達に目を掛けてくれて感謝する。私は他の仕事があるので、後はお任せした。それでは失礼」


そう言い残し、町の中心部へ向かって颯爽さっそうと消えて行った。



 掃き溜めに鶴……か。



「あの方……随分お綺麗な方でしたね。お知り合いですか?」


 ベァナがちょっと気になる様子で俺にたずねて来た。



「いや。初めて会った」



 そうは言ったものの、少し見覚えがある気がする。


 どこで見かけたのだろうか。




 騒動は収まっていたが、二人の娘たちはまだ泣いている。

 ただ俺の存在には気付いていたようだ。


「やぁ。おっきい声出してしまってごめんな。今拾ってあげるから待ってろ」


 散らばっていたのは草刈り鎌や茣蓙ござ、穂を叩く為の棒などだった。

 多分これから畑で脱穀だっこくでも行うのだろう。


「なんてひどい……」


 ベァナは奴隷のいないアラーニ出身だからか、感覚的には俺に近い。

 またエルフにも奴隷という概念は無いようだ。

 メアラも悲しそうな表情をしていた。


「おにいさん、おねえさんたち、また助けてくれてありがとう」


 プリムが先に泣き止んで、礼を告げてきた。

 ニーヴはまだしゃっくりをしているようだ。


「何があったんだい?」

「かごをせおってたら、あの人たちがかごにぶつかってきて……」


 プリムは話しながらその時の事を思い出したのか、また泣きそうになる。


「ああごめんごめん! いいよもう話さなくて」



 やはりそういう事か。

 自分が同じ立場になってしまった時の気持ちなど、一切想像出来ないのだろう。


 想像力という能力が欠如した人間とは、ある意味では可哀そうな人々だ。

 人間いつ誰がどんな立場になってしまうかなんて、誰にも予想出来ない。


 自分達がその立場になってしまう事だって十分あり得るのだ。



 特にこんな世界なら……尚更。



 散らばった道具も集め終わり、プリムに声を掛けた。


「これから収穫に行くのか?」

「うん。そろそろ次の種まきが始まるの。しゅっかしないのも全部刈り取って、それはわたしたちが食べていい分なの」


 多分二期作か二毛作を行っているのだろう。

 次の播種はしゅの時期が迫っているので、未成熟であっても刈り取らなければならない。


 そしてそれらの小麦は出荷するには出来が悪いので、農場内で消費する。

 それでも奴隷達にとっては貴重な食糧源になるはずだ。


「また変なのが来るかもしれないから、俺も農場までついていくよ。今日は管理人さんは?」

「ブレットさんは今日、べつの用事があるのでだいじょうぶ」


 管理人の名前はブレットか。もしかして彼から離れてしまっているせいで、彼女達は酷い目に遭ってしまったのかも知れない。

 彼のあるじはかなり広大な農地を持っているようだが、奴隷はブレット一人で管理しているのだろうか?


「ベァナ、メアラ。ちょっとだけ寄り道してもいいか?」


 二人とも異論は無いようだったので、俺はニーヴの、ベァナはプリムの籠を背負って西門の外に出た。






    ◆  ◇  ◇






 歩いているうちにニーヴも元気になってきたようだ。

 俺は先程の女性剣士が気になり、彼女達に聞いてみた。


「さっき君たちの頭を撫でてくれた女性剣士は、知り合いかい?」

「あのおねぇちゃんは、たまに私たちを助けてくれるの」

「そっかそっか。そういう人が居て良かったね」

「うん!」


 奴隷に対して無関心な町民ばかりだと思っていたが、どうやら気にしてくれる人もいるようだ。

 ベァナしかり、アーネスト然り。


 そしてあの女性剣士然り。



 この世界もまだまだ捨てたものでもなさそうか。



 農道を歩いて居ると、今日の作業について、ニーヴが説明してくれた。


「これから小麦の収穫をするのですが、そんなに遠い場所では無いです」

「ああ。殆ど刈り取りは終わっているね」

「はい。出荷用の良い小麦は既に収穫が終わっています。」


 未収穫の小麦畑の前に立つ。


「なぁ。ちょっと試しに刈り取りしてみてもいいか?」

「別に構いませんが……どうしてまた?」


 ニーヴは不思議そうな顔で訊ねる。


「こういうのは一度やってみないと、その大変さがわからないからな!」


 俺は一区画を全て刈り取るべく、気合を入れて刈り取りを始めた。






    ◇  ◆  ◇






「これは無理だ……」


 普段使っている筋肉が違うのか。

 それとも力の入れ具合が間違っているのか。

 結局一区画の三分の一も終わらない状態でギブアップした。


 ベァナとメアラも興味津々でチャレンジしていたが、早々にリタイアしていた。

 プリムとニーヴは笑っている。


「あとは私たちがやるから、やすんでて!」


 そう言ってプリムはベァナの持っていた鎌を受け取って、手際よく刈り始めた。

 慣れると子供でもそんなスピードで刈れるのか……


 どんな分野にもノウハウというのはあるようだ。




 二区画目が終わった時点で、二人の少女は俺たちの元に戻って来た。


「ちょっときゅうけいー」


 そう言って隣に腰を降ろすプリムとニーヴ。


 俺は自分が刈った、目の前の落ち穂を眺めた。

 未成熟な実が多い。

 こんな状態の小麦しか食べられないなんて……


 ……小麦か。

 小麦で思い付いた事があった。


「ベァナ。あれ渡してあげてもいいか?」

「はい……実は私もそうしようと思っていた所です」


 彼女は自分の鞄から大きな草の葉の包みを取り出し、プリムに渡した。


「プリムちゃんニーヴちゃん。一生懸命働いているご褒美です」

「これはなぁに?」

「小麦を焼いて作ったビスケットだよ」

「ビスケット!?」


 プリムは目を丸くして驚く。

 ニーヴも一緒に包みを覗き込んでいる。


「今食べていいの!?」

「もうあなた達のものだから、気にせず食べて」


 プリムは急ぎながらも丁寧に包みを開ける。


「ほんとうだ、小麦の焼き菓子だ! ニーヴちゃん、一緒に食べよう?」

「うん! お姉さんお兄さんありがとうございます」


 二人は同時ににかぶりつく。


「んん~~!!」


 プリムは無心で食べているが、ニーヴはかなり落ち着いている。

 その仕草からすると、もしかしたら元々は良い所のお嬢様かも知れない。


「本当に……いままで食べたビスケットの中で一番おいしい……」


 ニーヴは昔の事を思い出しているのか、涙を目に浮かべていた。

 それを眺めていたベァナも思わず貰い泣きをする。


 ビスケットを何度も食べられていたという環境に居たという事は……

 ニーヴは元々、良い暮らしをしていたのかも知れない。



 俺は二人に質問をしてみた。


「プリムはさ、もしも奴隷じゃなかったら、何かしてみたい事とかはある?」


 彼女は次のビスケットに手を伸ばしながら答えた。


「うーん……プリムはずっと奴隷なので考えた事ないです」


 物心付いた時から奴隷だったのだろう。

 人の脳は自分が今置かれている状況を、正しいものとして認識しようとする。

 そしてそれは、一種の自己防衛本能のようなものだ。


 俺は質問した事を激しく後悔しそうになった。

 しかし、それをとどめてくれたのもまた、当のプリム本人だった。


「でもいつかいろいろな町を見てみたいです。プリムはこの町しか知らないけど、ニーヴちゃんがお外のお話をしてくれたので」


 世の中を何も知らない彼女に希望を与えてくれたのがニーヴなのかも知れない。


「ニーヴちゃんも、しょうらいの夢あったよね?」

「プリムちゃんやめて! 恥ずかしい!!」

「おひめさまだっけー?」


 多分二人は普段からなんでも話す事が出来る、親友なのだろう。

 プリムに悪気が無いのはニーヴにもわかっているようで、彼女は自分の夢について自ら補足をした。


「……お姫様じゃなくて……お嫁さんです。でもこの立場では……」


 ニーヴはおそらく、ある程度の教育を受けて来たようだ。

 自分の立場……奴隷がどういうものかをしっかり理解している。


 しかし、もしそのニーブが『奴隷に将来の自由など無い』という現実をプリムに突き付けてしまったとしたら……


 自分より多くの知識を持つニーヴの言葉は、プリムにとっては絶対的な真実だ。


 それはすなわち、プリムから将来の希望を奪うのと同義である。





 彼女達はそれぞれが互いに支え合って生きていたのだろう。

 それは本当に今にも崩れ落ちそうな。

 危ういバランスで。





「……よしわかった! つまり君達にはやりたい事がある、という事で間違いないな!?」


 二人を見比べる。

 プリムは元気よく手を挙げて返事をする。

 ニーブは恥ずかしそうにしていたが……こくりとうなずいた。



「うむ。ちょっと時間はかかるが、待っていてくれ」



 それを聞いた二人はお互いに目を見合わせていたが、多分悪い知らせではないという事だけは理解したようだ。


 おおむね笑顔だった。




    ◇  ◇  ◆




 二人の少女は今日のうちにやっておくべき仕事が残っているそうなので、俺たちは先に引き上げる事にした。

 普段農作業をしない俺達では、むしろ邪魔になる。


 ベァナが先程の俺の言葉についてたずねて来た。


「ヒースさん、あの娘達を解放してあげるのですか?」

「あんな事言っておいてなんなんだが……実はまだ具体策はなにも考えていない。一応現状だとアーネストさんの農場で引き受けてもらうというのが最も可能性が高そうな手段なのだが……」

「それはいいですね!……ああ、だからアーネストさんと何度もお話を!?」

「まぁそれは戻ってから話をしようか。それよりもメアラ。ビスケットの件はすまなかった」


 メアラが笑顔で受け応える。


「ああ。あの達が喜んでくれていたので、全然かまわないですよ!」

「そうではないのだ。実はな」


 俺はそう言って背嚢はいのうの中から葉で包まれた包みを取り出す。


「え!?」





「実は二つ買ってあったのだ。黙っていてすまん」





 二人は目を見合わせて驚く。



 しかし次の瞬間、互いに声を上げて笑い合うのだった。



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