商談

 アーネストの店に到着すると、まだ昼には時間があるというのに、結構な数のお客でにぎわっていた。


「おお来てくれたか! 待ってたぞ」


 しかも今日は店主自らが店先に立っている。


「魔法協会に用事があったもので、少し遅くなりました」

「まぁ待っていた、って言ってもここは俺の店だからな。全然気にしないでくれ」


 彼はそう言いながら商品の陳列をしている他の従業員を呼んだ。


「店番を頼むな」

「はいはい」


 この受け答えは……普通の従業員ではない?


「ああ、俺の妻だ」

「今日はわざわざお越しいただいて、本当にありがとうございますね」


 奥さんが挨拶をする。

 質素な格好をしていたので良く分からなかったが、上品な雰囲気の女性だった。

 初対面なのに笑顔での対応。


「こちらこそお世話になります」

「まぁここだとお客さんも来るので、奥の部屋で話を聞かせてくれ」


 そう言って、俺は店の奥に通された。


 ずらっと並んだ食材棚がある場所を抜け、中庭のような場所に通された。

 中庭をのぞひさしの下にテーブルがあり、そこに座るよう促される。

 店の雰囲気もそうだが、この庭も植木などがあって落ち着いた雰囲気だ。

 庭の様子を眺めていると、センスの良い身なりをした綺麗な女性がお茶と羊皮紙を持ってきてくれた。二十代前半くらいだろうか。


「どうも。ありがとうございます」

「ああ。そいつはうちの長女のシンシアだ」


 彼女はアーネストの言葉に反応して、微笑みながら軽く会釈をする。

 言われてみれば、奥さんに少し似ている。

 その後特に会話もせず、すぐに奥に戻って行く。

 奥ゆかしいというか、さすがはお金持ちのお嬢さんだ。


 ……と思っていると……


 戻る途中で立ち止まり、一度俺のほうを振り返った。

 気になった俺が少し目線をそちらに向けると、その途端に大急ぎで奥に引っ込んでしまった。


 うーむ……やはり俺の髪の色は珍しいのだろうか。

 その一連の出来事に、アーネストは気付いていないようだ。


「いやぁ……随分おきれいな娘さんですね……」


 俺は気取けどられないよう、当たり障りのない言葉で話を振った。


「娘ばかり三人も居てなぁ。親が言うのもなんだが、どれも器量の良い娘だから婿には困らないとは思っているんだが……ええと……」


 彼は何かを言おうとしていた。


「そういえば……本当にすまん。まだ名前をお聞きしてなかった」


 確かに名乗った覚えは無い。


「こちらこそ名乗るのが遅れて申し訳ありません。ヒースと申します」

「ヒースさんだね。間違いなく覚えたぞ。改めてよろしく! 俺の名は知っての通り、アーネストだ。ダンケルドの北から東にかけて、農場や牧場を経営している」


 やはり北の農場のあるじは、彼で間違いなかった。


「自分アラーニ村経由でやって来たので、途中で農場を拝見させていただきました。とてもいい農場ですね」

「農場は従業員が良くやってくれているおかげさぁ……そうか、アラーニ村から来なすったか。そう言えばちょっと前に、アラーニ村のほうでゴブリンが頻繁に目撃されるようになったって話を聞いたが、大丈夫だったか?」


 村長の報告はダンケルドにも伝わっていたようだ。

 しかし『巣分け』が起きていた事については、多分まだ知らないだろう。

 何しろあの襲撃の後、一番最初に村の外に出たのは俺達だ。

 イアンとショーンも一旦原隊に復帰予定らしいが、彼らはフェンブルの軍人なので、こちらには来ない。

 これはどこまで話していいものなのだろうか……


「えーとですね……実はその後、ゴブリンの集団が襲って来たのですが、村人の活躍で撃退出来たのです」


 嘘だと後々バレてしまう可能性もあるし、もしかしたらベンが既にその話をしているかも知れない。ここは最低限の事実だけ伝えておいたほうが良さそうだ。


「そうだったのか。無事でなによりだ!……しかし集団で出たとなると、この辺にももしかしたら群れからはぐれたのが流れて来るかも知れないな」

「そうですね。アラーニでも集団が襲ってくる前後は普段より多くゴブリンを見かけましたからね」


 しかも今回はただのはぐれ集団ではない。『巣分け』が起きていたのだ。

 ゴブリンについても注意が必要だが、今日は別の用事がある。


「それで湿度計の話なのですが……」

「おお、そうだった。その話をしに来てくれたのだったな。それで……それはどのようなものなんだ?」


 俺は湿度計について簡単な図を描いて説明をした。


「名付けるならば……毛髪湿度計という感じでしょうか。人間の髪って、湿度が上がると吸湿して伸びるのですよね」

「ああ、そういやむろに入ると、髪の毛がくしゃくしゃになる奴もいるよなぁ……ほうほう。ここに髪の毛があって、これが伸び縮みすると……なるほど」

「ただこの湿度計の欠点は髪の毛の種類によって伸び方が違うのと、湿度が高くなると伸び率が小さくなってしまう点にあります」


 一般的には未婚の金髪女性の毛髪が良いとされているが、実際はそうではない。

 髪の毛の種類によって伸縮率が異なるというのが一番の問題なのだ。

 日本人の黒髪は高湿度の時に金髪よりも伸び率が高くなる傾向があるので、今回のような用途の場合はむしろ黒髪のほうが都合が良かったりする。


「つまり出来上がった湿度計それぞれで指し示す値が異なる。だから調整しないといけないという感じか」

「そうです。その調整が大変じゃないかなと……」


 アーネストは少し考えた後、結論を出した。


「いや、それなら大丈夫だな。調整なんかしなくても平気だ」

「どういう事です?」

「そもそもうちで必要なのは湿度を細かく測れる装置なんかじゃあない。職人がずっと張り付いてないといけない状況さえ改善出来ればいいのさ」


 ええと……ああ、そうか。

 俺はずっと数値を測る計器としての役割しか考えていなかった。


「職人さんが『ここ!』と思ったタイミングで、目印を付ければいいんですね?」

「そうなんだ。もうそれだけでも十分負担が減る」


 確かに新人に数値を教えて管理させようとするよりも、目盛りが所定の位置にくるように、と教えた方がわかり易いし間違いがない。


「それにこれくらいの装置だったら、知り合いに頼めば作れそうだ……ヒースさん、これはすごいぞ」


 アーネストはそう言うと小声になる。


「それでものは相談なんだが……これ作って売らせてもらってもいいか?」


 確かにここで需要があるなら、他でも売れる宛はあるという事か。

 まぁこれはベァナの機嫌を戻してくれたお礼なので問題は無い。


 しかし彼の店は十分繁盛しているし、農場だけでなく酪農や加工食品の生産まで手がけている。

 こんなに商売にこだわる理由はなんなのだろう。

 初見の俺たちにタダで試食を薦めたりするくらいなので、儲けだけを考える守銭奴しゅせんどというわけでもない。


 ふと、彼の農地で仕事をする奴隷達の姿を思い出した。

 彼は私腹を肥やすどころか、奴隷にまで良い待遇を与えている。


「ええ。全然かまわないです。ただ、ちょっとお聞きしたい事がありまして」

「もうなんでも聞いてくれ!」

「アーネストさんは多くの奴隷を引き取り、仕事を提供しているとお聞きしたのですが」


 その話を聞くと、アーネストは神妙な顔付きになった。


「増やす予定とかはございませんか?」

「増やしたい……というか、少しでも多くの人々を自活出来るようにしてやりたいとは思っている……」


 ん? 今、自活と言った?


「アーネストさん、もしかして奴隷を解放してあげているのですか?」

「いや。俺はそんな殊勝しゅしょうな人間じゃねぇ。俺は単に彼らの働きに対して、正当な報酬を渡してやりたいって思ってるだけだ」

「確か奴隷は自分の財産を持てないとお聞きしましたが……」


 そういうルールがあるのは知っていた。

 しかしそんなルール、どうやって守らせるというのだろう。


「それは魔法協会の中だけで伝わってる話だよな。別に奴隷がお金持ってても実際神様に罰せられるわけじゃあねぇ。彼らが財産を持てないのは……人間のせいだ」

「人の……」

「ああ。奴隷ってよ、ここに紋様を刻まれちまうだろう? あれのせいで一目で奴隷だってわかっちまうから、他の立場の人間からしいたげられちまうんだよ」


 どういう事かおおよそ見当が付いた。

 人間の浅ましい一面がそこに見える。


「『奴隷は財産を持ってちゃいけない』って難癖付けられてな。身包みぐるがされちまうんだ」

「とんでも無いクソ野郎共ですね」

「ああ。だから俺は奴隷達には渡さず、解放出来る資金が溜まるまで一時預かっている。でもよ……自由にしてやれたのが十年でたった二人なんだよ。十年でだ……」


 この人はそんな活動までしていたのか。

 彼の奴隷の待遇からすると、衣食住をしっかり保障した上で、更に奴隷達の賃金まで積み立てしてあげているのだろう。

 しかし十年で二人とは……

 農場経営もお金がかかるし、それ程多くは積み立てられないのだろう。


「奴隷達も大変でしょうが、一番大変なのはアーネストさんですよね? なぜそんな活動を?」

「そうだな……全部話すと長くなっちまうので簡単に話すが……俺は元々貧しい漁村で生まれ育ったんだ。それで小さい時に好きだった女の子が……ジェシーって名前だったんだが……家の都合で奴隷になっちまってよ」

「それは……」

「もちろんその当時は悔しくてそいつの親も、金の無い自分の家も、力の無い自分自身も、とにかく世の中のもの全てを恨んでいたけどな。思っているだけじゃ何も変わらないので、村を飛び出して商売し始めたって訳だ」


 アーネストはさらっと言っているが、一代でここまで築き上げるには相当な苦労があったはずだ。


「でも今のような体制を取り始めたのは、カルロさんの影響が大きいんだよ」


 その名前は……ベンの話だと西側一帯の所有者だったはず。

 ニーヴとプリムの主人。


「西側の農地を所有されている方ですね」

「ああ。もしかしたらヒースさんも聞いているかも知れないが、あそこの経営は最近あまり評判が良くない。でも協会から奴隷を引き取って、彼らの解放をし始めたのはカルロさんが初めてなんだよ」

「私もあまり良い噂を聞かなかったので、ちょっと意外でした」

「俺は当時行商人として軌道に乗って来た頃だったんだが、たまたまこの町に寄った時にカルロさんと話をしたんだ。したら彼は奴隷達を解放する為のお金を、奴隷自らの手で稼げるような農場を作るんだって言っててね。そんな事やってる奴隷の主なんて世界中の何処にも居なかったからびっくりしてさ」


 確かに普通に考えれば、奴隷の為のお金を貯めるくらいなら、更に農場を広げるために使うか、自分のものにしてしまうのが普通だろう。

 そもそも奴隷は財産を持てない、と協会が認めているのだ。

 お金を渡さなくても責められるいわれは無い。


「でもな、それを聞いて俺はこう思ったんだ。『やる気の無い奴隷より、頑張れば自由になれるって思っている奴隷のほうが一生懸命働くのではないか?』ってね」


 やはりアーネストは起業家だ。

 単なる慈善事業というわけではなく、れっきとした勝算のある戦略だったのだ。


「それで俺も全財産はたいてダンケルドの周辺の土地を買い、農家を始めたってわけだ。まぁ手前味噌にはなるが、カルロさんと俺とでダンケルドをここまで発展させたようなもんだな!」

「いえ、実際にアーネストさんの農場を見て思いましたよ。本当に良い農場だって」

「そう言ってくれるのは嬉しいんだけどな……俺が農場経営を始めるきっかけになったカルロさんがな……でも彼を責めないで欲しいんだ」

「何かあったのですか?」

「彼には奥さんと娘さんがいたのだが……何者かに連れ去られて殺されてしまったんだ。その頃から元のような農場では無くなってしまった」

「なぜそんな事に……」

「カルロさんはそれについて何も話さず、そのまま隠居をしてしまったので詳しい事はわからない。ただ聞いた噂によると、魔神信奉集団の仕業じゃないかって」


 魔法を教えて貰う時に、ブリジットさんから聞いた覚えがある。

 魔法協会が禁止するような、忌むべき魔法を使う集団。


「最近カルロさんとは話されないのですか?」

「それが最近、全然顔を見せないんだよ。中にはもう死んじまったんじゃないかって言う人もいるんだが、亡くなったらカードが使用不可になるから協会で手続きを行うはずなんだよね。農場もカルロさん所属のままらしいし」


 何か事情がありそうだ。

 奴隷の少女達や管理者の若者の事も気になる。

 あんな扱いを受けている人々をそのままスルーする事など、俺には出来ない。


「まぁ話が逸れてしまったが、奴隷に関しては簡単に言うと……これ以上雇うのはちょっと難しいな」

「経営的に厳しいという事でしょうか」

「まぁ結局はそうなるのかな……農業をやってると忙しい時と暇な時の差が大きくてな。要は種まきの時期と収穫時期はめちゃくちゃ忙しいんだが、それ以外の時期はそれほど仕事が無いんだ。それでも従業員はちゃんと食わせないといけない。俺が雇っている従業員だけは……絶対に」


 彼は詳しくは語らなかったが、様々な辛い目に遭ってきたのだろう。


「なるほど。それでお店をやったり、酪農でチーズ造りをしていたわけですね」

「そうなんだよ。そして今度はその中に、湿度計の販売も組み込もうとたくらんでいるわけなんだが」


 タイムリーな話題にお互い大笑いした。

 お気楽に見えるようで、彼なりに苦労をしてきたのだろう。

 この町で最も信頼出来そうなのは、彼で間違いなさそうだ。


 しかしそろそろ昼を回る頃。

 俺は話の核心に触れた。


「ではアーネストさん。もしも収穫時期の忙しさが和らぎ、農閑期に稼ぐ方法が見つかるのなら……もっと多くの奴隷を引き取る事は可能ですか?」

「まぁそれは出来なくは無いだろうが……うちには既にかなり多くの従業員がいるんだ。そうそう簡単に規模をでかくする事は出来ないぞ?」

「そうですね。実はいくつか案があるのですが……ここでの農業スタイルも良く知らないので、今度農場の見学をさせていただいても宜しいですか?」

「おお! そういう事だったら、午後の用事キャンセルしてでも案内するぞ!?」

「いえ、今日はこの後用事があるので……すみません」


 ベァナとの約束が最優先だ。


「……まさか、他の商人にも同じように売り込んでるわけじゃないよな?」


 全くそんな事は考えてもみなかったが、彼がそう思うという事は、相当興味がある話なのだろう。


「大丈夫です。たぶんアーネストさんの他に適任はいません」

「この湿度計だけだって、相当金を積む商人がいるはずだぞ?」

「いえ。私が欲しいのはお金では無いのです」


 残念ながら俺が助言するのは、俺が共感出来る相手だけだ。



「私が今欲しいのは……信用出来る人とのコネクションです」


「それは奇遇だな……俺も全く同じなんだ」



 こうして後日、俺はアーネストの農場を見学する事になった。


 色々な話をしたせいもあり、既に昼は回っている。

 このままだとベァナを怒らせてしまうかも知れない。


 俺はアーネストに相談し、彼女が喜びそうなお土産を多めに購入した。

 小金貨しか持っていなかったが、彼は文句も言わずしっかり釣銭をくれた。

 俺はお土産を鞄に仕舞い、店を後にする。



 店を出ると同時に協会へダッシュした事は言うまでもない。


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