マザーコンプレックス

吉沢ナツメ

マザーコンプレックス

「もうこんな時間…。伊織、お昼は何食べるの?」

掃除機の音がやんで、お母さんがこちらを振り返った。ソファでスマホをいじっていた私は、視線を逸らしてぶっきらぼうに答える。

「適当にする」

「ええ?そう言ったって、あんた何も作らないじゃない」

「なんとかするって」

「あ、卵焼きとかつくろうか」

「いや、いらない」

「じゃあうどんとか?赤いきつねあるよ」

「わたしきつね好きじゃない」

「ママが食べてあげるから」

「…じゃあ、食べる」

のそりと起き上がれば、お母さんは心なしか嬉しそうにキッチンへと向かった。母と子、二人暮らし。今日は久々にふたり揃っての休みで、どこかへお出かけできるんじゃないかなんて期待していた。のに。

「おはよう。ママ掃除するから、伊織は宿題でもしてて」

起きてすぐ目に飛び込んできたのは、掃除機片手に私を見やる母の姿であった。

「え、どっか行かないの?」

「とりあえず掃除が先。伊織がいい子にしてればどっか連れて行ってあげる」

どいたどいた、とベッドから降ろされ、少しむっとする。

「宿題とかないよ」

「そうなの?じゃあなにしててもいいよ」

なにしててもいいなら買い物に行きたかったんだけど、という声は、バカでかい掃除機の音によって母に届くことはなかった。ふてくされた私は、結局ごろりとソファに寝そべったのである。それでもお腹の減りには勝てず。私はしっかりとダイニングテーブルへと集合していた。

「おいしい?」

「うん、おいしいおいしい」

「二回言うと嘘っぽくなるわね」

けらけら笑うお母さんを見て、先ほどまでの不機嫌がゆるむ。テーブルには、お母さんが用意してくれた赤いきつねがふたつ並んでいる。お母さんはお湯を入れただけじゃんとは言わないでおいた。そういえば、こんなに明るい時間にお母さんとごはんを食べるのはいつぶりだろう。

「学校たのしい?」

「まあまあ。今度マラソン大会があるんだよね、やだな」

「走るの好きだったのに?」

「それ小学校のときね。高校生にもなったらだるくてしょうがないよ」

深くため息をついてからうどんをすする。

「そっかあ。あ、テストは?もうすぐよね」

「なんとかなると思う。私それなりに要領いいし」

「自信ありすぎて逆に怖いなあ」

「もう中学の時みたいにがむしゃらに勉強する時期は終わったので」

冗談めいた言葉とともに、誇らしげな顔をする私。きっと、なにドヤ顔してるのって笑われるはず。それなのにいつまでも反応がないのが気になってちらりと目線をやれば、お母さんは目を細めるばかり。

「え、どうしたの?」

「ふふ…おおきくなったなあと思って」

その顔があまりにもおだやかで、思わず言葉につまる。まだ高校生だよ、とか、いつも会ってるじゃん、とか、どこでそんなの思ったの、なんて笑い飛ばせないくらい、お母さんの表情にはたしかな「親」があった。なんだか気恥ずかしくなってうどんを見つめるばかりの私は、ふと目に留まったものに助けを求めた。

「きつね、食べてよ」

そうやってカップの中にあるきつねを半ばむりやり移せば、お母さんのカップは白と茶色のコントラストから一転して、茶色でうまった。それがおかしかったのか、これだと麺が見えないじゃない、と笑ってから

「もう、やっぱり子どもだわ」

なんてさっきの発言が撤回される。

「あたりまえじゃん」

「なんで開き直ってるの。まだまだ手がかかるわね」

ひとつ、わざとらしいため息をついたお母さんは、またうどんをすすり始めた。その様子に少し安堵して、私もうどんに手をつける。

「掃除も終わったし、買い物でもいこうか」

「やった!どこ行く?」

「そうだなあ…。時間もあるし、遠くてもいいかもね」

今日の予定を立て始めたお母さんは、なんだか楽しそうだ。私と過ごすの、なんだかんだ好きなのかもしれない。そう思うと私まで嬉しくなって、出汁まで飲んでしまった。ふと、お母さんのカップを見つめる。茶色くて大きくて、出汁のしみこんだきつね。私がその味の良さを知っていることも、おいしく食べれるようになったことも、お母さんはきっと知らないだろう。娘より掃除を優先したお母さんに意地をはって、ちいさなちいさな嘘をついた私は、まだまだ子どもにちがいない。いや、それでいいし、それがいい。


―――――いつまでもあなたの子どもでいさせてね、お母さん。







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