第3話「再会、そして……」

「あなたの獣人に対する思いは十二分に伝わりました。ですから少し落ち着きなさい」

「す、すみません! つい熱くなってしまいました……」


 モフモフに対する思いを語っている内についつい熱く語り過ぎてしまったようだ。女神セレンは疲労困憊の様子で椅子の背に身体を預けている。


「……少し会わせるのが心配になりましたが、これ以上待たせるのも可哀そうですね」


 女神セレンは小声で何かを呟いているがその内容までは聞き取れない。


 同時に傍で控えていた人物へ向けて合図を送ると、その人物はこちらに向かい合うように静かに立ち上がった。


「フィリアに行く前に予め目にしておいた方が良いでしょう」


 女神セレンの言葉と同時に隣に立つ人物が深く顔を隠すように着ていたローブが光の粒子となって霧散する。


 俺はその人物を目にした瞬間、まるで時間が止まったような感覚に襲われた。


 美しい顔立ちとモデルのようなスタイル抜群の身体は言わずもがな、それ以上に目を奪われたのはその頭の上にある耳と腰の辺りから伸びる尻尾が原因だった。


 その姿は正に先ほどの話にあった獣人に他ならない。


 しかし本来であれば獣人の姿を目にしたのならそのケモ耳や尻尾をモフりに動く場面のはずが、今は不思議と目の前の獣人から目を離せずにいた。


 一分、二分と時間が経過していくが、お互いにじーっと見つめるだけでその場を動かない。


 初めこそ本物の獣人の姿に心躍らせていたにも関わらず、気付いたら胸の奥が昂るように熱く魂が何かを訴えかけてきた。


 時間が経てば経つほどにその感覚は明確になっていく。


 そして俺は恥ずかしさと懐かしさが混じり合った何とも言えない感情を抱きながら背もたれに深く寄り掛かる。


 いつの間にか頬には暖かい涙が伝っていた。


「ははっ、まさかこんなに早く願いが叶うとは……元気にしてたかって聞くのも可笑しいか。久しぶりだな、マナ」


 俺の言葉にマナと呼ばれた獣人はビクっと身体を震わせ、その美しい顔をくしゃくしゃにしながら涙を堪え始めた。


「もう良いのですよ?」


 女神セレンが優しく声を掛けると同時にマナは大粒の涙を流してこちらに歩み寄って来る。


 しかしマナはその途中で膝から崩れ落ちてしまった。 


「申し訳ございませんご主人様! わだしは、わだしは……」


 涙を流して地面に頭を押し付けるマナの前にゆっくり近づいて行く。


「どうしたんだよ、また会えたんだからここは喜ぶところじゃないのか?」

「私はご主人様と交わした約束を守ることができませんでした!」


 俺の言葉を聞いても尚、土下座をするマナの姿に生前の記憶を思い出す。


 生前にマナと交わした約束は一つや二つどころではない。

 俺が元気になったら――――


『公園で追いかけっこをしよう』

『綺麗な海を見に行こう』

『毎日散歩に出かけよう』


 他愛もない約束も含めれば両手で数えきれないぐらいたくさんの約束をした。

 その中でマナが言っている約束がどれなのかすぐに見当がつく。


 それは俺が余命宣告を受けた日の夜に交わした約束……


『最後まで俺の傍にいてくれ』


 明確な死を前にした不安から俺がそう言うと、マナは真っ直ぐな眼差しを向けて「わかりました」と言うように静かに吠えた。


 結果から言えばマナは俺よりも先に命を落としてしまったのだが、そのことに思う所は何もない。


 むしろ今のマナの姿を目にしては申し訳ない気持ちの方が強かった。


「聞いたよ、お前の病気のこと。気付いてやれなくてごめんな」


 病気のことに触れるとマナは顔を上げてこちらに視線を向けてくる。


「痛かったよな? 苦しかったよな? 俺の言葉のせいで辛い思いをさせちゃったな……」

「そんな!? ご主人様に比べれば私なんか――――」


 罪悪感に苛まれるマナを見て、俺は言葉を遮るように生前のように頭を優しく撫でてやる。


「それでも言いたいんだ、本当にごめん。それと、マナにだけ伝えられなかった大事な言葉がある」


 マナは息を呑んで俺の言葉に耳を傾けていた。


「ありがとう」  


 その言葉を聞いたマナは堪えきれなくなったのか体当たりするような勢いで胸に飛び込んで来る。そして溜めに溜め込んだ思いを全て吐き出すように大きな声で泣き叫ぶ。


 そんなマナを抱きしめてトントンと優しく背中を叩いてやる。


 女神セレンもその時間を邪魔するような真似はせず、慈愛に満ちた表情でそっと見守っていた。


 しばらくしてマナが落ち着くと、女神セレンが口を開く。


「マナは生前果たせなかった約束を悔いるあまり、魂が不安定な状態だったので私が保護していました」

「……そうだったんですか」

「生前に対する未練や恨みが強すぎる場合、歪な形で地上に魂が残ってしまいます。幽霊と言えば分かりやすいでしょう」


 その説明に納得していると、顔を上げたマナが不安そうな表情で女神セレンを見つめている。


 視線に気が付いた女神セレンはそっと微笑んだ。


「心配しなくても大丈夫ですよ。合格です、あなたたち二人の絆の強さは確かに証明されました」

「どういうことですか?」


 一人だけ状況が呑み込めず女神セレンに尋ねた。


「姿の変わったマナに対し、並木錬は気付くことができるのか? それが今回マナに課していた試練だったのです」

「試練?」

「魂を別の世界に転生させるには女神である私にもかなりの負担が掛かる故、おいそれと許可を出せるものではありません。ですから、マナにはそれを条件に転生の約束を交わしていたのです。気付かなかった場合は他の物同様に転生の輪廻へと至ってもらうことになっていました」

「待ってください、ということはもしかして……」


 もしやという気持ちを抑えきれず女神セレンに視線を送る。


「えぇ、マナと二人でフィリアに転生してもらいます」

「っ!? ありがとうございます!!」


 反射的に俺は地面に膝を着いて女神セレンに向かって深く頭を下げた。


 こうして再開できたことすら奇跡に他ならないのに、もう一度マナと共に生きることができる。それは何よりも嬉しい事実だった。



――それから俺たちは女神セレンから転生に関する説明を受ける。


 異世界フィリアへの転生はよくある赤ん坊からの転生ではなく、前世の身体を元に構築した肉体を転生することになっており、マナについては今の獣人の姿で転生するらしい。


 転生場所は残念ながら女神セレンでも特定の場所を指定することが難しいらしく、ランダムな場所にワープすることになる。


 その事実には不安を隠せなかったが、俺の運命力の影響から過酷な環境の場所にワープしてすぐ死亡ということにはならないと女神セレンは断言した。



 他にも細かな説明を受けた後、遂にその時がやって来る。


「私としても名残惜しいですが、そろそろ時間になります。最後に何か望む物があれば可能な限り憂慮致しましょう」


 女神セレンの言葉に思わず心を躍らせる。しかしすぐに頭を振って脳裏に浮かんだその考えを消し去った。 


 前世で得た知識の定番で言うならばここでチート武器なりチートスキルを授かるべきなのだろう。それは確かに魅力的な展開なのは間違いないが、俺は既に知っている。


 生きるために特別な力なんて物は何も必要ない。ただ普通であればそれでいい。

 しかし俺はその普通すらも前世で得ることができなかった。だからこそ俺は女神セレンにこう願う。


「特別な力なんて必要ありません。少しだけ頑丈な身体があればそれで十分です」

「そうですか、わかりました。前世のようにならないよう頑丈な身体を授けましょう。マナはどうしますか?」

「私は、ご主人様の助けになるような力が欲しいです」

「では、支援に特化した魔法の才を授けましょう。ですが、その才を生かすも殺すも今後のあなた次第です。精進するように」

「はい、感謝します」


 俺たちは揃って女神セレンに向かって深く頭を下げる。


 その様子を見て女神セレンは我が子の旅立ちを前にする母親のような表情で優しく見守った。


「二人の新たな人生が良きものになることを願っています」


 女神セレンが最後にそう言葉を残した直後、俺たちは眩いほどの光に包まれて姿を消した。



 再び目を開くと、そこには視界いっぱいに広がる木々が立ち並んでいる。目の前に広がる光景から見てここはどこかの森の中なのだろう。


 俺はその場で大きく深呼吸をして空気を吸い、自分の身体の調子を確かめるように全身を動かしてみる。


 そして最後は自分の胸に手を当てて確かな心臓の鼓動を感じると共に、直ぐ後ろに立つマナに向かって笑いかけた。


「生きてるって素晴らしいことだな」

「はい、私もそう思います」


 様々な感情が湧き上がる中、空を見上げたて声を大にして叫ぶ。


「行くぞマナ! 二度目の人生の始まりだ!!


 行先なんてまだ何も決まってなかったが、とにかく前に進んでみようと歩き出す。


 何度も夢にまで見たその光景を前にマナの瞳から思わず涙が零れるが、今この場に涙は相応しくないと慌てて涙を拭う。


「はいっ! どこへでも、どこまでもお供します、ご主人様!」


 マナは満面の笑みを浮かべて錬の背を追って走り出した。

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