第218話 悪夢

 …ここはどこだ…俺はどうなった…


 暗闇の中でぼんやりと脳が何かを考え始めた。

意識が明確になってくるにつれ、体内の不快な感覚に耐え切れなくなる。


 目が開いた、眩しいと思ったと同時に自分がなすべきことを思い出す。


 ガシっと水槽のフチに手をかけ、重い体を引っ張り上げる。

必死で水槽から這い出し、転げ落ちて地面に体が叩きつけられたが口からは呻き声は出なかった。


 びしゃあと肺に入っていた水が声のかわりに飛び出して床を濡らす。

そのまましばらく口から水を出し切るまで四つん這いになって吐けるだけ吐いた。


「…はぁー…はぁー…」


 すぐ横にはさっきまで自分が入っていたうっすら緑色の液体で満たされた水槽がある。

円柱状のガラスで覆われたそれは一つではなく、石壁に囲まれた薄暗い部屋の中にずらりと並んでいる。

そして今自分が入っていた物以外は、男か女かわからない中世的な顔立ちの全裸の人間が死んだように水の中でじっと佇んでいた。


「…はぁぁぁぁぁぁ…」


 立ち上がって深呼吸をする、何度か息を吐いたり吸ったり繰り返しひときわ大きく息を吸い込んだ後


「あのクソ野郎オオオオオオオオオオ!!!」


 込み上げる怒りに任せてその場で叫び声を上げた。


 俺は殺された、獣人族の女と人族の男と、あと日本人みてえな顔したおっさんの三人組に。

思い出すだけで腸(はらわた)が煮えくりかえる。


「勝手に使われると困るんだよねえ、ここにあるやつは特別製なんだからさあ」 


 背後で声がした、振り返ると先ほどの口調にはそぐわない、かなり高齢に見える老人がいた。

白髪の混じった金髪の頭にやたらと装飾の派手な帽子をかぶっている。

服装もそれに合わせて豪華な刺繍の入った仕様のローブだ。


「…じじいの顔でにこにこしながらそんなことを言われても気持ちわりいんだよ」

「女の子で来たほうが良かったかい、今度はそうするよ、ただ今回はこれが一番近くにいたからちょうどいいかなと思って使ったんだよ」


 この訳のわからねえことを言うじじいの正体を俺は知っている。

この世界で魔王ドールオタと呼ばれる存在…それがこいつの正体だ。

いや、正体とも言えねえか、このじじいは単に操られてるだけだからな、人形みてえに。

本当の魔王ドールオタはここにはいねえだろう。


「それでキミがさあ、ここでこうして復活したってことは…負けたんだ?」


 く…一番言われたくねえことを思い切り言われた。


「そうだ…つーかよお!聞いてた話と全然ちげーじゃねえか!こっちには勇者とかいねーんだろ!?」

「いないよ?この800年こちらでは一度も確認されてない」

「じゃあなんなんだよあいつらは!」

「あいつら?ん?キミ、女神に負けたんじゃないの?」

「ああ?あんなポンコツどもに負けるわけねえだろ、俺が言ってんのは…猫耳の獣人族の女と中二病みてえな外見の男…あとなんか日本人みてえなおっさんのことだよ」

「んん?」


 何をとぼけてんだ、と思ったが…どうも本当に話が通じてねえみてえだった。

このじじい、いや、人形野郎は俺の言った三人のことを全く知らねえらしい。


「誰それ?名前は?」

「名前は…日本人ぽいやつだけ聞いたが意味ねえ、わざとらしい偽名を使ってやがった」


 そうだ、ヴォルガーなんてふざけた名前を使って魔王のフリをしやがった。

最初はてっきり姿を変えたロリコン野郎か犬野郎だと思った。

んで何か様子が変だからもしかして俺たちとは別方法で生き延びた魔王かとも思った。

だが実際は俺を騙そうとして適当な名前を言っていただけだった。

あれはマジでムカついた、俺は偽名すら名乗れねえのによおおおおお!


「んー…勇者自体は出てきてもおかしくはないけど、タイミングがおかしいな、いつもより早すぎる、それに現れたとしたら確実に僕の耳にもその情報が入ってくるはずだよ」


 勇者…それは俺たちに対抗すべく神共が用意する駒のことだ。

昔は俺たちと同じ日本人がその役目を与えられていたが、何百年もたった今では純粋な日本人はもういねえ。

だから今ではこの世界のやつに適当に加護だなんだのとチート能力を与えまくって勇者に仕立て上げる。

そいつらは俺たちを倒すためだけの存在だ、無理やりパワーを詰め込まれてるせいで大抵一年ほどで寿命が尽きて死ぬ。

たぶんあのヴォルガーは…こっちにいる女神の…アイシャ辺りが余計な知恵を与えて作った勇者に違いねえ。

他の二人はおまけみてえなもんだ、あいつらも強かったが勇者ってほどではなかった。


 アイシャってやつは光の女神で、いかにも誠実ですってツラしてるくせに性格は結構クソだ。

たぶん女神の中で一番ヒステリックな女だ、キレると見境がねえタイプ。

昔見た時は回復魔法で後でどうせ治せるからとか言って関係ない人間巻き込んで魔法撃ちまくってたからな。

さすがの俺もあいつはやべえと思って女神共の中で唯一相手するのをこっちから避けていたほどだ。

最終的に魔王七人くらい犠牲にして倒したんだったか、どっちが魔王だよって言いたくなるぜ。


 おっと今は女神じゃなくて勇者のことだったな。

勇者への一番正しい対処方法はシカトすることだ、ほっときゃ寿命で死ぬんだからな。

だが今回の勇者をアイシャが用意したとしたらたぶんヴォルガーが死ねば即座に次の勇者を送り込んで来るだろう、ひょっとしたらキレてまた自分が出て来る可能性すらある、あいつはそういううぜえやつだ。


「まあなんにしろ、俺をぶっ殺したあいつらは許せねえ…もし勇者なら寿命が来る前に俺が倒す」

「キミは一度やられたんだから本来なら待機状態になって順番待ちに戻ってほしいんだけどな」

「…もう知るかよ、100年ごとに順番通りに復活するルールなんかくそくらえだ、かったりいんだよ」


 既に俺がルールを破ったから今ここに魔王が二人いるんだろうが、今更どうでもいいだろ。


「じゃどうするつもりだい?」


 そんなの決まっている、次は全力であいつらをぶっ殺す。


「…俺の<ブラック・バッド・ドリーム>を一度解除する、んでリベンジだ」

「それをすると僕たち四人のバックアップに回してるキミの分体が消えるよね?あの二人は二度と復活できなくなると思うけどいいのかな?」


 あの二人…魔王ロリコニアと魔王ケモニストのことだ。

そして<ブラック・バッド・ドリーム>ってのはこの世界で俺だけが使える魔法だ。

俺たちをこの世界に拉致ったイカレ女が俺に授けた魔法。


「どうせあいつらは復活しても馬鹿なことしてるだけだ、もういらねえ」

「そうなると『不老』と『憑依』も使えなくなるね」


 こいつは今後の復活方法について心配しているようだ。

だが問題ねえ、正直言えば復活については俺と人形野郎さえいればどうとでもなる。


 俺たちが開発した復活方法…それはまず俺の魔法が基本となる。

<ブラック・バッド・ドリーム>は言わば自分を分裂させる魔法だ、女神共はたぶん召喚系の魔法だと勘違いしてるけどな。


 その魔法によって俺は自分を最大で2000体ほどに分けることができる。

しかし俺から分裂させた俺は姿が全く違う別の生き物になる。


 地球では大半のやつが嫌ってるあの生き物だ…そのせいで俺は名前まで…

本当は『分身』できる魔法が欲しかったんだけどよ…あのイカレ女が何を勘違いしたのかこんな魔法にしやがった。


 そうとは知らずに初めて使ったとき、それまで苦楽を共にし助け合って生き残ってきた同じクラスの好きだった女子から「私に二度と近寄らないで」と言われるほど嫌われるはめになった。

その時はあのイカレクソ馬鹿うんこ誘拐犯女を100回は殺したくなった。


 だが今ではその魔法に感謝している。

俺と違ってただの『分身』魔法をもらったやつは本体をやられてあっさり死んだからな。

俺の魔法は分裂した全てが本体と言ってもいい。

一体でも生きていれば他がどれだけやられても生き残ることができる。


 しかし無敵ではねえ、分裂した俺は分裂しただけ弱くなる。

2000体に分けたらそれぞれが2000分の1の力しかない俺になってしまう。


 あんまり細かく分けるとすぐ死んじまうんだ。

死んだらその分、一体の俺に戻った時の力は減っている。


 だからそれをカバーするために俺は他のやつらと協力した。


 まず俺の体に犬野郎の『憑依』を使って、ロリコン野郎、犬野郎、人形野郎の魂をぶち込んだ。

普通のやつが四人分も魂ぶち込まれたら発狂して自我が崩壊しちまうが、俺の<ブラック・バッド・ドリーム>を使えば、それぞれの自我を持った500体ずつに分けることができる。


 そしてそれらを寿命で死なねえようにロリコン野郎が『不老』にした。

復活するときは人形野郎の用意したホムンクルスに数匹入り込むだけでいい。

ホムンクルスは自我がねえから変な拒絶反応もなく分体から乗り移ることができる。

そしてホムンクルスを操作すれば喋れるようになるんで<ソウル・イーター>を使える。

後は<ソウル・イーター>で魔力を回復してやればホムンクルスの外見も変化して元の俺たちの姿に戻ることができる。

ま、犬野郎だけは『憑依』の魔法があるから別にホムンクルスじゃなく誰の体でも復活できるんだが…あいつは馬鹿だからそのことに気づいてねえ。


 そうして復活方法を用意した俺たちは、800年前にわざとやられて死んだフリをした。

最初は女神もぶっ殺せるから復活なんかいらねえかなって思ってたんだがアイシャ討伐後にレイコが出て来てからあいつにどうやっても勝てる気がしないんでこの方針で乗り切ることにした…


 だけどな…この方法を取る限り俺は<ブラック・バッド・ドリーム>が使えねえんだ!

しかも他のやつが復活時は500分の1の状態からでスタートできるのに俺だけ2000分の1の状態でスタートしなきゃなんねえ!

 

 だからあの三人に負けたんだ!

こっちで復活したとき適当に<ソウル・イーター>で魔力補充したけどよお…あんなのじゃ足りねえ!

何か知らねーが<ソウル・イーター>がバグって魔力吸い取るどころか、食らわした相手が魔物に変わるなんて現象も起きるし本当クソだよ!


 だから今度は確実に勝つために万全の状態で行く。

<ブラック・バッド・ドリーム>を解除すればバックアップに回してる分の力が戻ってくるはずだ。

そんであの三人をぶっ殺して、ついでに今は動けねえらしい土の女神を襲えばまた魔力は回復できる。

後のこたぁそれから考えりゃいい。


「<ブラック・バッド・ドリーム>解除」

「解除したということは…本気でやる気なんだね」


 俺はためらうことなくこの800年使ったままだった魔法を解除した。

徐々に力が戻ってくるのを感じる。

いろんなところにバラして置いてるせいで一気に解除できねえな。

まあロリコンと犬野郎の分から解除していくか、どうせ今意識がねえから文句も言わねえ。

つーか着々と死んでる真っ最中なんだけどな。

でも死んだことにすら気づけねえからむしろ良かったんじゃねえか。


 どんどん力が戻ってくる、これならあの三人にも勝てる、間違いねえ。

早速リベンジに…いや…でも待てよ、このまま行くと…人形野郎がさすがに怒るかもしれねえな…

こいつ陰険だからな。

無視して行くともう復活に協力してくれねえ可能性がある。


 『不老』でなくなった今、寿命の問題を解決できるのはこいつのホムンクルスしかねえ…

ホムンクルスの体を定期的に乗り変えて生きなければ俺もいずれ老いて死んでしまう。

それに俺がこっちで復活できたのも、女神がどうしてるかわかったのも全部こいつのおかげなんだよな。


 …やっぱこいつを味方にして復活方法を残しておくためにも少し妥協するか。


「おい人形野郎、今魔法を解除してる最中だが、まだお前の分だけは全部回収してねえ、とりあえず200体くれえはお前のバックアップに残しといてやる」

「いや…全部解除していいよ」


 意外な返事が返って来た、何を考えてやがる?


「キミが倒されたということはよほど強い相手なんだろう?なら万全の状態で行くべきだ」

「おめえ…いいのか?」

「勿論さ、そうして憂いがなくなった後、僕らでじっくり目的を果たして行こう」


 こいつ…意外といいやつだったんだな。

日本にいるときはいつもクラスの端っこで人形の本読んだりぬいぐるみ作ったりしてて気持ちわりいと思ってたけど、案外いいやつだったんだな。

こっち来て800年もたってからようやくわかるとはおもしれえこともあるもんだ。


「じゃあ…全部回収するぜ」


 俺はそのまま全ての分体の力が俺に戻るまでじっとしていた。

そしてようやく100%の俺…多少分体が死んでるから全盛期の8割くれえだがかなりの力を取り戻すことができた。


「よっしゃ!これで万全だぜ!」

「完全に魔法を解除した?」

「おうよ、これでもう負け…がっっっ!?」


 …何が起きた?人形野郎の操るじじいと話していたと思ったらいきなり吹っ飛ばされた。

じじいは何もしてねえ…何かがガラスの水槽の隙間から…飛んできた!


「…お…ご…」


 石壁に顔面がめり込む勢いで押し付けられて声がだせねえ、やべえ。

声が出せねえということは魔法が…使えねえ…


 いやひとつまだ使える…<バーニング・ファイヤー・ナックル>なら…

あれは俺が火の女神から奪った力を元にイチから設定した魔法だ。

「魔法名を言う」というこの世界の魔法の基本条件すら発動条件から外してある…

分体状態でも使えるようにするためにあえてそうしたがそのせいで想像よりかなり弱くなっちまった…


 だが、おかげで今この状態でも使えるはず!


「ん?何かしようとしたのかな?でも意味ないよ、今キミの体を押さえつけてるのが何なのか考えたらわかるよね?」


 陽気なじじいの声とは違う声が聞こえてきた。

聞き覚えがある男の声だ。

そしてそいつの言う通り<バーニング・ファイヤー・ナックル>が発動しねえ…

腕に魔力が集まらねえからだ、つまり俺の魔力はどんどん減ってる。


 俺の体を壁に押さえつけるありねえほどの凄まじい力。

…これは…間違いねえ…<ソウル・イーター>だ…


「…なん…っ…」

「なんで?と言いたいのかな?じゃあ大事なことを教えてあげよう」


 俺に躊躇いなく<ソウル・イーター>を撃ち込んだやつ。

人形野郎の本体が背後で楽しげにそんなことを抜かしていた。


「この世界のいいところ!その一!」


 …あぁ?


「僕の趣味をとやかく言う親がいない、さらにキモイとか言って僕をいじめていたクラスメイトも、もういないところ!」


 …な、にを…言い出した…?


「この世界のいいところ!その二!魔法が使えるところ!そのおかげで僕はこうやっていじめっ子にも立ち向かうことができるんだ」


 ざっけん…なよ…おい…俺は何も…


「自分は何もしてないと言いたいのかな?うーん、確かにそれはそうだね、日本にいるときはキミからは特に何も言われたことは無いね、僕がいじめられているときもキミは何一つ言わなかったもんね」


 …助けなかった…からか?…だからって…これは…


「この世界のいいところ!その三!」


 骨がべきべき音を立てて折れていく俺を無視して人形野郎は話を続ける。


「それはね…あの虫がいなかったことだよ、キミが来るまでね」


 ゴキッ、首の骨が折れた、俺の体はだらんとして力が抜ける。

もはや考え事をする余裕もない、決定的な何かが自分の中でゆっくり終わっていくのを感じる。


「これでまた綺麗な世界に戻るよ」


 ドシャ、俺の体は地面に倒れた。


「キミが魔法を解除してくれて本当によかった…ありがとう、ゴキブリ君」


 それが俺の人生で最後に聞いた言葉となった。

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