第215話 シレネレポート2

「それじゃあぼくはおじさんと一緒に守り人の集落へ行くけど、二人はここでゆっくりしてていいよ、お昼には戻ってくるから」


 シンタロウが私から離れて行きます、しかし今の私にはそれを止めることもシンタロウについて行くこともできません。

ああ…よりにもよって第一級と特級の危険人物がシンタロウを連れて行ってしまう…


「カズラ、このままでは…」

「わかってるわ、でも無理よ、せめてもう少し後で…」


 隣で石テーブルに突っ伏しているカズラ、私も同じ状態です。

私たち二人はお腹が苦しくて動けないのです。


 朝食を食べ過ぎました…思えばこれはあの男の罠だったのかもしれません。

お代わりのオムレツを食べた後、もう一度おかわりを要求したら「卵をそんな一気に食べすぎるのはおすすめできない、パンとみそ汁なら…まあ残り全部食べてもいいよ」などと小癪なことを言われました。


 しかしその二つはタマコとマサヨシが猛烈な勢いで消費していました。

その様子に慌てた私とカズラは、つい競うようにパンとみそ汁をガツガツと貪ってしまったのです。

そして気づけばいつもより大量の食事をしてしまい、お腹がパンパンになり苦しくなる始末。

カズラなんかお腹がぽっこりしているのが丸見えです、痴女みたいな服を着てるせいで。


 カズラにとってそのお腹をシンタロウに見られることは何より耐えがたいことだったので、テーブルに突っ伏して隠す他ありませんでした。

私は大き目のローブを身に着けているので周りから見られてもわからないでしょうが、ローブの下にある私のお腹はカズラと同じ状態になっているであろうことはたやすく想像できました。


 そうしている内に皆の食事が終わり、シンタロウはこの場を去ってしまったのです。

しかしこれはこれで悔いはありません、なぜならシンタロウから「二人ともぼくの作ったみそ汁をたくさん食べてくれてありがとう、嬉しいよ」と笑顔でお礼を言われたのですから。


「二人とも珍しく結構食べてたな、大丈夫か?」


 マサヨシが私たちに近づいてきてそう言いました。

見たらわかるでしょう、大丈夫ではありません。


「昨日の夜も美味いなあと思ってたけど、ヴォルガーが作った料理は少な目だったから気つかってあんまり食えなかったもんなあ」


 確かに昨夜はヴォルガーよりも、隣の家の奥さんが大半の料理をしていました。

野菜と肉の炒め物や食べやすく切られた果実などがたくさんあって、私たちにも一目でああ、美味しそうだなとわかる料理でした。

食べたら実際美味しかったです、シンタロウが作る料理も美味しいですが、それとは違ってなんというか、食べなれた味で安心できる感じがしました。

懐かしい母親の味と言ったところでしょうか。


 私たちがその母親の味を堪能している頃、ヴォルガーは急に人数が増えた分、料理を追加で作っていたのですが、それらはタマコの家族たちが嬉しそうに食べていたので私やカズラ、マサヨシはあまり手に取りませんでした。

私は豚汁と言われていたスープを一杯飲んだくらいでしょうか、今日のみそ汁に似ていましたが、具材が多くどちらかというと飲むより食べると言った感じのスープでした。

まあ…美味しかったんですけど…


「オムレツ以外にあのリンゴジャムとかいうのもよお、ヴォルガーが作ったらしいぜ」


 私たちは無言で突っ伏しているというのにマサヨシはそんなのお構いなしに話を続けています。

あのパンをいくらでも食べられるようにしてしまう物体もヴォルガーの罠だったのですか…


「なんですって………………あの男に言えば瓶で売ってもらえるかしら」


 カズラはどうやらリンゴジャムに屈したようです。

もし買い取ることができたならば、私も少し分けてもらいましょう。


「とっ、ところで二人とも、今日はこの後どうするんだ?特に予定がないなら俺が村を案内してやるぜ!」


 マサヨシは相変わらずしつこいですね。

私たちに気があるのは当然知っています。

まあ悪い人物ではないのですが、目つきがいやらしいし、汗臭いし、下品な話を遠慮なくするのがちょっと…あと若くもないし可愛くもないですね、そして何より私とカズラの両方に粉をかけてくるのが最悪です。

訂正します、やはり悪い人物でした。


「村を案内って言うけどさ、ここより凄いとこあるの?この村に」

「それは………ないな」


 カズラの思うことももっともです、ここは少し…いえ、かなりおかしいです。

やたら高級なベッドがあって美味しい食事が死ぬほど食べられます。

家の隣にはお風呂がある小屋、ゆっくり足を伸ばせるほどの浴槽もあります。

あれは本当に驚きました、カズラが油断して覗かれそうになっていたのもわかります。

お湯が減ったなと思ったら、浴槽の端にある鉄の筒についている妙な輪っかをひねるだけでいいんです。

すると鉄釜の方から温められた湯がその筒を通ってざばざばと出てきて勝手に湯を足してくれるんです。

どういう仕掛けなのかさっぱりわかりませんが、とにかくそうすればお湯が出るという説明文がわざわざ脱衣所に立ててある札に使い方を示す絵と共に書いてあるのです。

だから私にもすぐ使えました。


 宿でもないのにここまで親切で便利な物があるのは、やはりあのヴォルガーという男の仕業でした。

先ほど食事をしながら風呂について聞いたら自信満々に「そのほうが楽だから」と教えてくれたのです。


 いや確かに楽ですけどそこまでやりますか?

「できれば井戸の方から自動的に水を補充できないかについても考えている最中だ」とか言ってましたが、そこまでいくと貴方、馬鹿でしょうと言いたくなります。

あの男は風呂に対しどれだけの熱意を持っているのでしょうか…


 ともかくそういう一連の異常な出来事のせいで、ウィンドミルで安宿を探し、平凡な料理を食べて、風呂なんて毎日は入らず普段は体を拭くだけで…たまに銭湯に行って体を洗う程度の生活していたのはなんだったのかと思わされます。


「じゃあ二人ともどうするんだ?」

「それは勿論、決まってるわ、わかってるわよねシレネ」

「ええカズラ、このままのんびりはしていられません!」


 立ち上がる私とカズラ。

しかしお互いに「うっ」と呻いてまた座り直します。


「「やはりもう少し休憩…」」


 マサヨシに見守られながら、私たちはまた机に突っ伏しました。


………………


………


 しばらく休憩した後、私たちは森の中へ行きました。

シンタロウがヴォルガーとタマコに連れ去られたのに村の中でのんびりなんてしていられません。


「あれがあの男の家ね…」

「正確には診療所ですよ」


 私とカズラは守り人の集落にあるヴォルガーの診療所を遠巻きに見ていました。

ヴォルガーは普段、あそこにいて森の開拓をする村人たちの治療にあたっているようです。


「道が開けたからここも随分来やすくなったなあ」


 私たちになぜかくっついてきたマサヨシが後ろで呑気なことを言っています。

別について来なくてよかったのに。


「魔物にも襲われなかったからアンタもう帰っていいんじゃない?」

「い、いや万が一ということもあるしな、うん、俺は二人の傍にいなきゃいけない」


 カズラに帰れと言われているマサヨシがしつこくいるのは私たちの護衛が名目です。

この守り人の集落へ続く道のりは、以前は結構魔物が出没していたようなのですが、森を切り開いて道を作り、人の手が入った部分にはほとんど魔物が近寄らなくなっているようでした。


 たぶん魔物も学習したのでしょうね…

道中にいたマグナの様子を見て、なんとなく原因を察する事ができます。

あの男、魔物を見つけたら容赦なく闇魔法で息の根を止めていました。

魔物が逃げようとしてもあっという間に追いついて背後から魔法をこれでもかと撃ち込むのです。

しかも高笑いをしながら楽しそうに…


 その様子を見た私たちは「あの男は絶対怒らせないようにしよう」と珍しく意見が一致してその場をすぐに去りました。


 私たちが今、ヴォルガーのいる小屋を遠巻きに見ているのもある種そのせいです。

先ほど見た破壊の化身であるマグナを大人しく従わせているのがヴォルガーなのです。

あいつはマグナのことを「マーくん」と気安く呼んでるほどですからね…

特に用もないのにこのまま小屋へ行き、仕事の邪魔をした場合、果たしてヴォルガーが怒らずにいてくれるかと急に不安になってきた結果、遠巻きに観察することにしたのです。


「で、どうするんだ?このままここにいても小屋の中は…あれ、誰か外に出てきたぞ」


 診療所からヴォルガーとシンタロウ、タマコ、それと守り人の一人らしき男が出てきました。

守り人はヴォルガーと何か話をした後、ピィーーーと口笛を吹きました。


「マサヨシ、今のはなんの合図ですか?」

「知らねえよ!?俺守り人じゃねえし!」

「はー役に立たない男ねえ、長老の息子のくせに」


 マサヨシを罵っているとぞろぞろと道作りをしていた村人たちが集まってきました。

適当に集まって座って何か食べ始めたので恐らくさっきのは単に休憩の合図だったようです。


「なんだ昼休憩か、俺たちもシンタロウと合流して村に帰って飯食うか」

「朝食べ過ぎたから全然お腹すいてないわ…」

「私もです…ん、あれ、ヴォルガーは何をしてるんでしょう」


 村に戻るのかと思いきや、ヴォルガーは傍にあった木に近寄って何か喋っているようでした。

木と会話をしている…?


「あいつ本当に訳わからないんだけど、木に向かって話しかけてない?」

「そうだな…何か辛いことがあるのかもな、俺もそう言う時、壁に向かって話をしたことがある」

「マサヨシもヴォルガーも頭おかしいんじゃないですか?」


 私がそう言うとマサヨシは膝をついてうなだれてしまいました。


「ねえ待って、ヴォルガーの行動も気になるけど、さっきからあの…タマコがずっとこっち見てない?」


 ハッとして私もタマコの様子を見ました。

…物凄いこっちを見ています、私たちは声も届かないような距離から物陰に隠れて観察してるんですけど、もしかして気づかれてます…?


 タマコがすたすたとこちらへ歩き始めました。

もう確実に気付かれています。


 別に何か悪いことをしているわけではないので、見つかっても堂々としていればいいのですがなんとなく気まずいものはあります。


「に、逃げる?」


 カズラが私にそう言いました、マサヨシだけ置いて一旦逃げましょうか。

と、返そうと思ったらタマコが急にヴォルガーの方を向いてそちらに戻りました。


「えっ、木が人になった…あれドリアードじゃない!?」


 木と会話していたヴォルガーはいつの間にか、ほとんど裸に近い女と話をしていました。

急に現れた女の代わりにそこにあった木がなくなっています。

カズラはどうやら木がドリアードになる瞬間を見ていたようです。

私はタマコが振り向いた瞬間、その場からちょっと走り出していたので見てませんでした。


 しかしドリアードと言えば森の精霊とも呼ばれ滅多に人前に姿を現さない生物です。

土の女神オフィーリア様の使いであるという説もあります。


「あいつらオフィーリア様のところへ行くんじゃねえか」

「なんですって?どういうことなのマサヨシ!」

「いやドリアードはさ、この森ではオフィーリア様の元への道案内役なんだよ、普通は守り人の呼び掛けにしか応えねぇんだが…」

「移動するみたいですよ、追いかけましょう!」


 後を追おうとする私の肩をカズラが掴んで止めます、なぜ?


「この距離だとタマコに気づかれるわ…もう少し後から追わないと」

「ですがそれでは見失ってしまいます」

「平気よ、私の耳ならあいつらの足音くらいもっと離れていても聞きとれるわ」


 そうでした、カズラは兎人族で犬人族の私よりも耳がいいんでした。


 カズラの指示に従い、私たちはかなり離れてヴォルガーたちの後を追いました。


「カズラ、ちゃんと後を追えてます?」


 しばらく進んでからちょっと不安になってきたのでカズラに問いかけます。


「ええ…なんとか…ただヴォルガーと…シンタロウの足音しかわからないわ、もう一つ変なずずずって引きずるような音がわずかにしてるんだけど、たぶんこれがドリアードの足音ね」

「え、じゃあタマコはどこへ行ったんです?」

「…ごめん、タマコはわからないわ、というより最初からタマコの足音はわからなかったわ、あの子完全に足音を消して移動できるみたいね」

「タマコはやべぇぞ、あいつ突然背後に現れたりするからな…俺も何度かやられたことがある」


 …3級冒険者でもあるマサヨシの背後をとれるというのは相当な危険人物なのでは?


「それは、今この瞬間にもタマコがどこかに潜んでこちらを見ているかもしれないということなのではないですか…?」


 私がそう言うとカズラとマサヨシがピタっと足を止めました、考えてなかったようです。


「い、いやああいつはヴォルガーたちと一緒に歩いてるだろ、足音消すのは普段の習性みてえなもんだし」

「そ、それに私たちは単に後についてってるだけで、何かしたわけじゃないし?」

「そうだぜ!後どうせあいつがやることと言えばイタズラくれえだ、木の上からいきなり飛び降りてきて驚かすとか、背中に無毒のヘビをいれるとか、大したことじゃねえ!」

「それはそれですごい嫌なんですが」


 マサヨシが余計なことを言ったせいで、私たちは辺りを過剰に警戒しながら進むほかありませんでした。


「なあカズラ、本当にタマコの足音わからねえか?」

「だからわかんないって言って…あっ」

「あってなんですか!?あって!?」

「いえ、なんでもないわ…遠くにいる魔物の足音に気づいただけよ…それはこっちには向かってないわ」

「紛らわしいな!?」

「仕方ないでしょ?いつもより遠くまで警戒してるんだから関係ない音も拾っちゃうのよ!」

「何かもうこれならいっそ普通に合流すればよかったかもしれないですね…」

「それもそうね、今からでも…あっ」


 また、あっ、じゃないですか!?

聞くたびにビクっとしてしまうんでやめて欲しいところです。


「どうしよう…急に全員の足音が消えたわ」

「見失ったのか!?」

「えええ、どうするんですこんな森の中で!下手に探したら私たちが迷子になりますよ!」

「もううるさい!いちいち騒ぐから聞こえなくなったのよ!」

「マサヨシのせいですか!!」

「さりげなく俺だけのせいにするなよ!?」

「ねえ、何してんの?」


 ピタッ。


「ひまなの?」


 急に背後から聞こえた私たち三人以外の声。

私たちはゆっくりと後ろを振り返りました。


「誰もいない!?」

「おい今の絶対あいつだぞ!」

「どこへ行ったんです!?」


 得体の知れない恐怖を感じました。

確かに近くにいるはずなのに姿が見えません。


 トンッ、トンッ、タタッ、タタンッ。

急に変な音が辺りに響き始めました、しかし何も見えません。


「何の音よこれ!?」

「わ、わかんねえ、いやでもそこら辺の木が急に揺れ始めたぞ!」

「あのもう、帰りたいです」


 私はローブについているフードを頭からすっぱりかぶりその場にしゃがみました、これならば背中に何かを入れられることはありません!

だからイタズラはそっちの二人にして下さい!


 トントン言う音はどんどん間隔が短くなり辺りの木々がざわざわと激しく揺れ音を出しています。

何も知らずに一人でこの状況になっていたら漏らしていたかもしれません。

それくらい怖いです。


「ぎゃーーマサヨシ!アンタ何やってんのよぉ!!」

「え、なに、え?うおおおお!?」


 何が起きたのでしょうか、私はマサヨシの声がする方を見上げました。


「俺のズボンとパンツのヒモが切れてるうううう!」


 そこには下半身を露出したマサヨシがいました。


 私の目前にマサヨシの下半身。

うっ…もうだめです…この世でもっともおぞましい物を見てしまいました…


 ゆっくりと意識を手放す私の耳には「あはははははは」という邪悪な笑い声だけが聞こえていました…

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