閑話休題その一

 五十嵐先輩とひと悶着を起こし、麗奈を無下にして逃げ出したあの日からちょうど一週間後の土曜日。千早は再び喫茶店の前に来ていた。しばらく扉の前で立ち止まっていたが、頬をぺちぺちと叩いてから扉を開ける。

「いらっしゃい」

 そう言って出迎えたのは予想に反して麗奈ではなくマスターだった。店内を見渡すと相変わらず客はいないようだが、麗奈もまたいなかった。いつもなら麗奈が必ず出迎えてくれるため、例のひと悶着があったからだろうかと千早は不安そうに眉を下げる。

 麗奈はいない様子だったが意を決して入った以上帰るわけにもいかず、いつもの窓際の席に座った。うつむいている千早のもとにマスターがお品書きを持ってくる。

「何にする?」

 差し出されたそれを受け取ることなく、千早は眉を下げたまま顔を上げてマスターを見る。

「あの、今日は麗奈いないんですか」

「今さっき買い物をお願いしたんだ。しばらくしたら戻ってくるよ」

「そうですか……」

 再び下を向く千早。困ったなあと幼子を相手にするような表情でマスターが言う。

「話は麗奈から聞いたよ。大変だったらしいね」

「お店に迷惑をかけてしまいました。申し訳ありません」

「気にすることはない。他に客はいなかったようだし、迷惑って程でもないさ」

 マスターにそう言われても、千早の悲しげな顔が変わることはない。

「それでも、私は麗奈を傷付けてしまいました。今日はちゃんと謝ろうと思って来ました」

 再び顔を上げてマスターを見る。

「それと、あのときのコーヒー牛乳代を払っていなかったので」

「コーヒー牛乳?」

 何のことかわからないという感じのマスター。それもそうだ、そもそもコーヒー牛乳はメニューにないのだから。

「甘いものを飲みたいと注文したら、麗奈が作ってくれたんです」

「そうなのかい? じゃあそれは私から君へのお礼ということで。タダでいいよ」

「お礼?」

 今度は千早が何のことかわからないといった表情をする。マスターが千早の向かいの席にゆっくりと腰を掛けながら言う。

「麗奈が帰ってくるまでもう少しかかるだろうから、その間に霧島さんには私と麗奈のことを少し話しておこう」

 千早の正面に座ったマスターは優しく、そして真剣に千早を見て続ける。

「私は昨年まで大学教授をしていて、アンドロイドの研究をしていたんだ。四十年くらい研究していたのかな。言っていなかったかもしれないが、私の名前は京堂鉄男といって、検索すればこれまでの研究成果がヒットするよ」

 千早は「麗奈の苗字はマスターのものからとったのか」と内心思う。

「ところで、初めて麗奈がアンドロイドだと聞いたときに疑問に思ったことはなかったかい?」

 千早は麗奈と会った時のことを思い出す。当時抱いた、そしてあえて詮索しなかった疑問を率直に話した。

「私の知っているアンドロイドは表情や言葉遣いがもっと無機質ですが、麗奈は人間と区別がつきません。それに麗奈には黒首輪がありませんでした」

「そうだね。現在実用化されているアンドロイドは実際にはロボットと言った方がいいかもしれない」

 マスターは軽く頷きながら続ける。

「霧島さんは若いから知らないかもしれないが、かつてはより人間らしい感情を持ったアンドロイドの研究がされていたんだ。私が三十歳の頃だから、今から三十五年前くらいかな」

「少し聞いたことがあります。でも今は禁止されているとか」

「その通り。理由は知っているかい?」

 千早は首を横に振る。マスターが一呼吸してから答える。

「人間とアンドロイドはわかり合えなかったんだ」

 マスターはもう一度さっきより大きく一呼吸する。そして目をそらすように店内の方を向き、ずっと遠くを見ていた。

「当時、感情を持ったアンドロイドはある程度実用化されていた。実験的にではあるが市販もされた。けれど、そこで大きな問題が起こった」

「問題?」

「あくまで彼らをモノとして扱う人がいたんだ」

 千早の顔が一瞬引き締まる。マスターは悲しげに、しかし、あくまでも単調に説明を続ける。

「そういう人は少数派ではあったものの、かなり粗雑な扱われ方をしたアンドロイドもいたらしい。罵倒、暴力、性処理。所詮は感情という機能を持っているだけの機械だからね、仕方がないかもしれない。だから私はそういう人たちを責めようとは思わない」

 マスターが目線を千早に戻すと、千早の表情には怒りが露骨に表れていた。

「そんなに怒らないでくれ。私は麗奈にそんなことしてないよ」

 念のためマスターはそう弁明した。千早もマスターがそんなことをするとは思っていない。千早としては麗奈に限らずアンドロイドに酷い扱いをする人が受け入れられず、自然と怒りが沸いていたのだ。

 しかし、ここで疑問を抱いた千早は冷静になって聞いた。

「でも、そんなことをされてアンドロイドは反抗しないんですか」

「どんなに酷い扱いを受け、どんなに辛い思いをしていても、人間には反抗できないように設計されているんだ。アンドロイドからしたらたまったもんじゃないかもしれないが、人間にとっては安全上必要なことだった」

 マスターはため息してから言葉を続ける。

「けれど、それが裏目に出た。反抗できない彼らの中に、人間に対する負の感情がどんどんたまっていったんだ。そして人間もそれを感じ取る。するとどうだ、虐待相手が反抗的な感情を抱いていることを察知した人間はさらに虐待する。悪循環だ」

「そんな……」

 千早の悲しげで小さな声が漏れるが、マスターはさらに続ける。

「そんな中で事件が起こった。あるアンドロイドが人間を殺してしまったんだ」

 それを聞いた千早は、驚きと悲しみが混ざったような感情を抱いた。そして、少し声を大きくして聞く。

「でも、アンドロイドは人間に反抗できないんじゃないんですか」

「本来はね。事件後の分析でわかったらしいんだが、そのアンドロイドは極めて酷い扱いを受けていたらしい。その結果、人間に対する憎悪が蓄積していった。その一方で人間に全く反抗することはできない、その矛盾に苦しんでいたようだった。平たく言うと精神病みたいな感じかな。そしてその矛盾が限界を超えて、そのアンドロイドは暴走してしまった。回収されたときには感情を制御する機能が完全に壊れていたらしい」

「……そのアンドロイドはその後どうなったんですか」

「すべての分析が終わったあとにスクラップされたよ」

 それを聞いた千早は悲しげな顔のまま下を向いて無言でいる。マスターにも千早の気持ちは容易に想像できたため、千早同様に黙ってしまい少しの間ができる。

「その事件がきっかけで感情を持ったアンドロイドの製造および販売が法的に禁止されてしまったんだ。アンドロイドの感情に関する研究も完全に廃れてしまった。その結果、清掃や家事、事務仕事といった実務機能に特化したアンドロイドの研究ばかりが進んだ」

「……そんな歴史があったんですね」

「たしか黒首輪もその時に義務化されたんだ。人間とアンドロイドは明確に分けるべきだって意見が出てね」

 ここでマスターがわかりやすく、かつ、意図的に話が変わることを示すために両手をパチンと合わせる。その音につられて千早は顔を上げる。

「ここまでは歴史の話。ここからが私と麗奈の個人的な話だ」

 千早もここからが本題であることを理解し、悲しげな表情は残りつつも一層真剣にマスターを見る。

「さっき言ったように私は昨年までアンドロイドの研究をしていた。元々は人間の感情に興味があって、工学的に感情を解明できないかと思ったんだ。そして、人間と心を通わせ、共に生きることができるアンドロイドを作りたいと思うようになった。だけど、さっき話した事件が起こったせいで感情を持つアンドロイドの研究は中止になった。結局、研究者生活の大半は実務機能に特化したアンドロイドの研究で終わってしまったよ」

「それは残念ですね」

 千早の言葉がやや棒読みであったことには触れずにマスターが続ける。

「時代には勝てないということだね。そんな感じで昨年定年を迎えて退職、余生をこの喫茶店サクラで過ごしているってわけ」

 本題ではないものの疑問に思ったので、

「どうして喫茶店を開いたんですか」

 と千早は聞いてみた。

「私がコーヒー好きだから、それだけ。深い理由はないよ。ちなみにだけど、ずっと研究室生活だったから店の内装は真逆のクラシックな感じにしてみたんだ」

 内心では「はあ、そうですか」と興味なさげに思ったが千早はあえて口にはしなかった。

「さて、いよいよ霧島さんが一番知りたいであろう麗奈についての話だ。ここまでの話から既に気付いているかもしれないが、彼女は私が作ったアンドロイドだ」

 千早の背筋が伸びる。

「そんな気はしていました。ですが、研究は中止になったんじゃないんですか?」

 マスターは何かを思い出すかのように目を閉じる。

「あれは退職するにあたって研究室を片付けていた時だった。物置を整理していたら一体のアンドロイドが出てきた。私が若い頃に研究していた、そして研究が中止になって以来ずっと放置されていた感情を持つアンドロイドだ。本当はダメなんだけど、そのアンドロイドをこっそり持ち帰ったんだ」

「意外と悪い人ですね」

 マスターがそういうことをするイメージがなかったので千早はやや幻滅した。

「まあね。どうせ余生だし夢の続きを追いたかったんだ」

 なぜだか千早はマスターのその言葉が心に刺さった。

「夢、ですか……」

「退職金をつぎ込んでそのアンドロイドを改良していったよ。内面はもちろん外見もね。それが今の麗奈なんだ。だから霧島さんが普段目にするアンドロイドとは違って麗奈には黒首輪はないし、人間のように感情豊かなんだ」

 千早は納得したように何度も頷いた。

「それから、人間には反抗できないという設計を麗奈にはしていない。人間と共に生きてほしいという私の願いを込めてね……」

 千早には思い当たる節があった。そう、確かに麗奈は五十嵐先輩に逆らっていた。

「それはなんというか、大丈夫なんですか」

「私も相応の覚悟はしているさ。さっき話したように感情を持ったアンドロイドの製造は禁止されている。つまり、麗奈の存在は本来違法なんだ。警察にバレたら私は捕まるし、麗奈は廃棄されるだろう」

 急に不安になった千早はマスターを問い詰める。

「麗奈自身はどこまで知ってるんですか」

「全部知っているよ」

「一人で買い物に行かせて大丈夫なんですか」

「麗奈には黒首輪はないし誰もアンドロイドだとはわからないさ。霧島さんが麗奈の正体を口外しなければね」

 千早は最後に一番気になったことを聞いた。

「……どうして私にこの話をしてくれたんですか」

「霧島さんは麗奈と真剣に向き合おうとしているようだからね、話しておくべきだと思ったんだ」

「私は……」

 言おうとした言葉はあったが、千早は結局言わなかった。その様子を見たマスターは静かに語り出した。

「あれは霧島さんが麗奈に告白した直後だった。実は麗奈の正体を霧島さんに話そうと最初に提案したのは麗奈自身なんだ」



「考える時間をいただけないでしょうか。今の私には……答えを出すことができません。一週間後にまた来てください。その時には、必ず返事をいたします」

 千早が「ありがとうございます」とお辞儀をして店を出て行ったあと、麗奈はぎゅっと自身の片腕を握って動かずにいた。そして、マスターはその様子を眉間にしわを寄せて見ていた。

 しばらくの静寂の後、麗奈が振り返ってマスターの方を見る。マスターは何も言わず麗奈の言葉を待った。

「マスター、私は霧島さんの告白をすぐにお受けするつもりはありません。私はまだ彼女のことを何も知りませんので」

 妥当な判断にマスターも頷く。

「ですが……、いいえ、だからこそ私は彼女のことを知りたいと思っています。なので、友人からスタートできないかとお答えしようと思います。彼女がどう受け止めるのかはわからないですが……」

「いいんじゃないか」

「その上でお願いがあります」

「なんだい」

 麗奈は透き通った目ではっきりと言った。

「私がアンドロイドであることを霧島さんに伝えたいのです」

 予想外の言葉に驚きと少しの怒りが込みあがり、

「何を言っているんだ。そんなことをして万が一のことがあったらどうなるかわかっているだろ!」

 と、マスターは強い言葉を返してしまう。

「もちろんです」

 その麗奈のはっきりした返事に、マスターは肩を落とす。

「ならどうして……」

「霧島さんの言葉はとても誠実でした。とても嬉しかったのです。」

 麗奈は目を閉じ、自身の胸に両手を当てる。そして、何かを再確認したかのように深く頷いてから目を開ける。

「ですので、私も彼女に誠実に向き合わないといけないと思いました」

 その言葉にマスターも判断を迷う。

「いや、しかし……」

 そんなマスターに、麗奈は微笑みながら言った。

「きっと大丈夫です。私は彼女を信じたいです」


「私はとても驚いたが、同時にとても嬉しかった。だって、人間である私よりもアンドロイドである麗奈の方が人間のことを信じようとしたんだ。麗奈ならきっと人間と共に生きていけると感じたよ」

 マスターの表情は優しく穏やかだった。

「だから霧島さんに真実を伝えることを麗奈に許可した。不安はあったけどね。でも、二人が打ち解けて楽しく話すようになったのを見ると、麗奈の選択は正しかったと今では心から思っているよ」

 マスターは千早に正対して、深く頭を下げる。

「ありがとう」

 千早もテーブルに頭がぶつかりそうなくらい深く頭を下げる。

「こちらこそありがとうございます。お話が聞けてよかったです」

 お互いがちょうど顔を上げた時、店の扉が開いた。二人は同時に扉の方を見て、そして笑顔になる。

「ただいま帰りました」

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