第28話『マッサージとハグ』
りんごゼリーが香奈の食欲の呼び水となったのだろうか。ゼリーを食べ終わると、今度はベビーカステラを何個か食べたいと言ってきた。なので、俺と星崎の2人で、香奈にベビーカステラを数個ほど食べさせてあげた。モグモグ食べる香奈はとても可愛らしい。
「りんごゼリーとベビーカステラを食べたので、さっきより元気になりました! 買ってきてくれてありがとうございます!」
「いえいえ。美味しく食べる香奈を見て安心したよ」
「そうですね、空岡先輩。残りのベビーカステラは好きなときに食べてね。スポーツドリンクも」
「うん、分かった。ただ、2人さえ良ければ、ベビーカステラを食べていいですよ。お見舞いと差し入れのお礼といいますか」
「じゃあ、一ついただこうかな。ベビーカステラ好きだし」
「私も一ついただくね。ありがとう、香奈ちゃん」
俺と星崎はベビーカステラを一つずつ食べる。
口の中に入った瞬間、カステラの優しい甘味が広がっていく。咀嚼する度にその甘味は強くなっていって。美味しい。これなら香奈が元気になるのも納得だ。
あと、これとは違うけど、ベビーカステラを食べると、初めて俺の家でお家デートしたときのことを思い出す。あのときはお互いに同時に食べさせたんだよな。あと、頬だけど香奈に初めてキスされて。そのときの感触と真っ赤な顔になった香奈を思い出したらドキッとして、頬が少し熱くなったのが分かった。
「美味しいですね、先輩」
「美味しいな。一つ食べただけでも、今日の学校の疲れが取れるよ」
「そうですね。……香奈ちゃん。他に私達に何かしてほしいことはある?」
「そうだね……肩をマッサージしてほしいかな。風邪を引いたからなのか、それとも急に寒くなったからなのか肩凝っちゃって」
「そうなんだ。ちなみに、空岡先輩って普段は誰かの肩をマッサージしますか?」
「家族にたまにするよ」
「そうですか。それなら、肩揉みは空岡先輩にお任せしてもいいですか? 香奈ちゃんもきっと、好きな人に揉んでもらった方が気持ちいいと思いますから」
「香奈さえ良ければ、俺はかまわないよ」
これまで家族にしたマッサージの技術で香奈を癒やせるなら。
香奈の方を見ると、香奈は微笑みながら俺のことを見ている。ただし、そんな香奈の顔はほんのり赤らんでいて。
「では……お願いしてもいいですか?」
「いいよ」
香奈の肩凝りが少しでも解消されて、体が楽になるように頑張ろう。
肩揉みをしやすくするために、香奈にはベッドから降りてもらって、ベッドの近くにあるクッションに座ってもらう。
俺は香奈の後ろに膝立ちし、両手を香奈の肩に乗せる。その瞬間、香奈の体がピクッと震えた。
「大丈夫か? 香奈」
「大丈夫です。ただ、これから初めて肩揉みをされるので体が反応しちゃいました。遥翔先輩に後ろから触れられることも全然ないですし……」
「そ、そうか。それなら良かった。じゃあ、揉み始めるよ。痛かったら遠慮なく言って」
「分かりました。お願いします」
香奈の肩をマッサージするのは初めてだし、肩凝りの程度も分からない。まずは弱め力でやってみるか。
俺は香奈の肩をマッサージし始める。……俺達に頼むだけあって肩が凝っているな。
「あっ……」
俺のマッサージが気持ちいいのか。それとも、痛いのか。香奈は時折そんな甘い声を漏らしている。体をピクリと震わせることもあって。
「肩凝ってるな。香奈、マッサージされてどうだ?」
「……気持ちいいです」
「気持ちよさそうな顔してるね、香奈ちゃん」
「それなら良かった」
「ただ、もう少し強くしても大丈夫です」
「分かった」
香奈の言うように、肩を揉む力を少し強める。その瞬間、
「はぁっ……!」
香奈はさっきよりも大きな声を漏らした。一旦、マッサージを止める。
「だ、大丈夫か?」
「……大丈夫です。少し痛みもありますが、凝りがほぐれていく感覚もあって。凄く気持ちいいです。今の強さでお願いできますか?」
「分かった」
香奈がとても気持ち良く感じる力加減がすぐに分かって良かった。
香奈の肩のマッサージを再開する。
ほぐれていく感覚があると香奈自身が言うだけあり、マッサージをやり始めた直後に比べると肩凝りがマシになってきている。あと、マッサージを続けているので、服越しに感じる香奈の温もりが強くなっている。甘い匂いも香ってきて。
「あぁ、気持ちいいです。遥翔先輩、上手ですね。これもご家族にマッサージをしているからなんでしょうね」
「頻度はそこまで多くないけど、何年も家族の肩を揉んでいるからな。両親は仕事、千晴は部活の疲れが酷いときに肩が凝るんだ」
「あたしのお父さんもそうですね。お母さんは体質に肩凝りしやすくて。あたしも両親にマッサージすることがありますね」
「そうなんだ」
香奈にマッサージされて嬉しそうな浩史さんと亜希子さんの顔が容易に思い浮かぶ。
「星崎はどうだ?」
「父はあまり凝りませんが、母は凝ることが多いですね。私も母にマッサージしてあげることがあります」
「そうなんだな」
星崎もか。肩の凝りやすい家族がいて、マッサージしてあげる人って結構多いのだろうか。
香奈と星崎と話していたこともあり、気付けば香奈の肩の凝りがほぐれていた。
「香奈。凝りがほぐれたけど……どうかな?」
「どれどれ……」
俺が手を離すと、香奈は両肩を軽く回す。さあ、どうだろう?
「両肩軽くなりました! 痛みもありません!」
「良かったね、香奈ちゃん」
「うん!」
星崎に元気に返事すると、香奈は俺の方に振り返り、
「マッサージしてくれてありがとうございました!」
香奈らしい明るい笑顔で俺にお礼を言ってくれた。自分のマッサージでこの笑顔を引き出せたのかと思うと嬉しい気持ちになる。
「いえいえ」
「肩も楽になったので、これでより早く風邪が治りそうです。ただ、先輩が抱きしめてくれたらもっと早く治りそうな気がします。さっき、彩実に抱きしめられたときもちょっと元気出ましたし……」
そう言うと、香奈はほんのり頬を赤くしながら、俺をチラチラ見てくる。
これまで、香奈のことは一度も抱きしめたことはない。香奈とは付き合っていないから、抱きしめることに躊躇いはあるけど……これが香奈の元気に繋がるのなら。
「いいよ、香奈」
俺はそう返事をして、香奈のことをそっと抱きしめる。その瞬間「きゃっ」という香奈……ではなく星崎の黄色い声が聞こえた。星崎はちょっと興奮した様子で俺達のことを見ている。
見た目でも、香奈は細くて小柄なのは分かっていたけど、こうして抱きしめてみると……華奢な女の子だと分かる。それでいて、互いに服を着ていても伝わってくるほどの独特の柔らかさもちゃんとあって。
あと、肩をマッサージしているときとは比にならないほどに温もりと甘い匂いを感じて。右手で頭を優しく撫でると、シャンプーの甘い匂いも香ってきた。
「どうだ、香奈。これでより早く元気になりそうか?」
そう語りかけ、至近距離で香奈の顔を見る。香奈の顔の赤みがさっきよりも強くなっていた。
「……元気になりそうです。でも、熱は上がっちゃうかもしれません。初めて抱きしめられてドキドキしていますから……」
笑顔でそう言うと、香奈は両手を俺の背中へ回した。それもあって、これまでよりも香奈の温もりを強く感じる。また、彼女の体から心臓の鼓動も伝わってきて。
元気になりそうだと言ってくれるのは嬉しい。もし、このことで香奈の熱がぶり返して、明日も欠席になったら謝らないと。
「あぁ、遥翔先輩の温もりと匂いをたっぷり感じられて幸せです」
「良かったね、香奈ちゃん。いつか先輩に抱きしめられたいって言っていたもんね」
「うん!」
そんなことを話していたのか。まあ、好きな人には抱きしめられたいよな。それに、香奈が千晴と抱きしめ合っているとき、香奈からの打診に断ったこともあるし。
「遥翔先輩と抱きしめ合うの気持ちいいです。先輩はどうですか?」
「……いい感じだ」
好きだって言ってくれている子だから、この状況にドキドキしてきている。ただ、それと同時に心地よくも思えて。今日はいつもよりも寒かったからだろうか。それとも、学校で香奈と会えなくて寂しかったからだろうか。
「そう言ってくれて嬉しいです」
えへへっ、と楽しそうに笑うと、香奈は俺の胸に顔を埋めてスリスリしてくる。小さい頃の千晴に似ていて可愛い。香奈からの温もりが俺の体にじんわりと広がっていく。
それから少しの間、俺は香奈と抱きしめ合った。たまに俺と星崎が香奈の頭を優しく撫でながら。
「じゃあ、俺達はそろそろ帰ろうか」
「そうですね。香奈ちゃんも結構元気になりましたし。好きな人の力って凄いですね」
「遥翔先輩の力はもちろん凄いけど、彩実もあたしを元気にしてくれたよ。抱きしめてくれたり、汗を拭いてくれたり、ゼリーとカステラを食べさせてくれたり。ありがとう、彩実」
「いえいえ。明日、元気になったら一緒に登校しようね」
「うん、分かった」
「香奈。一応、また明日な」
「また明日ね、香奈ちゃん」
「はい、また明日」
俺と星崎は香奈に手を振って、香奈の部屋を出て行く。
その後、リビングにいた亜希子さんに挨拶して、俺達は香奈の家を後にした。
廊下はそこまで寒くなかったけど、マンションを出ると季節外れの寒い空気が体を包む。でも、温かい部屋にいたし、香奈と抱きしめ合ったこともあって、この寒さがあまり嫌だとは思わなかった。
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