第16話『陽川家』

 4月18日、日曜日。

 天気予報通り、今日も朝から晴れている。

 俺は午前9時から午後2時までバイトのシフトに入っている。今日は普段よりも調子がいい。きっと、バイト後に香奈の家でお家デートをするからだろう。

 香奈はザストには来ず、午後のお家デートのためにクッキーを焼いてくれるそうだ。今朝、バイトの前にその旨のメッセージが届いた。焼き菓子など甘いものは好きだから嬉しい。これも、今日は調子がいい理由の一つかもしれない。

 何度か休憩を挟みながら、5時間の接客業務に勤しんだ。




 午後2時過ぎ。

 予定通りにバイトを終え、俺は着替えるために男性用の更衣室に戻る。

 スマホを確認すると、香奈から新着メッセージが届いていると通知が。トーク画面を開くと、


『バイトお疲れ様です! 北口で待っていますね』


 というメッセージが数分前に届いていた。画面に表示されている文字だけど『お疲れ様です』の文言を見て、バイトの疲れが少し取れた気がした。


『分かった。今、バイトが終わって、着替えるところ。なるべく早くそっちに行くよ』


 香奈にそんな返信をして、バイトの制服から私服に着替えていく。香奈を待たせているので、いつもより速いスピードで。

 私服に着替え終わり、従業員用の出入口からザストの外に出る。

 ザストの側にある階段を上がって、南口から梨本駅の構内に入った。

 日曜日の午後2時過ぎなので、結構多くの人がいるな。また、電車が到着した直後のようで、改札から多くの人達が出てきている。そのため、正面奥にある北口は見えるけど、香奈の姿が見えない。

 人にぶつからないように注意を払いながら、構内を歩いていく。

 人混みを抜け、北口の近くまでやってきたところで、


「遥翔せんぱーい!」


 北口からこちらに向かって手を振る香奈の姿があった。そんな香奈はジーンズパンツに、昨日のオリオデートで買ったベージュの春ニットという格好。昨日とはまた違った雰囲気で可愛らしい。また、そんな香奈の姿を見ている人が周りにちらほらいる。

 香奈に小さく手を振りながら、俺は彼女のすぐ目の前まで歩く。


「香奈、お待たせ」

「いえいえ。バイトお疲れ様でした、遥翔先輩」

「ありがとう。今日の服もよく似合っているな。昨日買った春ニットをさっそく着ているんだ」

「はいっ! 遥翔先輩が似合っていると言ってくれましたし、あたしの家でのデートですから。今日も先輩はジャケット姿が素敵ですね! 紺色も似合ってます!」

「ありがとう」


 今日もデートなので、昨日とは違う紺色のジャケットを着てみた。香奈に似合っていると言ってもらえて嬉しいな。


「では、さっそくあたしの家に行きましょうか。すぐ近くです」

「ああ」


 俺達は手を繋いで、香奈の家に向かって歩き出す。昨日のオリオデートでは香奈と手を繋ぐことが多かったから、こうして手を繋いでいると安心感がある。


「遥翔先輩って、駅の北側には来るんですか?」

「年に数えるほどしか来ないなぁ。高校もバイト先もオリオも南口の方にあるから。映画を観に行くとき以外はあまりないかも」

「そうなんですね」

「だから、北側に来るとお出かけしてる気分になるよ。今もなってる」

「ふふっ、そうですか。あと、先輩と一緒に映画も行ってみたいですね」

「そうだな」


 梨本駅の北口から徒歩数分のところにシネコンがある。業界有数の企業が運営するシネコンなので、話題の作品はもちろんのこと、上映館数が少ない深夜アニメの劇場版もしっかり上映する。

 お互いに観たい作品があったら、香奈と一緒に観に行きたいな。この前、俺の家で『のんびりびより』のBlu-rayを観たときは凄く楽しかったから、きっと映画も一緒に楽しめそうだ。


「遥翔先輩。ここがあたしの住むマンション『ザ・ナシモトタワー』です」

「……おおっ」


 目の前にそびえ立っている淡い灰色の高層建造物を見て、思わずそんな声を漏らしてしまった。視線を真上に向けないと一番上まで見えない。


「目の前で見ると、本当に高さのあるマンションだな……」

「35階建てですからね」

「……それを聞いてより高さを感じるよ」

「ふふっ。あたしの家は16階にあります」

「そうなんだ」


 16階でも窓から見た景色は凄く広いんだろうな。この地域での高層の建築物はナシモトタワーを含めていくつかのタワーマンションしかないから。


「では、あたしの家に行きましょう」

「ああ」


 再び歩き始め、俺達は香奈の家があるザ・ナシモトタワーに入る。

 エントランスは綺麗で開放的な雰囲気だ。目の前にはオートロックの扉があるが、香奈が鍵を挿したことで開いた。一軒家に住んでいるので、この一連の流れが新鮮でちょっとワクワクする。

 入り口近くにあるエレベーターに乗り、香奈の家がある16階に向かう。


「そういえば、今日は日曜日だから……御両親っているの?」

「いますよ。遥翔先輩の話をしていますし、先輩と会えるのを楽しみにしています。特にお母さんが」

「そうなんだ」


 やっぱり、御両親は在宅されているか。それを知ってちょっと緊張する。俺に会うのを楽しみにしているのが幸いだ。

 そういえば、香奈も俺の家に来る直前、母親がいると話したら緊張していたな。あのときの香奈ってこういう心境だったのかも。ただ、香奈はちゃんと俺の両親に挨拶していた。そんな彼女を見習って、俺もしっかり挨拶しなければ。

 16階に到着し、陽川家の家がある方へ歩いて行く。落ち着いていて、何年か前の家族旅行で泊まった結構いいホテルに似た雰囲気だ。


「ここです」


 そう言い、俺達は立ち止まる。

 目の前には玄関と思われる扉がある。その近くには『1601 陽川』と書かれた表札が。この扉の向こうが陽川家の住まいになっているんだ。

 香奈が玄関を開けて、彼女と一緒に家の中に入る。


「ただいま! 遥翔先輩連れてきたよー」

「お邪魔します」


 家の中……とても綺麗だな。廊下の突き当たりや左右にいくつかある扉は全て閉まっているけど、広々とした雰囲気だ。

 突き当たりの扉の方からテレビらしき音が聞こえるな。あそこがリビングなのかな。そう考えていると、音が止み、突き当たりの扉がゆっくり開く。


「おかえり、香奈」

「おかえりなさい。例の先輩さんも一緒なのね」


 そんな言葉が聞こえると、スラックスに長袖のワイシャツ姿の男性と、ロングスカートに七分袖のTシャツ姿の女性が姿を現した。香奈の御両親かな。女性の方は香奈と髪の色が全く同じで、男性の方も少し黒みがかっているが茶髪だし。2人とも優しそうな方だ。

 男性と女性は俺達のすぐ目の前までやってくる。


「お母さん、お父さん、遥翔先輩を連れてきたよ。それで、遥翔先輩。こちらがあたしの両親です」

「初めまして。空岡遥翔といいます。梨本高校に通う2年です。香奈さんから聞いているかもしれませんが……香奈さんに告白されまして。返事は保留の状態で、今は先輩後輩として仲良くさせてもらっています。よろしくお願いします」


 緊張したけど、特に噛んだりすることなく挨拶の言葉を言えた。


「ふふっ、ご丁寧に。初めまして。香奈の母の亜希子あきこといいます」

「初めまして、香奈の父の浩史ひろしといいます。娘の香奈がいつもお世話になっております」

「こちらこそお世話になっております」


 そう言って、俺は深めに頭を下げた。

 香奈が明るくて活発な女の子だから、御両親も快活な方だと思っていた。亜希子さんも浩史さんも落ち着いている感じだなぁ。意外だ。ただ、亜希子さんは背が少し高くて、胸が大きくて、髪もセミロングなところ以外は香奈と変わらぬ雰囲気の見た目だ。高校生の娘がいるとは思えない若々しさがある。


「香奈から話を聞いたり、スマホの写真を見せてもらったりしているけど、実際に会うと凄くイケメンで素敵な子ね。いい匂いもするし。香奈が凄く好きになるのも納得だわ……」


 うっとりした様子で俺を見つめながらそう言う亜希子さん。


「亜希子は好きになっちゃダメだよ。香奈は恋をしているから、空岡君のことがとてもいい人に見えると思っていたが……こうして実際に会ってみるとなかなかの好青年だ。ザストで接客のバイトを1年ほど続けているだけのことはある」

「いえいえ、そんな」

「謙遜することはないさ。ただ、そういうところもいいね。あと、先週は香奈の財布を拾って渡していただきありがとうございました」


 そう言って、浩史さんは深めに頭を下げる。それに続いて、香奈と亜希子さんも軽く頭を下げている。


「いえいえ。店の出入口の側でしたので拾うことができました。10分ほどで香奈さんに渡せて良かったです。香奈さんも財布をなくしたと分かったときは、とても不安だったそうですから」


 財布を渡したタイミングで一目惚れをされたのは予想外だったが。何にせよ、困っている香奈の助けになれて良かった。

 浩史さんは穏やかな笑みを浮かべて俺を見る。


「今の言葉や話す表情からでも、空岡君はいい人だと分かるね。香奈が恋している人が空岡君で良かったよ」

「そうね、あなた」

「……ど、どうもです」


 返事としてこれで合っているのかどうか。御両親……特に父親の浩史さんにはどう思われるか不安だったが、いい印象を持ってもらえたようで良かった。


「ところで、空岡君」

「はい」

「……私は亜希子と中学時代の付き合いでね。亜希子は1学年下の後輩でもあるんだよ」

「主人は茶道部の先輩だったの。入部したときに出会って」

「そうなんですね」


 御両親は中学時代の部活で出会ったのか。中学時代で学年が違うと、部活が出会いの場になるケースが一番多いか。ただ、どうして、浩史さんは俺に亜希子さんとの出会いを突然話したんだ?

 浩史さんは右手で俺の左肩を掴み、とても真剣な表情で俺を見つめながら、


「後輩女子はいいぞ」


 決してボリュームは大きくないけど、力のこもった声でそう言ってきた。

 ……ああ、なるほど。自分みたいに1学年下の後輩女子と付き合って、結婚するといいよって言ってくれているんだ。つまり、俺のことを気に入ってくださり、自分の娘と付き合うといいって。亜希子さんとの出会いのエピソードをいきなり話した理由もこれか。


「そ、そうですか。えっと、その……ちゃんと考えて、香奈さんに告白の返事をしますね」

「そうか。いい返事を期待しているよ、空岡君」

「香奈はとっても可愛い子よ!」


 浩史さんも亜希子さんも笑顔でそう言ってくれる。


「もう、お母さんもお父さんも……」


 と言い頬を赤らめながらも、香奈はどこか嬉しそうで。

 この2人から香奈が生まれたのも納得だ。この両親にしてこの子ありというか。今のやり取りや、うっとりして俺を見つめたさっきの亜希子さんを通じてそう思った。

 会う前は緊張もしたけど、御両親にちゃんと挨拶ができて良かった。想像を遥かに超えた受け入れられぶりだけど。


「さあ、遥翔先輩。あたしの部屋に案内します」

「ああ」

「空岡君、ゆっくりしていきなさい」

「ごゆっくり~」

「お邪魔します」


 そして、俺はようやく陽川家の住まいに足を踏み入れたのであった。

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