第13話『心情』
望月と出くわした場所から歩いて1分ほど。
俺達は休憩スペースに到着した。
オリオ梨本は広いので、館内には複数の休憩スペースが設けられている。ここの休憩スペースには、ベンチや1人掛けと3人掛けのソファーがいくつも置かれており、自動販売機も1台設置されている。
土曜日の午後なのもあり、ベンチに寄り添っているカップルや、3人掛けのソファーで飲み物を飲みながら談笑する親子、1人掛けのソファーで読書をする老人など、老若男女が思い思いの時間を過ごしている。そんな中でも、複数人座れるベンチやソファーが空いているので一安心。
自販機で俺はボトル缶の微糖コーヒーを購入。
さっきの約束通り、香奈に欲しい飲み物を一つ奢ることに。香奈は少し迷っていたけど、最終的には小さいサイズのペットボトルのレモンティーを選んだ。
自販機の近くに誰も座っていない3人掛けのソファーがあったので、俺達はそこに座る。
「缶コーヒーいただきます」
「あたしもレモンティーいただきます」
ボトル缶の蓋を開けて、微糖コーヒーを一口飲む。コーヒーの苦味はもちろんのこと、ミルクと砂糖のほのかな甘味もいい。
「あぁ、美味しい」
「レモンティーも美味しいです。買っていただきありがとうございました」
レモンティーの力なのか、それとも奢られたことが嬉しかったのか。香奈の顔にようやく微笑みが浮かんだ。そのことに安心する。
「いえいえ。……高校生になってからは特に、こうして座って好きなものを飲むと疲れが取れるようになったんだ。バイトはずっと立ち仕事だし、休憩のときは椅子に座って好きなコーヒーや紅茶を飲むからかな」
「あたしがお店に行ったときも、遥翔先輩は一生懸命お仕事していましたよね。そのバイトが一年近く続けていれば、そういう体質になる可能性は大いにありそうです」
そう話して、香奈はレモンティーを一口。ゴクッと喉を通る音が聞こえると、香奈は長めに息を吐き、俺の方に顔を向ける。
「……先輩は本当に疲れを感じているのかもしれません。ただ、ここに休憩しに来たのは……あたしのためでもありますよね?」
真剣な表情で俺の目を見つめながら、香奈はそう言った。
望月と話しているときの香奈は、それまでとは明らかに違った様子だった。望月が立ち去った直後に俺が「休憩スペースに行こう」と誘ったし、自分に気を遣ってくれたんじゃないかと考えるのは自然なことか。
「……いつもとは違う様子だったからな。こうしてゆっくり休むのもいいだろうって思ったんだ。ちなみに、望月が離れて、緊張の糸が解けて疲れたっていうのは本当だよ」
「そうですか」
「……望月に何か思うことがあるのか? 香奈の様子が変わったのは、望月に声を掛けられたときからだったし」
ただ、香奈は望月とついさっきまで直接話したことがなかった。
でも、2人は1学年違いの同中出身。2人とも人気があり、一部生徒から『昼の陽山。夜の望月』と並び称されるほど。有名人なので、中学時代からお互いのことは知っていた。中学生の間に何かあった可能性はある。
あと、他に考えられるとすれば……俺か。俺に一目惚れした香奈は告白しようと考えていた。でも、その前に俺が望月に告白し、フラれてしまった。香奈はその一部始終を見ている。
「……あります」
力のない声で香奈はそう言った。
「遥翔先輩は望月先輩にフラれて、学校近くの公園で凄く悲しんでいる様子でした。それを知っているから、望月先輩を目の前にしたら、急に怒りが湧いてしまって。あと、告白されるほど遥翔先輩に好かれていた嫉妬もあって。でも、望月先輩が振ったからこそ、あたしは遥翔先輩に告白できて、今日までの日々を過ごせているのに。あたしは自分勝手な人間だって思います」
そう言い、香奈は俯く。
俺が望月にフラれ、そのことにショックを受けたことが原因だったか。望月に対する怒りや嫉妬。それらの気持ちを抱く罪悪感。だから、普段と違った様子になり、時には複雑そうな表情を見せていたんだ。
「でも、そういった感情で生まれた言葉を言われた辛さは、中学時代に味わっていましたから。望月先輩に言わないように必死でした」
「そう……だったんだな」
「……あたし、中学時代は色々な人に告白されて。告白した人の中には人気の生徒もいまして。そういう生徒のファン中心に『調子に乗るな』とか『消えろ』とか色々言われて。当時は、どうしてそんなことを言われなきゃいけないんだって思って。辛くて、苦しくなったんです。でも、彩実とか何人もの友達が支えてくれました」
「そうだったんだ。……いい友達を持ったな」
俺がそう言うと、香奈はすぐに頷く。
そういえば、バイト先で香奈と一緒に星崎が来たとき、星崎は俺の手を握ってまで香奈を幸せにしてほしいと言っていた。それはきっと、告白絡みで傷つく香奈の姿をよく知っていたからだったんだ。
「中学時代の経験があるから、望月には怒りの言葉を一つも口にしなかったんだな」
「はい。ただ、遥翔先輩に気遣われるほど、顔や態度には出てしまっていましたが。中学時代にあたしに嫌なことを言ってきた人達って、こういう感情を抱いていたんだろうなって思いました。言葉にしないだけで、あたしも同じなんだろうなって」
香奈の両目には涙が浮かぶ。
俺が香奈にハンカチを渡すと、香奈は「ありがとうございます」と受け取り、両目の涙を拭った。
俺は右手をそっと香奈の頭に乗せる。柔らかな茶髪越しに、香奈の確かな温もりを感じる。
「好きな人がフラれたことを知って、振った人に怒りを抱いた。嫉妬もした。それは普通にある心の動きだと俺は思う。香奈の抱く怒りや嫉妬は理解できるよ。そうなった香奈は、中学時代に酷いことを言った人達と同じかもしれない。でも、香奈は望月本人に決して怒りの言葉を言わなかった。これは決定的に違う」
「遥翔先輩……」
「中学時代の自身の経験を踏まえて、香奈は望月に何も言わなかった。これができるのは凄いって俺は思う。ただ、怒っている内容によっては、怒りを言葉にしてもいいとも思う。そのときは、言葉選びや言い過ぎには気をつけて、相手の反応も確認しないといけないけど。もちろん、香奈が中学のときに言われたような言葉はダメだよ」
「……なるほどです」
香奈は俺の目を見ながら小さく頷く。
「あと、望月にフラれたことはとてもショックだった。今も完全には立ち直れてない。でも、いい人だけど付き合えないっていう返事は、俺の告白に対して望月なりに真っ直ぐ向き合ってくれた結果だと思ってる。彼女のことは一切恨んでない。このことを香奈にもっと早く伝えていれば、さっき望月と会ったときに抱いた感情が違って、香奈が苦しむこともなかったのかもしれない。……ごめんなさい」
香奈の頭から手を離し、彼女に向かって深く頭を下げる。
香奈が告白してくれた後、一緒にいるようになってから、望月のことについては全然話さなかった。香奈も俺に気を遣ってくれてか、望月の話題を出すことはなかったし。家族や瀬谷、栗林が遠回しにちょっと触れるくらいで。
「顔を上げてください、先輩」
優しい声で香奈がそう言ってくれる。なので、言う通りにして顔を上げると、そこには微笑みながら俺を見つめる香奈の姿があった。
「確かに、今話したことを事前に聞いていれば、望月先輩と会ってからの感情が違ったかもしれません。それでも、遥翔先輩は悪くないと思っています。……ただ」
そう言うと、香奈はそれまでの笑顔から一転、複雑な表情を浮かべる。
「去ろうとした望月先輩をわざわざ呼び止めて、いつかお店に来てほしいと言ったことには……モヤモヤしました。あたしとのデート中なんですよ。望月先輩だって『デート中に話しかけてごめん』と言っていましたし。まあ、望月先輩との連絡手段がないのなら……仕方ない部分もありますけど」
不機嫌そうな表情に変わり、香奈は俺を見つめながら頬を膨らませた。
「……電話やメッセージとかで話せる方法があるよ。あのときは自分のことばかり考えてた。ごめんなさい」
香奈とのデートの最中だし、望月も『話しかけてごめん』と言って去ろうとしていたのに。家に帰ってからメッセージで『また気が向いたら店に来てくれ』と送っても良かったはずだ。あのときは理由が分かっていなかったけど、香奈の様子がおかしかったことは分かっていたのに。香奈にも望月にも配慮が全然できていなかった。
「まったくもう、先輩は。あの場で言いたくなる気持ちも分かりますけど。これからは気をつけてくださいね」
「はい」
「……お願いします。話を戻しますが、今の遥翔先輩が抱く望月先輩への気持ちが知れて良かったです。そのことで、望月先輩への怒りは……段々と小さくなっていくと思います。ただ、怒りや嫉妬を理解してもらえて、中学時代に酷いことを言ってきた子達とは違う部分もあると言ってくれて嬉しかったです」
そう話すと香奈は俺に微笑みかけてくれる。
「そうか。あと……香奈が告白してくれて、俺と一緒にいてくれるから、フラれたショックも結構癒えてきているよ。フラれた日以降も楽しいと思える時間を過ごせてる。香奈がいなかったら、俺はどうなっていたことか。感謝してるよ。ありがとう、香奈」
俺は再び右手を頭に乗せて、今回は優しく撫でる。手に伝わる香奈の温もりがさっきよりも強くなっている気がした。
「いえいえ。遥翔先輩が大好きですから。先輩にあたしのことが一番好きだって思ってもらえるように頑張ります」
いつもの可愛らしい声で言うと、香奈は持ち前の明るくて元気な笑顔を見せてくれる。この笑顔をまた見られて良かった。
「ああ」
香奈のおかげで心もだいぶ癒えてきた。これまでのように、望月のことで落ち込むこともなくしていきたい。前を向いて、好きだと言ってくれる香奈のことをより考えていきたい。
香奈は俺に体を寄せてきて、右肩にそっと頭を乗せてきた。そのことで肩から手まで香奈の温もりを感じる形に。それと同時に、香水の爽やかな匂いが濃く香る。
「少しの間、こうしていてもいいですか? 元気を注入するためにも」
至近距離から、上目遣いで俺を見ながら香奈はそうお願いしてくる。
「もちろんいいよ」
こうして俺とくっついていることで、香奈が元気になれるなら。
「ありがとうございますっ」
にこやかに笑って香奈はお礼を言う。この体勢でいられるのが嬉しいのか俺の肩に顔をスリスリしてくる。小動物のような可愛らしさがあって。
それから、俺達はこれまでのオリオデートのことを話したり、自販機で買った飲み物をたまに飲んだりして、休憩スペースでのんびりした時間を過ごす。
15分ほど経って、香奈は普段とあまり変わりない元気さを取り戻した。お互いに思っていることを話し合えたし、休憩スペースに来て良かったな。
俺達は当初の目的地である本屋に向かうのであった。
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