寝れない君へ、寝れない僕から

黒い白クマ

寝れない君へ、寝れない僕から

「僕らは悪くない、ちょっと社会一般と違って生まれただけさ。好きで昼夜逆転したわけじゃないんだから。」


世の中には夜行性の人間がいる、とどこかの研究が示したと聞いたのはいつだったか。その時僕はまだレポートってやつの書き方に馴染みがなかった。Wikipediaを疑ったことはなかったし、ファクトチェックのFの字も知らなかったのは確かだ。じゃなきゃ、多分ちゃんと元の論文まで突き止めて保存していただろうから。


あの時の僕にはその文言だけで十分で、拍手喝采で、比喩ではなく飛び上がって喜んだことを覚えている。


色んなことを試しても僕が寝れるのは昼で、夜は元気だった。高校まではまだマシだった、何しろとりあえず疲れることができるから。勿論、勿論ってのも変だけど、昼間も机に突っ伏してグースカ寝ていた。それでもやっぱり机ってそんなに寝やすくないし。夜は疲れで無理やりウトウトできた。


昼行性動物だって、夜中に勉強しながら寝落ちしつつ徹夜したら、朝から昼間にかけてだろうとぐっすり眠れるだろ。でも、きっと調子は狂うさ。ついでに言うなら、そのぐっすり寝た日だって夜もなんとなく寝れると思うよ。それと同じ。


僕の、僕らの場合は別に夜更かししたからリズムが狂ったわけじゃない。気がついた時には、どうもはまってなかった。なんどもいっそ徹夜してみたり、無理にでも同じ時間に起きてみたりと昼夜逆転の手段を試しては挫折した。


「でもねぇ、例えそうだとしても世間は昼行性向けなんだよ。夜行性だろうと私達は無理にでも昼行性に迎合する必要がある。夜中に気兼ねなくテレビは見れないし、掃除機はかけられないし、出歩いたら危ないんだ。」


僕と同じように挫折した君は、僕と同じように挫折しきれないまま頑張っている。そう、諦めて本能通りに生活するには、世間はちょっと冷たい。


「君は特にね。小柄な女性らしいから。」

「そうとも、しかも黒髪で長髪だ。単純な世界では、私は分かりやすい弱者なのさ。髪がレインボーだった頃は全く絡まれなかったのだから笑えてしまうよ。」

「また染めたら?」

「その為に?なぜ私がそちらに合わせるんだい。夜中に大声で歌わないだけでかなり社会に歩み寄ってるんだぜ。」

「あは、その通りだ。そもそも君はまず、家族に歩みよる必要があるからな。」


スマートフォンの向こう、顔も知らない寝れない君。SNSで知り合ってから、毎日こうして少し話す。


真夜中の一時から二時。時々三時。


寝れないのは僕だけじゃないと分かるだけで、何もすることが出来ない静かな夜が少しだけマシになる。


僕は君を知らない。実家暮らしで、ジャニーズが好きで、高校生三年生で、背が低くて、女の子で、髪が黒くて、部活が嫌いで、それから担任と仲がいいことくらいしか。それもSNSの文面だけで、ホントかなんて一生分からない。


君は僕を知らない。本当に、何も。僕はSNSでくだらない話しかしないし、僕の愚痴は普遍的だし、この通話では僕らは寝る方法の模索か愚痴くらいしか言い合わないから。


君は「君」だし、僕も「君」だ。アカウント名は知っているけど、それで呼びかけるのもなんだか妙だから。お互い知らないけど、一番知ってほしいことは知っているから、それだけで十分過ぎた。世間が冷たい以上、せめて身を寄せたかった。


「一人暮らしでも大差はないだろ。家族に気を使うか、隣に気を使うかだけの違いだ。」

「でも、僕は家中の電気をつけられるぜ。」

「うへぇ。途端に君が羨ましくなった。」


君の抑えた笑い声がした。君がそうやって子供っぽくする度に、僕の中の大人が早く寝なさいよと常識を持ち出しかける。自分が君と同じ頃のことをすぐに思い出して、その口を閉じる。


大人として正しくなかろうが、人間として正しいのはこっちだと思う。寝ろって言われて寝れるなら、寝てるに決まってるんだ。


「まぁ、僕だって電気をつけたところですることは無いよ。」

「そりゃねぇ。ボトルシップは続けてるの?」

「やめた。出来たら捨てたくないけど、置く場所がもうなくて。」


本棚に並べた歴代の作品を振り返って答えた。いつか君と一緒に始めたこの趣味は、君が根を上げたあとも少しだけ続いたけれど。3つ目が最後の椅子をとってから、増やしようがなくなった。だいたい、眠気を呼ぶこともなかったし。昼間の社会活動に支障が出るだけだった。


「今は君と電話するくらいだよ。あとはとりあえず、ベッドで丸くなる。用事がなければ気兼ねなく起きているんだけど、そうじゃなきゃ夜しか体を休める時間が無いからね。」

「睡眠外来に行くのはやめちゃったのかい?君が進めるなら、私も親の金で行ってみようかと思ったんだけれど。」

「はは、僕は自分の金で行かなきゃだからなぁ……」


顔馴染みになった内科の医者に、睡眠外来を勧められたという話を確か先週くらいにしたんだったか。君と話したあとに調べて、結局挫折した。行かない理由を見つけるのは、大抵行く理由を見つけるより易い。


「1ヶ月に1度、他の病気でかかってる内科で薬を貰うだけに落ち着いたよ。処方の方が市販薬よりは安いからね。」

「睡眠薬を渡されるだけ?」

「だけ。他に対処もないし。内科の医者には睡眠外来を勧められるけど、初診料って高いし。それに家の近くにないから、交通費がかかる。」


指折り数えながら期待に添えない答えを返した。1時半。眠気はない。


「睡眠薬って飲んだら寝れるのかい?」

「寝れるよ、依存性があるくらいだからね。」

「へぇ、処方薬にも依存物があるのか。」

「結構あるもんだぜ。ま、依存性といってもドラッグみたく脳が溶けるわけじゃない。依存したからずっと飲まなきゃで大変だろうと言われたけど、ずっと飲みますって処方して貰ったんだ。君はこんな大人になっちゃダメだぜ。」

「それは私が決めることさ。」

「ふむ、正論だ。」


立ち上がってエアコンを切って、電気を消した。そうしている間も、イアフォンから君の声が続いた。


「効くなら飲めばいいだろ、依存してもいいと思っているのだし。」

「まぁ……寝れるんだけど、寝る直前まで非常に気持ちが悪くてね。なんだかぐらぐらして、気分が悪いんだ。熱の日に無理矢理立ち上がったような。」

「それは、嫌だね。」

「だろう?だから、翌日がきつそうな時だけ飲む。明日は外出予定がないからね、飲まないよ。」

「予定、ないの?じゃあもう少し話しててもいいかい。」


君の言葉に僕はカレンダーを脳裏に描く。明日は平日で、高校生の君は二時にはとりあえず布団で黙って横になって居ないと、明日の授業で倒れてしまうはずだった。


「君は?」

「私はいいんだ、明日から夏休みだからね。」

「あぁ、そうか、そんな時期……」


高校を出てからだいぶおかしくなった暦感覚に目を細める。僕にだって年間リズムのようなものはあるが、小中高のそれらとはだいぶ異なっていた。そういえば、8月になったところだ。


「なら、いいけれど。どうしたの、いつもよりも話していたい理由でも?」

「最近寝れなすぎるとだんだん口の中に血の味がしてくるんだよ。私だけ?君と話してるとマシだから、本当に寝れそうなところまで話していたくて。」


いつも通話を布団の中で行ってる君が、寝返りを打った音がする。僕がベッドに乗り上げたミシミシという音も、君の方に届いてるんだろう。暗闇の中慰めに目を閉じて、耳と口だけ動かし続ける。


「あぁ、うんあるね。それから頭痛、吐き気。……僕もよくなるけど、まぁ、全部多分寝不足の症状だよ。」

「寝る教科を増やそうかな。」

「あはは。」


同じように対処していた僕には叱る権利はない。むしろ、そうとしか対処しようがないことをよく知ってるから、ただ笑った。


「寝れるなら寝てしまえよ。」

「机の寝心地は悪いけれどね。」

「本当に……君も来年から大変だぜ。高校を出たら、寝かせてくれない昼行性社会で暮らしていかなくちゃいけないからな。」

「そしたらきっと、私は君みたいな大人になって凌ぐさ。君が生きてるなら、まぁなんとかなる。」

「そーかい。一緒に早死だな。」


窓から雨の音がした。一般に眠りを呼ぶらしいその音は、ただ気を散らすだけだった。


「なぁ君、君のところも雨かい?」

「うん?あぁうん、私のところもけっこう酷い雨だよ。焚き火の音と雨の音が眠りを誘うって、ありゃ嘘だな。」

「僕もそう思ったところだよ。」


また布が擦れる音がして、君が寝返りを打ったのが分かる。


「落ち着く体勢を見つけるのも一苦労だね。」

「ありゃ、うるさかったかい。」

「いや。1人が嫌だから話してるんだから、人の気配の音は嫌いじゃないよ。」


暗闇の中で、いつも通り君の話に相槌を返す。君は話すのが好きで、僕は聞くのが好きだから。


「そろそろ3時を回るから、お互い休もうか。」


寝ましょうかなんていうことは言わない。多分君も僕も、意識を飛ばせるのは5時頃だろう。もやもやしながら寝転がる数時間は不快極まりないけれど、僕らは残念ながら夜行性である前に生物で、一定の休息を求められている。だから、休もうと。


「目をつぶってぼーっとするだけ。」

「分かってるよ、君、最後だけいつも大人だな。」

「自分に言い聞かせてるのさ。大人が訳知り顔で言ってるからって、そのアドバイスを本人がやれてるとは限らないんだよ。」

「……君、いくつなの。」

「君より年上。」


何度目かの返事。君は不服そうに笑う。


「また明日ね。」

「うん、また夜に。」


通話を切って、君の今日の話を反芻する。


自分の昔の失敗とか、この先のことを考えて吐きそうになる夜を繰り返してきた。君と話したあとは、君の話がその隙間を埋めてくれる。君は人に話すから、少しすっきりすると言っていた。手持ち無沙汰な時に無駄に心労を作り出すのは僕らの性格上の性だ。君は吐き出して、僕は受け取って、なんとか夜の負のスパイラルを遠ざける。


雨の音がする。自分の呼吸がうるさい。


そこにいるのに呑み込んでくれない眠気を睨みながら、ぎゅっと自分の身を抱く。君の話に縋りながら、この不快極まりない時間を泳ぐ。


眠れない君が、同じように遠くで泳いでいるのを信じながら。

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