第24話 公衆衛生の徹底

 ラングのとった施策は非常に単純だった。

 とにかく清潔にする、いわゆる公衆衛生の確立だ。そのためには荒っぽいかもしれないが汚れた衣服を燃やし、他はとにかく洗う。多少の火事などの被害は覚悟するしかない。

 しかも神官には癒やしの魔法がある。症状の酷いものには魔法で癒やせば、理不尽なぐらいに回復させることができるのだ。ただこのドワーフの国には神官は少ない。エルフと違って精霊魔法の使い手もほとんどいない。そもそも神を信仰するというのは人間固有の習慣だ。この王都にいる神官もそのほとんどは外国人として居住する人間だけなのだ。

 それでもアイゼンを通じて国王に話を通した結果、多数の兵士が動員され王都内は徹底的に洗浄されることになった。

 その指揮系統は神殿に集約されており、ラングがその総指揮に当たっていた。

 神官らの代表はエリーヌがつとめるようになっていた。

 彼女はまだ年若い神官だが、もともとその行動力と魅力的な人格から神殿の内外で高い評価を得ていた。この災害の中もラングが現れるまでずっと人々を癒やすために奔走していたのだ。

 神官らもその行動力を評価していて、自然と彼女の指示を仰ぐようになっていた。

 王都の地図を広げた本部でラングは報告を受けていろいろと書き込んでいた。

「南門周辺の洗浄は済みましたよ」エリーヌが報告に戻った。

 エリーヌは非常に疲れた様子だったが、その表情は明るいものだった。

 ラングも釣られて笑顔になる。「それはよかった」

「次は西門に行く予定です」

「少し休まないといけませんよ、エリーヌ」

 ラングは引き留めた。

「もう半日以上休憩をしていないでしょう。そこに軽食がありますから」

 エリーヌは示されたサイドテーブルにあるサンドウィッチに手をつけた。「美味しい」

「それは嬉しいですね。作ったんです」

「ラングが?」

「はい。アイゼンたちとの移動ではもっぱら料理は私の担当でしたからね」

「あれだけ博識で、料理もできるなんてすごいですね」

「厳しく育てられていますので」ラングは苦笑した。

「ウィズダム様の教えを受けられたのですよね?」

「たいへん厳しいものでした」ラングはうなずいた。「今思うとですが。当時は普通のことと思っていましたけれど」

「ウィズダム様は最高神殿から姿を消したのは世間が煩わしかったからと聞いています。それなのにあなたを教え導いたのはやはり縁があったのでしょうね」

「<御子>だったですしね。もちろんウィズダムはそんなことは無関係に鍛えてくれましたよ?」

「それがどれだけ羨望の的であることか。ウィズダム様の教えを求めて集まってくる神官は多いのですよ」

 ラングは肩をすくめた。「理解できないわけじゃないです」

「でも伝説の英雄の中では私はクッカ様派なんです。エルフの精霊使い。たいへん美しい方で、雅な方と」エリーヌは憧れるように言った。

 ラングはむせた。「ごほごほ。雅というのは?」

「どのような貴族令嬢よりも気品のあるお方だと」

「それは、また、ずいぶんと美化されている……」

「なんですって?」

 背後からクッカの声がしたかと思うとラングの頭に拳が落ちた。

「何か言ったようね、ラング?」

「クッカ様?」

 エリーヌは目を丸くした。

 ちょうどこれまでクッカは神殿に来ることが少なく、エリーヌも会っていなかったのだ。

「アイゼン様だけでなく、クッカ様までいらっしゃったのですね!」

「そんな風に言われると照れるわね」

「<ヴァーヴェル大戦>の歴史の中で一番憧れているんです」

「それはきっと作り話がほとんどね。私はそんなによい人物じゃないわ」

「でもこの危機のときにいらっしゃった。やっぱり英雄なんですね」

「今回の英雄は私じゃないわ」

 クッカはラングの背中を押した。

「<御子>ラング。彼が世界を救う。それが神々の意志のようよ?」


 ラングの徹底した公衆衛生実施は地味ではあるが着実に効果を上げていた。

 当初は衣類を燃やされると言うことで逃げる市民も多かったが、それの徹底された地区では目に見えて疫病の被害が小さくなったので、追従するようになっていった。

「だめだな」

 ラングは報告を書き込んでいる地図を睨んでいった。

 ビゴマが地図をのぞき込んだ。「この一角だね?」

「改善が見られないんです」

 それは北門の近くのエリアだった。ここだけは疫病の被害が減少していない。

「追加の兵士を派遣してもらう?」

「そういう問題じゃないと思います」

 ラングは首を振った。

「覚悟を決めないと行けないかも知れませんよ」

「というと?」

「疫病は自然発生したものではない、ということでしょう。それは予期していたことじゃないですか」

「なるほど」ビゴマはうめいた。「悪魔か」

「これだけやっても軽減できないとなれば、ここに病原菌の元があると考えるべきです」

「突撃するか」

「どこへですか」ラングは否定した。「どこに潜んでいるかわからないですよ。しかも相手が待ち構えているとなればとてつもなく危険です」

 ラングと悪魔の戦いは公衆衛生と疫病の戦いとなっていた。

 おそらくは何か魔法的な疫病の元があるのだろう。それをなんとかしないとこれ以上は改善できない。

 一方でラングの公衆衛生施策で疫病の被害は限定的に抑え込まれている。悪魔の狙い通りにはもはや広がることはないだろう。

 いわば拮抗状態にある。

「敵の次の一手は疫病源を移動させることになるでしょう。それをなんとか止めないと」

「でもどこに潜んでいるかわからないんだろ?」

「蛇の道は蛇。ビゴマは傭兵ギルドで顔が利くんですよね?」

「そりゃぁね」

「盗賊ギルドの幹部と会いたいです」ラングはきっぱりと言った。

 ビゴマは困った顔をした。「なんだって? それは……」

「なんとかしてください」

「そういわれてもなぁ」ビゴマは髪をかきむしった。「難しいんだよ」

「わかっていますよ。でも、必要なんです」


 ビゴマはアイゼンを連れて傭兵ギルドの建物へ赴いた。

 彼女の訪問を受けてすぐにギルド長との会見は可能だった。

 ここのギルド長はもちろんドワーフで、アイゼンの遠縁にあたった。

「久しぶりじゃの」

「アイゼン殿!」ギルド長は喜んだ。「帰還されたか」

「そうではない」アイゼンは王都へ来て何度となく繰り返してきた回答をした。「今はそれどころでもないしな」

「疫病の件で、盗賊ギルドの幹部にお願いがあるんだ」ビゴマが言った。

「ビゴマが、盗賊ギルドを?」

 ギルド長はビゴマをまじまじと見た。どうやら過去に盗賊ギルドとビゴマの間には何やらあったらしい。アイゼンも知らないところだが、それでビゴマは困っていたのだ。

「やりにくい。でもラングがどうしても必要だと言うんだ」

「ラング、というとあなたがたが連れてきた<御子>ですね?」

「そうだよ。ラングのおかげで疫病を押さえ込めていることは知ってるだろ?」

「神官たちがずいぶんと乱暴に駆け巡ってくれましたね。途中から王城の兵士も」

「全部ラングの指示だよ」

「王城のはわしが国王に掛け合った」アイゼンも言う。

「ビゴマが盗賊ギルドを頼ったり、アイゼンが国王に?」

 ギルド長は目を丸くした。

「それほどのことをあなたがたがする?」

「ラングはそれだけのことはして見せたさ」ビゴマは肩をすくめた。

 ギルド長はうなずいた。「疫病が収まりつつあることは感謝しています。いいでしょう、盗賊ギルドの幹部を連れて行きましょう」


 数時間後。神殿で地図を睨んでいたラングの前に精悍なドワーフが不意に現れた。

 ずんぐりしているのがドワーフの基本的な体系だ。だがそのドワーフはスリムだった。顔つきも酒飲みが多く赤みがかった者の多いドワーフと違って、このドワーフはむしろ不自然なぐらいに白い。

「あなたがラングですね」それは断定だった。

 ラングはうなずいた。「そうです。あなたは?」

「盗賊ギルドから来ました。ジョンと呼んでください。あなたがお呼びだと」

「ありがたい」ラングはうなずいた。「端的にお伺いしたい」

「なんでしょうか?」ジョンは言った。

「北門の近くに悪魔が疫病の源を隠していると推測しています。思い当たる場所を教えて欲しい」

 ジョンは首をかしげた。「場所の特定を?」

「正確に言うと場所を特定し、逃走経路をすべて塞いで突入。疫病源を滅したい」

「報酬は?」

「ありません。私には支払えるようなものはありませんからね」

 ジョンは感情を表さないままじっとラングを見つめた。

 ラングは苦笑しつつも目をそらさなかった。

「盗賊ギルドに依頼するのに報酬もなしで?」

「これは生存競争ですよ、あなたたちも含めた。ここで全力を投入しなければ打撃は大きい。それに裏切り者として生きづらくなるでしょう? 断られたらその旨は公言しますよ」

「受けたら?」

「まさか盗賊ギルドが無償で助けてくれてたと宣伝したいのじゃありませんでしょう?」ラングは反した。

 ジョンは笑い出した。「これはずいぶんと酷い話ですね?」

「損して得取れといいますよ、ジョンさん。ここで目先の利益に流されるような人がギルド長だとは言わないでしょう?」

 ジョンは鋭い眼差しでラングを見た。「なんですって?」

「この事態で幹部をよこしたりしないでしょう。それでは時間の無駄だ」

「ギルド長が自ら出てくると?」

「出てくるでしょう。それに誰が信用できるかわからないのでは?」

 ジョンはにやりとした。「10分前だ」

「なにが?」

「いや。突入の時間だ」

 ラングも笑った。「これは私が一本取られたわけですね?」

「既に信頼できる部下が突入を開始している。これは盗賊ギルドの威信にかけて実行した。傭兵ギルドにも手伝わさせた。謝礼も感謝も不要。むしろこれはこの街の問題で、最終的にはあなたに謝礼を支払う必要があるでしょうね」

「しかし、悪魔が潜んでいるんですよ?」

「両ギルドの最高戦力を使った。悪魔男爵以下ならば確実に始末できる。それにここは我々の縄張りだ」

 ジョンはチラリと窓へ目を向けた。

「いや。暗殺した」

 ラングも窓の外へ目を向けたが何も見えなかった。

「疫病源は魔法で燃やせばよいだろうか?」

「完全に先を読まれましたね。はい。それで十分なはずです」

「潜んでいたのはただの悪魔だった。手先だろう」

 ラングは深刻な顔をした。「悪魔貴族ではなかったと」

「そのようだ。悪魔の足跡は調査させる」

「ぜひ頼みます」


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