第12話 それぞれの出発
それからしばらく経過した。その日は何か不穏な空気があった。
酒場でいつも通りに働いているとクッカがやってきて愚痴をこぼした。
「聞いてよ、ラング」
いつもなら仕事が一通り落ち着くのを待つのに、クッカはカウンターの席について、まだ忙しく立ち回っているラングに話しかけた。よほど腹に据えかねていたのだろう。
「働きながらでよいですか?」ラングはジョッキを4つ持って運びながら答えた。
「いいわよ、もちろん」
クッカは自分が悪いことは承知していた。それでも話さないではいられないらしい。
「急に本国から召還されたのよ」
「何かしでかしたのか?」酒場の主人がにやりとして言う。「まぁ、この町での働きぶりは精勤という感じではないよな」
「単に仕事がないだけでしょ! 仕事をさぼっているのではないわよ」
クッカは反論した。
「それにそれはつまり私の普段の仕事がよくできているってことじゃない」
「もちろんそうだ」
主人は手をあげた。
「反論はないよ。これはお詫びに」
そういってグラスワインを出した。こっちが目的であえてつっこんだようだ。
「ありがとう」クッカは礼を言った。「ごめんなさい、国の連絡に本気で腹が立っていたものだから。召還理由の説明もないのよ」
「それはいやですね」ラングは言った。「せめて理由は知りたいところでしょう」
「そうでしょ」クッカはラングの同意に嬉しそうにうなずいた。「このまま辞表を出してやろうかとも思うわよ」
「それはいけないでしょう。せっかくのキャリアなんですし」
どちからといえば腕自慢(精霊魔法)のクッカが自ら望み、相当な努力をして外交官に採用されたことを以前に聞いていた。クッカはもともとコミュニケーション能力も高いし、(人間、少なくともラングにはよくわからないのだが)エルフ社会ではかなり高名でもあった。だが事務仕事を着実にこなしたり、外交文書を適切に処理すると言った能力には欠けていたのだ。
人間社会の傭兵や冒険者でいえばおそらくかなり上位の力を持つクッカがそこまでして外交官を目指した理由をラングは教えてもらってはいないのだが、どうやらかなり個人的な理由らしい。
「それなら一緒に来てくれたりする?」
そうクッカは冗談めかしていった。だが少しうつむいて、どこかに本気と恐れを感じさせる表情をしていた。だがラングは忙しくてそれに気づかなかった。
「エルフの国には人間は入れませんからね」ラングは単純に事実で答えた。
クッカは一瞬、悲しそうな顔をしたがすぐに肩をすくめて見せた。
「そうね。連れて行っても国の外で待ってもらうのでは意味はないわね」
そこへ女性傭兵のビゴマがドワーフのアイゼンと一緒にやってきた。ここで酒を飲むときには同じテーブルを囲むことが多いが、それ以外で一緒に行動しているのはとても珍しい光景だった。
「二人揃ってどうしたのよ?」クッカが尋ねる。
「ドワーフの町へ行く仕事を請け負ったの」ビゴマは答えた。
「それでアイゼンに情報を?」
「いや」アイゼンが答えた。「逆だ。わしの関係筋からの依頼でな。むしろわしが依頼主と言ってもよいかも知れぬ」
クッカは目を丸くした。「あなた、もしかして故郷へ戻るつもりなの?」
「戻るというか行くということだな」
アイゼンは顔をしかめた。
「今さら故郷へ戻ろうと言うんじゃないのだ。だがこれは一度は戻らんといかんようでな」
「なにかあったの?」
「よくわからん」
アイゼンは困ったように頭をかいた。
「我が母国は混乱しているらしい。それがわしの故郷の村が関係しているようでな。あそこには未だに親戚筋も多い。奴らに何かあったというのなら、いかに国を捨てて出てきたといっても戻らぬと言うわけにもいかぬわけでな。これは仁義の問題よ」
「なんだかきな臭いわね。大丈夫なの?」
「優秀な傭兵を連れてこいという依頼でな。ビゴマに引き受けてもらった。ビゴマなら母国でも名が通っているし、もちろん相応の実力もある。手伝ってもらえばたいがいのことはなんとかなろう」
「そういうわけね。よくわからない仕事だけど、アイゼンの手助けぐらいはするわ」ビゴマも言った。
「それなら安心ね。実は私もよくわからないけど、召還されたのよ」
「それはそれは。偶然……と思うが、よい感じはせぬな」
「本当に」
珍しく3人はそのままカウンターで飲み始めた。
そしてラングの仕事が落ち着いてきたところでアイゼンがいった。
「そこでじゃな、ラング。お前も一緒に来ぬか?」
「彼を連れて行ってしまうつもり?」クッカが食ってかかった。
「そなたも召還されたのではここには留まれぬのだろう? それならわしらと一緒に来ても問題あるまい」
ラングはアイゼンのぶっきらぼうな言葉の裏にある気遣いに涙が浮かびそうになった。この店では皆がよくしてくれるが、特にこの3名、クッカ・アイゼン・ビゴマは彼の救いだった。彼女らがいなくなるのならいっそというわけに他ならなかった。
「ドワーフの国は異種族もかなり分け隔てなく受け入れておる。人間ももちろん自由に出入国できる。エルフとは違うのだ」
「……言い返せない」クッカはうめいた。「こんなところでエルフの悪習が私の身に降りかかるとは」
「お前さんの仕業ではないにしてもこれは仕方があるまい。どうだ、ラング? それとこちらの主人もよかろうか?」
「正直に言えば少し痛手ですがね」
酒場の主人はいった。
「ラングにはいろいろと店を助けられてるし、彼目当ての客もいる。だが言いたいことはわかった。むしろ賛成だ。いってきたらいい、ラング」
「でも……」ラングとしては彼の窮状を救ってくれた恩義を感じていた。
「もともとラングがずっとここで働くとは思ってはいないよ」
主人は笑った。
「まぁ、最初はお前さんがずいぶんといじめられているようでな。見ていられなかったというのもある。だが実際に働いてもらってこの店がずいぶんと助かったのも、また事実だぞ。お前さんに話を聞いてもらって救われたって言う人間も少なくない。常連の中には特に多いだろ?
「正直なところ、お前さんでなければこの店を継いでもらいたいところだ。だが、お前さんの人生はここで終わるようなものではないだろう? よかれ悪しかれと言うことになるかもしれんが」
ラングは魔法のことは誰にも話していなかったが、店主にはどこか見透かされていたのかも知れない。あるいは<御子>にはやはり何かの運命があると信じているのか。両方かも知れない。
「ありがとうございます」ラングは頭を下げた。「それでしたらアイゼンの故郷へ行ってみたいと思います」
「それがいい。世界を見て回るのも若者の特権だ。駄目ならいつでも戻ってきていいぞ。そのときはこの店を継げるぐらいの金は稼いでこいよ」店主はにやりとして見せた。「俺は店を売り払って楽隠居させてもらうよ」
「いいなぁ」クッカはアイゼンとビゴマを恨めしそうにみた。
「仕方がないじゃろうが。そっちは国に召還されとるんではな。まぁ、そっちの仕事が片付いたら追いかけてきたらどうだ。わしの故郷の場所はわかるだろ?」
「仕方がないわね」
クッカはがっくりとした。
「いい、ラング? 酒は飲み過ぎちゃ駄目よ」
「そもそも飲みませんよ?」
「いいえ」クッカはアイゼンを睨み付けながらいった。「ドワーフは酒飲みよ。機会さえあれば誰でも一緒に飲ませようとする人種なの。信じては駄目」
「酷いいいようじゃな」アイゼンが言う。
「これは真実よ。それから……」
「おいおい」ビゴマが言う。「それじゃ母親みたいじゃないか、クッカ。それぐらいにしておくほうがいい」
クッカは顔を赤らめた。「母親?」
「そうね」ビゴマがうなずく。
「それはいけないわね」
クッカは急に居住まいを正した。それからラングをそっと抱擁していった。
「気をつけてね、ラング。でもきっと楽しめるわ」
「ありがとう、クッカさん。楽しんできます」柔らかい体に包まれて、ラングはちょっとどきまぎして答えた。
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