第25話 ある男の想念



「ニマだって!?」


 牢の片隅、章絢ヂャンシュェン達とは別の檻に入っていた男が、彼らの話す内容に驚き、少しでも近くで話を聞こうと、姿が見えるところまで移動した。


 聞き耳を立てていた男は、届いた言葉に茫然自失となり、知らず識らずのうちにつぶやいていた。

「ニマが亡くなった?……そんな……。嘘だ……」


 男のつぶやきは、章絢ヂャンシュェンや王達にまで届くことはなく消えていった。



 十年程前、男はトン国の南西を目指し、進行していた途中、飛燦フェイツァン国へと連れ去られた。

 この拉致らちによって、比翼の鳥、連理の枝のように、生涯を共にしたいと思う女性に出会うことになろうとは、その時の男は全く夢にも思っていなかった−−。





  *    *    *   





 −−十年程前。


「ここは……?」

 牢の中で目覚めた男は、ぼんやりした頭で辺りを見回した。

 すると、同じような形なりをした男が目に入った。


「気がついたか?」

 その男が、落ち着いた声音で話し掛けてきた。


「貴方は?」

「俺は、幽楽ヨウラだ。トン国から連れて来られた。あんたもそうだろう?」

「ああ。ということは、ここはトン国ではないのか?」

「ああ。どうやら飛燦フェイツァン国のようだ」

「何故、俺達は連れて来られたんだ? これからどうなる?」

「それは分からないが、直に殺すつもりはないようだ」

「クソッ! あの時、油断せずに返り討ちに出来れば……」

「お前さんは武官か何か、か?」

「いや。しがない画家さ。貴方は?」

「俺は鍛冶屋さ」

「成る程。武器を作らせる為に連れて来られたのか」

「そうかもな」

 そう言って、幽楽ヨウラは肩を竦めた。



 この頃も、トン国と飛燦フェイツァン国の情勢は緊迫していた。

 両国の皇后と王妃が従姉妹同士ということもあり、表向きは友好な振りをしていたが、その裏では互いに牽制けんせいしあっていた。

 拉致らちや諜報活動などは、どれほど取り締まってもいたちごっこで、特に国境では頻繁に横行する始末であった。



 暫くして、牢番とは別のそこそこの身分がありそうな官吏と思われる男達が牢へやって来た。


「お前達には、この国の為に働いてもらう。大人しくしていれば、悪いようにはしない。暫くは、見張りが付くが、働き次第ではこの国の民として、自由を与えても良いとのことだ。馬鹿なことは考えず、精一杯この国に尽くすが良い」


 傲慢ごうまんにそう言った官吏をとても好きになれそうにはないなと思いながら、男は歯嚙みした。

 逆らえばどうなるかなど、言われずとも知れたものとばかりな態度の高圧的な官吏に、心の内では苦々しく思いながらも、無言で従う。



 牢から出され、男が連れて来られたのは、画材が並ぶ部屋であった。


「お前は、ここで指示された絵を描け。良いな?」

「……はい」

 訳が分からないままであったが、この官吏に子細を尋ねるのも何となく腹立たしく思い、余計な口はきかずに従った。


「これは返しておく」

 そう言って、官吏から渡されたのは、男が持ち歩いていた絵の道具と旅の道すがら描いていた絵の冊子であった。

 これを見て、自分が絵描きだと思ったのかと、納得する。



 それから男は、ただひたすら指示通りに絵を描いた。

 最初のうちは、花の絵や動物の絵が主であったが、暫くすると王族の人物画を描くように指示されるようになった。

 王に始まり、王妃、王太子とその家族、更には王女まで描くようになっていった。

 人物画を描く時は、その人物の室に呼ばれて描くことが多く、身分が高い程見張りも多かった。

 そんな衆人に監視されながらの描写は、心身共に疲弊ひへいさせたが、男の画力は低下することがなかった。

 ありのままに描写する男を、王は高く評価した。

 王女の絵を描く頃には、信頼を勝ち取り、見張りの数も二、三人となっていた。

 また、見張りと言っても王女付きの女官や護衛で、王女も堅苦しくない環境で画題となっていた為、男に対して気安い態度を取っていた。

 女官や護衛は、最初の内は王女を諌めたが、美しく天真爛漫な王女からの命令に逆らうことが出来なかった。

 この王女こそ、飛燦フェイツァン国の第二王女、ニマである。

 第一王女は既に他国へと嫁いでおり、第三王女は身体が弱く、日の殆どを寝台で過ごしていた。

 尚、煌羅フゥァンルゥォ国から嫁いで来た王妃の子が、王太子と第一王女で、第二、第三王女は飛燦フェイツァン国の高官の娘が生んだ子であった。



「貴方、本当に絵が上手ね! 私よりもアプソ・セン・カイ(犬種)を描いて欲しいわ」

 色々な構図で描いていたニマの絵も数枚目となった頃、彼女は突然、そんなことを言い出した。


「私は構いませんが……」

 男は困惑しながらも、そう答えた。


「お父様でしょう? 大丈夫よ。私には凄く甘いから、これ位のことならきっと言うことを聞いてくれるわ」


 彼女の言う通り、王は彼女の為に、男が犬の絵を描くことを許可した。

 それによって、男は彼女と過ごす時間が増えた。


 男は犬と戯れ、屈託なく笑う彼女に心惹かれていった。

 そして、彼女も純朴で優しく、絵を描く時のひた向きな男に心を奪われていた。


 二人は密かに、文を遣り取りし、逢瀬を重ねた。


 だが、男は囚われの身ではどうすることも出来ず、このまま絵を描き上げてしまえば、きっと会うことも叶わなくなると分かっていた。

 それに彼女には、王に決められた許婚がいる。

 それでも、燃え上がっていた二人の恋の炎は簡単に消せなかった。

 覚悟を決めた二人は、ある日、闇夜に身を隠し駆け落ちした。


 二人は、追っ手を撒く為に少し回り道をして、男の祖国であるトン国を目指す。

 そのまま最短距離の東には進まずに、南東の方へと向かった。

 途中、一夜を明かした寂れたびょうで、二人は密やかに夫婦の誓いを立てた。

 思った以上に順調に南東へと進んだ二人は、追っ手に見つかることなく国境にある森に入った。

 歩みを進めるうちに、辺りに霧が立ちこめていく。

 普通ならば、五里霧中となって戦々恐々とする状況にもかかわらず、二人は道が分かっているかのように歩を進めた。


「はっ! このように神々しい気配がするこの森は、もしや鳳凰が羽を休めに降り立つと言われる聖域では……」

「えっ!?」

「まさか、ここへ貴方と訪れることになるとは……」

「どういうこと?」

「俺は元々、この地を目指して旅していた。その途中でさらわれたんだ」

「そうだったの……。何故、この地へ?」

「ここへは、鳳凰に会う為、それと連理の梧桐を求めて……」

 歯切れ悪く言い淀んだ男に、彼女は更に追及する。

「何故?」

「それは……——」


 男は自ら使命としていることを彼女に話した。

 その中に、簡単に人に話してはいけない一族の秘伝もあったが、妻である彼女に隠し事をしたくなかった。


「このことは、誰にも言ってはいけないよ」

「ええ。もちろんよ」


 そう話しているうちに、二人は無数の蝶に囲まれていた。

 いつの間にか濃かった霧が晴れ、虹まで架かっている。


「いつの間に!」

「でも、綺麗……」


 異常な光景であるにも関わらず、無数の蝶からは害意は感じられなかった為、恐慌状態に陥ることはなかった。

 羽に陽の光を受けて煌めく様は、ただただ神秘的であった。


 その蝶が、まるでこっちだよと誘うように、移動し出した。

 二人は操られるように、その後を追う。


 そうして辿り着いた先には、一本、いや、二本が絡み付いた梧桐の大樹が鎮座していた。


「これは!」

「連理の梧桐……。本当に存在していたのか……」


 二人は時間が経つのも忘れて、蝶が大樹の周りを舞い踊っている様子に、ただただ見入っていた。


 蝶がいつの間にか居なくなって我に返った二人は、大樹へと近づき触れた。

 その瞬間、頭の中に人ではないモノの声が木霊こだまする。


 −−人の子よ。我らの枝が必要と見える。

 −−ここから一枝だけ、手折ることを許しましょう。


 梢が揺れて、枝の一部分が男の眼前に差し出された。


 驚愕のあまり思考が止まった男は、その言葉を反芻はんすうして、数回後に、この大樹が語りかけてくれたのだと理解した。

 男は怖怖と尋ねる。

「……宜しいのですか?」


 −−そなたの心には汚れがない。

 −−その清き魂を信じましょう。

 −−そなたの成すべきことの為に、我らの思いを踏みにじらぬように。

 −−この枝を、用いるが良い。


 絡まりあった二つの樹から交互に声が発せられ、その意気のあった様子に、男の中に羨望せんぼうが湧き、思わず、自らの妻へと視線が向く。

 彼女も同じようなことを思ったのか、切なげに男のことを見ていた。

 視線を絡めた二人は、気持ちが通じ合ったのが嬉しくて、互いに笑みを交わす。

 それから男は、大樹へと視線を戻した。


「有り難う存じます」

 そう言って、男は差し出されていた枝を一本、手折った。

 その様子を見ていた彼女が、心配そうな表情で大樹に話し掛ける。

「痛くはありませんか?」


 −−なんと優しい。

 −−心配はいらぬ。直に再生するであろう。


「そうですか……」

 彼女は、ホッと息を吐く。


 −−さあ、もう行くが良い。


「お待ち下さい! 鳳凰には会えませんか?」


 鳳凰は梧桐の樹で羽を休めると言い伝えられていた。

 それをあてにして、男は大樹へと尋ねた。


 −−今は未だ、その時に在らず。

 −−その時が来れば、自ずと会える。焦りは禁物。


 その言葉を最後に、二人は気が付くと、最初に蝶の大群に囲まれた場所に立っていた。


「夢? だった、のか?」

「いいえ。その手に在るものが夢ではなかった証拠よ」

 彼女の言葉に、男は自らの手に握られていたモノをじっと見つめた。


「ああ。夢ではなかった……」





 二人は、聖域の森を抜け、トン国へと辿り着いた。

 だが、そこで油断してしまった。


 トン国へと入り込んでいた飛燦フェイツァン国の間諜に見つかり、捕まった。

 それでも、必死に抵抗し、隙をついて逃げ出した。

 だが結局、追い詰められてしまった。

 男は苦渋の決断をする。

 彼女を見つからないように隠し、自らがおとりとなって間諜達を撒くことにした。

 男は彼女を見つからないように隠すことには成功したが、結局、間諜には捕まってしまった。


 捕まった男は、彼女を誘き寄せるおとりにされ、暫くの間、その場にさらされたが、彼女が現れることはなかった。

 彼女は男との約束を守り、連理の枝を携えて、ひたすら龍居ロンジュを目指していた。

 結局、彼女は見ず知らずの者達が暮らすトン国に馴染むことはなく、龍居ロンジュへ行くことがとても危険であると察して断念し、お腹に宿っていた男との子を無事に生み育てることを優先するのだが、そのことをこの時の男は知らない。



 一月が経っても彼女が現れなかった為、間諜達は、一旦、男を本国へと移送することにした。


 そうして男は、再び連れて来られた飛燦フェイツァン国の牢獄で、絵を描かせられながら、十年近くもの年月を過ごしたのだった。

 男が生かされているのは、あくまでも命令に従順で、その要望以上の絵を描き続けているからに他ならない。

 男もそのことを分かっていて、脱獄の機会を伺いつつ命令に従っている。


 −−梧桐の大樹が言っていたその時が来るまでは、連理の枝を託した彼女も死ぬことはない筈。

 使命を果たす為にも絶対に生き延びねば……。

 焦りは禁物。


 男は自らにそう言い聞かせて、折れそうになる心を何度も奮い立たせていた。


 いつものようにそうしていた最中、章絢ヂャンシュェンと王の話を聞き、呆然としたのだった。

 だが、直に気持ちを建て直す。


 −−ニマ。君が亡くなったなんて信じない。

 王が倒れた今が好機かもしれない。

 待っていてくれ。

 必ず君の許に、トン国へと帰ってみせる。



 それから男は、好機を探るように鋭い目つきで、章絢ヂャンシュェン達の檻を注視し続けたのだった。










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