第2話 崩れゆくもの



 ——飛燦フェイツァン国との国境の都市、砦西ヂャイシー。 

 その国境の関近く、天女が連れ去られそうになったと言う場所に、麒煉チーリィェン章絢ヂャンシュェンは来ていた。


「ここに来て三日経つが、全く現れないな」

「そうだな」


 報告では、その後、天女も連れ去ろうとした者達もどちらも現れてはいないと言う。


「もう連れ去られた後なんじゃないか?」

「その心配はない。国境の関には全てゴウを置き、更に厳戒態勢をとっているが、あれから全く変化は見られない」

「ただ単に隣国の奴らにおびえて隠れているのか、逃げたのか……」

「そうだな……」


「はぁ。ちょっくら、用を足してくるわ」

「ああ」


 章絢ヂャンシュェンが去った後、麒煉チーリィェンの周りで風が起こった。


 ——陛下。


 風で揺れる樹々の葉音に紛れて、ゴウ麒煉チーリィェンに告げる。

 数瞬後、風が止むとゴウの気配は消えていた。


「何か変化はあったか?」

 戻って来た章絢ヂャンシュェンに、麒煉チーリィェンは渋い顔をした。

章絢ヂャンシュェンゴウが興味深い情報モノを運んで来てくれたぞ」


 章絢ヂャンシュェンの片眉が上がり、続きを促す。

「なんだ?」

「ついさっき、隣村までの一本道で土砂崩れがあったらしい」

「それで?」

「どうやら、故意に起こされたもののようだ」

「被害状況は?」

「幸い、巻き込まれた者はいないらしい」

「それは不幸中の幸いだったな」

「だが、道は完全に寸断されてしまった」

「隣村まで行くには必ずその道を通らないといけないんだったか?」

「いや、遠回りにはなるが山を登れば行ける」


「土砂を取り除いて、道が復旧するにはどれだけかかるんだ?」

「まず、二次災害の発生の有無を確認して、安全が確認されてからでなければ撤去作業は出来ないから、直には無理だな」


 麒煉チーリィェンの持つ力を使えば、直に修復されるのだが、この返答で、その気がないことは分かった。

 何か考えがあるのだろう。

 章絢ヂャンシュェンは「そうか」とうなずき、別のことを尋ねる。


「だが、なぜこんなことをしたんだ?」

「考えられるのは、村人を隔離したかったか、村に人が行くのを阻止したかったか、または両方か」

「だとしたら疫病が蔓延まんえんしたのか」

ゴウからは、その可能性は低いと聞いている」

「そうなのか……。なら、どうして?」

「天女の件に関係していると考えるなら、その村に天女が住んでいると踏んで、逃げ出せないように閉じ込めてから、秘密裏に連れ出そうと考えているのかもしれないな」

「流石にその考えは無理がないか? 山を登って連れ出すより、街道を使って荷車なり、馬なり使った方が余っ程、楽に連れ出せるだろ? 道を寸断する意味が分からない」

「まぁ、そうだな」


 ここで思案していても、らちが明かない。

 二人共そう思って、顔を見合わせる。


「とりあえず、隣村まで行ってみるか?」

「ああ」





「それにしても、あの道が使えないと、随分遠回りしないと行けないんだな。全く、不便だな」

「同感だ」

「帰ってから浩藍ハオランと相談して、新しい街道を設けないとな」

「そうしてくれ」


 枝や草、蜘蛛くもの巣なんかを除けながら、獣道を二人は進む。

 山の傾斜もあり、普段から鍛えている二人でも、日が傾く頃には息が切れてきていた。


「はぁ。今日は野宿か」

「やれやれ」


 少し開けたところで、拾った枯れ葉や薪に火をつけて、腰を落ち着けた。

 携帯食を食べ、先程汲んだ湧き水を飲む。

 空には星が瞬き、銀河天の川が見えていた。


乞巧奠きっこうでんまでには、都に戻りたいな」

「そうだな」

「はぁ。子淡ズーダンの温もりが恋しいよ……」

 章絢ヂャンシュェンはそう言って、ぶるりと身体を震わせた。


 夏とはいえ、山中の夜は冷える。


麒煉チーリィェン。何か温まる物を出してくれないか? それが駄目なら、自分で出すから書いてくれ」

「仕方がないな」


 麒煉チーリィェンは筆入れと紙を出し、文字を書く。

 それを、章絢ヂャンシュェンに手渡した。


「悪いが、後は自分で出してくれ。俺も疲れた」

「ああ、ありがとう」


 章絢ヂャンシュェンが文字をなぞり、「現れ給え」と呟つぶやくと、紙の文字が消え、布団が現れた。


「天帝よ、感謝します。……麒煉チーリィェンはいらないのか?」

「ああ、俺は大丈夫だ」

「そうか」

 章絢ヂャンシュェンは天子様には、寒さを感じない何か加護があるのかもしれないと、勝手に解釈し、布団を被った。

 実際は麒煉チーリィェンにそんな加護などなく、ただ疲れ果てて億劫なだけであった。


 二人は交代で火の番をしながら仮眠をとる。





 ——翌朝、章絢ヂャンシュェンは、「おい。何だか物音がしないか?」という麒煉チーリィェンの声に起こされた。


「ええ?」

「ほら、声も聞こえないか?」

「まさか? こんな朝っぱらから、こんな山の中で?」


 麒煉チーリィェンは声のする方へと、気配を消して近づいた。

 章絢ヂャンシュェンも慌てて、その後を追う。


「おい。あれ」

「嘘だろ……」


 水が湧き出ている泉のほとりで、女が歌を口遊みながら、桶に水を汲んでいた。


「夢じゃないよな?」

「あれは、噂の天女じゃないか?」

「そうか、現実か……」

「それにしても、美しいな」

子淡ズーダンには敵わないと思うがな」

「そうかもな」

 そう言って、麒煉チーリィェンは適当に相槌あいづちを打つ。


「あっと、消えちまった……」

「やっぱり、人間ではないようだな」

「もしかしたら、万に一つ、本物の天女という可能性もあるが……」

「まぁ、インだろうな」

「ということは、この近くに造士ザオシーがいる可能性は高いな」

「ああ。あの桶を取りに現れるかもしれないな」

「待つか?」

一時いっときだけ待とう。それでも来なければ、村の方を優先する」

「まぁ、出て来るまでここでじっとしているのも、時間の無駄だしな」

「あっちも急がないと、何だか嫌な予感がする」

「止めてくれ。お前の勘は当たるんだから……。何なら、別行動するか?」

「いや。離れない方がいい」

「そうか」


 ——一時いっとき後。


「現れなかったか……」


 現れて欲しかったような、村の方を優先するならこれで良かったのだというような複雑な気持ちで、二人は微妙な顔になる。

 麒煉チーリィェンは気持ち切り替えて、口を開いた。


造士ザオシーは後回しだ。村へ急ぐぞ」

「おう」



 それから、数刻、山の中を歩き、やっと村が見えて来た。



「やっと、着いた」

 村の入り口に立ち、章絢ヂャンシュェンは肩で息をして、額の汗を拭う。


「おい。昼間だというのに、あまりにも閑散としていないか?」

 麒煉チーリィェンも息を整えながら、顔に警戒の色を浮かべて言った。


 二人は慎重に、村の中を歩き回る。


「男達は働きに行っているのかもしれないが、女も子供もいないのはおかしいな」

 章絢ヂャンシュェン怪訝けげんな顔をする。


 村の中でも大きい一軒の家の中をのぞき、誰もいないことを確認し、中に入った。

 すると、家の中は閑散とし、家財道具一式がなくなっていた。


「この家の中の様子を見るに、どこかに引っ越したみたいだな」

「ああ」


 他の家の中も見回る。

 二十軒を超えたところで、今現在、この村が無人であることを疑うことが難しくなった。


「どこにも人がいないし、どの家も家財道具がなくなっている」

「ああ。昨日、ゴウが見た時は人が生活していたんだから、引っ越したのはその後になるな」

「だが、そうすると道が寸断された後ということになる……」

 そう言いながら、章絢ヂャンシュェンあごに手を当て、少し思案する。


「大荷物を持って山を登ることは考えられないから、他に道があると考えるのが妥当だな」

 章絢ヂャンシュェンの言葉に、麒煉チーリィェンも目を瞑り、思いを巡らす。

「ああ。だが、そんな申請は来ていなかったと思うがな」

「そうだな。ということは、飛燦フェイツァン国側に作ったということか」

「探すか」

 麒煉チーリィェンは目を開け、外をにらんだ。





「あった」


 荷車の跡を辿たどると村の外れで、不自然な土砂と岩の山を見つけた。

 その奥に岩山を削って造った穴が、つたで隠されるようにしてあった。


「チッ。面倒なものを」

 麒煉チーリィェンは思わず舌打ちする。


「これは結構前から造っていたんだろうな」

「そうだな。この崖をくり抜くのは大変だったろうよ……。これを、さっき下りた山の方に造ってくれれば、こんな面倒なことにはならなかったというのに……」

「全くだ」


 入り口からのぞいても、真っ暗で出口は見えない。

 麒煉チーリィェンは力を使い、奥まで探った。

 隧道ずいどう内に人の気配はなく、山の反対側まで貫通していることが確認出来た。


「これは県令けんれい、またはもっと上、州牧しゅうぼくも噛んでいると思うか?」

「どうだろうな。この村の様子だけでは判断がつかないな」

「この村を捨てて、飛燦フェイツァン国に移り住んでどうするつもりか、何が目的か、念入りに調査する必要が出て来たな」

 麒煉チーリィェンの言葉に、章絢ヂャンシュェンは神妙にうなずく。


「それで、この道はどうする?」

「即刻、塞ぐに決まっているだろ? ここから、飛燦フェイツァン国の者に攻め入られたら厄介だからな」

「だよな」



 麒煉チーリィェンは落ちていた枝で、隧道ずいどうの入り口の地面に文字を書き、力を込めて「埋まれ」と唱えた。

 すると、一瞬で穴が埋まった。


「流石だな。元々何もなかったかのように道が消えた」

「ついでに、こっちに来ようとしたら、惑うように仕込んどいた」

「天子様の力は本当にスゴいな」

「ふん。自分だって『シィェン』の力があるだろ」

「まあな。天子様や造士ザオシーには及ばないけどな」

 章絢ヂャンシュェンはそう言って、肩をすくめた。


「あとは、一旦持ち帰って、浩藍ハオランとも相談だな」

「あー、厄介なことばかりだな」

「本当にな」


 麒煉チーリィェンは、未だ地盤の固まらない自国を治めようとする自分の身が、砂上の楼閣のようだと感じた。

 身体を支えている二本の足には、知らず知らずのうちに力が入り、地面をこれでもかというほど踏みしめていた。





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乞巧奠きっこうでん……中国の七夕行事のこと。


※ 一時いっときは、二時間程。

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