episode9 第76話

「こんな体にされて、強い奴をぷちのめすことだけが娯楽ネ」

 チンが続きを話すように促す。オヤジは何も生えていない土だけの場所に立ち、自分を中心に踵で円を描いた。

「1分後、ここに落ちてくるように、空に火炎瓶を投げます。それで――」

「1分後、そこに立たされていたら負けということね? いわゆる、時間制限デスマッチ、アルか?」

「理解が早くて助かるわ。落下の瞬間にここにいれば、瓶の直撃でまず助からないわね。あるいは、落下直後にここに追いやられれても全身大やけどは免れないでしょうね。チン先生の場合は軽症ですむかもしれませんが……」

「心配せんでもワシのボディは、軽量設計。スピード重視型。耐久性は人間とそこまで変わらないアルから、大惨事必死ネ」

 聞かれてもいないのにチンは素直に自らの弱点を告げる。

「別に提案に乗る必要はありません。この円を無視して離れて戦ってもいいですよ。ただ、その時はアタシを簡単に倒せるとは思わないで下さいね。やられるにしてもタダでは終わりませんし、アタシが倒されても、弱ったチン先生を武蔵ちゃんがきっと仕留めてくれると信じているわ」

「誰も逃げる言ってないネ。丁度いい余興ね。早く始めるよろし」

「オーケー」

 元気よく宣言するオヤジの手には、どこから取り出したのか火炎瓶が握られていた。

「どこにそんなものがあったんだ?」

 思わずツッコミを入れてしまう。

「昔取ったなんとかってやつよ。混乱に乗じて一本拝借しておいたのよ」

 あんた、元警察官じゃなかったのかよ……。

「それじゃあ、イクわよ」

「りょッ!」

 互いの合意を合図に、オヤジは砲丸投げの要領で自身をその場で回転させ、空へと火炎瓶をほうり投げた。

 星空に紛れて姿を消す茶色の瓶。

 それにしても本当に投げた火炎瓶が、1分も宙を滞空し続けるのだろうか? オヤジが嘘をつくとも思えないが、空の瓶でも数十秒が限度だろうに中身の入ったビール瓶を1分だなんて、よくチンも疑わなかったと感心する。

 何にしても、短いようで長い1分。

 円の側でぶつかり合う二人に視線を向ける。

 空を見上げていたのは数秒間だったはずなのに、既にオヤジは満身創痍。足が震え、毒されていない右腕も力なく下ろされている。

「もう勝負ついたネ。時間、余ったアル。アナタ強かった。けど、ここまでネ。これ以上の抵抗は無意味。潔く自分の足で円の中に入るよろし」

「それは出来ません。この足が、心が折れない限り、アタシに『諦め』の二文字はないわ。どんなに滑稽でも、醜くい姿を晒そうとも足掻き続ける。自分で負けを認めるなんて絶対にしない。それがオカマのイキる道よ」

 たんかを切ると、オヤジは白鳥の湖を踊るバレリーナのように自身を何度か回転させた。時計回りに、半時計回りに蹴りを披露して見せる。

「後ろから前からどうぞ、ってね」

 チンがこのオカマは何を始めたんだ? というような顔をして首を傾げる。

「寄らば蹴る」

「それでワシを寄せ付けないつもりか? 守りは完璧かもしれないアルが、攻めはどうするネ?」

「防御こそ最大の攻撃よん」

 と、一回転して後ろ回し蹴りを放つ。虚を突かれたチンがとっさにガードするも、衝撃を完璧に殺しきれなかったようで、フラフラとよろけた。

「ね?」とオヤジがチンへウィンクする。

 見ると、チンの踵が円の端を踏んでいる。

「やるネ。窮鼠猫を噛むとはこのことアルか」

「後ろに引けば楽にやり過ごせますよ」

 挑発するように回転するオヤジ。

「ワシの辞書、『逃走』の二文字ないアル。あるのは『闘争』のみ!」

 体を左右に振って前進を試みるチンに対し、オヤジは前後左右の蹴りを巧みに使い分けて阻む。

 と、上空で落下してきた瓶がキラリと光る。

 円を背に向けているチンが俺の視線に一瞬気を取られる。それはほんの瞬きをするほどの時間だったが、致命的な隙になった。

 姿勢を低くしたオヤジの左足払いがチンを強襲する。

「甘い!」と超反応で飛び上がって回避するチン。

「まだよ! 空中では自在に動けないはず」

 右こぶしに力を込めアッパーカットの構えに入るオヤジ。チンもそれに気付いたのか左半身のガードを固める。

 と、オヤジは予想に反して、再度反時計回りに回る。無防備だったチンの右頬が衝撃に弾けた。

「なんネ? 左からの攻撃?」

 一体何が起きたのか分からないといった顔のチンが、体勢を崩して着地する。

「今よ!」と、すかさずオヤジが地を這うようにして滑り込む。チンの軸足を両足で挟み込んで倒した。

「さっきの攻撃はナニ? 左腕はまだ動かせないはずアル」

「その通りです」

 その言葉を肯定するように、オヤジの左腕が明後日の方向に曲がっている。

「まさか、アナタ、自分で肩の関節を外して――」

「そう。それで、動かなかった左腕はアタシの体にくっ付いた柔らかい棒と同じ。ある程度は上半身の動きで操作が出来るようになった。だから、鞭の要領でビンタをお見舞いしました。SでもMでも、どんなことも経験しておくものね」

 一体何の経験だよ……。

「それにしても、なんて馬鹿力アル。全く外せないネ」

 円の中心に倒れ込んだチンが、必死でオヤジの足を振りほどこうとしている。が、ビクともしない。

「秘技カニばさみ。もがけばもがくほど、この足は食い込み絡みつくわよぉ~」

「何を馬鹿なことを……。このままいればアナタもただでは済まないアル」

「もろちん、そんなのは承知の上。チン先生をアタシの下半身の犠牲だけで退場させられるなら安い物よ。最後まで付き合ってもらうわよ。死が二人を分かつまでってね」

「ならこれで、ワシはバツイチよ!」

 チンが上半身を起こし、大上段に手刀を構える。

「足を切り落とすネ。死ぬほど痛いアルよ」

「どうぞ。出来るものならね」

 下半身に力を込めるオヤジ。

 チンの顔が苦悶に歪む。

「なんでネ! アナタ、もう十分戦ったよ。なぜここまでする? どうして自分の命を粗末に出来るアル?」

「守りたい――人がいるからよ。だから、アタシは諦めることは出来ない。どんな犠牲も厭いません」

「守りたい人がいる……? アナタ幸せな人間ネ」

 真っすぐだった手刀がほんの少し緩む。

「ワシが生きた時代にはなかった言葉アル。誰もが、ただ邪魔な人間を消し去るだけの毎日。そのための力。それが自分の生きている意味だと信じたネ。大切な人、守りたい人を持つなんて許されなかった。そんな言葉を耳にする日が来るなんて、ワシがやって来たことも少しは意味があったアルか。少しは時代が良くなったアルか」

 チンの糸目がわずかに開き、天を仰ぐ。

「それを知ることが出来ただけでも、戻って来て良かったアルか?」

 落下中のビール瓶は、ラベルの文字が判別出来る高さまで迫っている。

「アイヤアアアアアアアアアア!」

 ヒマワリ畑に響く雄たけび。

 ザンッ!

 渾身の力を込めた手刀が、絡みついた足を膝の所で切断する。

 速やかに二人の体が離れていく。

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