episode9 第75話

「腕に力が入らないわ。これが、チン先生の奥の手……。油断したわ……」

「油断ない。ワシの奥の手を知らなければ、避けようないアル。ここまで慎重になるのも久しぶりよ」

 だから、誇ってもいいとチンはオヤジを称えた。

 オヤジの顔が見たことがないくらい青くなる。

「流石は伝説の暗殺者、一発必中という訳ね……。それで、アタシは死ぬ――の、かしら?」

「安心するよろし。現役時代に使っていたものは、こちらでは調合できなかったから、有り合わせの痺れ薬よ。けど、少なくともその腕はしばらく動かせないアル」

「それを聞いて安心したわ」

「安心ないアル。毒で死ぬないアルが、結果は同じネ」

 チンが最初の構えに戻り、突きを放つ。それを胸でまともに受け、オヤジは尻もちをついた。

「死因、撲殺」

 オヤジは「いたたた」とケツに付いた土埃を払いながら、

「毒手はもう使わないのかしら?」

「品切れアル。髭に蓄えた毒、文字通り、奥の手の一回きりネ」

 それが嘘か本当か分からないが、オヤジは納得したようにうなずく。

「もっとも、使う必要なんてないアル。今の動きに付いて来れていないアナタを殴り倒すの、赤子のおしめを取り替えるよりも簡単よ」

 チンが攻撃態勢に入るのを見て俺は、

「やっぱり俺も一緒に――」

 思わず飛び出した。

 その瞬間、

「来るな!」

 耳をつんざく大声に動きが止まった。全身が震え、足がすくんでいる。

「ごめんなさい。つい声が大きくなったわ。だけど、男とオカマの勝負に割り込んで欲しくないのよ……」

 分かるでしょ? とオヤジはいつもの穏やかな笑みを向ける。

 悪戯を咎められた子が、親の前で本能的に従うように俺はうなずいた。

「けど、そんな腕で大丈夫かよ? 腕だけじゃない。全身に何らかの不調があるんじゃないか? あんなに簡単に転ばされるなんてさ」

「ううん。もう毒の手刀の心配もないし、チン先生の動きには対処出来ているから問題ないわ。さっきは、ちょっと面食らっただけよ」

「でも、相手は百戦錬磨の伝説とまで言われる暗殺者。今までチンが負けたことなんてないじゃないか?」

「なら、アタシがその初めての相手になるまでよ。敗北という名の童貞を奪ってあげるわ」

 冗談を言ってる場合じゃないんだぞ……。

「こんなこと、冗談で言えないわ。アタシにやらせて欲しいのよ」

 野太い声に戻りかけている。

 悔しいがそれだけで俺は理解させられた。オヤジの覚悟を。何より、俺を危険に晒したくないという親心を……。

「分かったよ。だけど、少しでも危ないと思ったら俺も加勢に入るからな。だから、絶対に負けんなよ」

「もろちん。安心で安全日よ」

 ギリギリの状況のはずなのに口の減らないオヤジだ。

「いいムスコ、アルな」

「自慢の、ムスコよ」

 俺(?)の話で盛り上がる二人。互いに敵同士のはずなのに、なぜが親しい友人のようにコミュニケーションをしているのが不思議で仕方がない。達人レベルになると互いの拳で語り合うと言うが、命の取り合いをしている相手にもこんな風になれるものだろうか?

「その片腕だけで、ナニが出来るネ?」

「あら? ご存じありませんの? 片手でも出来ることは沢山ありますのよ。ムスコ世話はお手の物よ」

 ね? 武蔵ちゃんと、こちらに視線を投げかける。

「チン先生は上半身の技に特化しているみたいですが、アタシは上も下もイケる口なのよ。それに、アタシにだって奥の手はまだ隠したままよん」

「ハッタリにしては笑えないアル」

 そう言いながらも不敵に笑うチン。

「だけど、このままやり合うってのもゲイがないわね。それで、チン先生。面白い提案があるのだけど、いいかしら?」

「話すよろし。楽に勝っても面白くないアル」

 笑いをぶつけ合っている二人に、

「何を言っているんです!」

 ここまで黙って見ていたザコタが話に割り込んだ。

「奴は既に虫の息です。一気に仕留めるべきです。提案なんて言って、どんな卑怯な手を使って来るか分からないんですよ」

 そこ言葉に緩んでいたチンの表情が冷たく凍り付く。

「お口、自分でチャックネ。でないと、ワシが貴様の口、チャックするよ。命粗末にする良くない。ワシは敵を排除する命令は請け負ったアル。じゃが、そのやり方まで指図される謂われないよ」

 穏やかな口調だが、凄まじい殺気を放っているのを肌で感じる。

 それをもろに受けたザコタが、「ヒッ」と小さな怯え声を上げて黙り、巨漢の元に走って行った。

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