episode9 第74話
「そろそろいいアルか?」
「いつでもオーケーよ」
オヤジが戦闘態勢に入るのを見て、チンがゆらりと両腕で円を描く。
「ハッ!」という掛け声と共に、直線的にオヤジに突進した。
チンの渾身の突きを、オヤジは腕をクロスさせてガードした。衝撃波が数メートル離れている俺にも伝わる。その一撃だけで、二人は互いを理解したのか、顔を見合わせて笑う。それは自分を満たすことの出来る相手に出会えた喜びによるものか、はたまた、笑顔が本来持つ攻撃性を表したものか。もはや、二人にしか分からない世界だ。
仲の悪い相手と、『角突き合わせる』なんて言葉があるが、二人は互いの拳を突き合わせながら理解を深めているように見える。
チンはどうやら手数で戦うタイプらしい。先ほどから、オヤジの大きな体を的に小刻みにパンチを繰り出している。しかもチンの打撃には握りしめた拳ではなく、手のひらを向けた掌底を用いている。掌底での打撃は、握り拳よりも瞬間的な痛みは少ないが体内部へダメージが残ると聞いたことがある。チンはオヤジのスタミナを奪う作戦なのだろうか?
息つく間もない連打にやや押されるオヤジ。今まで上手くガードを続けていたが、少しずつ後ずさりをして攻撃を避け始めた。
オヤジが左右に体を振って狙いを絞らせないようにするも、チンは変幻自在の猛攻で追い詰めていく。正面への突きをかわされれば、そのまま横へ肘鉄を繰り出して脇腹を狙う。オヤジもならばと、チンの背後に回り込むと、瞬時にしゃがみ込み背中をぶつける鉄山靠を放つ。
流石は伝説の男。隙がない。上半身を使った技の多彩さには目を見張るものがある。オヤジだから何とか凌げているが、俺だったら1分も立っていられないだろう。
それにしてもさっきから上半身の打撃が中心だ。チンは上半身の技を極限まで高めているのか、足技は単純なローキックだけだ。しかし、それがいいアクセントになりオヤジを翻弄している。
と、連打を続けるチンを、オヤジは両手に力を込めて突き飛ばす。そこでようやくチンの攻撃が止んだ。
チンも息切れしたのか、その場で息を吐き出して呼吸を整える。機械のチンには息切れはないだろうから、厳密にはオーバーヒート防止と言った所か。
「仕切り直しアルか?」
「ええ。今度はアタシが攻める番よ」
「ナニを言うね。ずっとワシのターンね。アナタ防御で精一杯ネ」
「噂に聞こえたチン先生のお相手だもの。様子見でじっくりイカせてもらったんだけど、少し慎重になり過ぎたようね。不敗伝説は過去のものだったってことかしら?」
ハハハと白い歯を見せてチンは大げさに笑う。
「ならば刻むアルよ。その体に、消えない伝説を!」
今までで一番速い掌底がオヤジに襲い掛かる。が、そのパンチはオヤジの体に届くことはなかった。
「どんなに素早い攻撃でも、体格差は如何ともしがたいわね」
オヤジのカウンターの右ストレートが、チンの頬にめり込んでいる。たしかに小柄のチンがヘビー級のオヤジを相手にするのはミスマッチ過ぎる。
「それに、掌底での攻撃ではリーチが短いのよ」
「これが昔からのスタイルだから仕方ないネ。作り物のこの体、気(き)が上手く練れないよ。本当なら最初の一発でお寝んねのはずが、絶頂期の半分も力出てないアル」
「気……。チン先生は気功術の使い手だったんですね。それが上手く出来ないから、アタシなんかが対等に戦えたのね」
「ただの負け惜しみよ。アナタ相当強い。じゃが、ワシのスピードに付いてこられる人間に再びまみえるとは、全く、ツイてないネ」
ガクリと片膝を付くチン。
「アタシはツイてるオカマよん」
「やはり、アナタにはツイてたアルネ。何か不思議なオーラで守られていると思ったよ。どこで修業した?」
股間を手におどけて見せるオヤジの意図を理解出来ず、チンはクスリともせず、そんなことを言った。
「修行も何も……。そんなこと言われたの初めてだわ」
「ご先祖か、守護霊か……。いや、悪いものではない女性的なナニかが、ソナタには憑いているネ」
「チン先生。それは本当ですか?」
今度はオヤジが真面目な顔になる。
「チン、嘘つかない」
宣誓するように手を上げるチン。
「そう……なのね……」
オヤジは誰にも表情を見られないように顔を逸らした。
「でも、勝負はこれからアル。奥の手使うネ」
アゴヒゲを摘まんでニタリと笑うチン。
「もう勝負はついたのではなくて?」
オヤジは逸らしていた顔を戻すと、とぼけた顔をチンに向けた。
「何を言っているアルか? 本来のワシは格闘家ではないアルよ」
「どういうことです? チン先生は潔く負けを認めたんじゃないの?」
「さっきまでは力でねじ伏せる戦い方だったネ。殴り合いでは今のワシは、アナタには敵わないの認めるネ。だけど、誰もワシのこと、伝説の格闘家とは言っていないアルよ」
「格闘家ではない? そうね……。チン先生は、伝説の――暗殺者――だったわね」
「こんな風に姿を晒して拳をぶつけ合うなんて久しぶりネ。楽しませてもらったよ。じゃが、仕事は仕事。きっちりやり遂げるアル」
そう言うとチンは、掌底の握りを止め、手のひらをピンと張った手刀の構えをになる。指先に力が込められているが見て取れる。
「それでリーチ差を何とか出来る……とは思ってはないわよね」
そんな単純なことしか思いつかない間抜けなら、伝説になるなんて不可能だろう。さっきまでの戦法からガラリと変えてくるはずだ。オヤジもそれを理解しているのか心なしか表情が硬くなっている。
今度のチンは両足で開いて、片足をオヤジへと向けている。それで間合いを測っているのか、すり足でジリジリとにじり寄っていく。手の形が違うが、どこかカマキリのような蟷螂拳を彷彿させる型だ。
さっきまでの猪突猛進とは違い、なかなか攻撃を仕掛けて来ないチン。
チンは何もしていないのに、オヤジの呼吸音が乱れていく。俺には分からないが、対峙しているだけでも相当のプレッシャーを感じているのだろう。
夜風がオヤジの前髪を揺らす。頬を静かに汗が伝う。ゴクリと喉を鳴らして唾を飲み込む。アゴ先から汗が落ちた。
とうとうしびれを切らしたのかオヤジが動いた。
けん制で、チンの突き出した足を踏みつける。身を引いてかわすチンに、オヤジはもう一歩踏み出して渾身のパンチを繰り出した。
と、チンは拳が当たらないスレスレの距離までさらに後退し、
「足元がお留守ネ」
オヤジの膝を踏み台にして、飛び上がり延髄蹴りを放った。
「なんの!」とオヤジも鋭い蹴りを腕で首回りをガードした。
「いい攻撃ですね。だけど、そこまで攻撃速度が変わってないわ。十分対応可能ですよ」
「いいや。アナタもう食らったネ」
そう言うと、オヤジの二の腕を指し示す。
見ると、ライダースーツの二の腕部分が1センチほど切り裂かれている。
「いつの間に?」
チンは蹴りを防がれた後、手刀を放っていた。オヤジからは腕で首をガードしていたから、死角になっていて見えなかったのだろう。
ライダースーツの穴から見える傷口が紫色に変色している。
それを見てオヤジは傷口に吸い付いて、吸った血を吐き出す。
「もう手遅れアル。少量でもワシの毒手は効果抜群」
言うが早いか、左腕がだらりと垂れ下がる。
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