episode9 第77話
「最後に名前、聞いておくアル。素晴らしい武人の名を。あの世で会ったら声をかけるネ」
「楽しみにしておきますわ。アタシは近藤むな志。ただのオカマです」
チンがその名に何を感じたかは分からないが、フッと顔をほころばせた。
「負けたネ……。凄い執念だった。これが、生者と死者の違いアルか……」
さよならをするように、手刀で天を切り裂く。
「おさらばアル」
宙で火炎瓶が真二に割れ、チンは勝利の美酒でも浴びるように目をつむり薬液を全身に受ける。
「これで、ようやく――」
割れた瓶が地に落ち、オヤジのつま先スレスレで炎が激しく燃え盛る。
みるみるチンだったものが黒い塊になってゆく。頭蓋や骨格代わりに使われている金属フレームさえも焼け溶けていく。
立ち上がったオヤジが、炎の柱に両足で掴んでいたチンの切断された足をくべる。外れていた左腕を肩にはめ、
「どうか、安らかにお眠り下さい」
手を合わせるオヤジに倣い、俺もそうした。
何だかひどく後味の悪い戦いだった。
はたから見ているだけの俺がそう感じているのだ、当人の心境はいかばかりだろうか?
「何と言うか、凄い人、だったな……」
煤けたオヤジの背中に声をかける。
「ええ……。アタシなんて足元にも及ばない漢(オトコ)だったわ」
「何言ってんだよ? 伝説の暗殺者に勝ったんだぜ、オヤジだって十分立派なオカマじゃないか」
俺はあえて明るい声でそう言った。
「手を抜いてくれたんだと思うわ」
女性口調なのに、低く落ち着いた声でオヤジはそう答えた。
「俺にはチンが必死にオヤジを打ち負かそうとしてたように見えたけどな。俺だったら瞬殺されていたと思うぜ」
「そうね。真正面から、全力でアタシにぶつかって来てくれたから、手を抜いていたという表現は間違っているわね。おそらくだけど、チン先生は最初から負けていたのよ……」
「それって、どういうことだよ?」
「チン先生が本気になれば、もっと残忍で卑怯な手を使うことだって出来たはずよ。例えば、武蔵ちゃんを人質にして、無抵抗のアタシをなぶり殺すことだって出来た。単にアタシとの戦いを楽しんでいたのかもしれないけど、時間制限デスマッチに素直に乗ってくれた。さっきだって、落下時間が差し迫っていたにしても、まだ火炎瓶をかわすだけの余裕はあったはずなのに……」
でも、チンはそうしなかった。
「だから、最初から負けていた……? 敗北を、望んでいた? それじゃあ、チンは自ら死を選んだってことかよ?」
そんなのって、ないぜ……。
そのチンの選択に、俺はクルミが言っていたことを思い出していた。
自分は最初からいなかったと。本来死者のはずの自分がここにいる矛盾と苦悩。電源を切ることで、それらから解放されると願っていたことを。
「それじゃあ、チンやザコタみたいな、本来生きていない者は……。造られた人間モドキのロボットは、今、ここにいてはいけない存在なんだろうか?」
「チン先生の選んだ道がたまたまそうだと言うだけで、アタシは必ずしもそうとは思わないわ」
オヤジは炎を見つめたまま目を細める。
「人でも機械でも、生きていられるのは、生きる理由がある者だけよ。この世にやり残しがあるのなら、それをやり遂げるまではいてもいいし、なければ速やかに立ち去ればいい。チン先生の場合は既にそれがなかった。長い修羅の道を終えてようやく楽になれたと思ったのに再び現世(じごく)に呼び戻されたんだもの」
「じごく?」
「チン先生にとって、ここは死者の住む世界だったのよ。過去のこととは言え、多くの人をその手にかけてきたんだもの。死霊や怨念。アタシたちには見えないものだって見えていたのかもね。だから、再び茨(いばら)の道を歩むなんて望んでいなかったんだと思うわ」
そう言えば、チンがオヤジには何か憑いているって言ってたよな。
にしても、ずいぶんとチンのことに詳しいんだな。
「あのさぁ、ずっと疑問だったんだけど、何で、チン先生なんて呼んでるんだ?」
「あら、悪い? チンチン先生とかチンコ先生の方が可愛かったかしら?」
「そっちじゃねーよ! どうして『先生』なんだよ? 奴は暗殺者だ。いわば、悪人じゃないか?」
「悪人? チン先生が?」
オヤジは何故か目を丸くして首を傾げる。それから、ハハハと腹の底から笑い飛ばす。
「チン先生は悪い子や聞かん坊の躾に使われるほどの人よ。暗殺と言ってもその対象はみんな悪い人たち。弱い人たちを虐げるような独裁者、圧政者に暴君。法では裁けない悪を人知れず葬り去っていく。チン先生は、沢山の弱者の想いを一身に受け、絶対に失敗することが出来ない仕事を孤独に行っていたのよ。それが、新しい時代を築くことになると信じてね」
だからこそ、いつまでも多くの人に語り継がれているのよとオヤジは漏らした。
「それが、チンが生きてきた理由という訳か。伝説の暗殺者は英雄だった……か。そんなに有名なら、もしかして伝記や歴史書なんかがあるのか?」
「ううん。チン先生はその性質上、歴史の表舞台に立つことのない人。文書や歴史書には決して遺されることのない英雄よ。諸説あるし、アタシの想像も多分に含まれているんだけど、ずっと拳で語ったくれていたわ。表に出すことの出来なかった痛みや悲しみをね……」
ただ殴り合っているだけでそんなことまで分かるんだな。
「そんな人だったなら、こっちの事情を話せば戦わずに済んだんじゃないのか?」
「それは不可能だったと思うわ。どんな機械にも製作者が対象を制御できる仕組みが組み込まれているはずよ。強制的に主人の命令を実行、あるいは命令違反者を停止する安全装置は組み込まれていたから、チン先生は戦わずにはいられなかった」
「伝説の暗殺者とは言え、結局は、操り人形だったってことか……」
「だから、きっとこれで良かったのよ……」
オヤジはそれ以上何も言わなかった。
それから、ただ二人で、小さくなってゆく炎を見つめた。
やがて炎はくすぶり、辺りが静寂で包まれる。
「腕はもういいのか?」
全身傷だらけのオヤジに訊ねると、
「ええ。だいぶ痺れも和らいできたわ」
そう言って、手のひらをニギニギと握ってみせてくれた。
俺はその様子に安堵する。
と、戦闘が終わったと思ったのか、ナナコがヒマワリの茂みからひょっこりと顔を出す。
「終わったのか?」
「ああ。オヤジが一人でやってくれたよ」
少し興奮していたのか、ガラにもなくピースサインをナナコに向ける。
それを見てナナコもニコッと笑顔を向けて来る。ナナコに手を引かれて、富田とクルミも茂みから飛び出してきた。
富田にクルミ、ナナコとオヤジが一堂に会する。
遅くなったがオヤジも合流し、誰一人欠けることなく旅を終えることが出来たのだと改めて実感する。
「よしっ、帰ろう!」
号令を取る俺に、
「お前たちはもうどこへも帰れはしない」
ザコタが待ったをかけた。
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