episode9 第72話 第五章 「明日、もしも、来未(きみ)が壊れても」

第五章 「明日、もしも、来未(きみ)が壊れても」




「ったく、いつもオヤジは遅いんだよ」

 悪態をつきながらも俺は安堵していた。さっきまで不安でいっぱいだったのに、オヤジの顔を見たら一瞬でそれが吹き飛んだ。

「これでも自慢の愛車、ゴールデンボール号が無休の限界突破で頑張ってくれたのよん」

 横倒しになった愛車とやらを引き起こし頬ずりをするオヤジ。こいつ、そんな名前だったのか……。だが、たしかにかなり無理をさせたらしい。エンジンが赤く焼け付き、触れたら手がこんがりといきそうだ。

 正体不明のオヤジの登場で一時的にざわついたが、座古田が的確に指示を出したのか連中たちも落ち着きを取り戻している。

「オヤジ、イキなりだけどやれるか? 前にはゴロツキども、後ろは崖。文字通り背水の陣だぜ」

「ゼンモンのイッキュウ、コウモンのジロウというわけね」

 確認するまでもなかったな……。こんな状況でも軽口を叩けるなんて、全く……、頼もしくて仕方がない。

「その様子だと状況はだいたい分かっているようだな」

 おそらく渡された旅行バッグに盗聴器でも仕込んでおいたんだろう。毎度のこととは言え、抜かりのない人だ。

「おおむね」

 はち切れんばかりの大胸筋を動かして答える。

「にしても、さっきの蹴り、凄かったな。あれが火炎瓶って知っててやったのか?」

「もろちんよ。若き日の『マラ=ドーナ』みたいだったでしょ? インパクトの瞬間に、落下する瓶に合わせて足を引くのがコツよ」

「お、おお」

 名前の区切り方、それで合ってたっけなと思いながらも、正直助かったので俺は素直にうなずいた。

「一度やってみたかったのよね。バイセクシャルシュート」

「それを言うなら、『バイシクル』シュートだろ!」

「うそぉ~ん。絶対にバイセクシャルだって。球技はオカマの専売特許よぉ~」

 そこで緊張の糸が切れたのか俺はプッと噴き出す。オヤジと顔を見合わせて笑い合う。

「おい!」

 座古田が切れた。

「てめぇら、まだ自分たちの状況が分かってないみたいだな」

 額に青筋が浮かんでいる。

「奇襲はうまくいったかもしれんが、次はもうないぞ」

 ガタイのいい男が追加のビールケースを持ってくる。

「脳みそが沸騰するのを感じながら死んでいけぇ!」

 グラサンともう一人の男が火炎瓶を両手に持ったのを確認して、座古田は投擲の合図を送る。

 先ほどとは違い、明らかに俺とオヤジ目掛けて飛んで来る火炎瓶。

「アタシに任せて」

 屈伸運動をしたと思ったら、奇妙なアンダースローで何かを瓶に向かって投げた。

 パリン! と小気味のいい音で火炎瓶が割れる。瓶の欠片と、中の液体が別方向へ飛び散り燃焼反応を回避する。

 さらに投げ込まれる火炎瓶。オヤジは一体何をしたんだと見ると、その辺に落ちている石を拾って地対空誘導弾(パトリオットミサイル)のように迎撃していた。

 いつまで経っても火が上がらないのを奇妙に思ったのか、座古田陣営の動きが止まる。

「一体何が起きている? 4本とも不発だったのか? いや、途中で瓶が破壊されたように見えたが、まさかな……」

 暗闇の中、飛んでいる瓶に石をぶつけられ破壊されたとは夢にも思わないよな。近くで見ている俺も信じられない。

「ええい! とにかく、もっとピッチを上げて投げ続けろ!」

 ヒステリックに叫ぶ座古田に、オヤジが一喝する。

「遅いわ!」

 続けて、

「頭上注意よ!」

 さっき確保した火炎瓶を向こうのビール瓶ケース目掛けて投げ返した。それが見事にビールケースに直撃し、凄まじい勢いで火柱が天に向かって伸びる。さらに悪いことに、もう一つのビールケースの位置が近く、火種が燃え移った。

 巨大な2つの炎柱がそそり立つ。蜘蛛の子を散らしたように逃げ惑う男たち。その隙を見逃さず、オヤジは連中の群れに飛び込んで行った。

 俺もその背中を追いかける。が、そこに座古田が割り込んできた。

「行かせるかよ! 奴は何者だ? 凄まじいまでのパワフルさ。加えて宙を舞う物体を打ち落とす正確な動き。人間離れしている……。まさか、富田教授も戦闘用のロボットを作っていたのか?」

 富田教授も? だと……。

「普通はそう思うよな。けど、違うよ。ただの俺のオヤジだ」

「嘘をつくな! あんなオヤジがいる訳があるか!」

 そう言って仰々しく腕を横に払う。俺は攻撃されたと思い、後ろに飛んで距離を取る。拳が明るく光っているので、何らかの秘密兵器でも繰り出して来たのか?

 いや、よく見る光っている言うよりは、拳が燃えている。さっきの爆発で、座古田の腕に火が燃え移ったんだ。

「熱くないのか? 燃えてるぞ」

 敵とは言え、流石に忠告してやる。

「問題ない。俺の体は特別製だ」

 その物言いでピンときた。明らかに言葉遣いや態度がガラリと変わったので薄々気付いてはいたが……。

「あんた、座古田じゃないな? 昼間の奴とは色々と違い過ぎている」

「何を言う。俺は座古田だ。人格的にはな」

 人格的には……。

 と言うことは、こいつはクルミと同じロボットなのだろう。しかし、昼間の奴とはかけ離れている。座古田の人格ではないだろ?

「普段表に出てきている俺とは違う、もう一つの人格なんだよ」

 怪訝な顔を向けると座古田がそう答えた。

「もう一つの人格?」

 手のひらでゆらゆらと揺らめく炎越しに怪しく笑う座古田。

「その通り!」

 と、手の中の炎を握り締めて消し去る。それから、目の前の男は自身についての説明を始めた。

 いわゆる二重人格。解離性同一性障害というやつか。人が耐えられないような強いストレスを受け続けると、それを回避するために感情や記憶を切り離し別の人格を作ると聞く。

 何でもこいつの話によれば、元々は座古田が動けない時に代理的に仕事を代わるコピーロボットの役目を務めているらしい。昼間対峙した本物の座古田はとっくに退散済みで、その代わりの時間外労働者として目の前のロボットザコタを派遣したらしい。う~ん。これが世に言うホワイト企業というやつか。ちなみに、グラサンや他の連中はただの派遣なので普通に人間と言うことだ。

 完全に信じた訳ではないが、別段否定する材料もない。

 だがなぜ、このザコタに代わったのか? 強いストレスを受け抑圧されなければ別人格は出てこないはず。富田の小難しい話がトリガーになったのか? もしくは、単純に攻撃的な性格の方が俺たちの制圧向きだからか? 性格が激変する時に端末から電子音が聴こえたので、それで人格の制御をしたのか?

 疑問は尽きないがここまでにしておこう。オヤジが割り込んできた。

「お楽しみの所、失礼。この子の指名時間は終わりよん。もぉ~とお話ししたいなら、延長料金が発生するけどいいかしら?」

「貴様……。他の奴らはどうした?」

 そう言えば、辺りがずいぶんと静かだ。

「お仲間なら、その辺で酔い潰れて寝ているわよ。酒は飲んでも呑まれるなってね」

 見ると、体格のいい野郎どもがピラミッドのように折り重なって積まれている。おいおい、オヤジはどれだけ強いんだよ。

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