episode9 第71話

 座古田はチョイチョイと指を動かして白衣を着た男を呼びつける。

「アレの準備は終わりましたか?」

「はい。ひとケース分完了しております」

「よろしい。すぐに持ってきなさい。予備にもう少し調合しておくように」

 白衣の男がうなずきその場から下がるのを見て、今度は携帯端末でどこかに連絡を入れる。

「ええ。彼らはやはり……。つきましては、攻撃命令の許可を……。はい。なるべく原型は留めるつもりではいます……。運搬用のドローンの準備も……。それでは、そのように……」

 通話し終えたと思ったら、スピーカー越しに、ガーガー、ピーピーといった電子音が聴こえた。

 携帯端末を切ると、座古田はフウウウと大きく息を吐き出した。それから、首や腕の関節をポキポキと鳴らす。すると、グン! と座古田の体が波打ち、体型が一回り大きくなった。

「さあ、こうなったらもう容赦出来ねえからな」

 明らかに態度が変わっている。

「思い出なんて形のないものに縛られているから人間は進歩しないんだ。お前が大切にしているものを全部壊してやろう。その思い出ごと、しがらみを全て消し去ってやる。そうすれば未練なく第二の人生を始められる」

 座古田は鋭く冷たい視線を富田に向ける。

 何かがおかしい。

 言葉遣いも様子も、まるで別人だ。こいつ。気でも触れたのか?

 一体何が始まるんだ?

 安全のため、みんなをヒマワリが生い茂る場所まで退かせる。さすがに俺まで隠れる訳にはいかないので、茂みの前で待機する。

 グラサンがビール瓶ケースのようなものを持ってくると、座古田は即座に「投げ入れろ」と指示した。

 勝利のビールかけでもやろうというのか? と思ったのと同時に、一本の茶色のビール瓶が放り投げられる。

 放物線を描いて飛んできた瓶が茂みの手前に落ち炸裂する。

 その場で炎が燃え盛る。

 火種が見当たらないので、瓶が破損することによる化学反応を利用した火炎瓶だ。

 枯れ花ならともかく、炎に包まれた生花がみるみる黒々と炭化していく。

「見ろよ。この燃焼力。燃やし尽くすまで消えないぞ。さすが研究所のものだ。ただし保存がきかないので現地で調合する必要があるのが玉に瑕ですがね」

 まさか、ここで調合したのか? 何がお別れの時間だ? 最初からこうなると知っていて、そのための時間稼ぎをしていたという訳か……。大した策士ぶりだ。

 着弾地点を中心に1~2メートルほどの火柱が立ち上っている。火が隣の花に燃え移ってはいないのは救いだが、火柱が立っている場所のヒマワリは消し炭と化していく。1ケース20本として、それを全部投げ込めばヒマワリ畑の半分は壊滅するだろう。もう1ケースあれば、花が全滅するには十分な量だ。

 奴ら、ここにあるヒマワリ全部を燃やし尽くす気らしい。ならば、隠れているだけではジリ貧だ。

 大将の座古田を仕留めれば他の奴らも撤退するかもしれないが、その前には屈強な野郎どもが手ぐすね引いて待っている。一人で突っ込んで行くのも無謀か。

 再び火炎瓶が放り込まれる。

 ヒマワリが群生している前方で炎の柱が立つ。

 グラサンの動作を見ていれば少なくとも火炎瓶が投げられるのは分かるが、瓶が暗闇の中を飛んでくるのでどこに着弾するかが分からない。

 ましてや、グラサンが富田の位置を察して投げている気配もない。さっきも今も茂み前方に着弾しているのである程度は狙って投げているとは思いたいが、みんなが潜伏している場所に落ちれば火に巻き込まれる可能性もあるし、最悪、脳天直撃ということもあり得る。

 目的の富田に直撃すれば全身大やけどではすまない。本末転倒じゃないか……。

 再びグラサンがケースに手を突っ込むのを見て、思わず叫んだ。

「止めろ! 危ないじゃないか!」

「今さら何を言う? 手加減はしないと言ったはずだぞ」

 確かに向こうからすれば今さらな話だが、こんなのは常軌を逸している。護衛の俺やナナコを行動不能にすれば、それで済む話なはずだ。

 俺の考えが甘かったのか? 富田の確保にここまでしてくるとは……。あまり想像したくないが、俺たちを再起不能にしているように思える。

「最悪、教授の死体を持ち帰ることが出来ればいい。摘出した脳を機械の体に移植、もしくは人格データを抽出出来れば問題ない。もちろん、部外者のお前たちがリサイクルされるなんて期待するんじゃないぞ」

 しないし、されたくもねーよ。

 だが、座古田が言ったことが真実なら最悪の状況だ。

 俺は奴らが正々堂々一対一の勝負でもしてくれると思っていたのか? 白旗を振れば、全治一か月の怪我で見逃してもらえるとでも考えていたのか?

 今まで考えたこともなかったが、あるいは人が重要な決断を下す時、文字通り命をかけなければいけない時だってあるのかもしれない。そして、その結果のいかんによらず自分だけでなく、周りの人さえも危険に晒すことがある。それを富田はよく理解していて投降しようとしたのに、俺は……。

「何をボケっとしている! さっさと投げろよ!」

 手が止まっているグラサンを押しのけ、座古田自らビール瓶ケースに手を伸ばす。

 そうだ。今は呆けている場合ではない。何としてもみんなを守らないと。その責任だけは果たさなければいけない。

「隠れている場所なんて丸見えなんだよ」

「なに!?」

 ヒマワリの茂みを見るがそんな気配はない。なのに、座古田には分かるのか? しかし、奴の態度が変わって以降、その言動と実行力にはどこか真実味がある。

 見ると、その瞳が淡く光っている。

「み~つけた」

 座古田の口元が緩む。

「みんな! 気を付けろ! 火炎瓶が飛んで来るぞ!」

 叫びながら俺は座古田の視線が止まった方向へと走る。

 と、急に坂道を塞いでいた奴らがざわつく。

 ドドドドと低いエンジン音が凄い勢いで近づいてくる。その聴きなれたリズムに俺は自身の胸が激しく震えるのを感じていた。

「うわっ!」と男たちが左右に飛び退き、ウィリー姿勢のバイクが宙を舞って飛び出してきた。

 座古田はそれにかまわず火炎瓶を投擲する。やや遅れてグラサンもそれに続く。

 月をバックにして、空駆ける天馬の如き大型自動二輪にまたがった野郎。バイクがバウンドする反動を利用して、座古田が投擲した瓶に向かって飛び上がった。

「バイセクシャル!」

 よく分からない掛け声を上げ、野郎がオーバーヘッドキックで瓶を蹴り返す。それが座古田の足元に着弾し火を噴く。

 野郎はポーズを決めて着地したと思ったら、即座にグラサンが投げた火炎瓶の着弾地点へ移動し宙で瓶をキャッチする。俺が駆け寄ると、自由の女神のように火炎瓶を掲げて立つ黒いライダースーツの野郎――。

「お、ま、た♪」

 いや、オカマがこちらに振り返って笑う。

「オヤジ!」

 俺はその頼もしすぎる存在の名を叫んだ。



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