episode9 第67話

「勝手だな……」

「勝手は百も承知しています」

「承知していないから、そんなことが言えるのだ。勝手に生み出されて、勝手に捨てられようとしている。そんな存在のことを、考えたことがあるか?」

 富田は握っていた手をゆっくりと離し、代わりに自身のズボンを握り締めた。

「いつも、考えてきました。考えたから、お願いしているのです。私には、出来ない。これ以上、そばにいるなんて、自分には、荷が重すぎる。自分は過去に生きている人間なのです。だからせめてこの子は未来に生きて欲しい」

 うつむき目を閉じ、「私では駄目なんです」と吐き捨てる。

「そこまで想っているのに、どうして分からないんだ。わたしたちは、友や家族にはなれるが、どうあがいても父親にはなれない」

 富田は何かに気付いたようにハッと顔を上げる。

「試験管ベビーのわたしには初めから父親がいない。だから、わたしがこんなことを言うのは、意味のないことかもしれないが……」

 クルミと富田に順に視線を送り、

「先天的に、子は、母を、父を、求めるものだ。母親とはもう一緒にはいられないのかもしれないが、父親とはまだいられるのに、それが出来ないなんて、そんなの悲しいじゃないか……」

 ナナコは二人の手を取る。

「父親が一人。娘も一人。別々の道を歩いて行くのか? 二人にはそんな悲しい未来しか待っていないのか?」

 富田の顔がかつてないほど歪む。

「クルミと共に生きる未来は選べないだろうか?」

「共に生きる未来……? そんなものが、存在するんでしょうか?」

 富田の問いに誰も答えようとしなかった。だから俺が答えた。

「それは、まだ叶えられると思います」

「叶え、られる?」

 富田の質問の答えになっていなかったようで、無機質に富田が聞き返してくる。

「そう……。叶え――られる――です」

 自分でもうまい表現でないのは分かっているが、とっさにそんな言葉しか出なかったので仕方がない。

 そこにいた皆の視線を一身に受ける。明らかに誰も俺が言いたかったことを理解出来ていないようだ。

「富田さん。海で浦島太郎の話しをしたことを憶えていますか?」

「はい」

「それでは、浦島太郎の物語には続きがあるって知っていますか? 玉手箱から煙が噴き出しおじいさんになってしまった後の話を……」

「え?」

「老人になった浦島太郎が空になった玉手箱の底に何かが残っているのを見つけるんです」

 興味が引かれたのか富田は前のめりになる。

「初耳です」

 俺はすかさず続きを口にする。

「そこにあったのは希望でした」

「それでは物語が変わっています……」

 期待外れの答えに気分を害してしまったのか、富田は眉間に皺を寄せ怪訝な顔をした。

「そうでしたっけ?」

 俺は仰々しくガハハと笑う。しかし、富田の冷静な瞳に、すぐに口を閉じて表情を引き締めた。

「そう……。物語が変わっています。先ほど富田さんは浦島太郎物語の結末は子供でも知っていると言いました。しかし、誰もその本当の結末を知るものはいないんです。年老いた太郎がその身に降りかかった不幸を呪い、後悔の日々を過ごしたのか。あるいは、こんな身にした乙姫に文句の一つも言ってやろうと竜宮城に乗り込んで行ったのか。はたまた偶然にも太郎の子孫に出会い穏やかに暮らしたのか……」

「それは当たり前のことです」

「同じように、富田さんのこれからの物語も誰も知らない」

「私の、これからの物語?」

「富田さんは俺に旅をするに至った経緯を話してくれました。ここまで共に旅もしてきました。でも、この先のあなたの物語を俺は知らない。だから、叶え『られる』と言いました。二人で共に生きる未来。それを叶えられるのはあなた自身だけなんです」

「武蔵さんも私にまだ悩み続けろと言うんですか……」

「そうではありません。知人の会社に行くと言った時、全てを納得は出来ませんでしたが、そこにはあなたの意思を感じました。しかし、奴らに投降すると言った言葉にそれはありませんでした。今は一緒にいることが難しいのかもしれない、離れて暮らす時間も必要なのかもしれません。けれど、心を殺して生きるなんて言われて、俺は笑ってさよならなんて出来ませんよ」

 富田がこれまで十二分に悩み抜いたんであろうということは想像に難くない。しかし、だからと言って、捨て鉢のように生き、楽な答えにすがりつこうとするなんて馬鹿げている。

「富田さんは浦島太郎の物語を、『明確な答えがないから、いつまでも悩み考え続ける。それゆえ、人から人へと語り継がれて名作になった』のだと言いました。なのに、あなたはここで自分自身の物語を終えていいのですか? こんな悲しい結末にしてしまってもいいんですか? 時計の針は停まったままなんですか?」

 俺は富田に直してもらった腕時計を示した。

「しかし、私の物語など、誰が興味を抱くでしょうか?」

「少なくともここに一人いることだけは確かです。俺はどんな話だッてハッピーエンドが、だ~い好きですから。それに、『ただいま』を言うまで旅は終わりではありません」

 ニッと白い歯を見せて俺は笑う。

「武蔵さん……。あなたは本当に変わった人だ」

 その表情は呆れているように見えたが、ほんの少し明るくなった気がした。

「わたしも、そう思う。だから武蔵を見飽きることがない。そして、わたしも変わった人間だ」

 ナナコもすかさず話に割り込み俺がしたように笑ってみせる。

「ナナコさん……」

「だが、富田も相当に変わっていると思うぞ」

 不躾なナナコの言葉に、富田は不器用にはにかむ。

「ここには変わった人間だらけだ」

 ウィンクするナナコに、俺は肩をすくめて同意した。

「俺たちが玉手箱の底の希望、なんて大きなことは言えませんが、共に結末を見届けるくらいは出来ます」

「ありがとうございます。少し考え直してみます」

 その返事は快活なものとは言い難いが、俺にはそれが頼もしく思えた。

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