episode8 第9話
その日、心身ともに疲れていた俺は早めに眠りについた。
そのせいか、真っ暗闇の中、目を覚ました。
時計の針は午前2時を指している。額に汗がにじんでいる。背中に張り付いたシャツが気持ち悪い。
熱帯夜というのもあるだろうが、ずいぶんと嫌な夢をみたような気がする。
半透明の女性の幽霊に追いかけられるような内容だった。昼間の出来事がどうにも気になっているらしい。
真新しいTシャツに着替え、ぐっしょりと濡れたシャツを洗濯機に放り込む。自室へ戻る途中、リビングから灯りが漏れているのに気がついた。
「帰ってたのかオヤジ。おつかれさん」
「あら、武蔵ちゃん。ただいま~。さっき帰って来たとこよ」
俺のねぎらいの言葉に、オヤジはコハク色をしたグラスを持ちあげて応える。
「忙しそうだな。今は政府がらみの調査をしてるんだっけ?」
「ええ。ごめんなさいね。そっちが結構やっかいなんで、武蔵ちゃんの方の手伝い出来なくて」
「いやいや、今日は十分助けられたよ。オヤジが来なければ水泳の授業を見学で過ごすことになるところだったよ。しかし、あんなものどうやって作ったんだ?」
言って、自分の体をなぞってナイスバディを形作る。
「そりゃ~、努力のタマものよ。女の股(又)に力と書いて努力ってね」
「なんだそりゃ?」
「まあ、武蔵ちゃんもいい女の体を沢山観察すれば、いずれ自分で出来るようになるわよ」
う~ん。出来るようになりたいような、なりたくないような……。
「で、武蔵ちゃんの方はどうしたの? 眠れないの?」
「ん? んん……」
曖昧に答えると、
「武蔵ちゃんは、ホットミルクで良かったかしら?」
と、俺が返答する前にオヤジは冷蔵庫の牛乳を温めてくれた。
一口飲み込むと砂糖が入っているのか甘く優しい味がした。
「どう? 落ち着いた?」
「ああ。ありがとう。でも、どうせなら、酒の方が良かったな」
「何言ってんの? 未成年のクセに。お酒は二十歳になってから。それに酒を飲んでも忘れられないものもあるのよ。それで、今日はどうしたの?」
まあ、牛乳に相談するよりベテランのオヤジに聞いた方がいいだろうと、俺は口を開いた。
「何て言ったら良いか分からないけど、オヤジは目の前で信じられないことが起きたらどうする?」
「そうね~。アタシだったら、事実を事実として受け入れるわね」
「それが、たとえ現実的にあり得そうにないものでも?」
「モロチン――」
オヤジのふざけ顔に、俺は無反応で返す。
「失礼……。モチロン。何だって受け入れるわ。オカマの度量の深さはマリアナ海溝より深いってね。でも、そうね。武蔵ちゃんくらいの年頃なら、ただ受け入れるんじゃなくて、分からないことと、とことん向き合うことね」
「向き合う……」
「そう。世の中分からないことだらけよ。武蔵ちゃんもいっぱしの探偵なんだから、知りたいことがあるなら、きちんと自分の目で見て、頭で考えて答えを出さないとね」
「ああ。だけど、そんなの探偵に限った話じゃないだろ」
「ううん。探偵だからこそよ……。探偵は理解することから始まるのよ……」
めずらしく真面目な顔をしてオヤジはそう言った。
「武蔵ちゃんは、探偵と警察の違いは何だと思う?」
「そんなの、公的な機関か、私的な機関かの違いじゃないのか?」
「正解。けど、満点にはほど遠いわね」
「何でだよ。探偵も警察も、何らかの事件を解決する。その依頼者が国家か個人かの違いくらいだろ?」
「それは、あくまで依頼者を中心とした警察の考え方に近いわね。警察は犯人逮捕がお仕事。その犯罪原因を究明までしないわ。けど、私たち探偵は依頼者だけじゃない。事件に関わる全ての謎を解き明かすのが探偵の仕事なのよ」
グラスの氷がカランと踊る。
「この世界は不可解なことで溢れているわ。探偵なんて職業を続けていれば特に、それらに遭遇することになるわ。だけどね、一見理解不能な事件も丁寧に紐解いていけば、加害者がそうせざるを得なかった理由、そうなるに至った原因が見つかるはずよ。それにたとえ、今分からなくても後から、『あ~あの時のことは、こういうことだったんだな』って理解出来ることも多いわ。罪は憎んでも人は憎まず。どんな人間だって最初から悪人なんかじゃないのよ。そうなるに至る経緯が必ずあるわ。それを解き明かすのが、本当の探偵の意義なのよん。警察は被害者の味方をするだけ。だから探偵はみんなの味方でありたいわ。だから、武蔵ちゃんも今は分からないと思えることにも、真正面から向き合って自分なりの答えを出しなさい」
「自分なりの答えを出す。それが、探偵の意義……」
「そうよ。それに、分からないことがあって当然。アタシたちは答え合わせをしているわけじゃないんですもの」
オヤジは、そう言ってウィンクをしてみせると、ウィスキーを一気に飲み干した。
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