episode8 第8話
次の日の朝。
ペロペロピローン。ペロペロピローン。
「ウッ!」
学園へ登校するため、自宅兼コンビニを出た俺は眩しい朝日に目をくらました。
抜けるような青が空一面に広がっている。昨日の雨が大気に舞う細かな塵を洗い流したのか、空気が澄み渡っている。
しかし、俺の心の天気は快晴とはいかないようだ。何となく真夜花に会うのを憂鬱に思っている俺がいる。
「はぁぁぁ」
盛大にため息を吐き出す。
結局のところ、雨でも晴れでも、心の持ちよう次第なのかもな……。
そんな晴れとも雨ともつかないような心持ちで校門前まで歩いてくると、後ろから元気よく走ってきた由愛が俺を追い抜いた。
「どうしたんです? 元気ないですよ? 今日はあの日なんですから、元気出していきましょう!」
抜きざまに、由愛は俺の下がりかかった肩をポンと叩いてその場で一回転すると、ヒマワリのような笑顔を投げかけてきた。
天真爛漫なその表情を見ているだけで、何だかこちらも元気になりそうだ。
それにしても、『あの日』って何だ? 女の子って、『あの日』だと元気になるのか? その逆で憂鬱になるという話を保健体育の授業か何かで聞いた記憶があるのだが、俺の勘違いだっただろうか?
いずれにしても、女子高生が校門前で言うような台詞ではない。
「矢追さん。女の子が大声で、『あの日』なんて言っちゃ駄目でしょ」
声をひそめて注意する俺に、ペロッとピンクの舌を出して、「ごめんなさい。久々だから、嬉しくて……。アレも、家からはいてきちゃいました」と、さらにこちらが赤面しそうな台詞を吐き出した。
まさか、あの! 女の子の日に降臨するというあの伝説のアレを――!
「ハイテキタ!?」
素っ頓狂な声を上げて目をしばたたかせる俺に、由愛はおもむろにスカートをたくし上げると、それをこちらに見せつけた。
「なっ――!」
とっさに両手で顔を覆い隠す。しかし、やはり本能にはあらがえない。指の隙間。薄目をした狭い視界に、チラリと紺色の三角が見えた。
「ブルマ?」
「何言ってるんです、ミズギですよ。ミズギ」
「ミズギ?」
いまだ頭に『?』マークが浮かんでいる俺に、
「今日はプール開きですよ!」
由愛はスカートをひるがえし、校門を駆け抜けていった。その場に、女の子特有の残り香を漂わせて。
そうかそうか、今日はプール開きだったか。そういえば、昨日先生がそんな話をしていたのを思い出す。なるほど、由愛がスカートの下にはいていたのは学校指定のスクール水着だったというわけか。
にしても、さっきの由愛の行動には驚かされた。確かに女子校では同性しかいないので何かと大胆になるという話を聞いてはいたが、まさかあれほどとは……。
実にうらやま――。もとい、けしからん。
俺自身、変な勘違いをしたのと、スカートの下に見えた紺色の布切れに今更ながらドキドキして、みるみる頬が熱くなるのを感じた。
でも、何だろうか? 妙に生暖かい風が股の間を吹き抜け、股間が縮み上がるような気がした。
「って、プール開きだって!?」
確認するまでもなく、俺は保健体育の教育実習生で、今日は由愛のクラスで体育がある。つまりは、この俺も授業に参加しなければならない……。
サァァァ――と全身の血の気が引いていく。
水着がない! いや、厳密にはこのもっこり股間の体に着る水着がない。いや、むしろ女性用水着を着る体がない? あああ、パニクリすぎて、自分でも何を言っているのか全くわけが分からない。
これは、まさにミッション・インポッシブルだ。
校門前で、浜にあげられた魚のように、悶絶していると、
「お困りのようね」
ドッドッドッドッと、低いエンジン音を上げているバイクにまたがったオヤジが俺を見下ろしていた。
「オヤジ! 困ったどころじゃないって。水泳! 水泳教室! 水着が股間でインポなんだよ!」
シリ滅裂な台詞を口にする俺に、オヤジは全てを理解したかのようにフフフと笑う。
「ええ。全部分かってるわ」
「本当か?」
泣きつく俺に、
「アタシにいい考えがあるわ。そう。アタシには不可能なことなんてない。インポな任務なんてないのよ」
わざわざ黒いライダースジャンパーを脱いで、「ムン!」と気合を入れるとタンクトップ越しに盛り上がっている大胸筋を見せつける。
「はいはい」と、軽く受け流して、話を先に進める。
「任せなさい。こんなこともあろうと、ちゃ~んと準備はしているわよ」
オヤジは真性の変態だが、仕事はきっちりこなすオカマだ。この言葉、信じていいだろう。
「で、どうする? 俺は何をすればいい? このピンチを乗り切れるなら、何でもするぜ」
懇願する俺に、オヤジは自信マンマンに言い放った。
「武蔵ちゃんには、キョセイ手術を施すわ!」
オヤジはどこから出したのか、手術用の薄いゴム手袋をはめるとニヤリと笑った。
*
「ふぅ~」
まるで世界が変わって見える。
オヤジに去勢された俺は、堂々とした立ち居振る舞いで女子校の廊下を歩く。正確には、『去勢』と言うよりは、『虚性』とでも言った方がいいのだろうか。
つまりオヤジは、『虚』偽の『性』転換手術を俺に施した。
学園潜入時いつもは、単なる女装の姿でしかないが、虚性手術を施された今の俺は裸になってもほぼ女性の体つきになっている。例えば、普段は胸の膨らみを出すため、ブラジャーに詰め物をしているだけだが、今日は本物と違わぬモノが付いている。
その場で軽くジャンプすると、たゆんたゆんと大胸筋に張り付けられた偽りの胸――虚乳が上下に弾む。
「おお……」
初めての感覚に自然と感嘆の声が漏れる。
女性はいつもこんなものを装備しているのかと思うと、尊敬の念を抱かずにはいられなくなる。
ゆったりとしたジャージに隠された、水着の下の虚性用スーツを確認するように軽く体を動かす。スムーズに動作する全身の筋肉。俺を女性化させたそれは、ぴったりと体に吸いついて一体化している。
オヤジが施術をしたので、詳しくは説明出来ないが、簡単に言うと、極薄の肉襦袢を身にまとっているような状態だ。
当然ながら、探偵とは言わば影のように存在で、自分の存在をいかに殺してその場に溶け込むかが事件解決の鍵となる。それ故、探偵のスキルに変装は必須で、オヤジくらいのベテランになれば、完璧に他人になることだって出来る。それはもはや特殊メイクの域に達しているほどだ。
オヤジが施した女体化特殊メイクも、例え俺が裸になってもぱっと見、男とはばれないだろう。それくらい良く出来た逸品で、人工物のものと本物の肌の繋ぎ目は、近づいて見てもほとんど判別出来ないくらいだ。
ってオヤジの奴こんな技術力があるなら、自分自身の化粧をもう少し頑張って欲しいと思うのだが、オヤジなりのこだわりがあるようで、それは無理な相談なようだ。
何はともあれ、これで無事水泳の授業に出られそうだ。
懸案事項の一つを解決して揚々と廊下を歩いていたら、向こうからもう一つの懸案事項が歩いてきた。
「あの、昨日は濡れませんでした?」
あまり深刻に考えても仕方がないので、俺は思いつくまま真夜花に声かけた。
「少し濡れましたけど、大丈夫でしたよ。近藤さんの方こそ大丈夫でしたか? 風邪なんかひいていませんか?」
と真夜花の方も思いのほか、軽い調子で返してくれた。
「それは全然大丈夫でしたよ。私なんて元気なだけが取り柄ですから」
片手を上げて、力こぶを作って見せると、真夜花は、「それはそれは」とニコッと微笑んだ。だけど、その笑顔は何だか寂しげで、それが俺には人を遠ざけているように見えた。
俺の勘違いだといいのだが、随分と無理しているようにも見える。オヤジの影響か、どうにも元気がない人間をそのまま放っておくことは出来ないようだ。
「ときに、赤糸さん。次の時間、授業の予定とかあったりします?」
「えっと……」
と少し考えるように視線を宙にさまよわせると、「ないですけど……」と真夜花は控えめに答えた。
予想通りだ。
体育もそうだけが、生物なんかの選択授業は国語や数学などの通常の教科よりも圧倒的に授業時間が少ない。おのずと自由時間も多くなってくる。
「それじゃあ、一緒に来て!」
そう言うと、俺は真夜花の手をとってプールへと向かった。
今日は、プール開きということで、きちんとした授業は行なわず、授業は水に慣れてもらう名目で、自由に遊んでいいとのお達しが出た。
準備運動に入念なストレッチの後、生徒たちは思い思いプールへと入っていく。キャッ、キャッと黄色い歓声があがる。共学ならもっと恥じらいと言うか、違った反応になるのかも知れないが、女子校だと異性の目がない分、生徒たちは純粋にプールを楽しんでいる。
俺は生徒たちの監視役なので、邪魔にならないようにプールサイドを周回しながら問題がないか見守っている。
着用している虚性用特殊スーツも今のところ運用に大きな問題はない。男だとばれることもなさそうだ。が、唯一の弱点があった。
股間が、痛い。
当たり前だが、本当に去勢したわけではないので、モロチン、もとい、モチロン、ツイているものはきちんと付いている。しかし、その存在を一ミリも晒すわけにはいかないので、ムスコを隠すため股間にかなりの負荷がかかっている。どうやっているかというと、竿と玉を無理やり後ろへと引っ張って強力サポーターで固定している。なので、ちょっとやそっとのことではそこにナニかがあるとは分からない。だが、少しでもよこしまなことを考えるとムスコがサポーターを圧迫して、激痛が生じる。女に関心のないオヤジならば何の問題もないのだろうが、いかんせん俺は健全な男子であるのでそういうわけにはいかない。こいつは、予想以上に拷問タイムになりそうだ。
ともかく平常心あるのみだ。
そう決意をあらたにしたところで、「先生」と声をかけられる。振り返ると、「一緒にどうですか?」と由愛が誘ってくる。その後ろには、ビーチボールを持ったナナコが突っ立っている。
「ナナコちゃんとビーチバレーをやろうと思うんですけど、良かったら審判をやってくれませんか?」
礼儀正しく、由愛は両手を膝の辺りで重ねて、前かがみになっている。そのせいで強調された胸が今にもこぼれ落ちそうだ。伸縮性にとんだ紺色のスクール水着が、今その限界に挑んでいる。胸に縫い付けられた白い名札の『矢追由愛』の文字が横長にひしゃげて見える。
――クッ。
破壊力抜群のそれから目を逸らしてナナコの方を見る。こちらの方は、何の障害もないので、くっきりと『近藤ナナコ』の文字が判別出来る。上から下まで眺めてみても、プールサイドのコンクリートと垂直で何の膨らみもない。ビーチボールを小脇に抱えて、堂々と胸を張っているのが実にシュールだ。
ふぅ~。
額ににじんだ汗をぬぐい落ち着きを取り戻す。
「それで、審判をやるんだっけ?」
うなずく由愛に、曲がりなりにも授業の監視役なので断わろうかと思ったが、生徒と接するのも実習のうちだ。それに、審判をしながらだって、監視は出来るか。なので、少しくらいならと付き合うことにした。
が、俺はナナコの遥か後方で目を光らせている女豹にまでは気付けず、すぐに後悔した。
「矢追さん。勝負よ!」
ナナコのビーチボールを取り上げると、野獣の眼光をした彩音が高々と由愛に、「絶対に泣かせてやるんだから」と宣戦布告した。
それから俺に、「あんたは、こっちのチームよ」と勝手に彩音の仲間にさせられた。
というわけで、由愛&ナナコペア。対するは、彩音&俺のペアで、水中バレーボール決戦の火蓋が落とされた。
全く面倒なことになったな。と、思う間もなく気付けは試合は終盤に差し掛かっていた。端的に言うと、ワンサイドゲームとなった。
由愛&ナナコペアが強過ぎる。
二人は高い運動神経で、プールを縦横無尽に泳ぎ回り自陣にきたボールを受けてはアタックを決めた。一方、俺たちの方はいまだ1点も取れずにいた。逆に、彩音と俺はどちらも泳ぎが得意ではないのか、スパイクされたボールはほぼザル状態で楽々とポイントを相手に献上している状態だ。それに何より、決定的なのはチームワークの差だった。由愛とナナコの息はぴったりで、的確にこちらの穴に向かってボールを打ち込んできた。
今も俺たちが何とか返したボールを楽々と受け、悠々とナナコがトスを上げる。それを由愛がジャンプ一番、スパイクを打ち込むと、バレーボール大のビーチバレーボールが水面に叩きつけられ、跳ねた水しぶきが彩音の顔面に盛大にぶっかけられた。
15点先取制の、14点目が決まる。もはや後がない。
ピキキと彩音の広いおデコに青筋が走る。
「もー! このアタシの足を引っ張るんじゃないわよ」
怒りの矛先は、なぜか巻き込まれたはずの俺に向けられる。それにしてもこれが、仮とはいえ教師に対する物言いか? というか、こいつは本当にお嬢様なのだろうか? アホ。ヘタッピ。クズ! と、彩音の口から飛び出す罵り文句が、小さな幼子のものでしかないので逆に心配になってくる。
いい加減本気を出してやろうかとも思ったが、全力で動いてよからぬものがポロリするのはもっとまずいので、ここは甘んじて汚名を被ったままにしておく。
どちらにしろあと1点で勝負が決まる。さっさと試合を終わらせよう。
ポーンと緩やかな楕円を描くサーブが由愛によって上げられるも、俺の方はどうにも届きそうにもない。だが彩音は試合を諦めていないようで、一矢報いようと無理なボールに手を出して、何とか命を繋ぎ止める。その姿勢はある意味尊敬に値する。俺の方も、そこまでされると何とかしたいと思い、彩音が繋いだボールを打ちやすい場所へとトスした。
まあ、これで綺麗にスパイクが決まって1点でも取れれば、彩音も満足するだろう。
しかし、既に彩音の方は怒りが頂点に達していたのか、トスされたボールを由愛に向かって思い切りアタックした。どうして、人のいない場所を狙わないのかね?
勢いをつけて由愛へと牙をむくボール。
が、由愛は別段焦ることもなく、飛んできたボールに対応するため一歩後ずさると、両手を伸ばしてレシーブの構えをする。しかし、由愛が受けようと突き出した腕には上手くボールが当たらず、両腕を合わせて強調された胸に当たると、ナナコの頭上にトスがあがった。ナナコの方も何を思ったか、十分に衝撃を吸収し宙で滞空しているボール目掛けて思い切りジャンプしたかと思ったら、彩音へとフルスイングでアタックした。
――ドン!
よせばいいのに、由愛と同じ動作をしようとして、足を滑らせた彩音は顔面でボールを受けた。ダラリと鼻から血が流れ落ち、黒目が天を仰ぐ。
「アタシは、まだ……、やれ……」
ダラリと力なく垂れ下がる肢体。残念ながら再起不能のようだ。ビーチボールゆえに衝撃は致命的ではないはずなので、おそらく精神的ダメージがでかかったのだろう。気絶した彩音は大の字になって水面を漂った。
その後、由愛が彩音を保健室へ連れて行くのを見届けて、ようやく俺は本来の監視作業に戻った。
プールサイドを一回りした後、俺は日陰で体育座りをしている真夜花に声をかけた。
「楽しんでますか?」
「はい」
と肯定はしているが、真夜花はどうにも元気がないように見える。気分転換にでもなればと思ったのだが、あまり効果はなかったようだ。
「まあ、学園の方も良かれと思って、授業のない実習生にプール開きへの参加をさせたんでしょうが、水泳の苦手な人にはあまり嬉しくありませんよね」
自由参加とはいえ、女性の中にはあまり人前で水着になるのに積極的でない人もいる。ブルーの競泳用水着に身を包んだ真夜花は、潰された胸肉にあごを当て、両膝の間から薄く口の端をあげている。
真夜花には、やはり学生にはない大人の魅力がある。男の俺からすれば、胸、太もも、下アゴで形作られたデルタ地帯に挟まれたら昇天する自信がある。
「近藤さんの方は、随分楽しそうでしたね?」
隣に座る俺に、真夜花は体育座りの膝の角度を鋭利にして言った。
「え!」
思わず自分のヨコシマな心を見透かされたような気がして、声を上げた。
「生徒たちと、とても仲が良いんですね?」
「ああ……。そっちの方ですか」
「ん?」と、目を丸くする真夜花に、「何でもないですよ」と誤魔化す。
「ははは。でも、若い子のパワーには圧倒されまくりですよ」
肩をすくめる俺に、
「近藤さんも十分若いじゃない」と真夜花が言ったので俺の方も、「お互いにね」と返す。
「いえ、私なんて……」
なぜか真夜花は、楽しそうに遊んでいる女性徒たちの方を見て目を細める。真夜花だって少なくもと三、四年前はあの中にいたのだろうに、それを見つめる目は完全に他人事のようだった。
昨日もそうだが、真夜花はどこか人生を達観しているような節がある。他人の人生観をとやかく言うつもりはないが、もっと気楽に考えればいいのにと思ってしまう。
「私たちも泳ぎましょうか?」
真夜花もあんな風に体を動かせば当時のように元気になれるかもしれないと、俺はクロールのポーズをしてみせる。が、真夜花は首を横に振る。
「それじゃあ、ビーチボールバレーでもしましょうか?」
わざとおどけたふりをして、寝転がり、真夜花のワールドカップ級の胸をビーチバレーに見立ててトスのマネをしようとしたところ、
「遠慮しておきます」
と、白い目で見下ろされた。
「あ……。そうですか……」
今度はこちらの方がショボーンとしてしまう。
「あの、違うんです。今日は、ちょっと体調が悪いだけって言うか、だから、そんなに気にしないで下さい」
それはそうか……。みんながみんな由愛みたくプールでウキウキ気分というわけではないのだろう。
「そっか。なら仕方ないですね。それじゃあ……」
他に何か楽しめそうなものでもあっただろうかと思案していると、
「そろそろ次の授業があるので」と真夜花が立ち上がった。
俺もつられて尻を上げると、座りっぱなしで虚性スーツが凝り固まったのか、足をとられた。
何とかバランスをとろうと踏ん張ったが、大きく体勢を崩して前のめりにつんのめると、丁度そこにあった真夜花の胸に思い切りダイブした。流石に虚乳と違って天然ものはクッションのバネが違う。ポヨーンと俺の体をはじき返した。
思わぬ衝撃に、俺は二歩三歩と後ずさり――。
――ジャパーン!。
盛大に水しぶきを上げ、プールへと落下した。
「おっぱいがなければ即死だった」
わけの分からないことを呟き、額からしたたり落ちる汗を拭う。
生徒たちが何事かとざわついてこちらに視線を向ける。
プールの水面が大きく揺れ動き、それに呼応して、マガイモノの胸がたゆたう。俺は、ニコリと周りに振りまき自らの無事を知らせる。その様子に生徒たちは安心したのか、ため息を吐き出し動きを止めた。そのほんの一瞬、常にせわしなく躍動していたプールの水面の波が凪いだ。
「大丈夫ですか?」と真夜花がスタート台に手を付いてこちらを見下ろす。
俺は自身の体を見て、着衣の乱れ、特に虚乳や股間の前張りを確認して、
「ええ、だいじょう――」
『ぶ』と言いかけて言葉を飲み込む。
凪いで鏡のようになった水面に真夜花の姿が映っていないのに気付く。左右反転されて映ったスタート台のコースナンバー『4』は視認出来るのに、コース台の上にいるはずの真夜花の姿がどこにも映っていないのだ。
「どうかしましたか? もしかして、怪我とかしたんじゃ……」
心配そうに視線を投げかける真夜花は確かにコース台の上にいた。
俺はもう一度水面を見る。が、既に水面は大きく波打っていて、その事実確認は困難になっていた。
「あの……」
なおも心配そうに身を乗り出している真夜花に、俺は大丈夫だと告げる。
「いや~。何だかさっき水面に、赤糸さんの姿が見えなかったから、ちょっとビックリしちゃって……」
プールの水を両手ですくって自身の顔を映す。そこには紛れもなく、偽者の俺の顔があった。さりげなく、真夜花の方も見てみると、きちんと逆さまになった真夜花がいた。
「だけど、多分、私の勘違いね」
あり得ない現象を、ハハハと笑い飛ばすと、両手を開いて雫を落とす。
が、真夜花の方は、至極真面目な顔をして、
「そう……、ですか……」
そう言い残すと、一人でフラフラとその場をあとにした。
*
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