episode8 第2話

 ナナコに案内されてたどり着いたのは辺りを木々に囲まれた、中庭からは少し奥まった場所だった。

 なだらかにしなった枝が自然のカーテンになって、葉の隙間から木洩れ日が差し込んでいる。これなら他の生徒の視線が遮られ、秘密の話をするには丁度いい場所だ。

「へー。こんな所よく知っていたな」

 こいつなりに、今回のミッションを達成させようと色々と考えているのだと少し感心する。ナナコは忠実な犬というよりは自由でマイペースな猫に近いので、こういう場所を見つけるのは得意なのかもしれないな。

「教えてもらった」

「何?」

 教えてもらった? この、仏頂面のナナコが? 『一体誰に?』と言いかけた所で、ナナコの背後に人影があるのに気付く。

 見ると一人の少女が、可愛らしいレジャーシートの上にちょこんと座ってランチボックスを広げていた。少女は俺と目が合うやいなや、にっこりと上品な微笑みをこちらへと投げかけてきた。薄く開かれた口の端からのぞく八重歯が、少女の笑顔をより一層引き立てている。

 満面の笑顔を浮かべたまま、少女が立つ。

 パッと見、凄く女の子女の子な印象だったが、結構な長身だ。ナナコと並ぶと頭二つ分くらい大きい。手持無沙汰なのか、右手で左の二の腕を掴んでいる。腕の上に乗っているバストが、両腕で挟まれて自己主張している。

 ――でかい!

 いや、身長がね……。

 それにしてもナナコに負けず劣らずの美少女だ。起伏の少ない細身のナナコに対して、こちらの方はメリハリのある健康的な肢体をしている。いかにも勤勉で清涼感に溢れた、学校紹介のパンフレットにでも載っていそうな容姿。今風の派手な女子高生というよりも、少し時代遅れかもしれないが、まさに絵に描いたような女学生といった感じの子だ。

 パッチリ二重まぶたに、まつ毛が綺麗に整列している。そのつぶらな瞳にかからないように眉のあたりで切り揃えられた前髪が風で揺れる。細く柔らかな猫っ毛なのか、木漏れ日のわずかな光を透かし、茶色く輝いて見える。左右対称に編みこんだ三つ編みが、腰の辺りまで垂れている。

「インチョーだ」

「いんちょー?」

 唐突なナナコの言葉に、俺は何を言っているのか理解出来ず聞き返すと、再び同じイントネーションで、

「インチョーだ」

 今度は、隣の女生徒を示して言った。そこで俺は、彼女のことを紹介しているのだと理解する。

 だが、次に『インチョー』という単語に首をかしげる。

 俺の疑問を察したのか、女生徒は一歩踏み出すと、

「こんにちは。私は一年三組のクラス委員長をしている矢追由愛(やおい ゆめ)と言います。ナナコちゃんとは同じクラスで色々と仲良くさせてもらっています」

 礼儀正しく、これまた生徒手帳の模範としてでも書かれていそうな自己紹介をした。

 なるほど、見た目を裏切らない優等生らしい。その役職のためか、彼女の本来の性質なのか、ナナコの面倒もあれこれとみてくれているのだろう。まあ、ナナコは見た目が幼いので、何かと放っておけないだけなのかもしれないが、少なくともこの子が悪い人間ではないことをうかがい知ることが出来る。

 と、また唐突にナナコが俺を示して、「ムサシだ」と由愛に紹介する。

 って何、本名で紹介してるんだ! 心の中で突っ込みを入れる。

「ムサシさん……ですか? その、個性的なお名前、ですね?」

 由愛は三つ編みの先っぽを指にクルクルと絡めて、不思議そうに首をかしげている。

「ああ、違う違う。ムツミよ。私は、近藤ムツミ」

 俺は首を横に振ると、自分の胸――厳密に言うと人工的な膨らみを形成している作り物の胸に手を当てて訂正する。

「ムサシは――。そう、私の双子の兄の名前。この子よく間違えるのよ」

 ホホホと笑って誤魔化す俺の話を、由愛は、「そうなんですか~」と疑いもせずに受け入れているようだった。ナナコの方は、自分の役目は終えたと思ったのか、既にレジャーシートへと腰を下ろしている。

 この野郎、ここで調査の現状報告をしようとしていたのを忘れてるんじゃないだろうな……。とは言え、下手にこの場を去って由愛に不信感を与えても仕方がないので、俺も靴を脱いでレジャーシートへと足を踏み入れようとした所で、

「それで、お二人はどういうご関係なんですか?」

 と、凄い今更の質問を受けて思わずズルッとこけそうになる。

「え? そこから?」

 思わず素の自分に戻りかける。

「すいません。ナナコちゃん、ここに来るなり『ちょっと待ってて』って言って突然いなくなっちゃって」

 そう言うと、恥ずかしそうにテヘっと由愛はピンク色の舌を出して笑った。

 その辺はナナコが上手く言っておいてくれていると思っていたのだが、流石にそれはハードルが高かったようだ。いよいよナナコのコミュニケーション力のなさをどうにかしないとな……。

 そんなこんなで、俺たちは改めて互いの自己紹介をしながら、昼食をとった。

 当然ながら、俺たち二人がこの学園に事件の捜査で潜入している探偵だということは隠しておいた。取りあえず、俺とナナコは従姉妹関係で、今は家庭の事情で一つ屋根の下、一緒に暮らしているというような内容で説明を行った。

 当たり障りのない内容ではあるが、談笑しながらランチタイムを三人で過ごした。にしても、オヤジが作った弁当はナナコには少しボリュームがあるらしく、由愛が自分で作ったという、野菜メインのカラフルなお弁当と二人で交換しながら食べていた。

 昼食中、由愛は随分とナナコの世話を焼いていた。年齢的には同じはずの二人が、仲の良い姉妹のように見えて、俺はどこか安心したようなほっこりした気分になっていた。

 ニヤニヤと二人の様子を観察していた俺を、ナナコが何かもの言いたげな顔で見ていた。

 本人的には不本意だろうがこちらの思惑的には良い傾向ではある。

 今回の任務。俺と、事務所の所長であるオヤジもだが、実の所ナナコに関しては、本来の潜入調査よりも主に年の近い人間と接することの方が優先事項だと考えている。

 愛情遮断症候群だったナナコは、出会った時よりも人間味は増したとはいえ、俺とオヤジ以外の人間と接することに慣れていない。普通に生活するのに致命的な問題はないのだが、やっぱりそれなりにちゃんとした受け答えくらいはして欲しいと思うわけで、この任務を通してその辺が少しは解消してくれればと密かに期待している。

 そんな画策も、目の前の光景を見ていたら上手くいくような気がした。甲斐甲斐しく世話を焼く由愛に、ナナコも無表情ながらもまんざらではないように見える。淡い期待を抱いて俺は二人を温かく見守った。



「ごちそうさまでした」

 俺はスーツの上着のボタンを外して、お腹をさすりながら由愛へお礼を告げる。

「おそまつさまでした」

 由愛はニコッと笑みを浮かべながら、頭を下げて返す。

 勧められて由愛のお弁当を分けてもらったが、その味は何だか懐かしいものだった。いつもはオヤジが作る濃い味付けの料理ばかりなので、なおさらそう感じたのかもしれないが、これぞお袋の味、家庭の味というものを久しぶりに堪能させてもらった。

「本当、ありがとうね」

「いえいえ、そんな~」

 褒め過ぎですよと、由愛は顔を赤くして謙遜した。

「それもあるんだけど、この子のこと。改めてお礼を言わせて」

 俺はナナコを見つめる。

「この子、放っておくとちゃんとした食事ってあまり食べないで、いつもバナナばかり食べているから、矢追さんがお弁当をナナコと一緒に食べてくれているのを見て安心したわ」

「ナナコちゃん、教室でおいしそうなお弁当を広げていたのに、あまり箸をつけていないから、気になっちゃって……。お弁当って、ムツミさんが作っているんですか?」

「ああ。それは、家に料理好きのオヤジがいて、毎朝早起きして作ってるのよ。『健康第一。食事って漢字は、『人を良くする事と書く』なんて言ってね。意味はよく分からないけど、口にするものはいずれは自分の血となり骨となるものだからって、色々とこだわりがあるみたい」

「なるほど。私たちが口にするものは、私自身の体になるというわけですね。そんな、お父さんの愛情が入ったお弁当を食べれば、ナナコちゃんもすぐに大きくなれそうですね」

「まあ……ね」

 当のナナコは、そんなオヤジの心配を知ってか知らずかデザートのバナナの皮をむいて、その甘美な果実を頬張っている。

「大丈夫、バナナは完全食品だ。栄養は十分に摂れている」

 そんなものかねと俺は、ナナコと由愛へと視線を向ける。

 ナナコの方はバナナの皮を剥いただけの、すらっとした起伏に乏しい貧相な体つき。由愛の方は打って変わって、出るところは出て引っ込むところは引っ込んだ、誰もが目を引くようなグラマラスボディをしている。とりわけメロンパンでも仕込んでいるかのような胸は、ノーマルな男なら視線を釘付けにされること間違いなしだろう。

 はっきり言って勝負にすらならない。まあ、勝負をする必要もないのだが、個人的にはナナコには女の子としてもう少し肉をつけて欲しいとは思う。

「まっ、ほどほどにね」

 俺はナナコの頭に手を置くと、ポンポンと軽く叩いた。

 ナナコは迷惑そうにジト目でこちらを見上げると、コクリとうなずいた。



「それで、さっき言っていたことは本当?」

 俺は由愛が用意してくれた食後のコーヒーに口をつけて懸案事項について訊ねた。

「最近この学園で起きている事件の話ですか?」

 昼食中、最近の女子高生の間で流行っていることなんかを聞くついでに、この学園で起きている事件についてもさり気なくリサーチしていた。

「ええ……。たしか、四月から今月までに、毎月一名、合計三名の被害者が出てるのよね」

「はい」と由愛は、神妙な面持ちでうなずいた。

 由愛が言うにはこういうことだった。

 くだんの事件。最初の被害者は、四月中旬。入学してようやくクラスメイト全員の顔と名前が一致した頃に出た。

 授業中、何の前触れもなく一人の生徒が倒れた。

 それだけなら、ただ単に体調の良くない女子高生が貧血で倒れたというだけの話だが、倒れた生徒が入学試験でトップの成績をとった有名人で、かつ、卒倒したその生徒が丸一日過ぎても目を覚まさなかったらしく、それでちょっとした騒動となった。その時は明確な原因は分からなかったのだが、入学直後の慣れない環境や、受験勉強で無理をし過ぎたことによる過度のストレスが原因だろうということで話が落ち着いた。

 次の事案は、ゴールデンウィーク明けに起こった。

 被害者(と言って良いのか分からないが)は、全日本ジュニアクラシック音楽コンクールのピアノ部門の優勝者で、本校の特待生だった。この生徒は、入学式直前まで海外を遠征で回っていたということもあり、国外で変なウィルスでももらってきたのではとパンデミックの可能性が示唆され、一時的に校内の話題となったそうだ。

 最後の被害者は、今月の頭に倒れたテニス部の新人のエースだった。入学前より超高校級の実力者と話題を集めた存在で、この学園のライバル校との練習試合に勝利した瞬間、眠りにおちたという話だった。

 計三名。学園の人間が意識を失い眠り続けた。これだけ被害者が増えると、当初学園とは関係ないと主張していた学園サイドも、これら事案を偶然で処理することは難しくなり、警察とは独自に調査をするため、うちの事務所へ依頼をすることとなった。

「学年の成績トップに、天才アーティスト、そして、テニス部のエースね……」

 現時点では、被害者は一年生限定。いずれもその他大勢の生徒とは違う、飛び抜けた能力を持った生徒と言うわけか……。

「被害に遭った生徒が憧れの存在ということもあって、みんなは『眠れる森の美女現象』とか『白雪姫シンドローム』なんて言っているみたいですよ」

 そう言いながら、由愛はタッパーに用意してあったデザートのリンゴをみんなに配る。

「と言っても、被害者の三名もずっと眠り続けているわけでも、王子様のキスで目覚めるってわけでもないんですけどね。今のところ長くても一週間以内には自然に目が覚めるみたいですよ」

「白雪姫に、眠れる森の美女か……」

 原因不明で突然眠りにおちるヒロイン。それら童話には、そのヒロインをねたむ悪意を持った犯人が存在している。そして、それらは、毒リンゴや魔術、超常現象的手法で、目的を果たす。今回の事件においても、犯人の目星はいまだついておらず、人を昏睡させるような物的証拠もあがってはいない。つまり、現在、事件解決の糸口すらない状態。何より、今、目の前の二人が何の前触れもなく昏睡状態に陥ってしまう可能性があるということだ。

 俺はゴクリと息を呑んだ。

 手のひらの、ウサギの形をしたリンゴが、じっとこちらを見つめている。

 何だか妙な感覚だ。果たして見ているのは俺自身なのか? 手の中のウサギなのか? そんな哲学的な錯覚を抱く。

「どうぞ食べてください」

 由愛に勧められ、俺はウサギの頭をかじる。口いっぱいに、甘くしょっぱい青春の味が広がる。

 憧れ、嫉妬、目標、挫折、喜び、悲しみ……。

 半年前まで俺も高校に通う身分だったので、学生ならではの悩みや問題は理解しているつもりだ。

「青春か……」

 やはり、被害者の特徴をかんがみるに、妬みの線で調査を行う必要がありそうだ。俺はシャクシャクとウサギの切れ端を噛み締めると、そんな言葉が口をついて出た。



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