episode8 第3話

 それから、つつがなく午後の授業を無事終えた俺は、ようやく自宅兼、探偵事務所になっているコンビニへと帰ってきた。

 ペロペロピローン。ペロペロピローン。

 聞き慣れたコンビニ入店音が俺を迎える。

 と、レジ向こうにどっしりと構えていた男が、俺を見つけてニヤリと笑う。

「おかえりなさい武蔵ちゃん」

 野郎の癖に妙に甲高い声がこちらへと投げかけられる。

 全身筋肉の塊のような鋼の肉体をした女装男が、妙になよったした腰つきで手招きをしている。

 俺は右手を上げて、男に返す。

 この人は俺のオヤジ。同時に我が探偵事務所の所長で、名を近藤むな志(こんどう むなし)という。

 オヤジといっても、俺の本当の父親ではない。赤ん坊の頃、親に捨てられた俺を拾い養ってくれた、いわば育ての親だ。

「ただいま。今日はオヤジがレジやってんのかよ?」

「そうなのよぉ~」

 腰をフリフリ、愚痴を漏らす女装オヤジ。

 なるほど、どうりで店に客がいないわけだ。俺は店内を見回して納得する。

 それも、この珍妙な格好をした店主のせいだ。女装もまだ性別が分からないようなグレーゾーンならまだ救いようもあるのだが、その姿は明らかにおっさんがただ女の格好をしただけだ。まさに、男装の麗人ならぬ、女装の変人だ。

 ――その男、オカマにつき。

 目の前のおっさんを一言で表すなら、そんな単純なネーミングがよく似合う。

 違う意味でムチムチなボディに合うサイズの制服がないので、本来は縦のストライプ柄が体のラインに合わせて歪みきっている。前掛けにしているエプロンなんてはち切れんばかりにピチピチで、いつ破れてもおかしくない。これでは人が寄り付くはずがない。コンビニ強盗どころか、普通の客でさえ裸足で逃げ出す。

 とはいえ、このコンビニはある意味裏の顔を隠すフェイク――世を忍ぶ仮の姿でしかないのであまり売上には期待していないので特には問題ない。

 それに、変なナリのオヤジだが、探偵としては超一流らしく今はそちらの方で何とか生計を立てている。そんなオヤジの影響もあってか俺も探偵の道を選ぶこととなった。

「随分お疲れみたいね」

「そうかな?」

 首を斜めにひねると、首の根元がポキポキと鳴った。自覚はないが、やはり実習初日ということもあり疲労が溜まっていたようだ。

「そういう時は、ほら、これでも飲んで元気出しなさい」

 オヤジはカウンターの下から何やら怪しげなドリンクを取り出した。

「マス……? 何だこりゃ?」

 ドリンクの外装には、書き殴ったようなフォントで、『魔巣裸王(ますらお)』とプリントされている。その隣には、『男汁1000mg配合!』のうたい文句。

「新製品の栄養ドリンク、『マスラオ』よ。それ一本で、瀕死の魔王も勃ちどころに元気になる、うちのコンビニ限定商品よ!」

 何だかベクトルは違うような気はするが、オヤジなりに一応心配はしてくれているのだろうか。苦笑いを浮かべつつ、

「お、おう。サンキュー」

 一応、お礼を言ってドリンクを受け取る。

「もう少ししたら夕食にするから、それまで部屋で休んでなさい」

 手を上げて自室に戻る俺に、

「だけど、元気になり過ぎて、くれぐれもハッスルしないようにね」

 ニヤリと笑うオヤジに、俺は『魔巣裸王』を投げつけその場を後にした。



                    *



「それで、初めての女子校潜入はどうだった?」

 オヤジが晩飯のしゃぶしゃぶを口にしながら訊いてきた。

 食卓の上には、黒豚をメインに、オヤジが特別に指定農家から取り寄せた無農薬の野菜が、グツグツと煮え立つ鍋に入れられるのを待っていた。

「ああ……。何というか、凄い所だったよ」

 斜め前の席に座るナナコは静かにネギの端っこをかじっている。

 女のナナコにとっては別段気にするほどでもないものかもしれないが、白百合女学園は男の俺にとっては頭がクラクラするような女性特有のフェロモンのような匂いに満ちていた。

 なので、個人的にはさっさと事件を解決して、あんな所からオサラバしたいところだ。

 というわけで、俺は黒豚をシャブシャブしながら、オヤジへと本日調査した事柄を報告して指示を仰いだ。

「なるほど、被害者って言っていいのか分からないけど、くだんの眠り病? にかかった生徒は3名。いずれも一年生とのことなのね」

「その通りだ。まだ調べきれていないので何とも言えないが、彼女らは何の前触れもなく突然意識を失って昏睡状態になったようだ。まあ、ただ普通に頑張り過ぎた生徒が寝不足で貧血を起こして倒れただけかもしれないがな……」

 俺はおどけたように肩をすくめて見せる。

「寝不足で、夜中にナニ頑張ってたって言うのよ?」

 唐突に身を乗り出してくるオヤジ。ったく、こいつはシモのことしか頭にないのか……。

「別に何も頑張ってないっての。その被害者が、偶然なのかどうか分からないけど、学内の目立った生徒ばかりだと言うことだ。つまり、憧れの存在が眠り病の被害者だったのさ。そんな法則性からか、被害にあった生徒たちは、『眠れる森の美女現象』とか『白雪姫シンドローム』なんて言われているらしい」

「白雪姫シンドロームね……。もしかして、王子様の熱いキッスで目覚めるのかしら?」

 唇をすぼめてキス顔をこちらに向けてくるオヤジ。

「いや、時間はかかるみたいだけど、自然と目が覚めるみたいだ」

 それをデコピンで軽くあしらって話を続ける。

「で、俺は今回の件、嫉妬や怨恨の線が濃厚だと思っているんだけど、オヤジはどう考える」

「それって、被害者に怨みを持った人間が首謀者で、その人が強力な眠り薬でも盛ったってこと?」

 うなずく俺にオヤジは、「そうね~」と伸びてきたアゴヒゲに手を当てて一考すると、

「だけど、人為的なものだとすれば、何がしかの物的証拠があってもおかしくはないと思うんだけど、それらしい薬物の投与は確認出来なかったんでしょ?」

「ああ。俺もそれが不思議なんだよ。俺の推測が正しいなら、絶対に何らかの証拠は残っているはずなんだが、警察発表ではその類のものは検出されていないときている」

 だとすると、やはりこれはただの偶然なのか? 三名ならば、ギリギリ偶然という線もないわけではないが……。いやいや。そもそも、俺の調査自体が不足していると言わざるを得ないし、それに、現段階では証拠の方も完全に開示されているとは限らない。

 目の前が白いモヤに覆われる。

 事件が発生するには、必ず原因となる何かが存在するはずだ。だが、今はその糸口すら見えていない状態に思えてしまう。どうにも掴みどころのない事件だ。

 グツグツと煮立っていた鍋をオヤジが弱火にしてなだめる。

「警察の捜査を信用していないわけじゃないんだけど、そんな理由もなく急に人が眠りにおちるなんてことが本当にあるんだろうか?」

「そりゃまあ、ないことはないけど……」

「え? マジ?」

「ええ。日中、本人の意思とは無関係に強い睡眠衝動に駆られる病気――ナルコレプシーというものがあるわね。その詳しい発症原因は不明だけど、一種の睡眠障害やストレスに起因するらしいわ。それに、この病気は思春期にもっとも多く発症する傾向にあるみたいだから、今回のケースにはもっとも当てと言えるかもね」

「へー。そんなものがあるのか」

 全然知らなかった。

「それじゃあ、今回の件もその可能性が濃厚だと?」

「うーん。そうとも言い難いわね。このナルコレプシーはそんなに症例の多い病気ではないから、同学年に三人もいるとは考えにくいかしら」

「じゃあ、一体原因は何なんだよ」

 考えがまとまらず俺は頭をかきむしる。

「それを調べるのが武蔵ちゃんのお仕事なんじゃない。潜入調査も初日なんだし、これからこれから!」

 オヤジは空になった鍋にうどんを二玉入れながらウィンクしてきた。

「まっ、そりゃそうだな……」

 何となく毒気を抜かれて、そこでこの話は終了となった。

「そんなことよりも、ナナコちゃんは学校慣れた?」

 シメのうどんの代りに、オヤジがナナコへとデザートのバナナを渡して訊いた。

「慣れた……」

 落ち着いたトーンの声でナナコが答える。

「そう?」

 オヤジはそんな素っ気ない答えでも満足したのか、ニコニコと朗らかな表情を浮かべている。まあ、この辺のことは下手に急かしても仕方ないので、徐々に慣らしていくのがベストだと思う。しかし、今日のところは飛びきりのネタがある。

「ヤオイさんだっけ?」

 助け舟と言うよりもちょっとした悪戯心で、俺は得意げにナナコへと話を振る。

「ヤオイですって!」

 そっち系の言葉にオヤジが前のめりになって喰い付く。

「そのヤオイじゃねーよ」

「そっちじゃなければどのヤオイなのよぉ~! 女子校にはそっち系の人が沢山いるって話じゃない。まさか、UFOの方とか言うんじゃないでしょうね?」

「違うよ」

 俺は焦らすように、一拍置いて続ける。

「実はな……」

 うずうずと鍋のうどんをかき混ぜながら次の言葉を待つオヤジ。ナナコの方はいつもの澄まし顔でバナナの皮をむいている。

「何とナナコに友達が出来たんだ! その子の名前が矢追なんだよ」

 その言葉に、オヤジがプルプルと小刻みに震えだす。

「おい、どうした?」

 只ならぬ様子に、俺は思わず立ち上がった。

「ようやく、ようやく、ナナコちゃんにも、友達が出来たと思ったら、嬉しくてね……」

 大粒の涙が彫りの深い頬を伝う。煮詰めすぎてクタクタになった野菜の入った小鉢に雫が落ちる。

 何も泣かなくてもと思いはすれど、俺自身共感する所もあるので黙ってうなずいた。

 全く感動屋なオヤジだ。見た目は盛大に胡散臭いオヤジだけど、こんな風に感情を素直に表現出来る人なので、親に捨てられた俺が今こうしていられるんだと思う。

 それにしても、涙で化粧がぐしゃぐしゃに崩れたオヤジの顔は身内でも結構怖い。俺はティッシュを渡して拭き取るように促す。

「ナナコちゃん、学校のこと、あまり話してくれないし……、ホント、良かったわ」

「よかった?」

 ほんの少し斜めに首をかしげるナナコ。

「ええ。良かった」

「なぜ? どうしてわたしのことなんて気にするの……?」

 ナナコは、不思議そうに化粧の剥がれたオヤジを見つめた。

「そりゃ~、気になるわよ。だってアタシたちは家族だもの」

「家族?」

 既に傾いていた首がさらに斜めになる。

「家族ではないわ。わたしたちは血は繋がっていないもの」

「何言ってるのよ。同じカマの飯を食べたら家族も同然よん」

 大きな手のひらを、隆起した胸板に当てて言い放つオヤジ。

「って、何、うまいこと言ったような顔してんだよ」

 肩をすくめる俺に、

「別にそんなつもりはないけど。ただ同じものを食べておいしいって思える……。同じ景色、同じことに感動出来る人。それも一つの家族なんじゃないかしら?」

 オヤジは、両の口角を思い切り持ち上げて笑う。

 ナナコの方も流石に呆れているのか、照れくさいのだろうか、口に含んだバナナをそのままに頬をぷっくりと膨らませたまま固まっている。

「学園の事件を解決するのは大切だけど、ナナコちゃんのことも大事。何よりも大切なのは家族ってことよ。と言うわけで、明日からも調査よろしくね、武蔵ちゃん」

 そのためにはパワーをつけないとねと、オヤジは同じカマの飯ではなく、同じ鍋のうどんを大盛りでこちらによこした。

「パワーね……」

 これを受け取ると、依頼を正式に引き受けたという証。解決まで手を抜いちゃ駄目だという暗黙の了解となってしまうような気がした。

 正直、今回の任務はあまり気乗りはしなかったが……。

 自慢の大胸筋に力を込めて、ホレホレと器を揺らして促す。

「ほらほら。いっぱい食べて元気だしてイキましょう」

「ったく、しゃーねーな。任されたよ」

 それを俺は仕方ないと言いつつも、素直に受け取った。



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