episode7 第26話

「そんな馬鹿な……。あの子は、ずっと私を恨んでいるんだと思ってたのに……」

 怜子が誰に聞かせるともなく呟く。それを側で聞いていたオヤジが首を横に振る。

「どうやらあなたも、勘違いをしていたみたいね。自分の本当の願いを……」

「勘違い?」

「あなたは、愛する人を取り返そうと願ったと言っていたわね。でも、本当の願いは、家族を取り戻すことだったんじゃない?」

 怜子は、目をカッと見開いた。

「違う! 違うわ……。何であなたにそんなことが分かるの?」

 首を横に振って明らかに動揺を隠せていない。

「分かるわよ。同じ母親じゃない」

「あなたと、同じ? 笑わせるんじゃないわよ。私は神になれる、神になるべき人間なのよ。私には、永遠の命も、優秀な人間も私の手にかかれば生み出すことが出来るのよ」

「いいえ。あなたは神になんてなれないわ。例え遺伝子組み換えで優秀な生物は作り出せても、人間は作ることは出来ない……。それに、神様に本当の人間は作り出せないわ」

「あなた一体何を言っているの? 神が人間を作ったんじゃなければ、誰が人間を作り出したって言うのよ!」

「そんなの決まりきっているじゃない」

 そう言うとオヤジは、怜子を指差した。

「わたし……?」

「そうよ。でも、神なんて高尚な存在じゃない。ただの人間――南波怜子よ」

 わけが分からないと言う表情の怜子に、オヤジはうなずいて見せる。

「あなたは、血や遺伝子の優劣だけで人の価値を決めようとしたけど、人間の全てはそれだけじゃないってアタシは思うわ」

 オヤジは、どっこいしょと、怜子の隣に座った。

「人が何故、『人間』って言うか分かる?」

 無言を決め込む怜子に構わずオヤジは話を続ける。

「人と人の間にあるもの。絆や愛。そう言う、目には見えないけど、人を人として繋ぎ止めておくものが必要なのよ。それを失くしてしまえば、人は人間でなくなってしまうわ」

「そんなの屁理屈だわ。そんなものに意味はないわ」

 怜子はそっぽを向いたまま、そう口にした。

「かもしれないわね……。でも、アタシは信じている。物事にはどんなものにだって意味があるって。あなたが、今ここにいるのにもきちんと意味があるのよ」

「言ったでしょ。私とあなたは違う。私の人生には意味なんてないわ……。ましてや、繋がりなんて……。私の人生は失ってばかりよ……」

 怜子は自らの手のひらを見つめて、ポツリと漏らした。

「あなたの言う通り。私は神になんてなれないのよ。クローンだって本当はまともに作れなかった……。きちんと成長出来たのは、ナナオとナナコだけよ。しかも、ナナオの方は、不完全な体で生み出しちゃって。私は……」

 手で顔を覆うと怜子は、自嘲気味に笑った。

「以降の実験は全部失敗。ずっと何かが足りないと思っていたんだけど、愛だったのね。私には出来ないはずね……」

「あなたは、自分自身が愛を求め過ぎたのよ……。女であり過ぎたのよ。だから、気付けなかったのね。本当に愛すべき人が近くにいたのを……。母親はね、子を愛するものなのよ。そういう風に母親って出来ているのよ」

「オカマが利いた風な口を……」

 強がりを言う怜子に、オヤジは「ふふふ」と笑うと、

「そうね。だけどね、アタシは、オカマである前に、この子たちの母でありたいのよ」

 俺たちの方へと視線を向けた。

「母……か……」

 怜子は仰向けになって天を仰ぎ見る。

「だが、私には分からないんだ……。どうやって母親になればいいのかが……。私自身が、母に愛されたことなどないのだから……」

 天を掴もうと手を真上に伸ばす。だが、その手は何も掴めないまま力なく下がると、そのまま手の甲で目を隠すと、悲しげに口の端を曲げた。

「そんなものね。誰だってそうなのよ。どうやってなるかなんて、最初から知っている人なんていないのよ。母親ってのはね。子供を生んだからなるんじゃないのよ。母親はね、子供と一緒に色んなことを経験しながら、母へとなっていくのよ」

 母親のような穏やかな笑みを怜子へと向けるオヤジ。

「子供と共に、母親に、なっていく……か」

 オヤジは怜子の手を掴んで引き起こす。

「確かにその通りなのでしょうね。あなたは強い人だな……。それに比べて私は、最初から完璧なヒトを生み出そうと……」

「誰だって間違うわよ。神様じゃないんだからね」

 両手を広げて肩をすくめて見せるオヤジに、

「まさか、オカマに説教されるとはね……」

 怜子はほんの少し表情を崩して口元を緩める。

「オカマってのはね、背負っているものがあるのよ」

 ニカッと白い歯を見せて無邪気に笑うオヤジ。

「私にもあなたみたいな人が――家族がいてくれたら、こんな風にならずにすんだのかもね」

「今を後悔するくらいなら、未来を信じて生き続けなさい。あなたはまだ全部を失ったわけじゃないでしょ?」

 オヤジは視線をこちらへと移す。怜子もそれにつられる。

 無言で向けられる怜子の視線に、ナナコはじっと体を強張らせた。

 それに呼応したのか、俺の方も無意識に姿勢を正す。

 形の良い切れ長の目が、その姿を捉えて離さない。

 怜子の瞳には今、何が映っているのだろうか? 自らが生み出した過去の後悔だろうか? それとも信じるべき未来なんだろうか?

「そうね……」

 怜子は晴れやかに笑う。だが、直ぐに表情を曇らせたかと思うと、

「しかし、私に出来るだろうか? もう一度取り戻すことが……。この手に掴むことが出来るのだろうか?」

 しおらしくはにかむ。

「何言ってるの。案ずるよりも産むがやすしよ」

 オヤジは怜子の尻を叩く。

 怜子は一歩を踏み出した。



 ギューっと強く手を握られ、俺はハッとした。

 振り向くと、隣には、母を求める幼く儚げな少女がいた。

 手のひらを通して、緊張が伝わる。

 その小さな体を抱きしめてあげたかった。不安を拭い、やがて流れ落ちる涙を受け止めてやりたかった。だけど、それは出来ない。俺が出来るのは、こうして手を握り返してやることだけだ。

 息子が泣いていいのは父親の胸で、娘が泣いていいのは――。

 俺は自然とナナコの背中を押していた。

 一歩踏み出すナナコ。

 不安そうに振り返る顔に、無言でうなずく。

 子が親を求めるように、親が子を求めるように、一歩、また一歩と二人は互いに引き寄せられていく。

 そして、二人は進むべき道の先、自分がいるべき場所に立っていた。

「…………」

「…………」

 向かい合う母子。

 ナナコがゆっくりと怜子の顔を見上げる。



「私は生まれてきても良かったんだよね……」



 真っ直ぐな少女の問いかけ。

 それが俺の心を貫いた。

 怜子のパンチよりも、オヤジのセクハラより、何より俺の胸をえぐる。

 俺も今までずっとこの子と同じことを考えていた。

 親に捨てられ、誰からも必要とされず、誰も必要とせず……。俺なんて生きていてもなんの意味もない存在だとずっと思っていた。そして、思うばかりで答えは出ず、ただ矛盾を抱えて生き続けていた。

 もしかすると、ナナコも同じように思っていたのかもしれない。そんな少女の問いかけに、母はなんと答えるだろうか? 俺は固唾を飲んで、見守った。

 怜子は一瞬悲しげに目を伏せた。だがすぐに顔を上げ、

「…………」

 黙ってナナコの肩に手を置いた。

「当たり前よ。当たり前じゃない」

 優しげに目を細め、怜子は床に膝をつくとナナコを自らの元に引き寄せる。

「あなたは、お母さんとお父さんが、愛し合って生まれたのよ。ナナコは、望まれて生まれてきたのよ」

 抱きしめ互いの胸を重ね合わせる。

「ドクンドクン……って聞こえる」

「ええ……。私にもはっきりと感じられるわ。これが世界が変わる瞬間なのね……。ようやく分かったわ」

 瞬きと同時に光るまぶた。

「あなたは私の運命……。ナナコは私の大切な娘よ」

 母の涙が、娘の髪に落ちる。

 それを拭うように、怜子はナナコの頭を撫で、手グシで髪をすく。

「おかあ……さん……。ありがとう……。私を、生んでくれて、ありがとう……」

 ナナコはその人形のように整った顔をクシャクシャにして、母の胸を濡らした。

 抱き合う二人を見て、俺は二人が本当に繋がったんだと、家族になれたんだと思った。

 絆は目には見えないけれど、俺は目の前に絆が存在していると感じていた。

 ああ……。良かった……。

 その光景を目にして目頭が熱くなるのを感じた。だけど、泣いては駄目だ。俺にはこの光景を目に焼けつける義務がある。



 ――これが、俺が見たかった世界だ。



「依頼……完了ね……」

「え?」

 振り向くと、オヤジが俺の横に立っていた。

「あの子の憎んだ母親を殺すこと。それが、ナナコちゃんの依頼だったでしょ?」

 そう言うと、オヤジは目の前の母子を示した。

 そこにはさっきまでいた、子を憎む悪魔はいなかった。その代わりに、少女を胸に抱く聖母の姿があった。

 俺の目には、仲の良い二人の家族が映っていた。

 二人は今までの時間を取り戻すかのように、いつまでも抱き合っていた。

「ああ。そうだな。ミッションコンプリート、だな……」

 双子のようによく似た親子が抱き合い、全く似ていない親子が笑い合った。

「オヤジ……。もしかして、最初からあの二人のことを知っていて、それで俺にこの依頼を解決するようにしたんじゃないのか?」

 今さらながらそんな風に思ってしまう。

「そんなわけないじゃない。タマタマよ、タマタマ。ツイてただけよ。世の中は全部タマタマの産物なのよ」

 自らの股間(せがれ)を弄りながら、オヤジはそれを否定する。しかし、どうにもふに落ちない。

「タマタマ……ね。確かに、生命の神秘、人の命の源……だからな」

 こんな風にして、いつものように、軽口をたたき合うのもいいだろう。それだけでも、俺たちは分かりあえるのだから。

 この世の中、言葉にしなくても伝わる思いはある。

 親兄弟、親友、恋人、親しい間柄なら顔を見るだけで、相手の考えていることも分かるだろう。だけど、言葉にしなければ伝わらない想いも確かに存在する。

 オヤジは、俺にとって父であり、母でもあった。何より、自分の人生を犠牲にして、俺をここまで育ててくれた大切な家族だ。

「俺、ずっとあんたにお礼を言いたいって思ってたんだ……」

 もしかすると、もう言葉にすることはないのかもしれない。

「オヤジ……。ありがとう。俺を見つけてくれて、拾ってくれて、育ててくれて……。愛してくれて、ありがとう……」

 だから、堂々と言おう。

「俺、生まれてきて本当に良かったよ」

 その時の俺がどんな顔をしていたかは分からない。だけど、オヤジの表情は、慈愛に満ち足りていて、ほんの少しだけにじんで見えた。

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