episode7 第21話

 さっき突進してきたのはこいつか……。

「くっ、何だこいつは?」

「ママよ……。さっ、ママ。おいで」

 怜子の呼び声に、その化け物は大人しく従った。

「ママ?」

 オヤジは言っていた。先代の所長。この女の母親は様々な生物の遺伝の組み換え実験を行っていたと。そして、晩年発狂し、失踪してその姿を見た者は誰もいないと。

 怜子の隣にいる化け物。頭部は牛なのに、体の方は人間の形をしている。引き締まった筋肉。下半身は茶色い毛で黒々と覆われているが、上半身は女性的なバストが揺れていた。

 嫌な想像で背中に汗がにじむ。

「あんた、まさか、ここの所長を……。自分の母親を……」

「また半分正解。前の所長じゃないわ。継母(ママハハ)の時は実験中にちょーとミスちゃってね。だけど、あの人の失敗のおかげで実験は成功した」

 怜子は牛のアゴを撫でる。

「紹介するわ。私の実のママよ」

 実のママ? と言うことは、怜子は……。

「あちらは……。コンドームさん、だったかしら? 全く皮肉な名前ね。何も生み出さない最低な名前……。さっ、ママ。挨拶して」

「モォォォォ――――!」

 ママと呼ばれた生物が天に吠える。

「前の所長は異種交配の研究に熱心でね。究極生物を創り出すなんて息巻いていたけど、結局上手く生命体を生み出せないまま研究は失敗」

 自分の体まで犠牲にしたのにねと、怜子は口元を隠して笑いをかみ殺す。

「何の役にも立たない研究だったけど、育てて貰った恩義は恩義。引き継いだ研究の成果を実の母親で実証する。感動的じゃない? ママは、いつも言ってたもんね。『もー、あなったって子は』、『もー、何で出来ないのよ』って。だから、望み通り、『もーもー』言うしか脳のない生き物にしてあげたのよ。そのせいで頭はパァになっちゃったけどね」

「モォォォォ――――!」

 悲しい鳴き声が、フロア全体に響き渡る。

「相変わらず、うるさい人ね」

 怜子は、母の頭をこづく。

「お前! 自分が何をしたのか分かっているのか!」

「何って?」

「うるさくても。それが親じゃないのかよ……。あんたの、母親じゃないのかよ……」

「金のために自分の娘を売り飛ばす人間が親ぁぁ?」

 怜子は勢いをつけてママのボディを殴りつける。

「貧乏暮らし。毎日毎日、狭い部屋で食事なんてまともに与えられず、一日で小さなおにぎり一個の時もあった。でも、その子は文句も言わず、時には母の手助けになろうと頑張った。だけど、この人は、その健気な娘を養子縁組みと言う名目で売り飛ばしたのよ……。この研究所に売り飛ばされて、私は必死に自分の才能を示してのし上がってきたのよ。それで、ここの所長になったかと思えば、私をゴミのように捨てたはずの人間が今さら会いたいって? 笑える話よね」

 笑えるわけがない。実の親から見捨てられ、一生懸命に自分の存在理由を見出そうとした怜子を想像し、俺はやるせない思いでいっぱいになった。

「でも、まあいいわ。こうして下僕も出来たことだしね。さっ、ママ。今度はちゃんと狙いなさい」

 怜子がママへと、俺たちを仕留めるよう指示を出す。

「待て!」

 説得を試みるが、言葉が通じないのか問答無用とママはこちらへと直進してくる。

 ナナコは魂が抜けたようにナナオを見ている。

 ――仕方がない。

 ナナコから離れ、俺はジャンパーを広げて裏地の赤をママへと晒す。

「こっちだぞ!」

 でかい声を出して注意を引く。

「モォォォォ――――!」

 ママがこちらへと向き直る。

 どうやら上手くいったようだ。

 ダッ、ダッ、ダッ、ダッ――。

 突進するママを闘牛士よろしく、「よっ」、「はっ」とすんでのところでかわす。

 逃げの一手で策を練る時間かせぎだ。

 悲しいかな、俺にはこいつとまともにやり合う自信はない。

 ママのスピードは速い。まるで、アクセルベタ踏みの軽トラックが、俺目がけて直進しているようだ。もしも、その直撃を受ければ、ただでは済まないだろう。しかし、その動きは直線的なので、予想し、避けるのはたやすい。

 とはいえ、逃げてばかりではこちらの体力がもたない。

「はぁ……。はぁ……。はぁ……。はぁ……」

 呼吸が乱れる。

 額ににじむ汗を拭う。

 シャツの一番上のボタンは、もう既に空いているので、肩で息をしながら二番目のボタンを外した。

 俺の方は、疲労が如実に表れている。しかし、ママの方は元気ビンビンという感じで突っ込んでくる。遺伝子をいじっているせいか身体能力は強化されているようだ。

 このままでは、いずれ掴まってしまうだろう。しかし、諦めるわけにはいかない。俺がママを引き付けるのを諦めればきっとその標的はナナコへと取って代わるだろう。

 とにかく体力の持つまでやってやる。そう覚悟を決めると、俺は顔を上げ、「さあ来い!」と目いっぱいジャンパーの赤を見せつけた。

「ママ! もうそいつは放っておいていいから、あっちをやりなさい」

 フロアへと響き渡る命令。怜子が、いまだ棒立ちを続けているナナコを指差す。

 ――なっ!

「しまった!」

 言うが早いか、既にママはナナコへと方向転換して、ズリズリと右足で地面をかいている。

「モォォォォ――――!」

 しっかりと狙いを定め、ママが自らの頭部にある鋭利な二本の角をナナコへと向ける。

 俺とナナコ、そして、ママの位置関係は、それぞれが『V』の字の各頂点にいる。つまりは、俺がママよりも速く動かなければ、ナナコを庇うことも、ママの突進を妨害することも出来ない。

 ともかく、コンマ一秒のタイムロスも惜しい。すぐさま、ナナコの方へと動き始める。その動きに反応したのかママの方も走り出していた。

 ママの動きを横目で見ながら、全身全霊をかけ、がむしゃらに突っ走った。だが、想いとは裏腹に、俺とナナコの距離は、ママとナナコのそれから徐々に離されている。

 くそっ! 間に合わない。

 俺は歪めた顔を伏せかける。だが――。



 チン――!



 ナナコの背中越しに小さく見えるエレベーターの扉が開いていく。

 ――一体誰だ?

 見ると、そこには全身を黒いライダースーツに身を包み、土下座でもするかのように頭を下げた野郎がいた。いや、これは土下座ではない。よく見ると、そのガタイのいい男はクラウチングスタートの格好をしている。

 扉が半分ほど開いた所で、スローモーションのようにゆっくりと男の顔が上げられる。遠目でも、目と鼻と口が判別出来るほど化粧が濃いヤカラ。

 オカマだ――。

 そう思った瞬間、

「GO!」

 オカマが腹から声出すと、両腕をちぎれそうなほど振りながらダッシュしたかと思うと、瞬きをする間にナナコの前に割って入る。

 ガン――!

 まるで、鉄のハンマー同士がぶつかったような鈍い音がした。

「お・ま・た☆」

 ママの肩越しから、人懐っこい笑顔をこちらへ投げかけてくるオカマ。くぱぁとガニ股気味に股を開いて見せてくる。

「オヤジ!」

 牛の角を両手でがっしりと掴んで押し戻している。人の域を越えたパワーに太刀打ち出来るとは、さすがはオヤジ。

「全く、なーにが、『お・ま・た』だ!」

「それじゃあ、『お・た・ま?』」

 自身のおタマを、腰を浮かせるようにクイッと突き出す。

「ったく、冗談言ってる場合かよ。遅いんだよ!」

 悪態をつきながらも、そのニヤケづらにホッとしている自分がいる。

「これでも、超特急で来たのよ」

 再び覗かせた顔には、バッチリと化粧が施されていた。

「って、遅くなった原因はそれかよ!」

「そんなわけないでしょ。いいから、武蔵ちゃんはナナコちゃんを守ってあげなさい」

 そうだ。馬鹿やっている場合じゃない。

「オヤジ、実は――」

 事情を伝えようとした所で、

「ええ。話は聞かせて貰ったわ」

 オヤジは、耳に突っ込まれたイヤホンを見せた。

「あんた、まさか盗聴器仕込んでたのか」

「シリませんでした?」

 その言葉にハッとする。

 出がけにオヤジに尻を叩かれたのを思い出した。

 ズボンのケツポケットを探ると、案の定、小型の盗聴器が出てくる。俺はそれをオヤジへと投げつけた。

 オヤジはママの眉間を殴って怯ませて、片手でそれを受け取る。

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