episode7 第20話
文字通り階段の上から、“上から目線”で見下ろす南波怜子。
「で、そう言うあなたは……。あら? あなた、どこかで見た顔ね……」
眼鏡の向こうのまなこが切れ長に変形し、俺の姿を捉える。右目を閉じ右手の人差し指を額に当て、怜子は自らの中の記憶の糸を探っている。俺は考えるまでもなく、こんな奴にあった記憶はない。美女は一度見れば脳の海馬に刻み込まれる仕組みになっている。怜子の方は、もしかすると、研究所の監視カメラか何かで俺の姿を見たのだろうか?
「俺は、近藤武蔵。探偵をやっている」
「コンドー? ああ、最近学内を嗅ぎ回っているオカマ探偵と言うのはあなたね」
ズルっと、足元がすべる。ヌルヌルとした液体でも踏んでしまったようだ。
「ち、違うが、まあ、似たようなもんだ」
面倒くさいのでそのまま流す。
「それよりも、あんた。ここで人間のクローンを作っているって本当か?」
まずは、ナナコが言っていたことを確認する。それが嘘なら、それまでだ。ナナコにゲンコツでも食らわして叱ってやる。そして、こいつを本当の家族の元へと送り届けて任務完了だ。
「本当よ」
間髪を入れず、怜子は言い放つ。そして、
「それに訊いたのね?」
ナナコをアゴで指し示す。
「証拠は?」
「証拠も何も、あなたの横にいるじゃない。立派な物的証拠が。それは、私が生み出した産物。ナナよ」
くっ――。こいつも、ナナコと同じこと言いやがる。これじゃ、本当にナナコが正しいみたいじゃないか。
ん? 俺は怜子が言った言葉に違和感を覚える。
「ナナ? あんた、今、ナナって言ったか?」
「ええ、言ったわ」
どういうことだ?
「この子はナナコじゃないのか?」
「ナナコ? 何を言っている? それは、ナナだ。それ固有な呼び方をすれば、ナナX。メスの、X染色体を持ったナナよ」
ナナ――。怜子のイントネーションに更に違和感を覚える。
「そもそも、“それ”には名前なんてないのよ。それの正式な製造番号は『007』。この研究所で七番目に生み出された実験体。クローン、ナンバーナナよ」
俺の横にいたナナコが、ピクンと震える。
それを見て俺の中にある、人としての魂のようなものがドクンと震えた。
「……ざけるな……」
怒りで声がかすれる。
「ふざけるなよ……。この子は、人間だ。ものじゃない。だから、『それ』なんて呼ぶな!」
はぁ? と怜子は明らかに侮蔑に満ちた表情を浮かべた。
「それが人間? それは単なる失敗作よ。それの片割れ。感情を持った、オスのY染色体を持ったナナ――ナナYの方ならともかく、それは笑いもしない、泣きもしない。それが、どうして人間なんて言えるのかしら?」
何て冷たい目をした人なんだ。こんな冷徹な目を向けられるのは初めてだ。この人はナナコのことどころか、俺のことさえ人としては見ていないような気になってくる。
熱くなっていた体が次第に冷えていく。
一体何なんだ? この女は?
改めてその姿を見つめる。
気味の悪いくらい整った顔立ち。シミ一つない真っ白い肌に、腰まで伸びた艶やかな黒髪。それらが、ナナコを思わせ、まるでナナコが流暢に喋っているみたいで気持ちが悪い。
そう、似ている。いや、似すぎている……。
「そうか分かったぞ。この子は、あんたのクローンってわけか?」
怜子は右目を閉じて、口を閉じたまま鼻で大きく息を吸い込む。白衣ごしに大きな胸が揺れる。
「正解……。と言いたい所だけど、半分正解って所かしら」
人差し指を一本立てて見せ、
「その子はただのクローンじゃない……。半分クローンなのよ」
中指も立てて裏ピースサインをこちらに向ける。
「半分は私の遺伝子。もう半分は、私が愛する人の遺伝子。それらを掛け合わせて生まれたのがナナなのよ。そのお陰で、一卵性の異性別の双子なんて稀少なクローンが作れたってわけ」
親指を裏ピースの間に挟んで握り、『性交』を意味する形を作る怜子。
怜子の遺伝子と、別の人間の遺伝子を掛け合わせたて生まれた存在……?
「それって、何て言うか、ただの子供じゃないのか?」
「それは違うわ。私たちは、性交はしていない。それに、あなたが考えているような単純な精子と卵子が合わさって出来たんじゃない。高度な実験によって生み出されたクローンよ」
なら紛らわしいポーズ取るなっての。
「それは紛れもなく実験によって生み出された試験管ベイビーよ」
それじゃあ本当にナナコは閉じ込められ、母の温もりを知らずに生きてきたというのか……。
「それに、あの人はこの事例を成功とは認めていない。ミラー・ツインでは失敗だと、この研究所を出て行った。だから、私はあの人を取り戻すための、あの人を生み出すための研究をしている」
あの人ってのは、ナナコの父にあたる人物。怜子のパートナーと言うことなのだろうな。
そいつを取り戻すためにクローン研究? それこそ、ふざけるな。
「ちょっと待てよ。あんた、そんなことのために、実の子を手にかけ、見知らぬ兄妹を拉致までしたのか?」
その言葉に、怜子の整った顔はみるみる崩れ、怒りに満ちていった。
「そんなことのため? あの人は、この私の研究を認めてくれた唯一の人だった……。あの頃は、誰もがヒトのクローン研究なんてと言っていた。ヒューマニズムなんてちゃちな言葉で、ヒトクローンの研究を制限するなんておかしな話よ。人類の発展にリスクはつきものなのに、どうして分からないのかしら?」
フンと頭を振って長い後ろ髪をその反動でまとめると、そのまま自身も反転する。
「だけど、あの人だけは違った。私のやろうとしていることを理解し、クローン実験の研究に協力してくれたわ。私にとってあの人は唯一無二の存在なのよ」
怜子はナナオが閉じ込められている水槽に触れて目を細めた。
「なら、会いにいけばいいじゃないか。それで全部済む問題じゃないのかよ! それなのに、何で……。何でこんな研究したり、誰かを傷つける必要があるんだよ!」
「それでは駄目なのよ。それじゃあの人は私を認めてくれない。あの人は優秀な人間だけしか認めてはくれないのよ」
焦点の合わない怜子が、何かに取り憑かれたように呟き、体を震わせた。
「それにこの実験に成功すれば、きっとあの人本人もここに戻って来てくれるはずよ。そう……。賽は投げられた。もうすぐ世界は変わる。あの兄妹がこの医大に入学したことも、何もかも全部運命なのよ」
カツン――。カツン――と階段を踏みしめる音が反響してフロアに響く。
「あの兄妹の双子のお陰でようやく分かった。双子の親を完全にクローン化するには、双子、両方のDNAをサンプリングして掛け合わせる必要があったんだって。つまり、あの人にもう一度会うためには、ナナXとナナY両方の遺伝子が必要だったのよ」
怜子はナナコの前に立ちすくむ。
「…………」
長身の怜子をナナコが無言で見上げている。
「だから、私にはあの人を作り出すため、それの遺伝子情報が必要なのよ。良かったわね。ようやく私の役に立てるわよ。あなたは父のクローンを完成させるために、この時のために生み出されたのよ」
さあと、怜子は手を伸ばす。
「そのために生み出された……」
弱々しい呟き。その瞳から光が消える。
どうにも怜子が現れてから、ナナコの様子がおかしい。今もかすかに言葉を吐き出したと思ったら、固まったように動かなくなってしまった。
俺はナナコを庇うように、二人の間に割って入る。
「あんた、この子をずっと放っておいたんだろ? なのに今になって戻って来いなんて、随分と虫のいい話だな」
「な~に? 邪魔しようっての?」
いかにも人を見下した態度でこちらへと視線を向ける怜子。
「さあな。だが、あんたが今までのこいつへの行いを悔い改めるってんなら交渉の余地はあると思うぜ」
「何のことよ?」
「この子を閉じ込めたりせず、人として扱えってことだ」
「おかしなことを言う人ね。それはモノよ。あの人を生み出すためのただの触媒。モノをモノとして扱って何が悪いと言うのかしら」
「そうか……」
この人にほんの少しのでも人の心が残っていればと期待したのだが、それは無理な相談だったようだ。
「なら、少なくともあんたには渡せないね」
ナナコの肩に触れ一歩後ずさる。
「交渉決裂……みたいね。まあ、いいわ。それなら、動かなくなってから、ゆっくりと回収させて頂こうかしら……」
「何?」
鼻で笑ってこちらを見やる怜子。その視線は若干俺たちから外れてた。
と、怜子は、アゴをクイッと上げる。
俺は嫌な殺気を背中に感じ、首だけをひねって確認する。視界の端に物凄いスピードで迫る人影が映る。
――まずい!
とっさにナナコの肩を力いっぱい押す。そして、俺自身もその反作用と地面を蹴る力を利用して横へ跳び、背後からの突進を回避する。
二人の間を稲妻のように駆け抜ける物体。
「ふ~ん。いい反応するじゃない。少しはやるようね。ママの突進をかわすなんて」
ニヤリと笑ってみせる怜子。
ナナコは、地面に突っ伏してはいるがどうやら無事らしい。俺はナナコへと駆け寄って立たせてやる。
「モォォォォ――――!」
叫ぶケモノ。
見ると、牛頭人身の怪物――ミノタウロスのような化け物がにじり寄って来て、俺たちの前に立ちはだかっていた。
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