episode7 第19話
それからナナコは迷わずに目的地へと進んだ。と言うよりは、迷いようがなかった。
南波研究所、通用口の脇のエレベーター。ナナコはそこで立ち止まると、『▽』ボタンを押す。
しばらく待って到着したエレベーターに乗ると、ナナコは兄のものだと言ったICカードをコントロールパネルにある黒い読み取り機へ近づける。ピッと電子音が鳴る。ふわりと体が浮くような感じがして、エレベーターが動き始めた。
「…………」
黙って現在位置を示しているエレベーターの上部で光るパネルを見つめる。
B1、B2、……、B10。予め用意されている階数を過ぎてもエレベーターは止まらずに、さらに地下へと降りて行く。
秘密のフロアでもあるんだろう。ベタな展開だが、おそらくそこにナナコを生みだした者がいるのだろう。
ナナコは今どんな気持ちでいるのだろうか? だが、俺の前に立つナナコの表情は、長い黒髪に阻まれてうかがい知ることは出来ない。
鬼が出るか蛇が出るか……。
緊張で唾を何度も飲みこむ。
ズシン――。
無重力の世界から、通常の世界に戻ったのか、自らの体の重さに足元がふらつく。
どうやら目的地へと付いたようだ。
――チン。
この重い雰囲気に似つかわしくない、軽快な音を立てて扉が開く。
「っ――」
最初に俺たちを迎えたのは、すえた臭いだった。ツンとした匂いに、思わず鼻をふさぐ。換気ファンが回っているのが視界の端に見えるが、匂いが強烈過ぎてあまり意味をなしていないようだ。
扉から一歩踏み出すと、底冷えのする部屋にブルッと全身が震えた。
はー、と手のひらに息を吐きかける。
無色透明の息が吐き出され、若干の温もりを手のひらに感じる。白いものが出るかとも思ったが、さすがにそこまでは寒くはないみたいだ。まあ、冷蔵庫いるわけでもないので当然か。
しかし、単純に温度が冷たいという理由だけでなく、ここはどうにも妙な寒気と言うか悪寒を肌で感じる。男性自身が縮こまるような緊張感が全身に走る。
ナナコの方は、特にそれらを気にするわけでもなく、いつもの無表情で歩を進める。
空間としては、ざっと見、サッカーグラウンドくらいの大きさ。25メートル×15メートルのプールが、すっぽりと入るくらいあるだろうか。フロアには、寿司屋にある生け簀と言うか、水族館で見たことがあるような円柱の形をした水槽が並んでいた。
――一体、ここは何なんだ?
あまりにも息が詰まり、ナナコにそう訊ねようとしたが、その必要はなかった。
並べられた水槽の中のモノを見れば一目了然だった。
悪寒を感じたのか、鳥肌が立っている。人ではない、生物としての本能がここに居ては危険だと警告を発している。
死屍累々。
ここは、屍たちの貯蔵庫だった。
液体に漬けられた人の手足。頭部、体は言うに及ばず、映像でしか見たことのないような臓物が、プカプカと水槽の中で浮かんでいた。
立ち込める死臭に吐き気を覚える。
もしも地獄と言うものがあるならば、俺は今その地に立ち歩いているのだと思った。
ここには、ヒトを形作る全てのモノが存在していた。
――人のクローンを作っている。
ナナコが言っていたことが、あながち嘘とは言えないように思えてくる。
ここは、俺の想像を遥かに凌駕している。俺は考えるのを止め、ナナコへと視線を移した。
ナナコは導かれるように真っ直ぐに進む。しかし、そんなに大きな部屋でもないので、ナナコは目的の場所へとたどり着いたようで突然立ち止まった。
「ナナオ……」
見上げた先には、その辺で見たものよりも綺麗な水槽があった。そのガラス張りの向こうに、ナナコとよく似た少年の亡きがらが、生まれたままの姿で浮遊している。
「亡くなっていたのか……」
その生死まで聞いた覚えはなかったが、まさか、死んでいるなんてな……。
ナナコの兄――ナナオと呼ばれた少年の姿は、この研究所の端末で見た画像よりも、肉体的に大きく成長し、顔つきもやや女性的な美しさを残しながらも凛々しくなっている。これなら確かにナナコの言う通り、十六歳くらいには見える。
と言うことは、つい最近までは成長し続けていた……。つまりは、生きていたと言うことか?
「四日前に」
いつも通りの無表情にも見えたが、俺にはナナコの眉間がわずかばかり強張っているように思えた。暗い照明のせいか、いつもは汚れのない白い肌はどことなくカサカサな印象を受ける。
「本当かよ……」
四日前と言うことは、俺たちがナナコと出逢う前日に亡くなったということか。
だから、ナナコは俺たちの所へ母親を殺すと言う依頼を持ってきたのか……。もしかすると、ナナコの兄――ナナオを殺したのは、その母親なのかもしれない。だとすれば、母殺しが自分と兄の願いだと言ったのも理解出来なくもない。
「すぐにここから出してあげるわ」
ナナコが、ナナオへと一歩踏み出した瞬間、
「兄妹の感動の再会って所かしら?」
水槽の脇にある階段上から、白衣を着た女性が声をかけてきた。
「――――!」
ビックリして心臓が口から飛び出しそうになるのを、両手を使って無理やり押さえつける。
こんなところに人がいるなんて予想していなかったので、まさに度肝を抜かれた気分だ。軽く深呼吸をして気分を落ち着ける。
見ると、その女性は、長身で、細身のスラリとしたスタイルの眼鏡美女だった。気配もなく、いきなり現れたのでもしかすると幽霊なのかもと思ったが、タイトスカートの先には、長く綺麗な足がきちんと二本ついていた。
階段の向こうに扉が見えるので、どうやらそこから出てきたようだ。
「…………」
ナナコの方は、ただ黙って目を多く見開いてその女性を見つめていた。
「待ってたわよ。ナナ。サーバーのログに、あの子のログイン履歴があったから近いうちに会えると思っていたわ」
あの子? こいつが言っているのは、ナナコの兄のナナオのことか?
と言うことは、
「あんたが、南波怜子か?」
率直にその正体を問いただした。
「いかにも。私が、ここの所長の南波怜子。それの生みの親って所かしら?」
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