episode7 第17話
第四章 「あなたが生まれてきた理由」
医大の正門脇で待つ男が一人。
「オヤジの奴、やり残しって一体何なんだよ……」
勢いでコンビニを飛び出してここまで来た。だけど、俺をその気にさせたオヤジ自身はどうするんだろうと携帯で連絡すると、『ちょっとまだやることが残っていてね。でも、すぐに追いかけるから大丈夫よん』なんて軽く返された。
一体、ナニをやっているんだか……。
まっ、あのオヤジのことだ。心配いらないか……。
それは置いておくとして、待ち人の本命はまだか?
あの研究所に行くとすればここを通るはずなんだが、しばらく待っても来ないので色々と心配になってきた。
ここまでスクーターを目いっぱい飛ばしてきたので、既にあいつ一人で乗り込んだってことはないと思うが……。
例えば、タクシーを使ったなら二十分足らずでここまでたどり着ける。
――まさか、既に侵入済みなのか?
「それは、ねーな」
左右に首を振って否定する。あいつが、手を上げて、『ヘイ、タクシー』なんてやっている姿は全く想像出来ない。
もしかすると、バスか? たしか、コンビニの最寄りのバス停から医大前に直通するやつがあったはずだ。
いやいや、それもないだろう。律義にバスを待つ姿までは想像出来るが、あの『とまりますボタン』(正式名称は何と言うのだろうか)を押しているあいつの姿は想像出来ない。
つま先立ちして背伸びをしてボタンをおしている姿を夢想して、プッと噴き出す。
だが、これは笑いごとでは済まない。あの子の生活感のなさは異常だ。どんな生活を送ってきたらあんな風になるのかと不審に思っていたが、確かにあいつが言っていたことが本当だとすれば、あの素行にも素直にうなずける。
「愛を知らずに育った子……か……」
何となく呟いてみる。
ヒューッと脇を夜風が通り過ぎ去っていく。五月になったとはいえ、夜はまだまだ肌寒い。俺はジャンパーの襟を立ててそれに抗う。
暇を持て余し、足早に走り去っていくサラリーマンを目で追いかける。あの人には帰るべき家が、家庭があるんだろうと思ってしまう。
辺りを見てみると、そこら中が温かな光に溢れているのに気が付く。その数の多さに、自分が一人なんだと思い知らされる。
厳密に言えばオヤジがいるので一人ではないけど、孤独は俺の中に確かに存在している。
かつてのオヤジもこんな想いを抱いていたのだろうか……。そして、あいつも今、そんなことを考えながらここへと近づいているのだろうか……。
「ちっ!」
ズボンのポケットに手を入れて無理やり思考を停止する。だが、それは叶わぬ願いとなりそうだ……。
スクーターのライトが、一つのシルエットを映し出す。
小さな体が形作る、大きすぎる影。
予想通り徒歩でやってくるノラ猫。
「お前、一人でイってどうすんだよ?」
そのまま横を素通りしようとしたナナコに声をかける。
「あの人を殺すわ」
こちらに一瞥もくれず言い放つ。
出来るだけ穏便にいきたかったが、そうもいかないらしい。
「馬鹿野郎! そんなことして、何になるんだ」
「分からないわ」
「分からないって……。お前……」
「これは私たちの願いと言ったはずよ。夢、とでも言った方が分かりやすいのかしら……」
「何だよそれ……。何が、夢だ……。何でそんなこと言うんだよ」
やはり、俺にはこの子が何を考えているのか理解出来ない。
「何故、そんな顔をする……。私の人生だ。どうしようと私の勝手だ」
「違う! 自分の人生だから大切にしないといけないんじゃないのか? それに、そんなことをして、お前の方が、逆に殺されたらどうするんだよ」
「別に構わないわ。私は全てを終らせに……。私は、死にに行くんだもの……」
「っ――」
何か言いたかった。でも、何も言うことが出来なかった。
かけるべき言葉が見当たらない。
オヤジは、ナナコのことが分からないならこれから知ればいいと言った。だが、この子が見ている世界が理解出来なかった。これからも何も、この子には、この世界や自分の人生。過去も未来も、自分が関わるべきもの全てに、まるで関心がないんだ。
「それに、私が死んでも誰も悲しまないわ」
「悲しむよ!」
吐き出すように答えた。
「オヤジが……、悲しむよ……」
「…………」
「俺だって……」
くそっ。オヤジみたいに上手く言葉に出来ない自分がもどかしい。
「そう……」
我関せず。
まるで、『明日は晴れみたいだね』、『そう……』なんて日常会話でもするように、ナナコは答えた。
「話はそれだけ? それじゃあ私はもう行くから」
ナナコは勝手に会話を終了し、一歩踏み出す。自分だけの世界に帰っていく。
一人歩き始めるその背中は、他人を、自分さえも拒絶しているようにも見えた。
オヤジが駆け付けるまで時間をかせぎたかったけど、どうやら俺にはこいつを説得出来そうもない。
「くっ――」
オヤジには死ぬほど呆れられ、どやされるかもしれない。だけど、俺は他にやり方を知らない。
だから、俺はそれを掴んだ。物理的に。
「待てよ」
スカートの裾を引っ張って、その歩みを止める。
「俺も、行くよ」
「…………」
うつむきがちの顔がわずかに持ちあがる。
「行く? どこに?」
「そんなの知るか。お前が行きたい所へついてイクって言ってんだよ。イク時は一緒だ」
こうなりゃヤケだ。
この子を止めることなど俺には出来ない。それほどにこいつの意志は固い。ならば、せめて最後まで見届けよう。
「あなた、死ぬかもしれないわよ」
「ああ。構わないさ。でも、俺が死んでも誰も悲しまない」
「あの人が、悲しむわ」
俺の生死に構いそうなカマ野郎が脳裏に浮かぶ。
「ああ。だから、俺は死なない……。死ねないんだ……」
「矛盾してるわ」
人間なんて矛盾した存在だ。痩せたいと言いながら食べ、愛されたいと口にしながら愛さない。それが人間と言う矛盾した存在なんだ。
「ああ。だから、お前と同じだ。お前が死んだら悲しむ奴がここにいる。だから、お前と、一緒に行くんだ」
「…………」
ナナコはそれ以上何も言わなかった。それから、目にかかった前髪を払う代わりに静かに瞬きをしてゆっくりと歩き始める。
俺はそれを肯定だと受け取り、ナナコの後に続いた。
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