episode7 第13話
ナナコのその境遇を耳にして、俺は前に依頼で捕まえた迷いハムスター。ケージから逃げ出したハムスターのことを思い出していた。
捕まえたハムスターを渡すと、依頼者は、「ご苦労様」と言ってそいつをケージへと放りこんだ。そして、ハムスターをかえりみることもなく、得意そうにケージの説明を始めた。
ハムスターが突けば、自動的に水と餌が出るギミック。全自動で温度管理されるエアコン付きだと、自慢した。こんな快適な場所なのに、何故逃げ出したのか分からないと、依頼者は鼻で笑った。
あんたには一生かかっても分からないだろう。と、依頼者を他所に、俺は憐れみなのか、同情なのかよく分からない視線をハムスターへと送った。
ケージの中のハムスターは、しばらくそこらをウロチョロと歩きまわると、くんかくんかと匂いをかいでいた。それからクシクシと毛づくろいをして、さーっとケージに備え付けられた回し車へとかけて行った。
グルグル――。
グルグル――。
車輪を回すハムスター。
グルグル――。
グルグル――。
何の疑問も不満もなく、ただその作業を繰り返す。
グルグル――。
グルグル――。
俺は、その小さく狭いケージという世界の中で、車輪を走り回っているハムスターが、世界の中心なんだと思った。
そして、それこそが、こいつの生きている理由なんだと……。
今にして思えば、その車輪こそがそいつにとっての世界の中心だったのかもしれない。自分という、よく分からない存在を唯一支えている存在。自分自身ではなく、その車輪こそが、自分の生きている意味。
この広い世界の中、自分自身をどこかに置き忘れたかのように、自分以外の何かにしがみ付いている、小さな車輪の中で走る哀しきハムスターの姿と、ナナコが重なる。
地球の自転も公転もない世界。自分が生きる世界を、自らの足で回し続ける。そうやって、自分が生きている世界も、時間さえも捻じ曲げてこの子はここに存在し続けていた。
ただ兄に会うという夢を叶えるために、自分自身の時を停め、生きてきたと言うのか?
「…………」
何も言えなかった。
何も言うことが出来なかった。
もはや何が真実なのか正常な判断が出来ない。
いや、そもそもこいつは人間なのか?
クローン人間だって? クローン人間なら、そんなことが、歳をとらないなんて人間離れした芸当が可能だってのか? 実は、ロボットやアンドロイド、宇宙人とでも言ってくれた方がまだ納得出来る。
「愛情遮断症候群……。かもしれないわね」
オヤジが呟いた。
「あいじょう……、何だって?」
「愛情遮断性小人症とも言われる一種の病よ。詳しい原因ははっきりしていないけど、子供の頃、両親や家族、他の人と関わらず、十分に愛情を受けずに過ごすと、身心の成長障害や発達障害が起こって身長や体重が成長しない子供になるらしいわ。それに、身体だけじゃなく精神的にも、表へ感情を出さず、自分や周囲への関心が少ない人になってしまうと言われているわ」
ドクンと心臓が跳ねる。
それじゃあ、こいつは誰からも愛されずに生きてきたって言うのかよ? 誰かの都合でこの世界に生み出され、その結果失敗作だからと放っておかれて……。
「何だよ……。それ……」
ヒリヒリと喉の奥が焼けたように熱い。
握りしめた拳。爪が手のひらに食い込み、ひどく痛んだ。
「じゃあ、こいつは……。この子は――」
――一体何のために生まれてきたんだよ!
言葉を飲み込んで、ギリギリと奥歯を噛み締める。
グニャリと世界が歪んで見える。ナナコが生きている世界とのかい離を想像して、ゾッとした。
俺はずっと孤独を抱えていた。
誰にも祝福されず産み落とされ、実の両親にも見捨てられて、俺はひとりだった。
だけど、そんな俺にも手を差し伸べてくれる人がいたから……。何も言わなくても、下らないちょっかいを出してくる奴が俺のすぐ側にいたから……。
俺は、俺でいられた。自分自身を捨てずにいられた。
だけど、こいつは……。
いびつな世界の中、ぽつねんとたたずむ少女が一人。
この子は成長することを――生きることを自分自身で拒絶したんだ。
そう思うと、たまらなく目の前の少女が恐ろしく思えてきた。
「大丈夫?」
オヤジに声をかけられてハッとした。俺は呼吸すら忘れていたのか、激しく息を吐き出した。
「顔色悪いわよ」
大丈夫だと、手をあげて答える。
それでも心配なのか、優しく背中をさする手のひら。今はそれさえも、特別な行為に思えてくる。
「それじゃ、私はもう行くわ。あなたたちには私の依頼は果たせそうにないもの」
「依頼? 一体何のことだよ? それに、行くってどこに?」
「ナナコちゃん。あなたまさか、お母さんの所に……」
「――――!」
この子は戻るというのか? 人工的に生み落とされ、ずっと放っておかれた、かりそめの母の所へ帰るというのか。
「行くわ……」
うつむいていた視線を上げ、真っ直ぐに言い放つ。
「行って、あの人を殺すわ」
「なっ!」
想像だにしていない、少女の決意に耳を疑う。
「お前、自分が何を言っているか分かっているのかよ!」
「分かっているわ」
眉ひとつ動かさずに答える。
「それが、兄の……。私の願いだから……」
ナナコは、前髪をそっとかき分けて整えると、俺とオヤジへと向き直る。
「あなたたちは優しすぎる。だから、依頼は解消するわ。結局、これは私がやらなければならないことなのよ……」
じーっと、俺たちを見つめて、ナナコは次の言葉を探しているようだった。だから、俺たちは待った。
「だけど……」
ナナコの口から紡ぎだされる否定の接続詞。だが、その続きが中々と出てこない。
わけが分からず、オヤジと顔を見合わせる。
「だけど……」
白く、華奢な指先が口角に触れる。
「ぁ……」
無駄な肉なんてない頬がわずかに持ちあがったような気がした。
「…………」
柔らかな唇が動きかけ、硬直した。
一瞬の沈黙の後、
「……色々と世話になった。だけど、私には飼い猫になるなんて出来ない。やっぱり、私は野良猫でいい。だから……」
――さよなら。
そう言い残すと、幼き復讐者は夜の闇にまぎれた。
*
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます