episode7 第12話
第三章 「明るい家族計画」
「オヤジ! 一体これはどういうことなんだよ!」
開口一番、俺はカウンターの向こうのオヤジに叫んだ。
ペロペロピローン。ペロペロピローン。
少し遅れて、コンビニ入店音が鳴る。
「ちょっ、ちょっと待ってよ。そんなに慌てて。何がどうしたって言うのよ?」
「どうして、あいつのデータが学内サーバーに保存されているんだよ。何であいつのアカウントで学内LANにアクセス出来るんだよ!」
興奮気味にまくし立てる。
「何? どういうこと?」
オヤジはどうも俺が訊きたいことを理解していないみたいだった。
「あいつは、何者なんだって訊いてんだよ!」
俺はICカードと携帯端末をレジカウンターへと叩きつける。
「このカード。俺はオヤジがどこかしらから用意してきたものだと思ってたんだけど違うんだろ? これは簡単に手に入るような代物じゃない。あの研究所の、それもかなりのポストの人しか手に出来ないもののはずだ」
「いい質問ね」
胡散臭い司会者のように人差し指を立てておどけて見せるオヤジ。
「オヤジ……」
だが、俺の真剣な顔つきに観念したのか、オヤジの方も姿勢を正す。
「なるほど。アソコで何か見つけたってわけね」
ん? この物言い。もしかすると、オヤジも全てを知っているんじゃないのか?
「まあ、いいわ。そろそろ全てを教えてもいい頃ね。アタシが答えられることだったら、何でも訊いて」
そう言うと、オヤジは厚い胸板をドスンと叩いた。
閉店処理を終え、リビングでオヤジと対峙する。
「で、何が訊きたいの?」
テーブルに置かれたコーヒーの湯気越しに、両手の指を絡めているオヤジの姿が見える。
「何って全部だよ」
「全部じゃ分からないわよ。アタシのスリーサイズでも訊きたいのかしら?」
「んなわけないだろ!」
「とにかく、まずは落ち着きなさい。どんな状況でも冷静に行動出来なければ早死にするだけよ」
特にこの業界はね。と付け加え、オヤジはコーヒーを俺に勧めた。
確かにその通りだな。ちょっと熱くなっていたかもしれない。全く、らしくないな……。
カップを口元に運んで、まずはその香りを楽しむ。上品で優雅な匂いが鼻孔をくすぐり、何となくストレスが緩和され、頭がすっきりしてくる。やや少量を口に含んでその味を確かめる。ブラックなのに、あまり苦味もなく喉越しもすっきりとしていて、後味も悪くない。
「これ、何の豆?」
普段意識することもなかったが、手始めの質問としてオヤジへと疑問を投げかける。
「ブルマンよ」
プッっと噴き出す。
コーヒーは既に呑み込んでいたので、大惨事は免れた。ったく、この人が言うと、下ネタじゃないのに下ネタに聞こえてしまう。
「36℃の冷たい肉体には、たまには温もりが、一杯のコーヒーが必要になる時もあるのよ」
熱すぎるオヤジが小指を立ててコーヒーを口にする。ニヤリと歪んだ口元は茶化しているのか、マジなんだか、相変わらず捉えどころがない。
「どう、少しは落ち着いた?」
微笑むオヤジに、俺は「ああ」とうなずいてから、コーヒーカップをテーブルに置いた。
「っと、その前に、アタシも作業しながらでもいいかしら?」
俺の返事を訊く前にオヤジはノートパソコンを起動して、モバイル端末のデータをコピーし始める。
「おお、それだよそれ。今回、詳しくは訊かなかったけど、そのデータ。機密情報って言ってたけど、一体何なんだよ?」
「これ? これは、ヒトゲノムのデータよ」
「ヒトゲノム? DNAとか、ヒトゲノム計画とかのあれのことかよ?」
ノートパソコンを覗き見ると、『A』だの『C』だの『G』だの、アルファベットが砂嵐のように並んでいた。
「そう、平たく言えば、人の遺伝子情報ってことね」
「でも、そんなの収集して、オヤジが何か分かるのかよ?」
「アタシが? まさかぁ! これが理解出来るなら、もっといい暮らししてるわよ」
何が面白いのか、ガハハと笑う。
「今回はこのデータ自体はあまり重要じゃなくて……。ビンゴ!」
軽快に指をならして、オヤジは「あったわ」と笑った。
「あの兄妹のデータよ。更新日が、失踪した日から昨日まで続いているから、まだあの兄妹はあの研究所にいるってことになるわね」
「もしかして、その裏付けをとるために?」
「ええ。今回の拉致事件に関してあの施設――南波研究所がクサイってのはあったんだけど、確証がなくてね。けど、これで二人を確保しに踏み込めるわ」
そう言えば、施設の入り口に『南波研究所』って書いてあったな。
「南波研究所って、何か有名なのか?」
「生命工学の分野では結構知られてるみたいね。昔は手広い分野の研究をやっていたみたいだけど、今は遺伝子工学一本でやっているらしいわ」
「ふ~ん。何かあったのかね?」
「何でも所長が今の所長、南波怜子に代わってから方向転換したみたいね。随分と出来る人みたいだけど、あまり良い噂、聞かないのよね」
「そりゃ、拉致までやってりゃな……。だけど、そんな犯罪のリスクを冒してまで、一体、何が目的なんだろうな?」
「う~ん。そこまではアタシも把握してないわね」
二人で首を傾げてみる。
「それは、とある実験を行うため……」
のれんを手でかき分けてナナコが顔を出す。
「実験?」
「その実験に、この兄妹が必要ってこと?」
オヤジは、ピンと、胸ポケットから取り出した写真を指ではじいて見せる。
「そう……」
うなずくナナコ。
「だけど、どうしてこの兄妹が選ばれたのかしら? タマタマなのかしらね」
「それは、一卵性の異性別の双子は貴重なサンプルだから」
「一卵性の双子の兄妹? それって現実的にあり得るのかよ? 二卵性ならともかく、遺伝子が同じ人間で性別が違うことなんてあり得ないだろ」
一卵性の双子は、基本的に同じ遺伝子を持っているということを聞いたことがある。つまりは、『同じ遺伝子を持っている=性別が同じ』ということになる。それ故、男女の双子なんてあり得ないはずなんだが……。
「そうなの? 男とか、女とか、ソーセージがついてるかついてないかの問題でしょ?」
ズコー。
「んなわけあるか」
突っ込みがてら、オヤジからぶんどった写真には確かに外見のよく似た顔の兄妹が写っている。とはいえ、これだけでは一卵性かどうかまでは分からん。
「まあ、それは置いておいて、具体的に何の実験をしているんだよ?」
「ヒトのクローンを生み出す実験をしている」
「え?」
抑揚のない声。飾り気のない回答に思わず聞き返す。
「人工的にヒトを生み出す研究をしている」
「何?」
ナナコが口にした言葉に自分の耳を疑う。
――クローン研究
俺が生まれる前から始まったクローン研究は、今では随分と社会に定着している。
神への冒涜だと言われながらも、遺伝子組み換え食品が食卓へ並ぶ時代だ。近年では、ips細胞に、再生医療なんて言葉も日常的に耳にすることが出来る。確かに今、もっとも盛り上がっている分野だと言えるだろう。
だけど、人のクローンなんて都市伝説だろ? 動物のクローンならともかく、安易に人間のクローンなんて創ろうとすれば、その手の団体が絶対に黙ってはいないはずだ。
「ははは。作りものにしては笑えない話だな」
「これは、作り話じゃないわ」
乾いた笑みを浮かべる俺を、能面顔のナナコが見つめる。
「何故そう言い切れる。そもそも拉致られた兄妹もこともそうだけど、何でお前があの研究所の内部事情をそこまで知っているんだ?」
その質問にナナコはやや目を伏せ、
「それは私が、十六年前あそこで生み出されたから……。南波怜子の手によって……」
「十六年前に生み出された? お前、何を――」
ギョロリと大きな瞳が俺の言葉を遮る。
「……私自身が、クローンなのよ」
冷たいロボットのような表情で言い放つナナコ。
なんだって?
何を言ってるんだこいつは。
こいつが、クローン人間だって?
研究だけにとどまらず実際に人間のクローンを生み出しているなんて、それこそあり得ない話だ。
「嘘だ」
嘘に決まってる。助け船を求めてオヤジの方を見る。
「アタシはナナコちゃんの話を信じるわ」
曇りない眼が俺の言葉を弾き飛ばす。
「何でだよ! 理由は? 根拠は?」
証拠もないのに、はいそうですかと簡単に納得出来るわけがない。
「これよ」
オヤジはICカードを手に取って示す。
「武蔵ちゃん。言ってたでしょ。『これは簡単に手に入るような代物じゃない。あの研究所の、それもかなりのポストの人しか手に出来ないもののはずだ』ってね。これはナナコちゃんのものよ。だから、アタシは信じるわ」
そう言われると、ぐうの音も出ない。研究所の端末に表示された、『Nana』というログイン名がその証しとなる。
オヤジは、「ありがとね」とナナコへとICカードを返す。
「だけど、違うわ。これは私のものじゃないわ。これは、私の兄のものよ」
兄? その言葉に、俺は研究所で目にした、ナナコによく似た少年の画像を思い出す。
「そうだ。俺、あの研究所の端末で、お前によく似た人の画像を見たんだ」
ナナコの眉がピクリと動く。
脈あり……。こいつと何らかの関わりがありそうだが、まさか、そいつまでクローン人間なんて言わないだろうな。
「それが、私の兄よ。双子の兄の、ナナオよ」
と言うことは、やはりそのナナオもクローン人間なのか?
「双子?」
いや、それはおかしい。そうじゃないはずだ。
「でも、俺が見たのは確か撮影日が四年前の画像だ。見た所、そいつは今のお前とほとんど変わらない歳くらいだったはずだぞ」
「それは多分。四年前、十二歳の時、私が撮った兄の写真よ」
やっぱり嘘だ。
「お前、その兄貴と双子なんだろ? で、四年前の十二歳の時の写真なら、お前も十六歳ってことになるよな?」
「その通りよ。前にも言ったわ。私は十六だって」
いつだったか、こいつがお風呂で言ってたことは本当だったのか。
「いやいや、それはないだろ?」
いくらなんでも、十六歳ってのは無理がある。どんなに甘く見積もってもその姿は、明らかに第二次性徴前のガキだ。
人が必ず死ぬように、肉体は日々老いていく。十代の子供であれば老いではなく成長だが、どちらにしろ必ず大人へと近づいていくはずだ。
それとも何か? こいつは、その自然の摂理さえ無視して、その時から成長してないとでも言いたいのかよ?
ネバーランドに住んでいるピーターパンでもあるまいし、永遠に成長しない子供なんて実在するわけがない。
「なら、お前はこの四年間何をしていたんだよ? 冬眠でもしてたって言うのかよ?」
「違うわ。ただ、何もしていなかっただけ。私たちはただの実験体。兄は、研究の被験者だったけど、私は出来損ないだから、放っておかれた」
「放っておかれたって……。それどういう意味だよ?」
「そのままの意味よ」
放置プレーってことかよ……。クローン人間なんて理解の範ちゅうを越えているが、生きるためには少なくとも人として、衣食住は絶対に必要だろ。
「なら、ご飯はどうしてたんだよ?」
「用意されていたわ」
「寝る所は?」
うなずく。
「着るものは?」
うなずく。
「それらは、システムが自動的に管理していたから問題なかった」
「自動的にって、それって無人で勝手に用意されていたってことかよ?」
「そう。兄と離ればなれにされ、この四年間、私は誰とも会っていないわ」
最後は、うなずきもせずに、それを肯定する。
「私は、ずっとひとりだった……」
悲しいことのはずなのに、その横顔は何の感情も示してはいなかった。いや、そもそもそれがどういうことなのか、ナナコ自体理解していないようにも思えてくる。
「でも、それで良かった。私はそこに居続け、ただ待ち続けた……。ナナオともう一度会えるその時を夢みて……」
長いまつ毛が久しぶりの再会を喜び、再びガラス玉のような瞳が開かれる。そして、少女の控え目な唇が言葉を紡ぐ。
「それが、私の生きている理由だから……」
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