episode7 第10話

 翌日。俺はオヤジに言われた通り、件の医大へとやってきた。

 オヤジが俺に示した手順はこうだった。

 まずは、健康診断を受ける学生たちに紛れて施設へと侵入する。そこで、折をみて目的の研究所に忍びこんで機密データを盗み取る。

 ざっくりした計画だなおい。と突っ込んでおいたが、『シンプルイズベスト。武蔵ちゃんならやれるわよ』と、オヤジに一蹴された。とはいえ、偽造学生証や研究所内に潜入するためのIDやパスはきちんと用意しているので、特には問題ないだろう。

 そんなこんなで、ミッションスタートだ。

 施設の前には、既に健康診断を受ける医学生たちが、男女で分かれて列を作っている。

 どうやら、ここに並んでいるのは新入生ばかりらしく、学生同士のグループらしきものは出来ていなかった。なので、部外者の人間がいたとしても誰も気付くまいと、適当にすました顔で列の最後尾に加わる。

「それじゃあ、十人ごとにこちらへ来てください」と白衣を着た医師が叫んで建物の入り口へと誘導する。

『南波研究所研究棟』

 大理石にそう刻まれた建物は、普段学生が利用している講義棟や研究棟、一般病棟なんかとは装いの異なるレンガ造りの、物々しい雰囲気を醸し出している建造物だった。

「はい。次、ここまでの人」

 ようやく俺の順番になり、施設の入り口へと案内される。

 学生たちに挟まれ、白い廊下を歩く。節電影響のせいか、ただ単に電気代を節約しているのか、施設内は妙に薄暗い印象を受ける。

 カツン――、カツン――、カツン――。

 廊下の向こう、仄暗い空間に響く足音。

「おい。何だあれ」

 わざとらしく声を上げ、俺が指差した方向に、全ての視線が注がれる。

「はーい♪」

 スリットの入ったナース服を着た、メリハリボディの看護師がこちらへと手を振っている。百合さんだ。スタイルがいいので、何を着させても似合ってしまう。

「おおぉぉぉぉ!」

 地響きのような感嘆。

 使い古された手法だが、若さ溢れる学生たちには効果てき面だ。スカートの裾をたくし上げる百合さんに、皆釘付けになっている。

 俺はその隙に順路を外れて目的地を目指す。

 壁に張り付いて、オヤジに事前に貰っておいた見取り図で、侵入ルートを再度確認する。

 さささ、さささ。

 ぬき足、さし足。気配を消しながら進む。極秘任務ゆえ、この潜入活動は誰にも見られてはいけない。もしも、ここの施設の人間に見つかってしまえば、そこで任務終了。撤退を余儀なくされる。

 つまりは責任重大というわけだ。

 なので、俺は細心の注意を払いながら潜入していく。

 左見て、右見て、もう一度左を見て進む。

 ガサゴソ。

 ついでに、チンポジも確認しておく。些細なことかもしれないが、侵入の思わぬ妨げになっては一大事だからな。

「よし!」

 左曲がりのダンディーは今日も健在だ。

 覚悟を決めていざ行くぞ。

 突撃、一番!

「って、俺は何をやっているんだ」

 やはり、百合さんが言っていたように、俺はオヤジに似てきたのかもしれない……。

 自己嫌悪を感じつつ、どうにかこうにか目的の場所へとたどり着いた。

「サーバールーム……」

 張り詰めていたものを吐き出すように大きく息を吐く。

「ここか」

 機密情報とやらが保存されているのは……。

 通常、学内LANを使用すれば学内にあるサーバーにアクセス出来るらしいのだが、この棟のPCは学内LANとは独自のネットワーク構成になっていて、この棟にあるサーバーのファイルを利用するためには、この建物のマシンから直接アクセスするほかないらしい。

 ゆえに、今回のミッション完遂のためには、わざわざこのサーバールームのマシンを使って情報を引き出そうというわけだ。

 改めてその入り口に向き直る。

 さすがに、外部への持ち出しの出来ない機密情報が保管されているだけあって、やけに重量感のある、堅牢な扉に閉ざされている。こいつをぶち破るには爆弾や重機でも持ってこないと無理そうだ。よほど重要なデータが保管されているんだろう。

 しかし、どんなに厳重なセキュリティだろうとも所詮は人が管理しているものに過ぎない。その扉を開ける鍵を保管してある人間が、鍵を厳重に管理していなければならない。

 俺は本来、学内の管理者しか知りえないパスコードを扉の脇にあるタッチパネルへと入力する。そのパスコードをオヤジがどこで手に入れたかは知る由はない。知ろうとも思わない。

『ピピピッ』っと軽快な電子音が鳴り、扉が開く。

 ゴォォォとうるさいくらいに空調のきいた室内は、少し肌寒い。

 図書館の本棚のようにサーバラックが規則的に立ち並んでいる。まるで、自分が迷路の中にでもいるかのような錯覚を覚える。

 パッと見でも、かなりの数のマシンが室内に存在しているのが分かる。

 軍用施設でもあるまいし、何故、こんなにサーバーが必要なんだろうか?

 分散処理で何か複雑な計算でもしているのか? それとも、単純に扱うデータ量が多いとか?

 う~ん。分からん。

 ここで答えの出ない疑問を考えても仕方がない。まずは自分の仕事を片付けるため、俺は迷路を抜けて、奥にあるオペレータ用の端末へとたどり着く。

 端末はしばらく操作されていないのか、スリープモードになっていてモニターには何も表示されていない。

 接続されているマウスを握り軽く動かしてみる。ブーンとモニターの電源が入る音がして、シンプルなデザインのログイン画面が表示される。

 お目当てのサーバーにアクセスするには、まずはこの端末にログインしなければ始まらない。そのために、俺はオヤジから渡されたICカードを、端末のカードリーダーへとかざす。

『ピッ』っと、カードの読み取り音がして、ログイン認証が成功した旨を伝える英字のメッセージが表示される。

 どうやら、正常にログイン出来たようだな。

 オヤジの話によれば、ここの学生や通常の職員なんかは、ログイン名とパスワードを入力して、ログインする手法が用いているのだが、より高いセキュリティレベルの情報にアクセスするためには、俺が今手にしているICカードでのログイン認証を行う必要があるとのことだ。



 Welcome, Nana!



「ん?」

 ログインメッセージの中、はっきりとは見えなかったが、俺の持つICカードに設定されたログインIDが表示されたような気がした。

 ちなみに、この端末は、ログインしたユーザーごとにマシンの設定がロードされる仕組みのようだ。

 何の飾り毛もないデスクトップに、壁紙もショートカットもデフォルトのままだった。

 画面右下には、『You have new mail』のメッセージアイコンが表示されている。

 俺は端末の起動処理が落ち着いた頃を見計らい、機密情報を抜き取るために、持参したモバイル端末をマシンの接続端子に繋ぐ。

 自動認識のメッセージと共に、モバイル端末内にあるフォルダのファイルが表示される。データ抜き取りようの実行ファイル――オヤジが作成したプログラム、『怪盗きんに君.exe』をダブルクリックで走らせる。

『検索中……』のメッセージと共にカーソルが砂時計マークに変わる。

 上下に反転を繰り返す砂時計。

 プログラムが終了するまで、天井の染みでも数えて待っていようかと思ったが、

『目的のファイルが見つかりました。ファイルを保存しますか?』

 ダイアログボックスが表示された。

『保存する(Y) / 保存しない(N)』

 迷わず、『Y』キーを押下する。

『ファイル保存中……』

 進捗状況を示すステータスバーが徐々に増えて行く。

『残り、約10分』

 どうやら、あとは放っておいても大丈夫そうだ。

「果報は寝て待つとするか……」

 備え付けのパイプ椅子の背もたれに全体重を預けて天井を仰ぎ見る。

 綺麗に塗装された天井で染み一つ見当たらない。建物自体はかなり歴史がありそうだが、部屋もマシンも整備が行き届いているようで、この研究所自体はかなり予算を持っているらしい。

 近年は不況のあおりを受け、どこの研究所も研究費はあまり余裕がないという話を耳にする。なのに、この施設に関してはその心配はなさそうだ。そんな予算が通るような、何か特別な研究でもしているのだろうか? ただの医大にしては、セキュリティや設備が過剰なような気がする。

 一体この施設は何なんだ?

『残り、約7分』

 丁度いいので、考えをまとめてみるか。

 これまでのオヤジの調査によれば、失踪した兄妹が最後に目撃されたのが、今別室で行われている健康診断――厳密に言えば再検査ではなく、四月に行われた健康診断を最後に兄妹は姿を消したとのことだ。

 早い話、この研究所が拉致容疑者としてもっともクサイというわけだ。

 しかし、何のために? 拉致までして、この研究所は何をしようというのだろうか?

 どうにも、いや、明らかに犯罪の匂いしかしない。

 もしかすると、今抽出しているデータに何か手掛かりがあるのかもしれないな……。

 俺はモニターへと視線を戻す。

 と、しばらく端末をほったらかしだったので、スクリーンセーバーが起動している。

 モニターに次々に表示されていく画像。何の変哲もない空の画像。山や海の画像へと切り替わっていく。

 このまま見ていて、スリープモードになられても面倒臭いので、マウスを握って適当に動かそうとして――。

 ――フリーズする。

 愛らしい猫たちがフェードアウトし、次に表示された画像に俺は動くことが出来なかった。

「なんだよ……。これ……」

 そこに映っていたのは、短く髪を切り揃えられ、凛々しい顔つきでピースサインをしている少年の姿をした――ナナコだった。



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