episode7 第9話
「マグロ、二夜連続!」
エプロン姿のオヤジが、両手に大皿をいくつも乗せてテーブルへと並べていく。
「またかよ……」
俺は小皿を運びながら、ため息を吐き出す。
「しょうがないでしょ。昨日の残り、まだあるんだから」
「はいはい……。ん? でも、その肝心なマグロはどこにあるんだよ?」
首を傾げて、オヤジが作った料理を見渡す。しかし、それらしいものは見当たらず、オヤジの方へ顔を向ける。
「今日は食べやすいようにマグロまんにしたわよ」
オヤジの指し示す先には、もくもくと湯気をあげている白い中華まんがあった。なるほど、刺身だとお子ちゃまのナナコには受けが悪いので食べやすいよう工夫を凝らしたというわけか。さすがは主夫役のオヤジだ。
「マグロまん。略して、ぐろまん!」
ズル――と、ワックスの効き過ぎたフローリングを滑る。皿を落としそうになるのを、お手玉して回避する。
「略すな略すな」
呆れつつも、一つ摘まんでみる。
おお、なかなかイケる。もっちもちの皮に、脂ののったトロが舌の上でとろけるように絡みつく。醤油とみりんで漬け込まれマグロは臭みもなく絶妙な味だ。細かく刻まれたネギもいいアクセントになっている。
これなら、味覚に鈍感な子供にも、微妙な味の変化に敏感な美食家にも楽しめる一品だろう。
無言でうなずく俺の表情にオヤジは口の端を上げて見せる。
「なかなかイケるでしょ? ぐろまん」
「全く、小さい子がいるのに、変な言葉口に出さないでよね」
ナナコの着替えを終え、リビングに戻って来た百合さんが顔をしかめる。
「サイズ、どうだった?」
悪びれもせず、オヤジは二カッと白い歯を見せて笑う。
「うん。バッチリよ」
百合さんの背後から、ちょこんと顔を出すナナコ。猫耳フード付きの真っ黒い部屋着に包まれている。
ポリポリと猫の手で頭を掻こうとするも、ニャンコの手袋をはめたままではそれは叶わないようで、じっと肉球を見つめるナナコ。首を傾げるナナコに合わせて、お尻に付けられたシッポも揺れる。
いつもの幽霊のような白い肌も風呂上がりのせいか、ほんのりとピンクに色づいて、妙な色香と言うか、人間臭さをかもし出している。能面のような顔つきをしたロボット少女も、こうやって見るとただの幼い少女だ。
「どう、可愛いでしょ?」
オヤジの問いかけに、「ああ」とうなずきかけて、「あ、いや」と否定する。
「二個買うと、三十パーオフだったのよ。いい買い物したでしょ?」
「は? 二個って、俺、こんなの着ねーぞ」
さすがの俺もどんびきだ。
「ナニ言ってんの? 武蔵ちゃんのじゃないわよ」
「分かってるって。じょ、冗談で言っただけだよ。勘違いするなよ」
恥ずかしさで、自然と頬が熱くなる。
まっ、そりゃそうだ。長年オヤジの感性に感化されすぎて、何だか自分の感覚が変になっているようだ。
ナナコの格好を見るに、どう考えても女物だ。
無意識の内に俺の中にあるガキの頃のトラウマ――オヤジに着せられていた変な服の記憶が蘇えりそうになり、頭をブンブンと左右に振ってそれを振り払う。改めて考えてみると、俺って不幸な幼児体験をしているんだな……。
「まっ、まぁ、百合さんなら似合うかもね」
俺はニャンコ姿の百合さんを想像してみる。
四つん這いの、雌猫のポーズで、ニャンニャンと肉球で手招きをする。
イケる!
「やーね。違うわよ。アタシのよ。ア・タ・シ・の」
両手を頭の上に当て、手のひらを三角形にして猫耳を模したようなポーズをしているオヤジ。
ニャン……だと……。
告げられる衝撃の事実に驚愕する。
「ちなみに、アタシのはヒョウ柄よん」
ブ――――――――――――――――!
思わず想像して、グロまんをオヤジの顔にぶっかける。
ってか、あんたのかよ。つーか、よくサイズがあったな。
「もー。こんなに噴き出して、もったいないオバケが出たらどうするのよ」
オヤジは、顔にへばりついた具を取って口へと運び、
「今日は、百合ちゃんも夕飯食べていくでしょ? ちょっと話もあるしね」
「それなら、ご相伴にあずかりましょうかね」
と、百合さんはうなずいた。
各々席に着くと、みんなで手を合わせて、「いただきます」をする。
所狭しとテーブルの上に並ぶ料理たち。オムレツにハンバーグ、タルタルソースのかかった海老フライと、これじゃまるでお子様ランチだな。
さすがは、見た目は男、中身は女が作っただけはある。いつもながら、やや濃い目の味付けだが美味い料理だ。
ナナコはと言えば、今日は色々と動いてお腹が空いたのか、チョコチョコと摘まんでいる。しかし、まだまだお子ちゃまで上手くお箸を使えないのか、フォークを使って口へと運んでいる。
百合さんはナナコの隣に座って、甲斐甲斐しくお世話をしている。ナナコの方も、されるがまま大人しく従っている。
「いや~ん。ホント、可愛いわね~。お人形さんみたい。家に持って帰りたいくらいよ。ナナコちゃん、家の子になる?」
百合さんがナナコの顔を覗き込んで訊ねる。しかし、ナナコは無表情でうんともすんとも言わない。
仕方ない、助け舟を出すか。
「ははは。百合さん。そうしてると、何だか、お母さんみたいですね」
「なっ、何言い出すのよ? 私はまだまだ子供を持つような歳じゃないわよ」
真っ赤な顔で反論する百合さんに、いつ悪戯心が顔を出す。
「そう言えば、百合さんっていくつなんですか?」
――しまった!
いつもは封印している疑問が、つい口をついて出てしまった。
「立花百合、十八歳で~す♪」
「キャイーン」と、両手を軽く結んで口の前で、ぶりっ子のポーズを作る百合さん。
「おいおい」
すかさずオヤジの野太い声での突っ込みが入り、「てへっ」と百合さんは舌を出した。
古っ!
ますます年齢不詳だ。
何はともあれ、このやり取りを見て、俺はこの件には触れないようにしようと心に誓った。
夕食後。
オヤジへと猫捜しの謝礼の入った封筒を渡す。
「お疲れ様~」
右手、左手と卒業証書でも貰うかのように、封筒を掴んでねぎらいの言葉をかけてくる。
「ナナコちゃん、役に立ったでしょ?」
オヤジは最初から何もかも分かっていたかのように言い放つ。
ナナコと百合さんはソファーに座って仲良くテレビを見ている。
「まっ、多少はね」
今回の依頼は、ほとんどあいつが成功させたようなものなのだが、何故か見栄を張る。
「で、次の依頼は何かあるのかよ?」
「ええ、用意出来てるわよ」
差し出される一枚のプリント。
A4サイズの紙に、でかでかと印字されている文字が目に入る。
「健康診断、再検査のお知らせ?」
「そう。例の医大のね。学生向けの健康診断。四月にあったんだけど、またやるんだって。未検査の人と、再検査が必要な人を集めてね」
「それにしても明日なんて、随分急だな」
「情報を仕入れたのが今日だからね」
情報は鮮度が命よと、悪戯っぽく笑う。
「だけど、未検診の奴が再検診ってのは分かるけど、一度検診を受けた奴が再検査ってのは何なんだ?」
「さあ? 何でしょうね?」
肩をすくめるオヤジ。
「それを俺に調べてこいってわけじゃないだろうな?」
「まさかぁ~。武蔵ちゃんにはね、その健康診断を行う施設から、とある機密データを持ち出す任務をお願いするわ」
「機密データの入手。諜報任務ってことか……」
「ええ。ミッション“インポ”ッシブルってね」
俺は、股間に伸びてきた手をはたき落とす。
「冗談よ、冗談。そんな怖い顔しなくてもいいじゃない」
「いいから、さっさと本題に入れよ」
「分かったわよ、もう」
プンスカと膨れるオヤジ。『膨れたいのはこっちだ』と言いかけるが、オヤジに変なツッコミを入れられても面倒なので、黙ってオヤジの説明を聞いた。
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