episode7 第5話

「マグロ、ご期待ください!」

 ハチマキを巻いたオヤジが、腕を組んで言い放つ。

 おひつから香る酢飯の匂いがツンと鼻孔をくすぐる。

「ナナコちゃんの歓ゲイ会も兼ねて、今夜はご馳走よ」

 丸皿には、マグロ、エビ、厚焼き卵、レタス、ニンジン、シーチキン、カニカマ、かいわれ大根。色とりどりの具材がひしめき合っている。副菜として、茶碗蒸し。食後のデザートとして、柏餅が準備されていた。

「同じカマの飯を食べれば、家族よん。と言うわけで、じゃんじゃん食べてね」

「…………」

 オヤジから手渡された海苔を無言で見つめているナナコ。

「ん? どうかした? 遠慮なんてしなくていいから、どんどん食べていいのよ」

 ナナコは、首をかしげて、もう一度焼海苔を見ると、ハムスターがヒマワリをついばむように、小さな口でパリパリと海苔だけをかじった。

 俺とオヤジは二人顔を見合わせる。

「何? 海苔、好きなの?」

 フルフルと首が横に動く。

「あら、もしかして、この中に好きなものがなかった? ナナコちゃんは、何が好きなのかな?」

 笑顔でナナコへと訊ねるオヤジ。自分では満面の笑みを浮かべているんだろうが、それが逆に怖い。

「バナナ……」

 ボソボソと小さな唇が動く。

「あ~なるほど、ナナコだけに、バ、ナナってわけね」

 俺はかぶりついていた納豆巻きを噴き出しかける。

 そんなバナナ……。

「う~ん。でも、バナナはないわね」

 予想の斜めを上の回答に、さすがのオヤジも困惑を顔ににじませているようだ。

「そうだ、黄色繋がりでタマゴなんてどう?」

 オヤジは、少し先端の欠けた焼海苔にシャリを乗せてタマゴ、レタス、かいわれ大根、仕上げにマヨネーズをかけてナナコに渡す。

 ナナコは、クスリともせずそれを受け取って食べ始める。

 控え目な口が、小動物が餌をついばむように動く。

 モキュモキュ……。

 俺はそれを見ながら、マグロとエビをメインにした海鮮巻きを作ってかぶりつく。

 モキュモキュ……。

 次は、濃い味付けをした焼き肉巻きにするかな。

 モキュモキュ……。

 脂もの後は、さっぱりしたレタス巻きを手早く作って完食。

 モキュモキュ……。

 ゴックン。

 ようやく食べ終えるナナコ。って、どんだけ食べるの遅いんだよ。

 それからも、ナナコはオヤジが作った手巻き寿司を言われるがまま口にしていた。だが、それも二つを平らげた所で、ナナコが首を横に振った所で食事は終了した。

 小食だなと思いながら、このちっこい体には、そのくらいで満腹なんだろうかとも思う。しかし、生まれてこのかた、男所帯で過ごしてきた俺にはよく分からなかった。

 何はともあれ、オヤジが言ったように、『家族』と言うものが増えたわけだ……。

 実感なんてもちろんない。

 いや。そもそも、オヤジが勝手に、『家族』なんて言ってるだけで、あの子は単なる預かりものでしかない。同じカマの飯を食べたくらいで、そうなるのなら、世の中かなりの数の人間が家族みたいなものだ。

 だけど、オヤジが言った、『家族が増えるわ』というその言葉が、耳から離れない。

 それが何故なのか俺の胸をざわつかせた。

 一体何だってんだ……。

 ギリギリと噛み締められた奥歯。

 今さらながら、ツンとワサビがきいてきたのか、鼻の奥が痛んだ。



                    *



 高校の進路調査。

 俺は、『自営業』を選択した。コンビニではなく、探偵業の方をだ。

「探偵なんて人生の落伍者がなるものよ」

 オヤジはあからさまに呆れた。

 それから、「探偵なんかになって一体何がしたいの?」と就職試験の面接官よろしく、志望動機のようなものを要求された。



 ――俺は俺が何者かを知りたい。



 それは、人間誰もが持っている欲求で、生きているもの全てが解き明かしたいと願う謎だ。

 人が生きている意味と言っても言い過ぎではない。

 だが、その真実を知る人間がどれくらいいるだろうか?

 もしかすると、ほとんどの人はそれを知ることなく死を迎えるのかもしれない。

 大多数の――普通に人生を過ごしてきた人は、それでいいのかもしれない。だけど、俺は自分の生まれを知らない。その俺が何も知らずに終わるってことは、終わりも始まりも知らないということになる。

 人生はよく“道”に例えられるが、俺の道にはスタートもゴールもない。そう考えると俺は、誰かに見送られることもなく、どこへ向かうでもなく、ただ未知なる道を歩いているだけだ。

 明らかに俺には、自分自身を支える確かなものが欠落している。それ故、自分の中から大切なものがすっぽりと抜け落ちているような錯覚にかられそうになる。

 生きている実感なんてもちろんない。俺はただ生きているだけだ。ただ自分以外の何らかの意志によって生かされているように思えて仕方がない。

 そう思うと、自分と言う存在がたまらなく悲しく思えてくる。

 普段はそんなの関係ないなんて強がってはいるが、心の底では俺は誰よりも自分が何者であるか知りたいと願っていた。

 父は、母は一体今、何をしているのか? 兄弟、姉妹はいるのだろうか? そして、自分は一体何者なのか? 俺は何のために生まれてきたのか?

 それを俺は何よりも知りたい……。

 もしかすると、探偵をやっていくうちに、俺はそれを知ることが出来るかもしれない。どこかに俺を知る人がいるかもしれない。明確な答えは見つからなくても、何らかのきっかけだけでも手に入れられるかもしれない。それを知る可能性が一パーセントでもあるのであれば、諦めたくない。

 それが俺の本心だった。

 でも、俺はそんな自分の想いを隠して、ただ、

「知りたいことがあるんだ」

 そうオヤジへと答えた。

 そんな俺の苦悩を知ってか知らずか、オヤジは、「なら、頑張らないとね」と笑ってうなずくと、それ以上何も言わなかった。



                    *



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