episode7 第4話

 そんなこんなで、猫捜しついでにその辺を一回りして、本日の業務を終了した俺は腹の虫に従って、コンビニ兼自宅へと戻ってきた。

 ペロペロピローン。ペロペロピローン。

「あら武蔵ちゃん。早かったわね」

 野郎の癖に妙に甲高い声が俺を迎える。

「あれ? 百合さんは?」

「とっくの昔に帰ったわよ」

 ああ、どうりで……。

 店内に客がいないわけだ。

 今は、ゴールデンウィーク中なので、本来、客の入りはいいはずなのだが、うちの場合はかなり事情が違っている。

 なぜなら、レジにはおよそコンビニ店員らしからぬ風貌のオヤジが一人、レジに立っているからである。

 違う意味でムチムチなボディに合うサイズの制服がないので、本来は縦のストライプ柄が体のラインに合わせて歪みきっている。前掛けにしているエプロンなんてはち切れんばかりにピチピチで、いつ破れてもおかしくない。

 これでは人が寄り付くはずがない。コンビニ強盗どころか、正規の客でさえ裸足で逃げ出す。

「で、迷い猫の方はどうだったの? って、あんた、どこ見てんのよ!」

 どうやらオヤジを観察しすぎてしまったのか、オヤジは何を勘違いしたのかごんぶとの両腕で、たくましい胸板を隠す。

「いや、見てないから……」

 呆れ顔で返す。

「何言ってんの! 見てたでしょ?」

 オヤジは尚も縮こまりながら、手ブラで胸を隠している。

「誰が、おっさんの胸見て喜ぶんだよ。気持ち悪いから変なポーズやめろよな」

 やれやれと、オヤジに背を向け、俺はアイスコーナーへと向かった。

「な~に、反抗期? 暇なんだから、もう少し絡んでよぉ~」

 背後で、腰をクネクネと尻を振っているオヤジの姿がガラス越しに見える。

「はいはい……。ちなみに、迷い猫の方は、まだ見つかってないから」

 一応、探偵長であるオヤジへと報告を済ませる。

「で、手ブラで帰ってきたと」

 両手を自分の胸に当てて、もみもみしているオヤジ。

 変態オヤジをスルーして、俺はガジガジ君(ソーダ味)を取り出しオヤジに差し出す。ズボンのポケットでくしゃくしゃになっている千円札と共に。

「毎度あり~」

 俺はお釣りを受け取るため手のひらを差し出す。硬貨のひんやりと冷たい感触が俺の手に広がる。そして、俺の手を包みこむように握られる汗ばんだ手。

 ニギニギ、ニギニギ。

 一瞬で全身を鳥肌が走る。

「離せよ!」

 反射的に手を引く。

「ったく、毎度毎度、気持ち悪いことするなっての」

「なーに? 親子のスキンシップくらいいいじゃない」

「何が親子のスキンシップだ。気持ち悪いんだよ。大体俺とあんたは……」

 嫌な言葉が口をついて出そうになるのを何とか押さえつける。

「ん?」

 俺は握った硬貨の質量に違和感を覚える。手の中には硬貨が九枚。

「オヤジ、釣銭間違ってないか?」

 そう言って、オヤジに手のひらを広げて見せる。ガジガジ君と言えば、百円未満で購入出来る庶民の味方的アイスだ。

「いいや、合ってるわよ」

 何が面白いのか片目をつむってウィンクして見せるオヤジ。オヤジの奴、とうとうボケたか……。

「なら何でおつりがこれだけなんだよ?」

 手のひらにあるのは、銀色の硬貨だけだ。

「いいや、合ってるわよ」

 機械のように、同じ言葉を吐き出すオヤジ。と、何かに気付いたというような顔をして、

「あら、そういうこと? 武蔵ちゃん知らないのね。それ、今月から値上がりしたのよ」

 そう言って、オヤジは俺の手にあるアイスの袋を指し示す。

 オヤジが指さした袋の隅。そこにはオヤジが正しいのだという確かな証拠がプリントされていた。

『さらにおいしくなりました! 百円』

「マジ……?」

「マジよ」

「何でもかんでも値上げだな……。せちがらい世の中だぜ」

 先月とほとんど同じ味の癖に、値上がりした水色の塊を舐めながら呟く。

「ホントよね」

 俺のボヤキにオヤジが肩をすくめて同調した。

 と同時に、ブーンとガジガジ君を取り出した冷凍庫が、悲しげな叫びをあげた。



「あ、そうそう。名刺出来たわよ」

 思い出したようにオヤジはカウンターの下をゴソゴソと探る。

「名刺?」

 そう言えば、切らしてたっけ?

 こう見えてオヤジは礼儀作法なんかは厳しく。裏稼業の探偵とはいえ、自分自身を知ってもらうためにお客様には、きちんと名刺をお渡ししなさいとの業務命令を課している。

「ああ、サンキュー」

 軽く礼をしてプラスチックのケースに入れられた名刺を受け取る。



『街のトラブルを何でも解決します。

 ぜひ、コンビニ感覚でご利用ください。

 コンビニ探偵  近藤 武蔵』



 俺はあからさまに顔をしかめる。

『コンドー ムサシ』とのルビもそうなのだが、この『コンビニ探偵』という通り名が目に痛い。

「ったく、これ外してくれって前から言ってるだろ……」

「コンドーをつけない男は――」

「そっちじゃないよ。コンビニ探偵って、何なんだよ。恥ずかしいだろが」

 したり顔で講釈してくるオヤジへと被せ気味に言い放つ。

「ああ。そっち。いや~。こういう、うたい文句がある方がウケがいいのよ。こんな物騒なご時世だし、探偵って結構需要あるのよね。でも、探偵は『お高い』ってイメージがあるでしょ? だから、こういうキャッチフレーズで出来るだけ敷居は低くしておくべきなのよ。それに、実際依頼もそれなりに増えて来てるんだから、いいじゃない」

「迷いペット捜しなんかの雑用がな」

 そして、それを担当するのはほぼ俺だ。

「でも、こんな猫なんて、そうそう見つかりっこないって。俺には猫なんてほとんど同じに見えるんだから」

 俺はポケットに入れてあったニャンコの写真をオヤジの前に差し出す。すると、「そうね~」とオヤジが眉を寄せてうなる。

 うなりたいのはこっちの方だ……。

「だけど、前金だって頂いて来たんでしょ?」

「ああ」

 うなずきながら、依頼人が言っていた台詞を思い出す。

「この猫は、家族、なんだそうだ」

 俺は深いため息をつく。そして、写真を手でヒラヒラさせてみせる。そこには本人の意思とは無関係に、派手に着飾らされた猫が嫌そうな顔で写っていた。

 こいつの飼い主だって、どうせ本気で捜してもらおうなんて思っちゃいないさ。口では何とでも言えるんだ……。

『エリザベスは家族なんです。だから、お願いします。何とか、何とか捜しだして下さい!』

 興奮気味にそう言って、依頼主である中年女性は、俺に千円札を差し出した。差し出された千円は、依頼を受ける前金みたいなものだ。

 探偵への依頼は、トイレのトラブル、ウン千円。と言うわけにはいかない。問題を解決し、依頼をこなすにはそれなりに先立つものが必要だ。情報収集、聞き込み、交通費、交渉料、などなど。結構入用だ。とはいえ、俺の依頼料は破格の安さだと言える。思わず、探偵の何たら革命や~。なんてコメントするグルメレポーターの顔が浮かぶ。しかし、その安さ故に、俺の依頼成功率はあまり高くはない。もちろん、客はそれを分かっていて依頼してくる。

 で、そんな俺につけられた愛称がコンビニ探偵というわけだ。コンビニで依頼を受けているというのも、その愛称の一因になるのだろうが。『今や探偵もコンビニ感覚ぐらいが丁度いいのよ』とのオヤジの持論でこんな変な愛称を付けられて正直迷惑している。

 それにしても、千円とはね……。

 あらかじめこちらが提示している前金の金額設定とはいえ、これが自分の家族に出せる値段とは……。

 俺はポケットに押し込めた硬貨を手で弄んでみる。

 ガジガジ君、十個分。

「安いもんだな……」

 結局、依頼主もこの猫のために自分が何かしたんだと、そう思いたいだけなんだろうよ。でなければ、もっと成功率も依頼料も高い探偵を雇うはずだ。依頼主はただ努力をしたという事実が欲しいだけなのさ。そして、ペットを失い傷ついた振りをして涙なんて流すかもしれないな。猫のためなんかじゃない。ただ、自分のために……。

「ん? どうかした?」

「いや……」

 オヤジに自嘲気味に笑ってみせる。

「ナニよ、気持ち悪いわね」

「その言葉、あんたにだけは言われたくないよ。別に何でもないよ」

「ナニよ。言いたいことがあるならはっきり言いなさいよね。家族なんだから。恥ずかしくないでしょ」

「ああ……。分かってるよ」

 分かってる? 一体、俺は何を分かってるんだろうか?

 ――家族なんだから……か……。

 ふいに胸がザワつく。

 俺は家族というものを知らない。

 目の前で季節外れのおでんをかき交ぜているオヤジは、俺の本当の父親ではない。

 このオヤジはいわゆる育ての親で、俺には本当の父親も母親もいない。何でもオヤジの話によれば、俺は十八年前にこのコンビニ前に捨てられていたそうだ。それをこのオヤジが拾って育ててくれたらしい。

 ったく、コンビニが便利だからって、普通、自分の子供捨てるか? 『開いてて良かった』なんてキャッチフレーズも過去にはあったみたいだが、意味が違うだろ……。

 だけどまあ、そんなことも今となっては、別に悲しい話でも何でもない。ましてや、悲劇だとも思わない。

 俺の両親は必要ないから俺を捨てたんだ。例えるなら、バナナを食べようとしてその皮を剥き、不要となった皮をゴミ箱に入れるように、ただ捨てただけだ。それ以上でも、それ以下でもない。ただ、それだけの話さ……。

 何はともあれ、オヤジが奇特な人間で本当に良かった。何の因果か、見ず知らずの俺を、こうして一人で生きられるまでに育ててくれたんだからな。

 少なくとも、この人に感謝はしている。だけど、それは家族と言うのとは違う、恩人への感謝でしかない。いつか返すべき、他人への感謝だ。

 そんなことを思ってオヤジを見ると、跳ねたおでんの汁に「アツッ」と言って小指を立てて自分の耳たぶを触っている。ホント、変な人だよ……。

「そういえば、今日の料理当番ってどっちだっけ?」

「アタシよ。今日は、子供の日なんで、ちょっと豪勢なメニューを用意してるから期待しててねん」

 オヤジはチラッと壁掛け時計を見て、

「ちょっと早いけど、夕食にしましょうか? 今日はもうお客も来ないでしょ」

 エプロンを脱ぐと閉店の準備を始めるオヤジ。

「もう閉店かよ」

 壁時計は、まだ七時過ぎを指していた。早すぎる閉店だ。

 コンビニと言えば、二十四時間営業が常識のはずだが、うちはその限りではない。始業時間も終業時間もかなりアバウトで、オヤジの都合でほぼ決まるというかなり奇特なコンビニだ。いや、もうコンビニであって、コンビニの体をなしていないとも言える。

「早い方がいいってこともあるのよ」

 何言ってんだ? このセクハラオヤジは……。

「それに、今日はね。ニュースがあるのよ」

 フフフと気持ち悪く笑うオヤジ。

「ニュース?」

「そう。まあ、良いニュースと悪いニュース。なんだけどね。どっちから聞きたい?」

「良いニュースに決まってる」

 即答で返す。悪いニュースから聞くなんて、そんな馬鹿なことは俺には出来ない。

 俺の目の前に立つ、悪いニュースを肉塊にしたような奴から、そんなものを聞くだなんて、大殺界の日に、仏滅と十三日の金曜日を迎えるようなものだ。

「痛みは最後にとっておくパターンで来たわね。さすがは、Mね」

「武蔵だけにな。で、一体何だって?」

 軽く受け流して話を進める。

「家族が増えるわ」

「ぬぁにぃ?」

 唐突の告白に、俺は素っ頓狂な声をあげる。

「出来ちゃったみたい……」

 そう言うと、オヤジは、自らのお腹の辺りに両手を添えると、恥ずかしそうに顔を伏せた。



 は?



 間抜けにも口を半開きにしたまま固まった俺に、オヤジは、「百聞は一見にしかずよ」と声をかけ、コンビニの『関係者以外立ち入り禁止』のドアを通り抜け、二階へと上がっていく。

 俺には、ただその尻を追いかけることしか出来そうもない。

 店舗の二階は、居住スペースになっている。間取りとしては、3LDKで、オヤジと俺が二人で住むには十分すぎる空間だった。この十八年間、特に何の苦楽もなく無難にやってきたと思っていた。

 それなのに、唐突に告げられた家族が増える宣言。

 意味が分からない。

 俺は当惑しながらも、オヤジに聞き返すことが出来なかった。

 家族が増えるなんて台詞から想像すると、やっぱりこのオヤジのいい人、つまりは、オヤジの人生の伴侶が出来たのかと想像してしまう。

 だが、思い返してみても、オヤジにそんな人がいるなんて思えなかったし、ましては、この変態オヤジの伴侶がまともな女性であるなんてイメージ出来なかった。

 最悪、見も知らぬどこかのおっさんがいたとしても何ら不思議はない。

 広がる薔薇色の世界。

 アアアア――――!

 変な夢想に悶えながらも、玄関のドアをくぐりリビングへとたどり着く。

「あら、暇ならテレビでも見ていれば良かったのに」

 陽も落ち薄暗くなったリビングの電気をつけながら、オヤジは渦中の人物に声をかける。しかし、オヤジの大きな背中越しからでは、その姿は見えない。

「ほら、武蔵ちゃん。新しく家族になるのはこの子よ」

 オヤジは俺へと振り返り、そいつを示す。

 ゴクリ――。

 緊張のせいか、ケツの辺りがむず痒い。

「え……」

 急に明るくなって目が慣れていないせいもあり、うまく状況が把握出来なかった。

 目をこすって、もう一度、そいつを凝視する。

 予想に反して、そのシルエットの小ささに驚く。

「この子が……?」

 困惑する俺にオヤジがうなずく。

 そこにいたのは、一人の少女だった。

 マッチョなおっさんでもいるかと思っていたので、かなりの肩すかしをくらう。

 ひとまず俺は胸をなで下ろして、改めて少女を観察する。

 リビングのダイニングテーブルの椅子に腰かけた少女。

 少女は、お人形さんのように整った顔立ちをしており、真っ白な肌はむしろ病的と言っても良いくらいだ。そして、その白い肌に日本人形のような艶やかな黒髪が映えてやけに不気味だった。

 年の頃は、中学生か、小学生か……? 少女のどこか落ち着いた雰囲気が、どちらとも言い難いという印象を抱かせる。

「さっき家族って言ってたけど、もしかして、オヤジの隠し子?」

 全く似ていない。むしろ、二人は、ま逆といってもいいくらいの容姿だったが、そう尋ねずにはいられなかった。

「やーね。違うわよ。名前は……ナナコちゃんで良かったかしらね?」

 オヤジの問いかけに、少女はわずかにうなずいた。

 よくよく考えると、この少女が動くのを見るのは今、この瞬間が初めてかもしれない。そう思うわせるほど、この子は大人しい。ついでに言うと、俺の方には、まだ振り返りもしていない。

「色々あって、この子を少しの間だけ、ここで預かることにしたから」

「色々って何だよ? 説明、はしょり過ぎだろ」

「細かいことはいいのよ。ナニはともあれ、一緒に暮らして、寝食を共にするからには、家族と同じよ」

 ――家族。

 まただ。

 その言葉に、動揺している自分に気付く。

「そんな、預かるって言っても、いいのかよ? この子の、親は? 保護者は? 了承取ってるのかよ?」

「あー。その辺に関してはちょっとわけありでね」

 オヤジにしては珍しく歯切れが悪い。

「駄目?」

 上目づかいで見つめるオヤジ。

「別に……。どっちにしろ、この家の家長はオヤジなんだ。オヤジがいいって言うなら、俺はそれに従うだけさ」

「そう。なら、一応は納得したってことでいいわね」

「ああ」とうなずいて見せる俺に、「さすが、武蔵ちゃん」と親指を立てる。

「そうと決まれば、ご飯にしなくちゃね。ナナコちゃんもお腹空いたでしょ?」

 そう言うと、オヤジはそそくさとキッチンへと引っ込んだ。

 少女の方はと言えば、特にこれといった反応はなく、正面を向いたままゆっくりと瞬きをした。さっきまで、自分のことが議題として話されていたのに、何の興味もないようだ。見れば見るほど不思議と言うか、かなり掴みどころのない子だ。

 動かない少女をずっと見ていても仕方がないので、俺はオヤジにもう一つの懸案事項を訊ねてみる。

「ちなみに、悪いニュースってのは、何なんだよ?」

 そっちに関しては想像もつかない。いいニュースでこれなんだから、悪いニュースなんて天変地異レベルに違いない。

「え? ええ、それはね……」

 オヤジはガックリとうなだれる。そして、キッチンのカウンター越しに、スーパーの白いビニール袋を手にして持ち上げると、

「今日は手巻き寿司にしたんだけどね。その……。キューリがないのよ」

「って、それだけかよ」

 ズルッとこけそうになる。

「それだけってことはないでしょ。大問題よ。コンドー家の手巻きには、何はなくともキューリを入れないとね。特に、ぶっとくて、太くて、長いやつを入れるとおいしいのよ」

 ニヤニヤといやらしく笑うオヤジ。

 このエロがっぱが……。



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