虚無の穴

「ここだよ、ペットボトルが大量に搬入されてきているのはね……」

「はい……えっ」

 返事をして、そこを見て、瞬き。

 虚無の穴からペットボトルが滲み出るかのように湧いてきていた。

「これ……搬入なんですか」

「搬入だよ。我が社には虚無の取引相手がいてね」

「虚無の取引相手」

「そう。その名の通り虚無だ。我が社はアルミを供出し、先方はペットボトルとエネルギーを返してくれる」

「エネルギーはわかるんですけど、ペットボトルはなぜなんですか? そもそも蛇さんたちってペットボトル開けられないのでは?」

「おそらく先方の都合だろう。ペットボトルを作るのにもエネルギーが必要だからな。善意のつもりで送ってきているのだと思うが」

「善意……」

 それを俺が塔にしていたのか。

 どうして積んでいるかは知らないけれど。

 それを聞くのはなんだかよくないような気がして、ずっと聞けないでいる。

 わからないなら思い切って聞いてしまえばいいのだろうけれども、知ったからといってどうにかなるものでもないし、俺の仕事が楽になるわけでもない。

 楽。

 ペットボトルを積むのはつらくも楽でもない。積んでも積んでも崩れてくるところは苦だが。

 そう、つまり、理由を聞いたからといって仕事が楽になるわけでもない。だから聞くのは無駄。

「考えているね、人間くん」

「は、はい」

「何を考えているのかな?」

「いえ……シュレーディングさんに申し上げるようなことは何も」

「おお! 名前で呼んでくれるのかい!」

「あ……すみません」

 人間に名前を呼ばれると嫌がる蛇もいるので、失敗したな、と思う。が、

「君はなかなか私の名前を呼んでくれないからね、忘れられているのかと思ったよ。社会では人間の記憶力に疑義を申し立てる流れもあるからね……」

 上司は人間に名を呼ばれても大丈夫な方だったらしい。俺はほっと胸を撫で下ろす。

「いや、人間の記憶力に疑義などと言うのは人間差別か。失礼」

「いえ……大丈夫です」

「君は優しいねえ! 全ての人間がこうであれば人間の待遇ももう少しはマシになるかもしれないが、スラム街にいるような人間たちはどうしてしまったのだろうね? 野蛮極まりない。個蛇的にはもう少し努力の余地があると思うのだが……」

「そうですね、はは……」

 俺は曖昧に笑う。

 ペットボトルを持ち上げかけて、

「台車とかないんですか?」

「機械は上の了承がないと使えないが、手押し式なら廃倉庫にあったかもしれないね。取りに行ってくるかい?」

「えーと……いえ、大丈夫です。手で運びます」

 廃倉庫。は、会社から少し離れた場所にある。余った土地を「活用している」場所だ。

 取りに行くのが面倒というわけではない。問題はそれがスラム街の近くにあることだ。

 俺は蛇に魂を売っているから、スラム街の人間からは敵対される立場にある。

 蛇の管理下にある廃倉庫に入っていくのをスラム街の人間に見られたりしたらどんなことをされるかわからないし、危険は避けたい。

 だから手で運ぶ。

「そうかい! 感心感心。では……そろそろ私は行くよ」

「えっ」

 見ててくれないんですか、と言いかけて、しかし上司にも上司の仕事があるのだからずっと俺の面倒を見ているわけにもいかないだろうと思い直す。

「何かあれば席に来て、呼んでくれたまえ」

「はい……ありがとうございます」

「では」

「ありがとうございました」

 去って行くシュレーディング。

 俺は頭を下げたままそれを見送った。

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