オタクたちのプレリュード(2)

「せ、んぱ……」

 声にならない声を発する榎本えのもと

 散々オタクをディスっていたというのに、エロゲを購入する場面をくしくもボクに見られて動揺しているのだろう。

 こうなってはこちらも一声かけなければ不自然だ。

 仲がいいとはお世辞にも言えないが、かといって無視するのもあとで怖い。

 だが今まさにエロゲを購入せんとする後輩女子になんと声をかけろと?

 このかんわずか数秒——。

 助け舟とも言える声が、ボクの背後——レジのほうからかけられる。

「次のお客様、どうぞ?」

「あ、ひゃい!」

 今だ……!

 ボクは「あっ、ちょっと!?」などと叫ぶ榎本へ背を向けて早足で店内から逃げ出した。

 ふぅ……イベント回避成功、だな。

 ——翌日の昼休み、榎本が図書室へ来ることはなかった。


      ***


 榎本のエロゲ購入場面に遭遇してから数日後の放課後——。

「ただい——」

 自宅の玄関扉を開けた矢先、

「まっ……!?」

 背後から襟元を何者に掴まれ、帰宅を妨害された。

 最近は治安が悪いためボクも見知らぬだれかの標的にされたのかと振り返ると、なぜか不機嫌そうな榎本の姿がそこにあった。

「ハナシあるから家にいれて」

 いつもの語尾を伸ばしたしゃべり方ではなかった。

 ……というかこいつ、なんでボクの家を知ってるんだ?まさかけてきたのか……?

「ねぇ聞いてんの?」

 いつまでも返事をしないボクへと苛立ちを露わに凄まれる。

「ど、どうぞ……?」


 ボクが断れるはずもなく、なぜか終始不機嫌な榎本を部屋へと招き入れた。

「そ、それで……本日はどのようなご用件で……?」

「キモ。ふつーに話せないの?後輩相手にへりくだったりしてさぁ……マジウケるんですけど」

 下手したてに出てりゃいい気になりやがってこの暇人ビッチ……!

「今日はなんの用……ですか?エロゲーマーの榎本さん」

「なんかムカつくんですけど」

「ごめんなさいごめんなさい!調子に乗り過ぎました!」

 後輩女子に土下座して謝罪する男の姿がそこにはあった。

「はっ……!?まさか先輩、エロゲをネタに『バラされたくなかったら……わかってんだろ?』とあたしにいやらしいことをするつもりですか!?」

「しません!なんですかそのエロゲ展開!」

「それじゃあもしかして『男の部屋にあがるってことは……なぁ?期待してたんだろ?』って脳内であたしを犯しているんですね!?」

「だからなんでですか!あと無駄にイケボで言うのやめろ!」

「やめろ……?」

「ごめんなさい嘘ですだから睨まないでくださいなんでもしますから!」

 再び土下座するボク。

「なっ、なんでも……!?それはまさか『なんでもするって言ったよな?』ってお約束のアレ!?あたしにナニ期待してるんですか変態先輩!」

「何も期待してません!なんなんですかさっきからそのエロゲ脳!」

「エロゲ脳言わないでください!」

「じゃあエロゲーマー?」

「あぁん?」

「ごめんなさい許してください!」

 いやこれ無限にループする勢いなんだが!?

 らちがあかないので、ボクは平静さを取り戻してから尋ねることにした。

「それで、本日のご用件は……?」

「……どういうつもり?」

「はい……?」

 なにが『どういうつもり?』なのか。

 意味がわからず首を傾げる。

「あたし、散々先輩のこと馬鹿にしましたよね?」

「されましたね」

「そんな後輩の弱みを握ったのに、どうしてそのことを誰にもバラさないんですかっ!?」

 なぜか怒ったようにそう言う榎本。

「えっと……弱みって……?」

「エロゲのことですよ!えぇそうですあたしはエロゲが大好きですよ!オタクのことはキモいと思っていますし、先輩のこともやっぱキモいと思っていますが、それでもあたしはエロゲが大好きなキモオタ豚野郎なんですよ!」

 ボクを罵りたいのか自虐したいのかどっちなんだ……。

 まぁそれはともかく。

「たしかに榎本……さんがエロゲーマーだと知ったときは驚きましたけど……別に、女子がそういうのを好きだからって、弱みとかでは全然ないのでは?」

「先輩……」

「まぁ年齢的に完全にアウトですけど」

「それは先輩もですよね!?」

「ボクは男だからいいんです」

「あれあれ?ついさっき言ってたことと矛盾してませんそれ!?」

「というか……」

 思わず笑みがこぼれる。

「榎本さん、学校と全然キャラ違うんですね」

「へ……?」

「今のほうが好感持てますよ。うん。少なくともボクは好きです」

 ボクがそう言うと、榎本は耳まで真っ赤にして「あぅ、あぅ……」と声にならない声をあげていた。

 どうやら褒められ慣れていないらしい。

「あ、その……う、恨んで、ないんですか……?」

「恨む?」

「だからその……図書室で、馬鹿にしたこと……」

「いえ別に」

「そ、そうなんですね……」

「ただ『うざい』とは思ってましたけど」

「うざっ……!?」

 途端に涙目になる榎本。

 表情がコロコロ変わるやつだな。

「あと、あれだけ馬鹿にしていたのにエロゲするのかよ!とも思いました」

「ぐさっ……!?」

 榎本の心に矢が刺さった。

「しかもすごく不気味な……いえ、不気味な笑顔でパッケージを眺めててすごく気持ち悪かったです」

「それ言い直す必要ないですよねぇ!?」

「ともあれ、榎本……さんを馬鹿にするとか、言いふらしたりとか、そういうことはまったく思ってませんし、する気もないので。気にしないでください」

「そ、そうですか……それなら、よかった、です……」

 らしくなくもじもじする榎本。

 おしっこでも我慢しているんだろうか——などと鈍感主人公みたいなことを思うわけはなく……。

 ま、ふつーに恥ずかしいだけだろう。

 いつも馬鹿にしている、それも男子にエロゲ趣味が露呈したとあっては無理もない。

 逆の立場だったらボクは……相手の女子にドン引きされるだけでは……?

「榎本……さん」

「な、なんですか?ま、まさかこれでフラゲが立ったぜぐひひ……とか最低なこと考えてます!?」

「いえそうではなく……ボクもエロゲが好きなんです」

「エロゲ買ってましたもんね……それがどうかしました……?」

「……いや」

 ドン引きされることはなかった。

 相手が相手エロゲーマーだからな……参考になるはずないか。

「……ってゆうか、榎本でいいですよ」

「え……?」

「あと、敬語じゃなくていいです……あたしのほうが年下ですし……」

 急にしおらしくなる榎本。

「おい榎本」

「あぁん?」

「ごめんなさい調子に乗りました!」

「ま、まぁいいですけど……」

 お……?

 おいおいなんだこの後輩。エロゲ趣味を知られたくらいで心許しちゃう系ヒロインなの?もはやデレモード突入ですか?

 それはそれとして。

 榎本にとってエロゲ趣味が『弱み』であるなら、ボクが一方的に弱みを知っている状況は気に入らない。

 だから——

「榎本もボクの弱みを握るべきだ」

 情報はフェアであるべきだ。

 そう思い進言したのだが……。

「それは先輩のナニを握れとそういうことですか!?」

 どうやら榎本はエロゲ脳を稼働させているのが通常運転らしい。

 どうなってるんだ女子高生。

「そんなことは言ってない」

「クズチ○ポであたしを調教してメス堕ちさせる気なんですねそうですね!?」

 とうとうチ○ポ言ったぞこの後輩。

「ダメですっ……ダメなのに、感じちゃう……ってやつですね最低です!」

「落ち着け」

「落ち着けだあぁ?」

「落差激しいなおい!」

 でもなんとなく榎本のことがわかってきた気がする。

 そして、扱い方も。

「せっかく可愛い顔してるんだから、そう怒るなって」

「かわっ……!?」

 はいチョロい。

 個人的にチョロイン(秒で主人公に恋するちょろ過ぎるヒロイン)はあまり好きではないんだが……このチョロイン(褒められただけで態度をよくする現金なヒロイン)には好感が持てそうだった。

「なんか先輩のその『こいつちょろ過ぎ』みたいな顔がマジムカつくんですけどぉ!」

「そんなこと思ってないぞチョロイン」

「だれがチョロインですか!あと勝手に先輩のヒロイン認定しないでもらえますかね!?先輩と付き合うとかちょー無理なんですけど!」

「その点については安心しろ」

「なぁんか急に偉そうですね先輩」

「ボクは生涯、二次元しか愛さない。三次元の女なんていてもいなくても大差ないからな!」

「先輩が病気なのはわかりましたがとりあえず全世界の女性に土下座してください!」

「声優さんと作品に携わっているその他もろもろの女性は別だ。ごめんなさい」

「一部じゃなくて全女性に謝ってくださいよ!」

「さーせん」

「さては謝る気ありませんね!?」

 榎本はツッコミ疲れたのか、はぁ、と息を吐く。

 そろそろいい頃合いかもしれない——ボクはそう思い、すっと立ち上がった。


「ボクはゲームがしたいんだ。そろそろ帰ってくれないか?」


 ボクの言葉に、榎本は一瞬目を点にさせたものの、すぐに口端を歪めて「へぇ……」などと意味ありげに笑んだ。

「先輩はぁ、目の前にいる可愛い女の子よりもぉ、画面の中にいる女の子をとるんですかぁ?」

「当たり前だ」

 即答する。

「さっきも言ったが、ボクは三次元リアル女子には興味ないんだ」

「ほぉんと、先輩ってキモオタですねぇ」

 いきなり図書室での『馬鹿にしてる感』満載のしゃべり方で馬鹿にしてくる。

 しかし今となってはその言葉は、榎本自身にも跳ね返っていくブーメランであると知っている。

 だからなのか、これまでのような嫌悪感は感じられなかった。

 むしろ『可哀想な女子』と接している気分になってくる。

「それじゃあ……あたしのおっぱいを触っていいですよ——って言ってもぉ、動揺しないんですねぇ?」

「触ってほしいのか?」

 エロゲーマーといってもビッチはビッチだったか。

「触れるものならどうぞご自由に。まぁ先輩にそんなどきょ——」


 ふにゃん——


 躊躇することなく後輩女子の胸へと触れるボク。

 制服の上からではあるが、それなりの大きさはあるらしい。

「あっ……うぇ……!?」

 なぜか耳まで真っ赤にして声にならない声をあげる榎本。

 挑発してきたのは榎本自身だというのに、まさかボクが触るとは微塵も思っていなかったのだろう——涙目になってきっ!とめつけてきた。

「ほ、ほんとに触るとかなに考えてるんですかっ!?」

 なるほど……だいたい理解した。

「おまえさては偽ビッチだな?」

「なんですか偽ビッチって!そもそもあたしはビッチじゃありません!処女ですよ!えぇバージンですとも!よかったですねぇ!オタクは処女好きですもんねぇ!?」

 世のオタクたちが処女好きかどうかはともかく……。

「榎本が処女でよかった」

 これでだったら、それこそいよいよビッチだ。

 だが処女であるならば、これまでの発言はただの強がり。つまり——ツンデレだ。

「なっ、なんですかそれは!もしかして今後あたしとしたいとか思っちゃってるんですか!?ほんっとキモいですね!」

 ボクは榎本を温かい目で見つめる。

「これからよろしくな」

「いやよろしくしませんけどぉ!?」


 とりあえず連絡先は交換した。




 オタクたちの前日譚プレリュード


   ——完——

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