第十七話 黄泉平坂転げ落ち

 どこなんだここ。


 担がれてもう数十分は立っただろうか。月読さんはえっほえっほと私を運んでいるが、いかんせん周囲はずっと真っ暗でどのくらい移動したのか分からない。唯一分かることと言えば、若干前のめりになっていることくらいだ。ひょっとして坂でも下っているのだろうか。


「いやあ、それにしても肝が太いですね。普通黄泉の国に行くなんて言ったら大体の奴は生きのいい魚みたいに跳ねまわるのに」

「なんというか、あんまりにも急すぎてピンと来ていないっていうか……」

「ああ、それもそうか。じゃあちょっと休憩がてら説明しますね!」


 よっこいしょ、と言いながら月読さんが私を下す。地面に足がつけば思っていた通りここは坂道みたいだ。ここからどのくらい先があるのだろうと下った先を見ても、明かり一つ見えず、どのくらいの長さかも予想できなかった。吸い込まれるような穴は、ずっと見ていると巨大な怪物が口を開けて待っているようにも錯覚して寒気が走る。


 「どうぞ、そこら辺の岩にでもかけてください」と言われようやく穴から目を離すことができた。とはいっても暗いのには変わりないので手探りで岩を探していると急にパッと光が降り注ぐ。驚いて上を見上げれば、さっきまでなかった月が煌々と光を放っていた。


 久々に見たような気がする青白い光の中、彼は申し訳なさそうに私の傍にある岩の一つを指す。


「いや、段取りが悪くて申し訳ない。拙は暗闇でも目が効くもので」

「……あの、ひょっとして急に夜になったのて」

「拙は月読命。言葉の通り月の神であり夜を治める神ですので、ええ。勝手に夜になってしまうのはその、すみません……」


 なんでも彼が来ただけで勝手に夜になってしまうらしい。それならそれで周りが気づいて良さそうなものだが、月読さん自体が夜の化身のようなものらしく彼に気づかなければ夜になったことも分からないのだとか。


 少し難儀な体質というか力というか。近くの岩に腰を下ろすと、彼は隣に腰掛ける。


「ま、まあともかく! 休憩がてら質問タイムと言うことで」

「はあ……」


 話題を強引に変えるように質問時間が始まる。まあでも聞きたいことは結構あったし、質問してもいいと言うならありがたくさせてもらおう。


「ええと、これから行く黄泉の国っていうのは?」

「死者の国ですね!」

「え」


 あっけらかんと言うから一瞬なんでもないことかと勘違いしそうになったけど。死者? 死者って言った今。


「またの名を根の国。死者の魂がたどり着く場所のことです。ここはそこに続く道、かの有名な黄泉平坂よもつひらさかってやつですね! ここらだと貴重な観光スポットなんですよ。あ、聞きますかここの有名な話」


 死んだら行く道のことを観光スポットって。けど神様基準だとそれが普通なのかもなとにこにこ説明してくれる彼を見て思う。彼が話してくれたのはここであった創世の神のお話。


「この島国を作ったのはある二神の夫婦神だったんですがね、神を産む最中に奥さんの方が亡くなってしまうんです。つまり、黄泉の国へ行ってしまったわけですね」


 夫は大層嘆き悲しみ、妻を追って黄泉平坂を下って行った。けれどやっと会えたにも関わらず、妻は「私が戻ってもいいか聞いてくる間、決して私を見てはいけません」と言い残し去っていく。


 結局夫は待ちきれずに妻を見てしまう。するとそこにはもう黄泉の物を食べてしまい醜く朽ちた妻が見つかる。


「その時に怒った彼女が夫を追いかけて上ったのがこの坂なんですよ!」

「観光スポットじゃなくてホラーの間違いでは?」

「そういうちょっとした怖さに惹きつけられものがありますよね」

「ちょっとしたで済む内容なんですかこれ?」


 夫はどうにか逃げ切って、黄泉の国への入り口を大岩で塞いだという。本来現世と繋がっていた黄泉の国はこうして閉じられたのでした、ちゃんちゃん。と話の最後が締めくくられた。


「どうです? 黄泉の国がどんなものか分かりましたか?」

「……死者の行くところってことは分かりましたけど」


 それでもまだ分からないことがある。月読さんは「お仕置き」だと言っていた。私を黄泉の国に連れていくことがどうしてお仕置きになるのだろうか。


 それを聞くと、ああそれはと彼が答える。


「そもそも黄泉の国って言うのは穢れが溜まっている場所でしてね。普通の神じゃあ来ることすら難しい。ほとんどが穢れに侵食されて苦しくなっちゃいますからね」

「え、でも月読さんは平気そうですけど」

「ほら、拙は夜の神ですので。暗いところは得意なんです。それに拙としてはあなたの方が不思議なんですけども」

「え、私ですか?」

「人間でも気分が悪くなったり体調に影響が出るもんなんですけど。いやあ不思議体質でいらっしゃる!」


 不思議体質で片づけていいことなんだろうか。けれど現に体調の悪さなんかは感じていない。これもあの巫女だからとかいうやつだろうか。


 彼が言うには、私を追いかけてきた水の神様を黄泉の国の穢れに触れさせてちょっとお仕置きをしてやろう、との考えらしい。


 ……来るとは限らないと思うけどなあ。


 けれど月読さんは相変わらず人の良さそうな笑みを向けて笑う。


「来ますとも、必ず。あいつはそういう神です」

「そう、ですかね」

「あいつは昔っから気に入ったものには一途でして。少し前も似たようなことをやらかしたんですよ」

「やらかしたって?」

「一人の人間に入れ込んで、禁術を使ったんです」


 ああそうだよな。神様は長生きだし、私以外にもきっと多くの人間に会ってきた。だから別に、おかしいことではない。うん、当たり前だ。


 他の人にも、幸せにするだとか、守るとか、言ったんだろうか。


 ふと浮かんだ靄を振り払うように首を振る。おこがましいぞ、第一私は忘れてるって言うのに。そう自分に言い聞かせる。


 月読さんは続けた。


「それがばれた時もあいつはまったく反省しなくって。元は高天原の末席だったんですけどそんなことばかりしているから隠世に落とされたんです」

「え、元々は高天原の神様だったんですか?」

「あいつは水蛇みずちの一種ですから。そんな感じ全然しないでしょう? 困ったもんですよ」


 驚いた。そんな経緯があったなんて。私から見れば神様なんて皆偉い方々なんだけど、その中でも位の高い神様だったんだ。


 その後も私と月読さんは話を続けた。月読命という名は役職のようなものだから呼んでも大丈夫だとか、水の神はずっと蛇の姿をしていたのだ、とか。


 彼の口から聞く神様の話はどこか別人のように聞こえた。


※※※


 あれからまた少し先進んだ後、月読さんは急に言った。


「あ、ここでちょっと待っててくださいね」

「どうかしたんですか?」

「ここから先、道が険しくなるもんで。ちょっと確認してすぐ戻ってきますんで!」


 あんまり動くと危ないですからね、とだけ言い残して彼はずんずん坂を下っていき、私一人がぽつんと残される。


 さて、どうしたものか。歩こうにもどこもかしこも真っ暗で、ちょっと歩いただけで居所が分からなくなりそうだ。言われたとおりじっとしていた方がいいかもしれない。


 しかし、そう考えていた矢先に視線の端で光っている何かを捕らえた。


「………あんなの、あったっけ?」


 岩か何かの影に、うすぼんやりと光るものがちらりと見える。何かいるのだろうかと身を固くすれば微かに、「うぅ……」と呻くような声が聞こえてきた。


 誰かがあの陰にいる。今まで起こったことを思い出し、関わらない方が賢明だと耳を塞ごうとするものの、続いて聞こえた「苦しい」というか細い声にそれも出来なくなる。


 声は小さくて少し高い。今にちぎれそうな蜘蛛の糸が思い浮かぶ。あそこで誰かが苦しんでいる。前のように私を騙そうとした妖怪かもしれない。けれど、聞こえた声が今にも消えてしまいそうだったから。


 意を決する。今、諦めてはいけないような気がした。


「…………何者だ」


 覚悟を決めて踏み込めば、そこに横たわっているのは女の子だった。血の気の失せた白い頬に光沢をもった白い髪が細工物のようにかかっている。金銀で刺繍のされた藤紫の着物を身にまとい、女の子はぐったりと倒れていた。


 薄く開いた瞳から澄んだ空色が覗く。酷く苦し気な顔だ。


「だっ、大丈夫ですか⁈」

「……何故人の子がここにいる」

「ええとそれは紆余曲折ありまして……、って私のことはいいんです!」


 多分、神様だと思う。なんの根拠もないけれど、直感的にそう思った。さっきの話で聞いた「神様は穢れに侵食されて苦しくなる」という言葉を思い出す。この人が神様だとすれば、黄泉平坂の穢れでこうなっているのかもしれない。


 それなら、ここを出ればどうにか。その考えにたどり着くと私は彼女の体を持ち上げた。ふわりと手に乗る感覚は文字通り羽根のように軽い。


 その行動に少女は眉を顰める。


「おい、っお前何をしている」

「運ぶんですよ、ここから!」

「運ぶだと? 人の子が余をか」

「罰当たりかもしれないですけど、今のあなたを放っておくことなんてできません!」


 どう見ても彼女は大丈夫そうに見えなかったし、穢れがあるというここに居続ければもっと酷くなるかもしれない。月読さんには悪いけど、お仕置きよりこの子をここから連れ出す方が先決に思えた。


 さっきまで歩いていた方の逆を向いて、私は歩みを進める。地面の感覚からこっちが上だろう。


 急いで坂を上り始めた時、背中からほんの少し笑い声が聞こえた。


「はは、人の子が余を、助けるか。ふふふっ」


 鈴の転がるような穏やかな笑いが、荒い呼吸の中に混ざる。とりあえず、怒ったりとかしているわけじゃなさそうでよかった。


「よいぞ、難儀していたのは事実であるし、其方の背は、めっぽう心地良い」

「は、はあ。ありがとうございます……?」

「ここから出たら好きな褒美でも取らせるとしようか。しかし、余が人の子に助けられるとはなぁ。くく……」


 なんだか随分偉い神様を助けたようだ。苦しそうにしながらも声を明るくした様子に安心しながらまた坂を上り始めた時。


「ちょっとちょっと! 拙言っときましたよね! 危ないからじっとしててって」

「あ! 月読さん。ちょうどいいところに。この子が――――」


 後ろから彼の声がして月読さんが追いかけてきてくれたのだと分かる。丁度良かった。大口を叩いたものの、私だけじゃこの子を出口まで連れていけるか怪しかったのだ。


 月読さんがいれば百人力だ、と思った時。手に震えが伝わってきた。


「――――――なんで」


 か細い声が驚愕に震えている。その声を聞いて、この手の震えが彼女の物だと分かった。女の子は震えながら言う。


「お前は、?」

「やだなあ姉様まで拙を忘れちゃったんですか? まったく影が薄いからって」


 姉様、と言うことはこの神様って。そう考えた時、彼女が叫ぶ。


「その顔は、余の弟だ。その声は、余の弟のものだ。間違えるわけがない」

「はい。拙は姉様の弟神ですので」


 その言葉ににこりと月読さんがほほ笑んだ。けれど少女の声は変わらずに固く、続けた。


「――――――けれど、


 

 どうしてお前は、月読んだ!

 


 悲痛な叫びが闇に吸い込まれ、消えていく。柔らかな彼の微笑みが徐々に張り付いた笑顔に変わっていくのを、私はただ呆然と見ることしかできなかった。

 

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