第十六話 神への罰
「どうも、お初にお目にかかります」
つくよみのみこと。思わず言われたことを言い聞かせるように復唱した。
夜と共に現れた男性は、黒い髪を後ろに撫でつけていた。墨で塗りつぶされたような目も相まって、夜空から切り取られてきたような人だと感じる。
落ち着いた深緑の着物に金糸で縫われた上等な月が浮かぶ。水の神様と同じ、人の姿であるのに人離れした美しさだった。冬の夜のような美しさと冷たさ。近寄りがたいその相貌に見つめられるとどうしてか身が竦んでしまう。
突然に現れたその人は品のある笑みをこちらに向けた。何を言うつもりなのだろう、と固唾を飲んで次の言葉を待つ。が、その表情はパッと崩れた。
「って、わあー! 言っちゃった言っちゃた!」
「へ?」
「いやー、さっきの拙は決まってた! お初にお目にかかります、なんて一回言ってみたかったんだよ」
突然にへらと笑う顔に気が抜けてしまう。さっきまで感じていた冷たさはどこへやら、目の前で眉をハの字にして笑う彼は人のいい男性にしか見えなかった。
しかしさっきからずっと独り言を言っている。ひょっとして気づいてない? いやでもこっちをちゃんと見ていたような……。
どうしたことかと首をひねった時はたと視線が交わる。黒い目は私を見た途端丸く開かれ、恐る恐ると言った風に手を上げた。
「あの、ひょっとして見えてます?」
「え、あ、はい。ばっちり」
「………聞いてました?」
ええそりゃあもう。頷けば「うぎゃあ―――――っ!」なんて外見からは想像できない悲鳴が夜空へと響き渡った。そし悶絶し始める。ごろんごろん転がる最中、「どうして格好つけてるときに限って」とか「もうやだ埋まりたい」とか聞こえてきた。思わず頷いてしまったけれど、見ないふりをした方が優しさだったろうか。
男性はしばらくもだもだとしていたかと思うと突然すっくと立ちあがる。
「……あの、今見たことは忘れていただいても」
「は、はい」
成人男性が身もだえている姿というのはなんというか、こちらの良心を苛む。改めて頷くと、彼はぱあっと満面の笑みを見せた。
「いやあ良かったです。こんなのしてるってばれたら絶対笑われる」
「ばれるも何も、皆見てると思いますけど……」
「いえお嬢さん。周りを見てください」
そう言われ改めて辺りを見渡し、驚愕する。私以外の誰一人として、彼に視線を向けていない。神様たちが不思議そうな顔を私に向けているだけだ。
いったいこれはどういうことだと視線を向ければ男性はにこっと笑う。
「改めてご挨拶を。拙は月読命。まあお気軽に月読でも月ちゃんでもお好きに」
「つ、月ちゃん?」
「拙、一応高天原に身を置いてはいるんですけどね。どうにも畏まったのは苦手で」
「はあ……?」
良く分からないけど調子が狂う神様だ。自分のペースを持っているというべきだろうか。どこか軽いノリの月読さんは続けて言う。
「いやしかし、感心しました。人間のお嬢さん。拙を見つけられる方がいるなんて!」
「そ、そんなに見つけられないもんなんです?」
「……恥ずかしながら拙、昔っから影が薄くてですね。そのー、なかなか気づいてもらえないといいますか」
影の薄さだけでここまでいくのか普通。明かされる衝撃の事実に唖然としていると彼は照れたように「かくれんぼは無敗の自信があります!」と胸を張る。忘れられて公園に残されるシーンが目に浮かぶようだ。
「あの、何かご用事があって来たのでは?」
「そうでしたそうでした。いやあ、お話しできると思うと嬉しくて」
この様子だと相当苦労していそうだ。最初のイメージからがらりと変わった月読さんは力の抜けるような笑みを浮かべながら私の後ろに目を向ける。
「少し、話をしに来たんでした」
その視線はまっすぐに水の神様へと向けられていた。
※※※
「げえっ! 月読!」
「………ほんとに力入れただけで見えるようになるんだ」
月読さんがいきなり「ふんっ!」と力を籠め始めたので何事かと聞いたら「ちょっと神気高めてます! こうでもしないと気づかないので!」と言っていたのがついさっき。そんな力業でいいのか高め方。でも私の時も筋トレみたいなものだったし、筋肉は便利だなあ、なんて思考が飛びかけた時水の神様が心底嫌そうな声を出した。
月読さんはその対応に額に手を当てる。
「げえっ、とはなんですか。げえっとは」
「なんでお前がここにいるんだよ」
「お使いですよ、姉様のね」
そう告げられた瞬間、空気が一気に張りつめたのが分かった。烈火は唸り声を上げているし、ツクモさんは方々に視線を送っている。
水の神様は不機嫌そうに声を低めた。
「……大御神のかよ」
「おや、その様子だとなんで拙が来たのか分かってるみたいですね」
ざわめきが大きくなる中、水の神様に庇われる。警戒したような神様の行動に、初めにあった時の話を思い出した。
禁忌とされる神隠し。ばれたら何が起こるか分からない。
けれどピリついたこちらとは対照的に、月読さんはただ困ったように話し続けた。
「はあ。拙も姉様も反省してほしいだけで乱暴なんてしませんよ」
「どうだか。気に喰わなきゃ実力行使なのは姉弟全員同じだろうが。
「ぐっ……我が弟のことながら反論できない。って、そういうこと言いに来たんじゃないんですってば! ちゃんと話聞きなさい!」
「嫌だね。どうせやることは同じ癖に」
「もー‼」
憤慨する月読さんの一切を無視しながら、神様の手がぐっと私を掴む。「行くよ」と言ったのが口の動きで分かった。私としても神様が酷い目に遭うのは嫌だ。頷いて手を握り返したその時、急に神様の顔が暗くなる。まるで灯りを落としたあとのような暗さだ。
あれ、こんなに暗かったっけ。一瞬、たった一瞬だ。そう思っただけなのに。
「まったくもう! 逃げるんだったら拙がちゃんと見えるようになってからしてくださいよ」
「……あれ?」
少し遠くに、神様たちの顔がある。ついさっきまで、触れられるほど近くにいたはずなのに。
ぐっと腰を抱き寄せられて振り返れば、月読さんがすぐそばに立っていた。
え、どうして、いつの間に移動したんだ。というかひょっとして私、捕まった?
混乱する私を置いて、月読さんはふふんと自慢げに言う。
「分かんなかったでしょ。拙の唯一無二の特技みたいなもんですからね!」
「触るなっ!」
「……無視ですかそうですか。いいですよ、いじけてなんていませんし」
幼い子どものように口をとがらせる月読さん。今の一瞬で気配を消して私を移動させたのだろうか。水の神様の焦ったような声が耳に届く。
「うるせえっ! その子に触るなって――――!」
「水の神。姉様も拙も、ただ反省してほしいだけなんだ」
「………なにを」
本当に困ったように、兄弟のわがままを諭す様な声だった。「反省してほしい」その言葉と、私が捕まっている今の状況に何か関係があるのだろうか。と考えた時、視界が宙に浮遊する。
「おい、その子に何して」
「君自身にどんな罰を与えても変わらない。それなら周りからってね!」
「え」
担がれている。正直言葉の感じから嫌な感じしかしないのだが。けれど私の不安など知ったこっちゃないのだろう彼の自慢げな声が聞こえた。
「君の大事なこの子を
「――――――は?」
「返してほしかったら、自分で神隠しのお仕置きを受けに来ること。いいね!」
そんな景品みたいな扱い。と的外れな考えが浮かんできたところで月読さんは呆けた表情の皆を他所に、高らかに言い切った。
「じゃあ、行こうか!」
「待ってください行くも何も承諾もしてませんけど⁈」
神様たちの声が届くよりも早く、月読さんはさっさと移動を始める。意気揚々とした彼とは反対に、私の胸中はこれからの不安で満たされていくのであった。
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