第十五話 高天原の神
殺された、その言葉に頭がフリーズする。どうして、とか誰に、とか。聞きたいことが沢山押し寄せている感じだ。聞きたいのに声が出せない。
とにかく戻ろう、と呼びかけられて我に返る。そうだ、今はぼーっとしている場合じゃない。急ぎ足で向かう途中、水の神様が問う。
「死んだって、ツクモの奴は気づかなかったわけ?」
「そうじゃのう。奴が気づかなかったってのは妙じゃな。あやつはわしらの何倍も目があるよなもんじゃろう」
烈火も不思議そうに首をかしげる。確かにそうだ。ツクモさんには大勢の部下、もとい付喪神がいる。誰かが覚へ近づいたのなら分かってもよさそうなのに。その問いかけに湯飲みちゃんは泣きそうな声で首を振った。
「私だって分からないよぅ! だぁれも気づかなかったんだもの」
「誰か怪しい人を見たとかは」
「全然! 誰かを見たどころか、皆いつも通りだったって」
しかも覚はしっかり縛ったし、ツクモさんの言いつけ通りに奥座敷に放り込んだと彼女は続けた。ひょっとしたら覚の仲間が助けに来るかもしれないからと姿を隠させたのだと言う。しかし結果としては真逆の形となった。訳が分からないと彼女は言った。
「店の、しかも奥座敷だよ? 入ってくれば絶対に気づくはずなのに」
「お前たちがぼうっとしてただけじゃないのか」
「それこそ絶対ありえない! ツクモ兄さんに普段から鍛えられてるんだもの」
誰かが入ってくればそれこすぐに気づけるはずだし、その自信があると湯飲みちゃんは胸を張った。それにもし見逃したとしても付喪神は無数にいるのだ、見逃す方が珍しいだろうと続いた言葉にふむ、と烈火は考え込む。
「こいつの言う通りじゃろ、水の。付喪神っちゅうんは厄介じゃからのう。どこに目があるかまるで分らん。そいつらが分からないときてる」
「……まあね、しかし殺されたってのが妙だ。」
神様たちの言葉に少し考える。どうして殺す必要があったのだろうか。仲間の妖怪たちが助けに来たなら殺さないだろう。なら、覚を悪く思っている妖怪とかだろうか。
「どさくさにまぎれてとか、考えられませんか?」
「その線も大いにある。けど、わざわざ付喪神に喧嘩を売るようなまねするかな」
考えども答えは出てこない。どうしてこんなことをしでかしたのかもさっぱり分からなかった。まあ考えて答えが出ないなら実際に行ってみてみるほかない。
そう思った時、体の中を視線が通り抜けていった気がした。
「………っ?」
「ユキ、どうした」
「いや、今なんか視線が」
じっとりとこちらを舐めまわすような視線。まるで今の行動全てを観察されているような気分に鳥肌が腕を覆う。ぞくぞくとした寒気すら感じながらも、腕をさすりながらどうにか気分を落ち着かせた。
急に立ち止まった私を怪訝そうに神様が見る。そのころにはもう、視線は感じなくなっていた。ただ暗い森に静けさが漂うだけだ。
「……気のせいだったみたいです。ごめんなさい、早く行きましょう」
粘つく視線を振り払い、顔を上げる。森の出口はすぐそこまできていた。
※※※
「これは……」
「ツクモ、どういうこと?」
「面目ない。あたしとしたことが、しくじっちまった」
目の前にはほどかれた縄が畳の上に広がっていた。横たわった覚の目は大きく見開かれて固まっている。ぴくりとも動かないそれはまるで魂が抜けてしまったかのように見えた。
さっきまで動いていたのに、からっぽだ。これが死ぬってことなんだろうか。つい少し前まで私たちを襲ってきたものを呆然と見ていたら、神様に視線を遮られる。
「あんまり見るもんじゃない」
「……神様、これ」
「ああ。死んでる。魂の気配を感じないからね」
「魂の気配?」
神様が言うには妖怪にしろ人間にしろ、生きた肉体を持つ者には二つの死があるという。
一つは物理損傷による、肉体の死。大怪我や致命傷を負った時、体が耐えきれずに死に至る。
そしてもう一つ。
「魂の異変による、魂の死だ」
「……覚の魂は、どうしちゃったんでしょうか」
「分からない。でも、近くから気配を感じないから」
「ま、消された可能性が高いのう」
畳の上に転がった覚は固まった表情のまま、何も言わない。丸く開いたままの目は、曇ったガラス玉のように見えた。驚いているようにも見える顔は、覚に何かあった時のまま固まっているのだろうか。
神様は魂の気配を感じないと言っていた。だから、もしかしたら。
ここで起きた可能性の恐ろしさに手を強く握りしめる。針の早い音と共に、ツクモさんは申し訳なさげに言った。覚から芋づる式に妖怪過激派を探し出す計画がめちゃくちゃになってしまったと、彼はうなだれる。
「すまないね、あたしの失態だ」
「……そんな、謝らないでください」
さっきも話した通り、ツクモさんたちが見つけられないと言うのが妙なのだ。ここはお店の奥座敷で、表の店には店番中の茶碗さんがいるし奥には湯飲みちゃんが仕事をしている。目を盗んで入ったとしても、誰も気配を感じないと言うのはおかしな話だ。しかも、ほかの住民も「おかしなところはなかった」と言っているのだから。
「ただの憶測なんですけど、相手のほうが見つからないように何かしてたんじゃないかなって、思うんです」
「そうじゃのう。普通に見逃したにしては不可解な点が多すぎる」
「だから、ツクモさんのせいじゃないです。絶対に」
懸命に言葉を重ねる。この一連の流れはどうにも不自然で、どうしようもなかったことかもしれないのに「自分の責任だ」と背負ってほしくなかった。
それを聞いたツクモさんは針の音を一瞬遅くすると、驚いたように言った。
「……ユキ、ちょっと雰囲気変わったかい?」
「お、ツクモにも分かるかの」
「しかもなんか隣の狼と繋がりができてるように感じるんだけど。一体何が」
「ああ、とりあえず祝言をじゃな」
「は⁈」
「あーっと! そこらへんは後で! 後でちゃんと話すんで!」
話の脱線衝突事故だ。内容が取っ散らかるどころか、後ろからどす黒い雰囲気を感じ始めたので慌てて烈火の言葉を遮った。またややこしいことになる。
ツクモさんは私と烈火の顔を見比べるとはあ、と言った。
「まあ、またややこしいことになってるのは分かったよ」
「そんな馬鹿の戯言よりさ、ツクモ。薬」
「あんたはあんたで単語で話すんじゃないよまったく」
「この子の怪我が見えないのかよ。ほら、くーすーり!」
あ、忘れてた。色々と衝撃的なことが起こりすぎて、怪我のことなんて頭の中からすっぽ抜けていたのだ。意識を向けた途端、またじくじくと痛み始めた傷にツクモさんは「これは痛そうだ」と針を軋ませる。
「随分酷くやられたね。おい、やったやつは?」
「そこに転がってるよ。僕だってもう少し殴ってやりたかったけどさ」
「そうかい。ユキ、とりあえず怪我の手当てだ」
おおい、湯飲み。と彼が呼べばすぐに湯飲みちゃんが飛んでくる。すばやく私の手に冷やす用の氷を持たせてからぴっと姿勢正しく立った。
「おい、ちょいと薬を取ってきてくれないかい。ほら、鎌鼬の万能薬があったろう」
「あれは少し前に切らしてますよぅ、兄さん。仕入れてこないと」
「ああ、ならあたしが行くよ。あの兄弟はちっと気難しいからね」
ちょっくら店に行ってくる、と言いながら立った彼に「私もついていってもいいですか」と声をかける。本当はここでじっとしているべきなのかもしれないけれど、わっと色んなことが一気に起こりすぎて頭がキャパオーバーを起こしているのだ。少し歩いて、頭を整理したかった。
「無理してないならいいよ。ついておいで」
私の表情から察したのか、ツクモさんが優しく私を手招く。神様たちもついていくと立ち上がり、結局全員で行くことになった。
しかし、一歩店から踏み出したところで私の体は固まる。
月が出ていた。
真っ暗な空は吸い込まれそうで、丸い月が見下ろすように真上にある。美しいと言えるはずの風景は、あまりに不自然だ。
だって、隠世はずっと夕暮れのはずなのに。
「ちょうどいい、皆さんお揃いで」
店の前に黒い影。ひょろりと細い人型は礼儀正しく頭を下げる。月の白い光にシルエットが怪しく浮かび上がった。
「
天照大御神の使いでこちらに参りました、と彼は告げる。一番偉い神様の、使いの神様。彼がどうしてここに来たのか、この時はまだ知る由もなかった。
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