第十四話 お別れは突然に
「なんで⁉」
「何でと言われましても……」
「おい、そんな激しく揺らすなや。首が取れたらどうするんじゃ」
「そこまで簡単に首とれませんから」
がくんがくんと肩を揺さぶられる視界に、半泣きの神様と呆れ顔の神様が映る。簡単に取れないとは言ったものの、このままでは本当に首がもげそうな勢いだ。と、思い始めたところで烈火が私を引っぺがす。
あたりは静かな森へと戻り、私は神様二人と並んで歩いていた。ようやく手を放してくれた水の神様が泣きべそ混じりにぶつぶつと呟く。造形が整っているというのは泣いても崩れないんだなというのは、隠世にきてから分かったことの一つだ。
「どうして犬のことは思い出せて僕のことは思い出せないんだよう……」
「駄々こねるな」
「思い出してもらって余裕綽々の駄犬は黙っててよ」
「……どの口が言うんじゃ。まったく」
結果から言えば、覚は死ななかった。ほぼ瀕死ではあったし炎の大爆発みたいなのを間近で受けながら息があるというのは余程丈夫なんだろう。
ちなみに今は付喪神一派の手によって簀巻き状態で引きずって行かれたところだ。ツクモさんが色々聞き出すとかなんとか。表情の見えない彼が「色々とお話したいことがあるんですよねえ。ええ、色々」と話した声色が少し恐ろしかった。何をされるのかとかは考えない方がいいだろう。
そして変わったことがもう一つ。私の記憶が戻ったことだ。烈火についてと、巫女の力の一部分という極めて限定的な部分ではあるが。
だからさっきから水の神様が号泣しているわけだが。その様子を烈火は訳が分からんと言う風に眺めていた。私も訳が分からない。
少し前に立ち聞きした話ではあるが、多分この神様が私の記憶と力を封じた張本人だ。なぜここまで悲しむのか。そう思っていると一通り泣き伏した顔がじろりと烈火を睨む。
「……君の頭にそのクソ犬しかいないのが嫌」
「なんなら馬鹿蛇のことなんぞ忘れ取ったほうがユキのためじゃろ」
「あ?」
「やめてくださいよ神様たちで喧嘩なんて。えーと」
烈火、と言いかけて口を塞ぐ。ここで名前を簡単に言いあってはならないのだ。しかし思い出した今、炎の神様と言うのも急に距離を置いたみたいで感じが悪いし。
「ええと、
「……おう」
「あの、あんまり煽ったら駄目ですよ」
「…………おう」
炎の神様に戻した方がいいかもしれない。「おう」しか返さなくなった烈火を見て猛烈な後悔がこみ上げる。距離感を測り間違えたみたいで大変恥ずかしくなってきたし。小さい頃はタメ口で話していたからつい口に出てしまったけれどひょっとしたら「急に距離詰めてきたな」とか思われていそうな気がする。
高速で浮かんできた言い訳で頭を埋めながら、私は烈火の顔を伺った。しかし引き顔という私の予想は外れ、どこかぼんやりとしていた。
「……き、聞いてます?」
「思い出したっちゅうことは、あれも思い出したってことじゃろ」
「へ?」
「さあて、祝言はどうするかのう」
思い出せたのはいいけどやばい神様が増えただけかもしれない。
にやりと笑みを浮かべた烈火に対し、水の神様が「そうだ、去勢しよう」と恐ろしく軽いノリで水を振りかぶり始めた。その後、二人を収めるのに苦労することとなる。
戻ってきた騒がしさに頭を抱えたものの、懐かしさを覚えるにぎやかさにほんの少し笑みがこぼれた。
※※※
「にしても、ちゃんとできてよかったです」
さっきまでの出来事を思い出しながら、ため息をつく。猿神との戦いに覚の襲撃。血があれほど流れているのを見たのはアニメかドラマの中くらいなものだ。烈火の傷は元からなかったかのように塞がっているし、本人もピンピンしている。それどころか毛並みが艶めいてすら見えるから不思議だ。暗闇から漂ってきた血の匂いがまだ鼻に残っているような気すらするのに。
「ロクちゃん、大丈夫ですかね」
「………そんな暗い顔しないの」
ロクちゃんも付喪神さん方の手で一足早く戻った。かなり消耗していただろうに無理までさせてしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいだったがそれでも「ありがとう」と言ってくれた。今頃は家で休んでいるころだろう。
無理に酷使された時についたのだろう、彼女の体についた足や腕についた傷の生々しさが目に焼き付いて離れない。私がもっと早く力を使いこなせていたら、ああまでボロボロにはならなかったのかもしれないのに。そう考えていたら冷たい指先が頬に触れた。
「覚の奴、見たでしょ。妖怪ってのは無駄に丈夫なんだから。あのくらいの傷は怪我にも入らない連中だよ」
それよりも自分の心配をしてよ、と言いながら水の神様は指先をすうっと滑らせる。熱を持った頬に冷たさが酷く心地いい、と同時に忘れていた痛みがじんじんと響き始める。
そうだ、そういえばさっき蹴られたばかりだった。
強く蹴られたのか頬から耳のあたりまでが熱を孕んだように熱く、心臓の鼓動と同じタイミングでずきりと痛む。
あ、痛い。そう思った時初めて口の中を切っていることに気づいた。口の肉が歯にでもあたってしまったのだろう。
「痛い、けど。歯は折れてないみたいだし。少し冷やしたら治りますよ」
「歯が折れてないからとか関係ないからね⁈」
もーこの子ったらと言いながら彼の掌が包むように頬に触れる。私より低い体温が熱を吸い取っていくのが気持ちいい。これは天然の熱さましシートだな、とぼんやり思いながら添えられた手に頬を押し付ける。あー冷たい。しばらくこうしていたい。
「…………そんな無防備にしちゃってさ。僕のこと忘れてるのに」
「うひゃっ! なんですか急に」
「なんでもないよ」
急に両耳を塞がれ、驚いて顔を上げれば寂しそうに笑う神様の顔があった。どうしてだろうか、その顔を見ると彼にとても酷いことをしているような気がして。
思考の渦に絡めとられかけた瞬間、烈火の声に引き戻される。
「貴様もわしのこと言えんような顔しとるぞ。水の」
「うるさいほっとけ色ボケ狼」
「本当に口の減らん奴じゃの。まあ、それはそれとしてじゃ。ユキ」
「はい、なんですか?」
「お前にお仕置きしたっちゅう奴を教えろ」
はい? と返事をする前にぐりんとすごい勢いで水の神様の顔が烈火に向けられた。およそ人には考えられない動きである。
「は? お仕置き? 誰それ」
「分からんからこうして聞いとるじゃろうが。ほれ、さっさと閉じ込めた連中とやらを教えんかい」
「閉じ込める?」
駄目なやつだ、これは。烈火はこれ以上ないほどにっこり微笑んでいるが、目が笑っていないし、上から聞こえてくる「は? 何それ」とドスの効いた声も継続中だ。はっきり言って大変怖い。今までは烈火がストッパーのような存在だったのに、記憶が戻ってから箍が外れているような。
「そんな酷いことされてませんよ! 閉じ込めるって言っても押入れだし数時間くらいで」
「なんでもない仕置きで暗闇が怖うなるんか?」
確かに未だに閉塞感の強い場所と暗さに足がすくむことはあるけども、本当にそこまで怒ってもらうようなことはされていないのだ。
このまま放っておいたら両親のところに突貫しかねない二人を宥めるように言葉を連ねるが、なおのこと怒りがヒートアップした気がする。
「………おい、クソ犬」
「なんじゃ」
「僕もいくぞ。カチコミだカチコミ!」
神様がカチコミなんて俗っぽい言葉を使わないでほしい。そう悲鳴のように上がった言葉は森の木々に吸い込まれるようにして消えていった。
※※※
「とりあえずぞれは応急処置だから。さっさと戻って薬もらおう」
「………はい」
あれから誰やったとやる気満々の二人にはい両親ですとは言えず。言葉に言葉を重ねて宥めて早数分。森の出口が近づいた途端、どっと気疲れが出てきた。猿神や覚を収めるのももちろん大変だったがそれより精神がすり減った気がする。もう帰って寝たい。めっちゃ寝たい。
そう思っていた時、前の方から走ってくる人影があった。
「お嬢! たいへ、大変なのよ!」
「お、ツクモのとこの湯飲みか。なんじゃそんなに焦りおって」
走ってきたのは頭が桃色に桜文様の湯飲みでできた女性。湯飲みちゃんは転げるようにこちらに来ると、私の顔を見た途端胸をなでおろす。
「ああ、良かったぁ。お嬢のとこに変なの来てないわよね、そうよね。こんな物騒な二人がついてるんだもん。ああ、心配しすぎちゃった」
「湯飲みちゃん、どうしたんですか。そんなに慌てて」
身の回りの面倒を見てくれた彼女の様子はとてもじゃないが普通には見えなかった。どうしたのかと聞けば、彼女はゆっくりと言い聞かせるように話始める。
「あのね、覚があんなことになったから。お嬢にも何か起こるんじゃないかと心配で」
「……あんなこと?」
嫌な予感がする。その先を聞くことをためらってしまうような何か。湯飲みちゃんの声が、続けた。
「殺されたの」
「え」
総身に鳥肌が立つ。両腕で己を掻き抱きながら、私はゆっくりと息を吐いた。
いきなり聞かされた情報が何か大きな出来事の前触れのような不吉な予感がして、身の内から沸き上がる震えを抑えるように、力を込めて腕を握り続ける。
やっと落ち着いてきた足場が、急に宙へと投げ出されてしまったような心地だった。
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